ドストエフスキー

『ローマ旅行記』~劇場都市ローマの魅力とベルニーニ巡礼

(3)ローマの老舗カフェ・グレコへ~ゲーテやアンデルセン、メンデルスゾーンも通った芸術家たちの聖地

ローマのスペイン広場近くにあるカフェ・グレコはあのゲーテやアンデルセン、メンデルスゾーンやベルリオーズなど数え切れないほどの著名人が時を過ごした名店で、文学や絵画、音楽好きにはたまらない聖地となっています。

さすが200年以上の歴史を持つ老舗。ノスタルジーを感じるにも最高です。

私もローマ滞在中何度もここへ足を運びました。何度来てもわくわくする空間です。憧れの偉人たちがここにいたのだという思いに毎回興奮していました。

『ローマ旅行記』~劇場都市ローマの魅力とベルニーニ巡礼

(2)文豪たちの宿泊地だったローマスペイン広場をご紹介!ベルニーニの傑作「バルカッチャ」の噴水に夢中

今回の記事では『ローマの休日』でもお馴染み、スペイン広場をご紹介します。

この場所もポポロ門、ポポロ広場と同じくゲーテやスタンダールをはじめとした18、19世紀の文豪達にとって非常に大きな意味を持つ場所でした。

ここはいつも観光客でごった返しています。国際都市ローマの雰囲気を感じるには今もここがベストなのではないでしょうか。

『ローマ旅行記』~劇場都市ローマの魅力とベルニーニ巡礼

【ローマ旅行記】『劇場都市ローマの美~ドストエフスキーとベルニーニ巡礼』~古代ローマと美の殿堂ローマの魅力を紹介!

私は11月初旬から12月まで「ドストエフスキーの旅」と題してヨーロッパを旅しました。そしてその旅行記の中ではお話ししませんでしたが、実は私はこの日程の中でローマも訪れていたのでありました。

私もローマの魅力にすっかりとりつかれた一人です。この旅行記ではローマの素晴らしき芸術たちの魅力を余すことなくご紹介していきます。

「ドストエフスキーとローマ」と言うと固く感じられるかもしれませんが全くそんなことはないのでご安心ください。これはローマの美しさに惚れ込んでしまった私のローマへの愛を込めた旅行記です。気軽に読んで頂ければ幸いです。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

「ドストエフスキーの旅」を終えた私の思いと今後のブログ更新について~当ブログを訪れた皆さんへのメッセージにかえて

私はドストエフスキーが好きです。ですが、何よりも「アンナ夫人といるドストエフスキー」が好きです。 そんな二人の旅路が少しでも多くの人の目に触れるきっかけとなったらこんなに嬉しいことはありません。

この後、当ブログではローマについての記事を更新していきますが、私個人としてはこれから仏教の研究に突入していきます。いよいよ私は本丸に帰ってきました。インド、アジア、中国、日本とこれから仏教が伝えられてきたルートに沿ってその歴史と思想、文化を学んでいきます。そしてその最終目的は親鸞聖人の伝記小説を書くことにあります。私の研究もいよいよ新たな局面を迎えます。4年近くにわたった「親鸞とドストエフスキー」の研究に一片の悔いもありません。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(29)最愛の子アリョーシャの急死と『カラマーゾフの兄弟』のつながり~子煩悩の父としてのドストエフスキー

前回の記事では愛妻家ドストエフスキーの姿をご紹介しました。

そして今回の記事では父親としてのドストエフスキーを紹介して私の旅行記の締めくくりとしたい。

愛妻家ドストエフスキー、子煩悩の父ドストエフスキー。

妻と歩んだドストエフスキーを知る上で絶対に欠かせないエピソードをこれから皆さんにお話ししていきます。

子を愛したドストエフスキーということを知った上で『カラマーゾフの兄弟』を読めば読者の皆さんの心の中にきっとまた何か違うものが芽生えるのではないかと私は信じています。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(28)温泉地バート・エムスのドストエフスキーゆかりの地を訪ねて~結婚後10年経っても夫人に熱烈なラブレターを送るドストエフスキー

私にとってバート・エムスはドストエフスキーのアンナ夫人への愛を感じられる象徴的な場所です。

結婚後10年経っても妻を熱愛したドストエフスキー。

彼はエムスからアンナ夫人に熱烈なラブレターを送り続けます。

あの『悪霊』を書いた文豪とは思えぬほどのデレデレぶりをぜひ皆さんにお目にかけたいと思います。

愛妻家としてのドストエフスキーを知るならここを超える場所はないのではないだろうかと私は感じています。

アンナ夫人ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(27)帰国後のアンナ夫人の無双ぶり!借金取りも撃退!ドストエフスキーも全幅の信頼を寄せるその姿!

前回の記事「(26)ドストエフスキー夫妻の4年ぶりの帰国!旅を経てすっかり丸くなったドストエフスキーとアンナ夫人の成長とは」ではついにドストエフスキー夫妻がロシアに帰国したところまでをお話ししました。

今回の記事ではそんな旅を経て成長を遂げたアンナ夫人の姿をご紹介していきます。4年の月日が経ち、二人は出発前とは全く違う人間となって帰ってきました。一回りも二回りも成長した彼らは帰国後どんな生活を送ったのでしょうか。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(26)ドストエフスキー夫妻の4年ぶりの帰国!旅を経てすっかり丸くなったドストエフスキーとアンナ夫人の成長とは

四年前、ドレスデンから始まった二人の旅。

新婚早々のドレスデン、バーデン・バーデンの悪夢、ジュネーブでの天国と地獄、フィレンツェでの日々、そしてホームシックのドレスデン。色んなことがあった。ありすぎた。想像を絶する日々を夫妻は二人三脚で乗り越えてきた。

旅に出た当初の二人はもういない。

ドストエフスキーは自身の闇や狂気に打ち克ち、作家として一回り大きくなって帰って来た。そしてアンナ夫人はドストエフスキーを支える名マネージャーとしてこれから抜群の活躍を見せることになる。

この四年間はドストエフスキーにとってまさに運命を変えた旅だったのだ。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(25)カジノの街ヴィースバーデンでドストエフスキーのギャンブル中毒が消滅!!旅の終盤、彼の身に起こった奇跡とは!

ギャンブル熱から解放されたヴィースバーデンでの出来事はドストエフスキーの旅の中でも屈指の重大事件です。作家としての誇りを取り戻した出来事と言ってもいいかもしれません。

自分の筆で、自分の仕事で家族を守る!もうギャンブルの一攫千金には頼らない!と宣言したドストエフスキー。今度こそ嘘ではない。それは歴史が証人だ。本当に彼は生まれ変わったのでした。

そしてその再生をもたらしたのはやはりアンナ夫人あってのことでしょう。やはりアンナ夫人はドストエフスキーの守護天使だったのだ。運命の相手だったのだ。そのことを思うとこの二人を祝福せずにはいられません。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(24)プラハに滞在したかったドストエフスキー夫妻~あのスメタナともニアミス!泣く泣くドレスデンへ。二人の旅も終盤へ

娘の出産のためにフィレンツェからプラハへ向かったドストエフスキー夫妻。

プラハにはスラブ系知識人のコミュニティーがあり、ドストエフスキーは彼らとの交流を願っていました。そして何より、夫妻は美しきプラハに滞在することを楽しみにしていたのです。

ですが、プラハに滞在することは叶わず、ドレスデンへ移ることになります。

歴史に「もしも」は禁物ですが、もし夫妻がここに滞在できたらあのスメタナやドヴォルザークともドストエフスキーは接点があったのかもしれませんでした。