MENU

(8)中世スペインの権力自壊の前兆~強大な官僚主義と膨大な事務の弊害とは 

目次

トビー・グリーン『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読む⑻

今回も引き続き、中央公論新社より2010年に出版されたトビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読んでいきます。

あわせて読みたい
トビー・グリーン『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』あらすじと感想~ソ連や全体主義との恐るべ... この本で見ていくのはまさしくスペイン・ポルトガルで行われた異端審問です。 この異端審問で特徴的なのは、宗教的なものが背景というより、政治的なものの影響が極めて強く出ているという点です。 この点こそ後のスターリンの大粛清とつながる決定的に重要なポイントです。

私がこの本を読もうと思ったのはソ連、特にスターリンの粛清の歴史を学んだのがきっかけでした。

スターリン時代はちょっとでもスターリン体制から逸脱したり、その疑いありとされただけで問答無用で逮捕され、拷問の末自白を強要されます。実際に有罪か無罪かは関係ありません。

こうしたソ連の歴史を読んでいると、私は思わずかつての中世異端審問を連想してしまいました。

異端審問も拷問の末自白を強要され、何の罪もない人が大量に殺害、追放された歴史があります。

そしてこの異端審問というものはドストエフスキーにもつながってきます。

ドストエフスキーと異端審問といえば、まさしく『カラマーゾフの兄弟』の最大の見どころ「大審問官の章」の重大な舞台設定です。

あわせて読みたい
『カラマーゾフの兄弟』大審問官の衝撃!宗教とは一体何なのか!私とドストエフスキーの出会い⑵ 『カラマーゾフの兄弟』を読んで、「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私の上にドストエフスキーの稲妻が落ちます。 私は知ってしまいました。もう後戻りすることはできません。 これまで漠然と「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私に明確に道が作られた瞬間でした。 私はこの問題を乗り越えていけるのだろうか。 宗教は本当に大審問官が言うようなものなのだろうか。 これが私の宗教に対する学びの第二の原点となったのでした。

この本はとても興味深く、勉強になる一冊ですのでじっくりと読んでいきたいと思います。

では早速始めていきましょう。

強大な官僚主義と膨大な事務処理

異端審問の事務処理が綿密だった証拠を、囚人の財産をまとめた目録に見ることができる。ある人物が逮捕されると、ただちに書記官が逮捕者の自宅に入り、所有物の一覧を作成する。こうした財産目録は、きわめて詳細にわたっている。ハンカチーフやシーツの最後の一枚に至るまで書き留められているのだ。たとえば一六三六年、フランシスコ・ピニェーロがカルタへナで異端審問所に逮捕されたが、そのとき作成された財産目録には、次の品々が掲載されている。

・マットレス一個
・座部の壊れた杉材の椅子四脚
・ハンカチーフニ枚
・ルーアン〔フランス北部の都市〕製の布
・ナプキン数枚
・枕数個
・黒い絹の上着一枚
・日傘一本

おそらく役人たちは、座部の壊れた杉材の椅子や古い日傘は利用しなかったと思う。それでも調査は念入りだった。ピニェーロの衣装箱からは、ボロボロになった帽子一個と、古くてかび臭くなっていた黒のストッキングが出てきたが、どちらも廃棄処分にされた。この二つは異端審問の財務状況改善にはたいして役に立たないと思われたのだろう。

細部にまでこだわったため、異端審問所の記録文書は充実した在庫目録のようになった。もっとも、入念な事務仕事は、第三章の拷問室で見たのと同じく、書き留めたものは何らかの形で合法化されると考える精神構造の証でもある。窃盗行為も記録してしまえば合法と認められるのであり、つまり記録は善用も悪用もされた。

厳密な事務処理と権力乱用は、実は表裏一体だった。どちらも、異端審問がイべリア社会で強大な権力を持っていたことと密接に関係していた。異端審問所が非常に大きな権力を振るっていたため、その職員はたびたび破廉恥なことをやりながらも涼しい顔でいられたのであり、異端審問所が強力だったからこそ、周到で綿密な官僚機構を作り出すことができたのである。

かくして世界は、過度な権力と過度な事務処理は両立することが多いと知った。書類上で個人の誠実さを判断し、書記官が一度も見たことのない土地で何を行なうかを決定する能力があれば、遠く離れた場所でも行政権を発揮することができる。しかも権力を持つ者は、権力行使の結果から身を守ることもできた。

中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P349-351

硬直した官僚体制と膨大な事務処理はセットであるというのはこの時からすでにはっきりしていたのですね。これは現代を生きる私たちにもつながりが深いことがらです。

盛者必衰は世の定めー権力自壊の前兆

プラド美術館所蔵、ベルゲーテ『異端審問』Wikipediaより

盛者必衰は世の定めである。権力は人を酔わせ、夢中にさせるが、いずれ必ず衰える。だから私たちは、胸にロマンを秘めながら、イースター島文明、マヤ文明、ボリビアのティアワナコ文化、グレート・ジンバブエなど、かつて栄えた文明の遺跡を調査研究しているのだ。権力の崩壊は、権力が本質的に抱える当然の帰結のように思えるが、権力を持つ者にとっては、そのことわりは意識レべルでは受け入れられないことなのかもしれない。

異端審問の歴史も、こうした流れと無縁ではなかった。一六世紀、スぺインは世界最強の国であり、同時期に、スぺインの迫害機関である異端審問所も最盛期を迎えた。しかし、異端審問所が権力を振るい、絶えず敵を追い求めたことが衰退への下地を作り、その衰退から植民地帝国は立ち上がることができなくなるのである。

煩雑な事務処理も無関係ではなかった。第八章から見てきたように、異端審問の人的・物的資源は、客観的に見れば無意味に思える仕事にいっそう投じられるようになっていた。こうした仕事は膨大な時間と労力を飲み込み、より生産的な仕事に向ける分を奪う結果となった。官僚機構が複雑になり規模も拡大したことは、異端審問所の権力が拡張したことを示しているが、これは同時に停滞の下地も生み出した。停滞が深刻化する中、スぺインは息も絶え絶えに一七世紀を終えて、スぺイン継承戦争(一七〇一~一四年)という危機を迎える。

中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P351-352

ソ連が崩壊する前は誰しもがそんなことはありえないと思っていました。ですが実際に戦後から冷戦時代、あれほど強大な力を持っていたソ連も最後は自壊してしまいました。

歴史は形を変えて繰り返す・・・

スペインで起きた権力自壊は歴史上何度も繰り返されることとなったのです。以下、ソ連圏崩壊のおすすめ参考書ヴィクター・セベスチェン著『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』です。ものすごく面白い本ですのでぜひおすすめしたいです。

あわせて読みたい
V・セベスチェン『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』あらすじと感想~共産圏崩壊の歴史を学ぶのにおすすめ... セベスチェンの作品はとにかく読みやすく、面白いながらも深い洞察へと私たちを導いてくれる名著揃いです。 この本は、世界規模の大きな視点で冷戦末期の社会を見ていきます。そして時系列に沿ってその崩壊の過程を分析し、それぞれの国の相互関係も浮かび上がらせる名著です。これは素晴らしい作品です。何度も何度も読み返したくなる逸品です

権力崩壊の過程の一例~モリスコ(改宗イスラム教徒)追放による経済崩壊

権力が自壊していく過程を考える上で参考となるのが、モリスコを敵にでっち上げて追放した経緯だ。先に取り上げたとき、これは社会が選んだ結果であり、改宗者なのだから同化させることができたはずなのに、この両属的集団を社会の周縁に追いやって屈辱を与え、そうすることで自らの権力を誇示したのだということを確認した。だがそれだけでなく、実はこのモリスコ追放こそ、スぺインにとって最も深刻な衰退を突然もたらす原因だった。

一五二五年、これに先立つジャルマニーアの乱でアラゴンのモーロ人を強制改宗した(一八二~一八六ぺージ参照)のに続いて、改宗しなかったイスラム教徒を国外追放にするらしいと知って、貴族たちは驚いた。

彼らはカルロス一世に長文の書簡を送り、アラゴン王国全土が繁栄しているはモーロ人のおかげであり、もし彼らが国外退去になれぱアラゴンは破滅するだろうと訴えた。農業の収穫や手工業をすべて担っていたのはモーロ人であり、教会や修道院、さらには貴族の収入を支える地代を払っていたのもモーロ人だった。

貴族たちは、一六世紀を通じ一貫してモリスコを支援し、彼らが異端審問所の牢獄から釈放されるよう陳情する際は保証人となったが、それはすべて、貴族の所有する農園の利益がモリスコたちに懸かっていたからにほかならない。

モリスコは、アラゴンとバレンシアの農業経済の屋台骨を支えていたのであり、モリスコ追放は愚策以外の何ものでもなかった。しかし、すでに見たように、この国は、異端審問が中心となって進めた排除の論理に従って、この愚策を実施した。

影響は強烈だった。モリスコ追放が布告された後の一六一〇年六月、アラゴン副王は、貴族は収入の八八〇パーセントを事実上一夜にして失い、債権者により破産の危機に陥ったと記している。廃村になった地域もある。

カタルーニャ地方の町アスコでは、人が消えて家屋は崩壊し、ブドウ畑やオリーヴ畑、桑の木の農園は、すべて荒れるに任された。アラゴンとバレンシアは労働力の大部分を失っただけでなく、モリスコが財産を二束三文で捨て売りにしたため、極度のインフレにも見舞われた。状況のあまりの深刻さに、就農者を軍役免除にしたほどだ。

しかし、対策も焼け石に水だった。一六三八年の時点でバレンシア王国にある集落の総数は、七五五から約三分の一減って五五〇に落ち込み、かつてモリスコの住んでいたニ〇五村は廃村のままになっていた。

追放されたのはスぺインの総人口の四パーセントにすぎなかったが、モリスコとともに農業技術も多くが流出した。事情はカスティーリャも同じで、人口は一五九一年から一六三一年の間に一五パーセント弱減少した。その後も人口減少は一七世紀が終わるまで続き、カスティーリャ王国の人口が一五九一年の水準に回復するのは、ようやく一七八七年になってからだった。

モリスコ追放を原因の一つとして急速に始まった衰退は、悲惨な結果をもたらした。
※一部改行しました

中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P352-354

異端審問による弾圧と追放は単に政治的な問題だけではなく、経済面にもとてつもないダメージを与えたのでした。この引用箇所はこの本の中でも特に印象に残ったもののひとつです。

他者を排除することは結果的に自分たちの首を絞めることになるということをここで思い知らされます。感情に任せて悪者をやっつけたつもりになっても、実際は何一つ問題の解決にはなっていないのです。

これは現代でも同じです。誰かを悪者に仕立て上げ、責任は彼らにあると攻撃し排除する。本当に見るべきものは何かを議論せず、何の対策も打てないまま時だけが過ぎていく・・・

その結果見るも無残な損失が残され、国は衰退していく・・・スペインの異端審問はまったく他人事ではありません。これは今まさに私たちが直面している問題でもあるのです。

異端審問と官僚機構がもたらした衰退

かくして、異端審問の広範囲にわたる官僚機構は、広範囲にわたる衰退を招いた。異端審問による停滞を思うと、理想と現実を隔てるギャップは、埋めようがないほど大きく感じられる。

そもそも異端審問は、社会を守るはずだったのに、衰退を呼び込む結果となった。信仰を純化するはずだったのに、信仰の保護者が破廉恥な行動をしていては、その信仰に誰も従うはずがない。信仰を守るどころか、往々にして皮肉な見方を広めたにすぎなかった。敵を滅ぼすのではなく敵を作り出すのに懸命だったように、社会な純化するのではなく腐敗させていったのである。(中略)

個人なり制度なりが、目的は純粋に政治的なものであるのに、ロでは宗教的な理由が動機だと言い張ることもあれば、芝居がかった暴力的な行動が純粋に宗教的な目的で行なわれているのに、掲げる目標は政治的なものだという場合もある。

表に出した理想や信条ではなく、実際の行動とその影響で判断する限り、異端審問は純潔の守護者でも、社会の治安を守る者でもなかった。結局、異端審問は腐敗と衰退を招いたにすぎなかった。
※適宜改行しました

中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P354-355

この箇所も著者のトビー・グリーンが厳しい指摘をしています。

後半は特に手厳しいですよね。

「表に出した信条や言葉」がいかに理想に満ち、素晴らしかろうと、その実態が何なのかが肝心なのです。

表面に見える言葉ではなく、実際の行為こそ、私たちは注意して見ていかなければなりません。

数百年に及ぶ権力乱用と官僚主義的停滞の影響をどのように評価すればよいのだろうか

数百年に及ぶ権力乱用と官僚主義的停滞の影響を、どのように評価すればよいのだろうか?イベリア両国の衰退と、その旧植民地が北アメリカに比べ貧困に苦しんでいることが、その尺度になりそうだが、ほかにも物差しはある。

一九九〇年代前半、私はチリのサンティアゴ市役所に雇われ、契約により与えられた宿舎に住んでいたが、その契約ではアイロンも支給されることになっていた。ところが、そのアイロンが何か月経っても手元に届かない。その理由は、担当者によると、アイロンを貸し出すにはサンティアゴ市長が契約書に署名しなくてはならないが、当の市長は決まって多忙か不在のどちらかだからだという。

お役所仕事が進まないという似たような話は、きっと世界中で多くの人が体験していることだろう。こうした習慣を、異端審問所とともに生まれた化け物のような管理組織の直接の遺産だと主張するのは、いくら何でも論理の飛躍かもしれない。

しかし、かつて社会の中で管理組織に敬意を払い、管理組織を重視する態度が育まれ、その態度が今に伝わっているというのは、あながち的外れではないと思う。
※適宜改行しました

中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P356-357

ここでは著者自身の体験と絡めて官僚体制について述べています。

こう言われてみると私たちにとってもかなり身近に感じられますよね。

歴史を単に過去のものとして見るのではなく、今を見るものさしとして用いていくことの大切さを感じます。

続く

Amazon商品ページはこちら↓

異端審問: 大国スペインを蝕んだ恐怖支配 (INSIDE HISTORIES)

異端審問: 大国スペインを蝕んだ恐怖支配 (INSIDE HISTORIES)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
(9)モンテーニュと異端審問のつながり~衰退するスペインとヨーロッパ啓蒙思想の拒絶 モンテーニュは啓蒙思想で有名なフランス人ではありますがその血筋のルーツはスペインのコンベルソであったと言われています。驚くべきことに、異端審問が横行していたスペインの歴史がモンテーニュの思想に大きな影響を与えていたのでありました。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(7)中世スペインとソ連。権力を手にした者たちの腐敗~官僚やスパイたちの横暴を探る スパイがどこにいるかわからないという社会。権力の維持のために秘密警察を利用し、体制を守ろうとするのは中世スペインですでに大々的に行われていたのでありました。 権力を持った人間がそれを悪用する恐ろしさがこの記事では感じられると思います。 「権力こそ正義であり、権力さえあればどんな不正も許される」 このことはまさしくソ連時代のレーニン、スターリンも掲げていたお題目でした。

「『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読む」記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ソ連や全体主義との恐るべき共通点ーカラマーゾフとのつながりも「『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖... 中世スペインの異端審問は過去の遺物ではなく、現代につながる人間の本質的な問題であることをこの本で学びました。 これまで学んできたレーニン、スターリンのソ連や独ソ戦と非常に強いつながりを感じました。 そしてこの本の面白い所は所々で著者の思いが吐露されていて、単なるデータの羅列には終わらない点にあります。読み応え抜群です。読んでいて本当に面白い本でした。 この本はとてもおすすめです。ぜひ皆さんも読んでみてはいかがでしょうか。

関連記事

あわせて読みたい
(4)スペイン異端審問時代の秘密主義と密告の横行による社会不信~疑心暗鬼の地獄の世界へ この記事で見ていくのは単に「異端を裁くだけのシステム」と思われていたものが、社会全体の病気となっていく過程です。 最初は疑わしき者を罰するだけでした。 しかしそれがどんどんエスカレートし、もはや誰が誰に密告されるなどわからない疑心暗鬼の世界に変わっていきます。 ここまで監視と密告が定着してしまえば、人間同士の信頼関係は崩壊です。 こうなってしまえばひとりひとりの国民にはほとんどなす術がありません。スペインは徐々に活力を失っていくのでありました・・・
あわせて読みたい
(5)セルバンテスの驚異の風刺技術!ガレー船での漕役刑と『ドン・キホーテ』のつながりとは この記事内で説かれる箇所を読んだ時、私はビリビリっとしたものを全身に感じました。 と言うのも、ガレー船での漕役刑というのはセルバンテスの『ドン・キホーテ』にも登場し、漕役囚たちとドン・キホーテのエピソードは私の中で非常に大きなインパクトを占めていたからです。
あわせて読みたい
(6)スペイン料理や名物タパスに隠された意味~食文化と信仰のつながりとは スペインの食文化を代表するタパスには実は裏の意味がありました。 スペインではキリスト教徒、改宗ユダヤ教徒・イスラム教徒は共存し、もはや同化していましたので単に見た目だけでは誰が何を信じているのかはわかりませんでした。ですのでこうした食べ物を通して信仰の如何を確かめようとしていたのです。 例えばですが、ある家で会食をしようとなったときに、客たちはそれぞれ料理を持ち寄ることになります。そしてその時に豚肉のソーセージをわざと持ち寄るのです。それで家の主人や他の客人がそれを食べようとしなければ隠れユダヤ教徒やイスラム教徒であることがばれてしまうのです。
あわせて読みたい
T・スナイダー『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』あらすじと感想~独ソ戦の実態を知... スターリンはなぜ自国民を大量に餓死させ、あるいは銃殺したのか。なぜ同じソビエト人なのに人間を人間と思わないような残虐な方法で殺すことができたのかということが私にとって非常に大きな謎でした。 その疑問に対してこの上ない回答をしてくれたのが本書でした。 訳者が「読むのはつらい」と言いたくなるほどこの本には衝撃的なことが書かれています。しかし、だからこそ歴史を学ぶためにもこの本を読む必要があるのではないかと思います。
あわせて読みたい
(1)スターリンとは何者なのか~今私たちがスターリンを学ぶ意義とは  スターリン自身が「私だってスターリンじゃない」と述べた。 これは非常に重要な言葉だと思います。 スターリンはソ連の独裁者だとされてきました。しかしそのスターリン自身もソヴィエトというシステムを動かす一つの歯車に過ぎなかったのではないか。スターリンが全てを動かしているようで実はそのスターリン自身もシステムに動かされていたのではないかという視点は非常に興味深いものでした。 独裁者とは何かを考える上でこの箇所は非常に重要であると思います。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次