『バガヴァッド・ギーター』あらすじと感想~現代にも生き続けるヒンドゥー教の奥義!大乗仏教とのつながりも!

バガヴァッド・ギーター インド思想と文化、歴史

『バガヴァッド・ギーター』あらすじと感想~現代にも生き続けるヒンドゥー教の奥義!大乗仏教とのつながりも!

今回ご紹介するのは1992年に岩波書店より発行された上村勝彦訳の『バガヴァッド・ギーター』、2022年第38刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

インド古典中もっとも有名な本書はヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきた。表題は「神の歌」の意。ひとは社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能である、と説く。サンスクリット原典による読みやすい新訳に懇切な注と解説をくわえた。

Amazon商品紹介ページより
馬車に乗ったアルジュナと親友のクリシュナ(青い人物)Wikipediaより

『バガヴァッド・ギーター』はインドの大叙事詩『マハーバーラタ』の中で説かれた、インド思想の奥義と言ってもよい対話篇です。

この作品は『マハーバーラタ』の主人公の一人、アルジュナとその御者クリシュナ(実はヴィシュヌ神の化身)との対話によって成り立っています。

その対話はもちろん『マハーバーラタ』の物語の筋を背景に始められます。『バガヴァッド・ギーター』単独で読んでもわからないことはないのですが、やはりより深く味わうためには『マハーバーラタ』の大筋を知っておくことが必須であると思います。

『バガヴァッド・ギーター』については前回の記事「上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』~日本文化や大乗仏教とのつながりも知れる名著!」でその解説書をご紹介しました。

著者はこの本で『バガヴァッド・ギーター』に日本の文化や大乗仏教とのつながりを指摘します。

その冒頭ではインドラ(帝釈天)、ヤマ(閻魔)、サラスヴァティー(弁財天)、ブラフマー(梵天)など、インドの神々が日本文化にいかに浸透しているかが語られます。そしてその直後に次のように述べます。仏教や日本の文化を学ぶ上でも極めて重要なポイントですのでじっくり読んでいきます。

以上のように、日本人がいかに日常的にヒンドゥー教の神々を拝んできたか、また現在も拝んでいるか、ということがおわかりになったと思います。我々はヒンドゥー教の神々に固まれて生活しております。

ところが、我々は単にヒンドゥー教の神々を拝んでいるだけではありません。実はヒンドゥー教の有力な考え方が仏教を通じて日本に入り、日本の宗教や文化に多大な影響を与えたのです。そんなことはないと思われるかもしれませんが、しかし、日本人はヒンドゥー教の最も良質の部分を、仏教を通じて受け入れたと筆者は考えます。日本人はいわば「隠れヒンドゥー教徒」であるといっても過言ではありません。そのことを示すことが、本書の目的の一つでもあります。

本書で取り上げる『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー教の代表的な聖典です。大ざっぱにいえば、この聖典に説かれたような思想が、ある時期に大乗仏教に影響を与えたと考えられます。それは、絶対者すなわち最高神がすべてに遍満し、個々のもののうちにも入り込んでいるという考え方です。言いかえれば、我々個々人のうちに神の性質があるということです。この考え方が、ある時期に、直接的間接的に大乗仏教に強い影響を与え、その結果生まれたのが如来像にょらいぞう思想であるということができます。すべての人に如来たる可能性がある、すべての人に仏性ぶっしょうがある、とする考え方です。それが仏教を通じて日本に入り、我々がそのまま仏である、真如であるとする、天台宗を中心とする本覚ほんがく思想へと展開し、日本の宗教文化、さらには日本人一般のものの考え方に大きな影響を与えたのです。例えば、「仏はつねにいませども、うつつならぬぞあわれなる」(『梁塵秘抄』)などの今様は、日本の中世社会に広まり、このような考え方は、やがて民衆の間に浸透しました。

以上のような仮説―といっても極めて確実性の高い仮説―を立てて、これから『バガヴァッド・ギーター』を読んで解説しながら、その妥当性を検討してみたいと思います。

筑摩書房、上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』P21-22

「日本人はいわば「隠れヒンドゥー教徒」であるといっても過言ではありません。そのことを示すことが、本書の目的の一つでもあります。」

衝撃的な言葉ですよね。

ですがこの本を読んでいると、この言葉があまりにリアルなものとして感じられてきます。日本の文化や大乗仏教とのつながりが非常にわかりやすく説かれます。

そして実際に『バガヴァッド・ギーター』を読んでいると上村勝彦さんの述べていることがよくわかります。本当に「え?これってそのままじゃないか!」と驚く言葉が何度も出てきます。

その中でも私が最も驚いた箇所を紹介します。

私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、信愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。

たとい極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、彼はまさしく善人であるとみなさるべきである。彼は正しく決意した人であるから。

岩波書店、上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』、2022年第38刷版P84

「たとい極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、彼はまさしく善人であるとみなさるべきである。彼は正しく決意した人であるから。」

これはまさに浄土真宗の開祖親鸞聖人の悪人正機説を彷彿とさせます。もちろん、そっくりそのままではありませんがそこに繋がってもおかしくない思想がすでにここで説かれていたのでありました。

他にも大乗仏教の教えと非常に近い思想がどんどん語られます。

やはり仏教もインドの思想や文化の枠組みの中で生まれたのだなということを強く感じました。もちろん、それはインド神話から仏教への一方通行ということではなく、お互いが影響し合ってのことだと思います。

『バガヴァッド・ギーター』は文庫本で140ページほどとかなりコンパクトです。そして上村勝彦さんの訳も非常に読みやすく、巻末には50頁以上も解説が付されていますのでこれはありがたいです。

上で紹介した『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』と沖田瑞穂著『マハーバーラタ入門 インド神話入門』、そして『マハーバーラタ』そのものと合わせて読めばさらに理解は深まります。

仏教を学ぶ上でもこれは大きな意味がありました。いや、仏教だけに収まらず、宗教、人間そのものにも目を開かせてくれる珠玉の聖典でした。インド思想、インド文化にますます惹かれている自分を実感しています。

これはぜひおすすめしたい一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「『バガヴァッド・ギーター』あらすじと感想~現代にも生き続けるヒンドゥー教の奥義!大乗仏教とのつながりも!」でした。

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