ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説~ツルゲーネフの名を一躍文壇に知らしめた傑作

猟人日記 ロシアの文豪ツルゲーネフ

ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説

ツルゲーネフ(1818-1883)Wikipediaより

『猟人日記』は1852年にツルゲーネフによって発表された短編集です。

私が読んだのは岩波書店、佐々木彰訳の『猟人日記』です。

『猟人日記』はツルゲーネフの名を世に知らしめた作品で、多くの短編を集めた形で出版されました。

巻末の解説を見ていきます。

『猟人日記』の第一作『ホーリとカリーヌイチ』が、『猟人の日記より』という副題をつけられて雑誌『同時代人』にのったのは一八四七年、今から百年以上も前のことである。

それも創作欄にのったのではなくて、いわば穴埋めのために雑報欄に取り上げられたのだった。ツルゲーネフによるとこの副題を考えついたのは、パナーエフ(作家で当時『同時代人』の編集者であった。著書に『文学的回想』(岩波文庫既刊)がある。)だとのことであるが、とまれ、『ホーリとカリーヌイチ』の成功にはげまされて、作者はつぎつぎと狩猟家の農村スケッチを書き上げることになる。

同じ一八四七年のうちに、『ピョートル・ペトローヴィチ・カラターエフ』、『エルモライと粉屋の女房』、『隣人ラジーロフ』、『郷士オフシャニコフ』、『リゴフ』、『荘園管理人』、『事務所』が『同時代人』誌に掲載された。

ツルゲーネフは猟人ものの成功に勇気を得て、『同時代人』にその後の作品をつぎつぎと発表していった。
※一部改行しました

岩波書店 ツルゲーネフ 佐々木彰訳『猟人日記』P303

二葉亭四迷によって訳された『あいびき』もこの『猟人日記』に収められた作品の一つです。解説でも、

ツルゲーネフはもっとも早く日本に知られたロシヤ作家の一人である。とりわけ『あいびき』は二葉亭四迷の名訳によりいち早く紹介され(一八八一年〈明治二一年〉)、そのすばらしい自然描写は当時の若い世代に大きな衝撃を与えた。国木田独歩の『武蔵野』(一九〇一年〈明治三四年〉)をはじめ、その影響を受けた作品が少くない。

岩波書店 ツルゲーネフ 佐々木彰訳『猟人日記』P305

と述べられています。

佐藤清郎の『ツルゲーネフの生涯』ではこの作品について次のように解説しています。

『猟人日記』の中には掛値なしにツルゲーネフのすべてがある。ドストエフスキーの全作品が『罪と罰』という題名でくくれるものなら、そしてフローべールのすべての作品が『感情教育』と言えるものならツルゲーネフの全作品は『猟人の日記』である。

筑摩書房 佐藤清郎『ツルゲーネフの生涯』P41

佐藤清郎はツルゲーネフを理解するにはこの作品が非常に重要であることを述べています。

そしてこの『猟人日記』はツルゲーネフの実体験から生み出されたものです。彼は猟が大好きでよく猟に出かけていました。その時の体験を記したものがひとつひとつの短編となっているのです。

猟を職業としていないだけに、この猟人は現実の生活に密着してはいない。生活の泥にまみれてはいない。特権的な生活の享受者である。

この猟人は猟銃を肩に山鳥を追い、ときたま出会う人々をフレッシュな驚きをもって見つめる。人々の生活を内側からでなく、外側から醒めた眼で見つめる。

その眼は至るところで「新しいもの」を発見する。驚きは見慣れているところでは起らないものだ。風のわずかなそよぎにも、鳥のかぼそい鳴き声にも、とっさに聴き耳を立てる彼の神経は鋭く、そして敏い。

行きずりの百姓や粉屋の女や森番の皺の多い顔を見る彼の眼は、初めてこの世の人たちを見るもののように新鮮だ。人問ばかりでなく、犬を見る眼でさえ、常人の見ないものを見る。

たとえば、エルモライの犬(ワレートカ)が一度も笑わないことに驚いたり、その挙動の中に「この世の一切に不可解な無関心」と「幻滅」をこの旅人は感じ取るのである。眼を初めて開けて物を観る者に先入主がないように、この猟人も眼と心に映じたすべてをあるがままに見てとる。

文学史家たちは、彼以前に「ペテルブルク生理学」の名で呼ばれる自然主義の筆法、ダーリやグリゴローヴイチの農村小説があったことを指摘する。しかし、彼のように新鮮な、先入主を持たない眼で民衆を見たものがいたか。

すぐれた芸術がおしなべて何かしらの「発見」を含むように、『猟人日記』も新しい「発見」をいくつも持っている。これ一篇でもイヴァーン・ツルゲーネフの名を文学史に不朽のものとして止めうるほどの貴重な発見を。

筑摩書房 佐藤清郎『ツルゲーネフの生涯』P41-42

小椋公人の『ツルゲーネフ 生涯と作品』にも『猟人日記』の特徴やその素晴らしさが次のように述べられていました。

『猟人日記』でツルゲーネフはロシヤの風景を描写する名匠として、その力を発揮した。誰一人として、彼ほどに絶妙な自然描写をした散文作家は無い。

彼の描く風景の大部分はロシヤの自然、特にオリョール県とカルガ県のステップと森林地帯、またその中間地帯の素晴らしい自然美の光景を描いたもので、峡谷や曲りくねった小川に区切られた平地や耕地、たとえようもない香気をたたえた白樺や菩提樹の林、ありとあらゆる鳥たちが棲む奥深い森、それらが観察力の豊かなツルゲーネフの心を踊らせた。

すべてこれらの殆ど完璧に近い確実な描写に加えて、ツルゲーネフの描く自然が詩的に美化されて受け入れられるのは、彼の特別の叙情性によるものである。一見して灰色で月並みに見えるものも、ツルゲーネフの筆にかかると叙情的な色彩と鮮明な絵画性を獲得するのである。

きわめて平凡な菩提樹の老木も彼の繊細な筆にふれると消えることのない陰影を残し、ありきたりの野菜の育っている畑は豊饒なみずみずしい光景を呈してくる。
※一部改行しました

法政大学出版局 小椋公人『ツルゲーネフ 生涯と作品』P38-39

『猟人日記』ではツルゲーネフの芸術性がいかんなく発揮されています。彼の自然に対する美的センスは並外れたものがあるようです。

また、この作品は彼の幼少期、虐げられた農奴の姿を目の当たりにしていたことも執筆の大きな要因となっています。

彼の母は暴君のように振る舞い、農奴だけでなくツルゲーネフも虐待していました。その時の大地主である醜い母の姿を彼は忘れられないのでありました。

優しい性格だったツルゲーネフは農奴たちに同情します。彼らを単なる奴隷のようにしか考えない地主たちの横暴に、心を痛めるのです。だからこそ、「農奴たる彼らもひとりひとり同じ人間なんだ、美しい心を持った人間なのだ」ということをツルゲーネフは示していくのです。

『猟人日記』はロシアの農奴の実態を描いた作品です。ですがこれを書いた本人のツルゲーネフは執筆時ほとんどロシアにはいませんでした。彼はあえて祖国から離れてこの作品を書こうとしたのです。

一八六八年、ツルゲーネフは自分の回想の中で『猟人日記』の主要理念を次のように語っている。

「私は私が憎悪していたものと同じ空気を呼吸して、一緒に同じところに止まっていることができなかった。そのために然るべき忍耐と不屈の性格が、私には足りなかったのだろう。

私には、あのような遠くから、出来るだけ強く攻撃をかけるために、私の敵から遠ざかっていることが、どうしても必要であったのだ。

この敵は私の眼には一定の形をもって映り、よく知られている名称をもっていた。この敵とは―農奴制のことであった。この名称のもとに私はあらゆるものを集中し、これに対して最後まで闘おうと決心し、決して和解することのないように、と誓ったのであった。……これが私のハンニバルの誓いであった。」

法政大学出版局 小椋公人『ツルゲーネフ 生涯と作品』P41

ツルゲーネフは幼少期から間近で見ていた農奴制に激しい嫌悪を感じていました。

そしてこの『猟人日記』によってロシア社会は大きな衝撃を受け、これを読んだ皇帝アレクサンドル2世が農奴解放令の布告を決心したとも言われています。

それだけこの作品の与えたインパクトというのは大きかったのです。

ツルゲーネフを代表する芸術作品としてだけではなく、ロシア社会の実態を捉えたという点でもこの作品の持つ意味は大きなものであると言えそうです。

以上、「ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説―ツルゲーネフの名を一躍文壇に知らしめた傑作」でした。

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