ウィーンへ到着!歴史とモダンが融合した街並みに衝撃を受ける オーストリア編①
プラハからウィーンへ到着。
思いのほか近代的でモダンな光景に度肝を抜かれてしまいました。
こんなにも近代的だったとはまったく想像もしていませんでした。
実は私はウィーンについては経由地として考えていたのでそこまでの予習をしてこなかったのです。
歴史ある文化と芸術の街というイメージが先行していたので、ここまでモダンな建築が軒を連ねているとは思ってもいなかったのでした。
プラハからウィーンへ到着。
思いのほか近代的でモダンな光景に度肝を抜かれてしまいました。
こんなにも近代的だったとはまったく想像もしていませんでした。
実は私はウィーンについては経由地として考えていたのでそこまでの予習をしてこなかったのです。
歴史ある文化と芸術の街というイメージが先行していたので、ここまでモダンな建築が軒を連ねているとは思ってもいなかったのでした。
プラハは美しい。いや、美しすぎる。
ですが、それだけではありません。
目に見える美しさだけが私を虜にしたわけではない。
目には見えない内面的なもの。きっとそれが感じられたからこそ、私はここまで惹かれたのでしょう。
プラハが生きてきた歴史、文化、精神性。
私はプラハの心がたまらなく好きなのだ。
だからこそ外面にもそれが美しさとなって現れているように私には見えてくるのではないだろうか。
何かを強烈に好きになるということは、外面だけの問題ではないのかもしれない。
改めて人間の心とものの見え方の関係に驚いたのでありました。
クトナーホラはプラハから車で1時間ほどの距離にある静かな街。
この街で有名なのは何と言っても骸骨だらけの教会、セドレツ納骨堂です
私がクトラーホラに向かったのもその姿を見に行くことが目的です。
まさに骸骨だらけのこの教会に私も度肝を抜かれました。
プラハは見どころがあまりに多すぎます。
旧市街を中心に散策するだけでも十分に満足できるですが、少し離れた場所に行くとまた違った魅力を発見することができます。
その一つがこの記事でご紹介するペトシーン公園です。
こちらはマラーストラナ地区にある丘で、展望台や自然豊かな遊歩道が広がり、観光客や地元民の憩いの場として親しまれています。
緑豊かな自然がこんなに街の近くにあるというのもこの街の素晴らしさの一つ。プラハの絶景を自然と共に楽しめるおすすめスポットです。
プラハでの日々は天候にも恵まれ、散策をするには最高のコンデションで毎日を送ることができました。
そんな中でもいつも私の心を明るくしてくれたのがヴルタヴァ川でした。
そしてこのヴルタヴァ川ではたくさんのクルーズ船が運航しています。
橋からはいつもたくさんの船がこの川を行き来しているのを見ることができました。
この日私もその船の一つに乗り込んで、美しき川の流れを堪能することにしてみました。
今回は前回の記事で考えた教会建築の違いをふまえて、聖ミクラーシュ教会で実際に私がどのように教会からのメッセージを受け取ったのかをお話ししていきます。
もちろん、これからお話しすることは全て私の主観です。
残念ながら彫像の一体一体について私は正確な知識を持ち合わせていません。
もしかしたら間違ったことをお話しするかもしれません。しかしここで重要なことは、バロック建築とは何かということを前提とした上で、どのように教会を見てそこに物語を見出すのかというところにあります。
今回の記事ではプラハの3つの教会を題材に、教会建築の違いとそこに秘められたメッセージを紹介していきます。
ローマカトリックでは時代順に、ロマネスク、ゴシック、バロックという流れでその建築様式は推移していきました。その違いを見ていくと当時の時代背景も見えてくるので非常に興味深いです。
今回ご紹介するのはプラハ城にも近い聖ミクラーシュ教会。
この教会はカレル橋から歩いて徒歩10分もかからない場所にあり、なおかつ背の高い水色と緑色の混じったような色の屋根がとても目立っています。
この聖ミクラーシュ教会。プラハで最も好きな教会になりました。
いや、この旅の中で最も好きな教会と言ってもいい。それほど素晴らしい教会でした。
観光客も少なく、ゆっくりと落ち着いて過ごすことができるプラハの穴場です。
プラハに来た際はぜひともここを訪れることをおすすめします。
ヴルタヴァ川(モルダウ)の美しさや橋そのものの美しさがフォーカスされがちなカレル橋でありますが、あえてそこに並ぶ聖人達に目を向けてこの記事ではお話ししていきます。
カレル橋は本当に美しい。そしてそこから見る眺めも素晴らしい。
ですが、それだけではなく、プラハにはたくさんの思想的な思惑が至る所に秘められています。
カレル橋にも実はそのようなエピソードがあるということを知り、私はますますこの景色を好きになるのでありました。
皆さんは宗教改革といえば誰を思い浮かべるでしょうか。
おそらく、多くの人がマルティン・ルターを思い浮かべることと思います。
そのルターがドイツで宗教改革を始めたと言われているのが1517年。
ですが、もしこれに先立つことおよそ100年。すでにここプラハで宗教改革が行われていたとしたら皆さんはどのように思われるでしょうか。
歴史の教科書ではこのことはほとんど触れられませんが、宗教史上、このことは非常に重要な出来事として知られています。
そしてその立役者となったのが、今回ご紹介するヤン・フスという人物なのです。