(2) Introducing Piazza di Spagna in Rome, where the great writers stayed! (3) Be fascinated by the fountain of Bernini's masterpiece "Barcaccia"!

Travels in Rome" - Charms of the Theater City of Rome and Pilgrimage to Bernini

Travels in Rome: (2) Introducing Piazza di Spagna in Rome, where the great writers stayed! Enthralled by Bernini's masterpiece "Barcaccia" fountain!

今回の記事では『ローマの休日』でもお馴染み、スペイン広場をご紹介する。

この場所もポポロ門、ポポロ広場と同じくゲーテやスタンダールをはじめとした18、19世紀の文豪達にとって非常に大きな意味を持つ場所だった。

では例のごとく石鍋真澄著『サン・ピエトロが立つかぎり』の解説を見ていこう。

文豪達の宿泊地だったスペイン広場

ポポロ門からローマ市中に入ったかつての旅行者は、コルソ通りからコンドッティ通りに入って、あるいはバブイーノ通りをまっすぐに、スペイン広場に行くのを常とした。スぺイン広場の界隈には、「ロカンダ」や「アルべルゴ」と呼ばれたホテルが数多くあったからである。当時の旅行者がどんなところに宿泊したのか、ちょっと興味を覚えて、一八、一九世紀のもっとも著名な三人の人物の場合を調べてみた。まず、一七三七年にローマを訪れたシャルル・ド・ブロッス。彼は最初スペイン広場のモンテ・ドーロ(金の山)というロカンダに落ち着いて、それから同じ広場のバルカッチャの噴水の前に適当な「家具付きのアパート」をみつけた。モンテ・ドーロはプディングはおいしいがひどく高い、と彼はいう。

次に、一七八六年から八八年にかけてローマに滞在したゲーテ。彼はローマでもっとも有名なロカンダといっていい、ロカンダ・デッロルソ(熊旅館)に一泊しただけで、翌日にはコルソ通りのポポロ広場に近いところにあった、画家ティッシュバインの家に移っている。このロカンダ・デッロルソというのは、旧市街のナヴォナ広場の近くにあり、ダンテやラブレーが泊まったと伝えられ、モンテーニュもローマ滞在の拠点とした由緒あるロカンダである。また、ゲーテが滞在した、コルソ通り八番地の友人ティッシュバインのアパートは、今日ゲーテ記念館になっている。

それから最後に、スタンダール。彼は再三ローマを訪れたが、『プロムナード・ダン・ローム』を書いた一八二七年には、まずスペイン階段の上のグレゴリアーナ通りに宿をとり、一〇日ばかり逗留してから、スペイン広場に近いコンドッティ通りのダ・フランツというところに部屋を借りて移った。グレゴリアーナ通りの宿からの眺めを絶賛する彼は、旅行者はこのあたりに陣取るといいと勧めている。

ここにあげた三人の例からも、当時はスペイン広場の界隈に多くのホテルがあったこと、そして長期に滞在する外国人に部屋を提供するところもたくさんあったことが分かる。スペイン広場は、まさに「外国人のローマ」、「ロマンティックなローマ」の中心地だったのである。

Masumi Ishinabe, Yoshikawa KobunkanAs Long as St. Peter's Stands: My Guide to Rome.p24-25
スペイン広場 Wikipedia.

「スペイン広場は、まさに「外国人のローマ」、「ロマンティックなローマ」の中心地だった」というのは興味深い。ここスペイン広場がローマを訪れた旅行者たちの拠点になっていたのである。そしてそれは文豪たちだけではなく芸術家たちにとっても同じだった。引き続き解説を見ていこう。

芸術家たちのメッカとしてのスペイン広場

そして旅行者ばかりでなく、一七世紀以降ヨーロッパで各地から口ーマに集まった美術家たちも、好んでスぺイン広場界隈にアトリエを構えた。たとえばルーべンスやエルスハイマー、そしてプサンらはバブイーノ通りに、また一七世紀にボヘミアン的生活で特異な一団を形成した「バンボッチャンティ」と呼ばれたオランダやべルギーの風俗画家たちはマルグッタ通りに、そして新古典主義のラファエル・メングスやトロヴァルセン、レノルズらはスペイン階段の上のシスティーナ通りに居を構えた。スペイン広場界隈は、いってみれば「バロックのモンマルトル」、あるいは「新古典主義のモンパルナッス」でもあったのだ。当時の美術家のアトリエ、そして後には写真家たちのスタジオは、一般に公開されており、自由に出入りができる作品の展示場になっていたから、こうしたアトリエが広場界隈の芸術的雰囲気をかもすのに一役かっていたことは間違いない。また、美術家や写真家のモデルにやとわれようと、ローマや近郊の農家の娘が民族衣装で着飾って、スペイン階段にすわって「客待ち」する姿がいつも見られたという。

Masumi Ishinabe, Yoshikawa KobunkanAs Long as St. Peter's Stands: My Guide to Rome.p25-26

現代では芸術家の街といえばパリのモンパルナスやモンマルトルが有名だが、かつてここは芸術家たちのメッカとして知られていた。ローマと言えば芸術家たちの理想郷でもあった。その理想郷へはるばるやって来た芸術家たちが拠点にしたのがこのスペイン広場だったのである。

では、こうしたスペイン広場を実際に見ていくことにしよう。

平日の午前中にやって来たので人は少なめ。11月末というオフシーズンだった影響もあるかもしれない。写真右側がスペイン階段だ。左手側にはベルニーニ作「バルカッチャの泉」がある。この噴水については後に改めて紹介する。

「バルカッチャの泉」、スペイン階段、オベリスク、トリニタ・デイ・モンティ聖堂と一直線に並ぶ光景は圧巻。

せっかくなので私も階段を上ることにした。

思っていたより高い位置から広場を見下ろすことになった。サン・ピエトロ大聖堂のドームも見える。

ただ、やはりこのスペイン広場は上から見下ろすより下から見上げた方が味わい深いのではないだろうか。

広場には観光客用の馬車が待機していた。ゲーテやスタンダールがいた時代はこの比ではない程の馬車がいたことだろう。当時の様子を想像しながら歩くのも楽しい。このスペイン広場について石鍋真澄はさらに次のように述べている。

万人共有の祖国ローマ

スペイン広場界隈にあったホテルは、今日おおむね高級なブティックに変わり、またマルグッタ通りのアトリエも多くは画廊になっている。それでも、ヤシの木が南国的な情緒をかもしだす広場には馬車が数台のんびり客を待ち、階段や噴水のまわりには、さまざまな国籍の人や若者たちが思い思いの格好で陽気に歓談する姿がいつも見られる。広場のコスモポリタンな雰囲気、ボヘミアン的な空気は今も変わらない。「コムニス・パトリア」(万人共有の祖国)と呼ばれた口ーマは、「誰しもがここでは自国にいるような感じがする」(モンテーニュ)とたたえられてきたが、スペイン広場ほどそうしたローマの自由さを肌で感じられるところはあるまい。

このようなスぺイン広場の独特の雰囲気は、ポポロ広場と同じように、その舞台装置によるといえる。つまり、船をかたどったバルカッチャの噴水、それからいわゆるスペイン階段、そしてその上にそびえる二つの鐘塔をもったトリニタ・デイ・モンティ聖堂とオべリスク、という舞台装置である。これらの装飾は一六世紀から一八世にかけてばらばらに行われたのだが、全体として非常にうまく調和し、えもいわれずピトレスクな眺めをなしてしる。

Masumi Ishinabe, Yoshikawa KobunkanAs Long as St. Peter's Stands: My Guide to Rome.p26-27

『「コムニス・パトリア」(万人共有の祖国)と呼ばれた口ーマは、「誰しもがここでは自国にいるような感じがする」(モンテーニュ)とたたえられてきたが、スペイン広場ほどそうしたローマの自由さを肌で感じられるところはあるまい。』

かつて、ポポロ門から入ってきた旅行者はそのままスペイン広場へやって来た。様々な言語が飛び交う開放的な空間がこの広場だったのだろう。そしてそれは今も変わらない。ここはいつも観光客でごった返している。国際都市ローマの雰囲気を感じるには今もここがベストなのではないだろうか。

私の最もお気に入りの噴水、ベルニーニ作『バルカッチャの噴水』

これまでスペイン広場について皆さんに紹介してきたが、この広場の中で特におすすめしたいのがこの『バルカッチャの噴水』だ。

Bernini (1598-1680)Wikipedia.

この噴水はローマバロックの王ベルニーニによって1629年に造られた。ベルニーニについては後にじっくりと見ていくが、私はこの噴水が大好きだ。ローマには数多くの噴水があるがその中でもこの『バルカッチャの噴水』はピカイチだと思う。

この噴水について石鍋真澄は次のように述べている。

道路面よりもいくらか掘り下げて造られた楕円形のプールに船が重たげに横たわり、そのあちらこちらから水が流れ落ちる。趣向は単純だが、親しみがもて、とりわけ水の美しさが印象的なすばらしい噴水だ。この噴水の水は「アックワ・ヴェルジネ(処女の水)」と呼ばれる、古代以来の由緒ある水だが、このあたりは水圧が低いため、水を吹き上げるような噴水は造ることができなかった。つまり、プールに浮かぶ船というこの噴水の形は、そうした不利な条件を克服するための絶妙なアイディアだったのである。この噴水をべルニーニに造らせた教皇ウルバヌス八世は、「教皇の軍艦は砲火を放つかわりに、戦いの火を消す甘美な水を放つ」とうたったと伝えられる。実際、この噴水の水は「甘美」で、おそらくローマでももっともおいしい水である。この噴水の水を飲むと、私はローマに帰ってきたという気かする。

Masumi Ishinabe, Yoshikawa KobunkanAs Long as St. Peter's Stands: My Guide to Rome.p29-30

「このあたりは水圧が低いため、水を吹き上げるような噴水は造ることができなかった。つまり、プールに浮かぶ船というこの噴水の形は、そうした不利な条件を克服するための絶妙なアイディアだったのである」

ベルニーニは不利な条件を克服して芸術を生み出すことに情熱を燃やした芸術家だった。『バルカッチャの噴水』だけでなく、彼の傑作サン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂もそうした不利な条件を克服しての設計だった。

サン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂

ちなみにこのサン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂はローマで私が最も好きな聖堂の一つだ。初めてここに入った時の衝撃は忘れられない。この聖堂については後の記事で再び紹介する。

夜のバルカッチャもたまらない。ちょろちょろ流れる水の動きと音が心地よい。がやがやしたスペイン広場なのにこの噴水に意識を傾けると不思議と心が安らぐのだ。

平日の夜ということで少しだけ人が少ない。週末の夜もここを訪れたのだがものすごい人だかりだった。

これくらい空いているとのんびり過ごせてありがたい。

私はこの噴水が大好きでローマ滞在中何度となくここを訪れた。一見地味で派手さもないこの『バルカッチャ』であるがベルニーニ芸術の真髄が現れている。豪華で華やかなだけがローマ芸術ではない。

ローマの美しさ、開放感を味わうにはこの広場は最高だ。特にこの『バルカッチャの噴水』はぜひおすすめしたい。この噴水が地理上の不利を芸術に転化した最たる例だと知れば、この噴水の見え方も変わってくるのではないだろうか。

次の記事ではこのスペイン広場の近くにあるカフェ・グレコという伝統あるカフェを紹介していく。そこはゲーテやアンデルセン、メンデルスゾーンやベルリオーズなど数え切れないほどの著名人が時を過ごした名店。文学や絵画、音楽好きにはたまらない聖地となっている。

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