東大寺南大門の金剛力士像へ~運慶・快慶らが支えた東大寺復興

【親鸞伝の旅】東大寺南大門の金剛力士像へ~運慶・快慶らが支えた東大寺復興

さて、こちらの建物ですが、きっと皆さんも見覚えがあるかと思います。
そうです。修学旅行の定番中の定番、東大寺の南大門です。
ここには有名な運慶、快慶らが制作した金剛力士像があることでも非常に有名ですよね。


これら両像は共に8メートルを超える高さがあります。そして驚くべきことに、これら2体を運慶・快慶ら仏師集団はたった69日で作り上げたそうです。驚異的な制作速度ですよね。
この東大寺南大門と金剛力士像は東大寺復興の終盤に行われた巨大事業でした。
前回の記事「興福寺の国宝・木造千手観音菩薩立像が実にドラマチック!私の大好きな仏像!」でお話ししましたように、東大寺大仏は1180年に平家軍によって焼失してしまっています。そしてその復興を国を挙げて取り組んでいたのでありますが、その総仕上げ的な位置づけとしてこの南大門が作られたのでありました。
この南大門を守る金剛力士像の制作に当たったのが運慶、快慶ら慶派の仏師たちでした。
彼らは興福寺、東大寺の復興に獅子奮迅の働きを見せました。そして同時に、この復興によって彼ら自身の腕も大きく磨き上げられたというのも重要です。
焼失して失われてしまったのはたしかに最大の悲劇ではありましたが、新たな文化のうねりがこうして平安末期から鎌倉時代に起きていったのも事実なのです。運慶・快慶らは仏師でありながら僧侶でもありました。彼らはこうした仏像を作ることで人々を救おうとしました。仏像は単なる美術品ではなく、人々の救済に直接関わる信仰の対象だったのです。ここに当時の仏教の姿のひとつを見ることができます。
親鸞や法然は念仏を唱えることを重視しましたが、実際に仏像を作り、その仏様に祈ることで救われようとする信仰が重んじられていたのもこの時代の仏教の特徴なのです。親鸞聖人だけを見ているとそうした仏像信仰の姿が見落とされがちですが、当時の日本では様々な信仰がなされていたというのも重要な視点でありましょう。
私は東大寺に来るたびに、そうした復興の信仰熱と新たな文化の創造に思いを馳せずにはいられません。
【親鸞伝の旅】記事一覧ページはこちら

前の記事はこちら

関連記事



