(56)経営者を引退したエンゲルス、今度は証券投資家に。矛盾は続く・・・
エンゲルスは経営者を引退した手切れ金を、持ち前のビジネス感覚を利用してさらに増やしていました。 彼は今度は証券取引人として莫大な利益を得ることになったのです。 つまり「矛盾は、工場を辞めた最後の日で終わったわけではなかった」のです。ブルジョワを激しく非難しながらそのブルジョワそのものであるエンゲルス。 エンゲルスはこの矛盾に対してどのように考えていたのでしょうか。彼はこのことに対し驚くべき言葉を語ることになります
エンゲルスは経営者を引退した手切れ金を、持ち前のビジネス感覚を利用してさらに増やしていました。 彼は今度は証券取引人として莫大な利益を得ることになったのです。 つまり「矛盾は、工場を辞めた最後の日で終わったわけではなかった」のです。ブルジョワを激しく非難しながらそのブルジョワそのものであるエンゲルス。 エンゲルスはこの矛盾に対してどのように考えていたのでしょうか。彼はこのことに対し驚くべき言葉を語ることになります
エンゲルスの優秀さについてはこれまでもお話ししましたが、マンチェスターでの家業を辞めてロンドンに来てからはその力がさらに遺憾なく発揮されていたのでありました。
エンゲルスは自邸の書斎を拠点に今やヨーロッパ中の社会主義者の動向に目を向け、動かすようになっていたのでした。
やはりエンゲルスの実務能力はずば抜けています。
エンゲルスはおよそ20年勤めたマンチェスターの父の会社を1869年に辞めることになります。
最初は通信員として就職したエンゲルスですがすでに父も亡くなり、今や彼はエルメン&エンゲルス商会の共同経営者の地位にありました。
いよいよ自由の身になったエンゲルス。
彼はマルクスの近くに住み、政治活動をするためにロンドンへと旅立ったのでありました。
エンゲルスの再出発です。彼の活躍はここからいよいよ大きくなっていくのでした。
エンゲルスの薦めによって『種の起源』を知ったマルクス。はまり具合からいけばエンゲルスの方がはるかに熱狂的でしたがマルクスもその進化論には大いに心動かされたものがあったようです。
そしてマルクスはダーウィンに感銘を受け、『資本論』を献本します。それに対してかのダーウィンはどんな反応を見せたのでしょうか。
そのことについてこの記事ではお話ししていきます。
『懺悔』は『アンナ・カレーニナ』を書き終えて宗教的著作をこれから発表しようとしていたトルストイが、自らの立場や思いを表明するために書いた作品になります。
「それを抜きにしていきなり、『教義神学研究』や『要約福音書』など、常識はずれの著作を発表しても、読者はトルストイが本当に発狂したと思って、読まなかっただろう。」
こう書かれてしまうほど根本的な思想転換がトルストイには起こっていました。一般の人にはまず受け入れられないであろう存在がここからのトルストイになります。
『戦争と平和』に引き続き『アンナ・カレーニナ』を読んだ私ですが、圧倒的なスケールの『戦争と平和』に脳天直撃のガツンとした一撃を受け、今度は『アンナ・カレーニナ』の完璧すぎる芸術的描写に、私はもうひれ伏すしかありませんでした。ただただひれ伏すしかない。それだけです。もう完敗です。こんな完璧な作品を見せられて、自分の卑小さをまざまざと感じさせられました。何でこんなに完璧な文章を書けるのかと頭を抱えたくなります!それほど圧倒的な作品です。
私たちは「マルクスが後に世界中に広まった」という歴史を知った上でマルクスを見てしまいますが、当時の状況はまるで違います。
このままでは無視されかねないと察したエンゲルスはここでその才能を発揮します。
エンゲルスは自作自演も辞さず、次々とメディア戦略に打って出ました。「単なる経済学の書」を超えた、まさしく「あらゆるものの源泉たるバイブル」としての『資本論』を生み出したのはエンゲルスだったのでした。
エンゲルスなくしてマルクスなし!
エンゲルスの参謀としての天才的な能力には驚くしかありません。
マルクスの『資本論』は読むのがあまりにも難しい作品として有名ですが、マルクスの元の原稿はそれどころではない支離滅裂なものだったというのは驚きでした。その解読困難な原稿をかろうじて読める形でエンゲルスが再構成したものが私たちが手にする『資本論』だったのです。
『資本論』第2巻、第3巻がエンゲルスによる編集によって成立したのは有名ですが、そもそも第1巻からしてエンゲルスの多大な貢献があったのでした。
トルストイは子供たちの教育に並々ならぬ熱意を抱いていました。
自分の邸宅を学校として開放し、自ら教え、ついには自分で教科書を作ってしまうほどでした。
今作『カフカースのとりこ』はそんな自作教科書に収録された作品になります。
『カフカースのとりこ』というタイトルから私は最初、カフカースに夢中になる話かと思ってしまっていたのですが「捕虜」の「とりこ」でした。
この作品も芸術家トルストイらしい見事な自然描写と、究極の人間観察家トルストイの特徴が出ています。
この作品はカフカースを訪れていたプーシキンがその地で得たインスピレーションをもとに書き上げた物語詩です。
この作品を読んでいてやはり思うのはプーシキンらしい、ロマンチックな情景描写です。カフカースの雄大な景色の描写はとにかくカッコいいです。読んでいて思わず興奮してしまうような不思議な高揚感があります。感情に訴えかける力が凄まじいです。「これぞプーシキン!」という名作です