浄土教

老荘と仏教中国仏教と思想・歴史

森三樹三郎『老荘と仏教』~中国における仏教受容と老荘の関係を知れる刺激的な一冊!

この本はとてつもなく面白い名著です!頭がスパークするほど刺激的な一冊です!」

いやあこの本には参りました。中国関連の本をこれまで当ブログではご紹介してきましたが、その中でも間違いなくトップクラスに君臨します。いや、中国に限らず仏教関連の本全てにおいてもこの本はその位置に来るでしょう。それほど面白い一冊です。

インドから伝来した仏教が中国においてどのようにして受容され変容していったのかが本書の主要テーマでありますが、これがものすごく刺激的です。
他にも老荘思想の概要や中国仏教と政治の関係性、禅仏教や浄土教の展開など、この本ではとにかく興味深い内容がどんどん出てきます。いや~面白い!脳内がスパークしました。

バガヴァッド・ギーターインド思想と文化、歴史

『バガヴァッド・ギーター』あらすじと感想~現代にも生き続けるヒンドゥー教の奥義!大乗仏教とのつながりも!

『バガヴァッド・ギーター』は文庫本で140ページほどとかなりコンパクトです。そして上村勝彦さんの訳も非常に読みやすく、巻末には50頁以上も解説が付されていますのでこれはありがたいです。

この本では大乗仏教の教えと非常に近い思想がどんどん語られます。

やはり仏教もインドの思想や文化の枠組みの中で生まれたのだなということを強く感じました。もちろん、それはインド神話から仏教への一方通行ということではなく、お互いが影響し合ってのことだと思います。

仏教を学ぶ上でもこれは大きな意味がありました。いや、仏教だけに収まらず、宗教、人間そのものにも目を開かせてくれる珠玉の聖典でした。インド思想、インド文化にますます惹かれている自分を実感しています。

〈文化〉としてのインド仏教史インドにおける仏教

奈良康明『〈文化〉としてのインド仏教史』~葬式仏教批判に悩む僧侶にぜひおすすめしたい名著!

この本は「僧侶としてのあり方に悩む方」にぜひおすすめしたい作品です。

文献に書かれた教義だけが仏教なのではなく、そこに生きる人々と共に歩んできたのが仏教なのだというのがよくわかります。私自身、この本にたくさんの勇気をもらいました。仏教は現代においても必ずや生きる力に繋がるのだということを私は感じています。

僧侶以外の方でも、仏教における儀礼の意味に興味のある方には多くの発見がある作品です。

ぜひぜひおすすめしたい名著です。著者の信念が伝わってくる素晴らしい一冊でした。

大乗の仏の淵源インドにおける仏教

新田智通「大乗の仏の淵源」~ブッダの神話化はなかった!?中村元の歴史的ブッダ観への批判とは。『シリーズ大乗仏教 第五巻 仏と浄土—大乗仏典Ⅱ』より

今作では浄土経典について説かれるということで浄土真宗僧侶である私にとって非常に興味深いものがありました。

特に第二章の新田智通氏による「大乗の仏の淵源」は衝撃的な内容でした。これは仏教を学ぶ全ての人に読んで頂きたい論文です。

「シリーズ大乗仏教」は2010年代初頭当時における最新の研究が反映されています。かつては主流だった仏教理解が今や通用しなくなっているということを肌で感じた作品でした。

新田智通氏の衝撃的な論文が収録された『シリーズ大乗仏教 第五巻 仏と浄土—大乗仏典Ⅱ』は仏教を学ぶ全ての方におすすめしたいとてつもない一冊です。このシリーズの中でも圧倒的に印象に残った作品です。

バガヴァッド・ギーターの世界インド思想と文化、歴史

上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』~日本文化や大乗仏教とのつながりも知れる名著!

「日本人はいわば「隠れヒンドゥー教徒」であるといっても過言ではありません。そのことを示すことが、本書の目的の一つでもあります。」

衝撃的な言葉ですよね。

ですがこの本を読んでいると、この言葉があまりにリアルなものとして感じられてきます。日本の文化や大乗仏教とのつながりが非常にわかりやすく説かれます。

この本自体は『バガヴァッド・ギーター』の解説書ということでなかなか手が伸びにくい作品であるかもしれません。ですがそこは少し見方を切り替えてこの本を仏教書として見てみてはいかがでしょうか。

この本は古代インドやインド思想を知らなくても読めるような作りになっています。また同時に、仏教の入門書としても十分通用するほどわかりやすい作品になっています。これはものすごい名著です。

インド大乗仏教の虚像と断片インドにおける仏教

G・ショーペン『インド大乗仏教の虚像と断片』~インド仏教研究に革命を起こした泰斗による最新の論文集!

今作もショペン節全開で刺激的な読書になること間違いなしです。

私の中で特に印象に残っているのが第3章の「ブッダの遺骨と比丘の仕事」と第8章の「クシャーナ期阿弥陀仏像碑文とインド初期大乗の特質」です。

「原始仏教は葬式をしない。遺骨への供養も存在しない。それなのに日本仏教は葬式や先祖供養をする。これは仏教として間違っている」

このような批判が今も根強く残っていますが、実はこの批判そのものがもはや学術的に成立しないことがショペンの説から明らかになります。当時のインド仏教徒にとっても遺骨の存在は大切なものだったということが考古学的な証拠から明らかにされつつあります。これは刺激的な論稿でした。

また真宗僧侶である私にとって阿弥陀仏像の碑文のエピソードは非常に興味深いものがありました。