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(43)あとがき~私にとって親鸞聖人とは

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【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】(43)あとがき~私にとって親鸞聖人とは

親鸞は様々な挫折を繰り返し、多くの苦悩を味わってきました。

思い返せば、親鸞は生まれた時からすでに挫折が始まっています。祖父の失態により家が傾き、出世の道はすでに閉ざされてしまっています。。

比叡山に上っても身分の低い親鸞に活躍の場はありません。ひたすら修行に励みましたが、親鸞はそこにも希望を見出せず挫折してしまいます。

生涯の師法然と学んだ吉水教団での日々は親鸞にとっても束の間の幸せな日々であったことでしょう。しかしそれもあっという間に崩れ去り、弾圧の憂き目に遭うことになります。法然との日々が充実したものであった分、その落差に苦しんだことでしょう。

越後で沈黙の日々を過ごし、関東で精力的に布教した親鸞。一応の成功をするものの、その最晩年には息子の裏切りという絶望に突き落とされることになりました。

つまり、親鸞は常に様々な苦悩を生きてきた人でした。家族の悩みもそうです。最後まで仲睦まじい夫婦であった親鸞と恵信尼でありましたが、夫婦生活ならではの様々な葛藤もあったことでしょう。親鸞は僧侶でありながら家庭生活の悩みも心底味わっていたわけです。

こうした様々な悩みを抱えながらも親鸞は最期まで歩み続けました。親鸞はその悩みをきれいさっぱり解消しながら生きていたわけではありません。悩みを悩みとして受け入れ、苦しみながら生き続けたのです。

「仏教を学べば悩みも解決する」と私たちはイメージしがちですが、現実社会はそんなに単純なものではありません。もちろん、仏教の教えを学ぶことで解決できる問題もたくさんあります。仏教は私たちの生活に大いに役立つ素晴らしいものです。私もそれは強く実感しています。

しかし運命の一撃と言えるような出来事は否応なく私たちに襲い掛かってきます。それら理不尽で不条理な仕打ちは私たちの日常をいとも簡単に吹き飛ばしてしまいます。そうした苦悩、絶望状態に私たちは何ができるのでしょうか。それを親鸞は問い続けたのです。それはまさに親鸞が幼少期に見た『方丈記』の地獄のような世界が原体験となっているのかもしれません。人間の意思を超えた巨大な世界。抗いようのない人生の嵐に人間は何ができるのだろうかという根源的な問いです。

親鸞はこうした大きな問いを抱き続けながら仏道に生きました。そしてそれを家庭生活の中でも実践していたのです。

まさに親鸞は悩みの達人です。私たちが日常感じてしまうような悩みにもきっと「そうであろうそうであろう」と受け止めてくれるようなお方だったのではないでしょうか。挫折に挫折を重ねた親鸞だからこその深み、懐の広さがあるのです。これが親鸞の最大の魅力であるのではないかと私は思うのです。

東本願寺御影堂

私は大学院時代、京都の大谷大学に通っていました。そのご縁もあり、私は今でも京都に行くたびに東本願寺にお参りしています。

そしてこの東本願寺の御影堂には親鸞聖人の像がおられます。

学生時代も今も、私はこのお寺に来るたびに親鸞聖人の前に座っています。

そしてゆっくりと聖人と向き合い、心の中で語りかけるのです。それはその時抱えている悩みの相談であったり、今まさに頑張ろうとしていることであったりと、その時その時思うままに胸の内を開くのです。

すると、不思議なことにすっと心が軽くなり、前向きな気持ちになれるのです。親鸞聖人が私の話を聞いて頷いてくれているような、そんな感覚になるのです。

悩んでいる時には励ましてくれるような、前に進みたい時には背中を押してくれるような、そんな存在が私にとっての親鸞聖人なのです。

これは体感しないとわかりません。理屈ではないのです。ぜひ皆さんも親鸞聖人の前に座ってみてください。ゆっくりと心を落ち着けて、静かに親鸞聖人と対面してみてください。

きっと親鸞聖人はあなたの心に応えてくれるでしょう。

おわりに

さて、長きにわたって連載してきたこの親鸞入門もいよいよ終わりを迎えます。ここまでお付き合い頂き誠にありがとうございました。

この連載記事では私のこれまでの親鸞研究のありったけを詰め込みました。

親鸞聖人はたしかに挫折の人です。しかしその挫折の中から『教行信証』という不滅の大著が生まれ、そのお人柄は多くの人の心の支えとなってきました。そんな親鸞聖人の魅力や、その生きた時代が少しでも伝わりましたら私としては何よりも嬉しく思う次第であります。

ただ、この連載では皆さんにお伝えし切れなかったことがあるのも事実です。親鸞聖人の伝承や史実すべてをこの入門記事に反映させることはあえてしませんでした。

そしてその中でも最後まで迷ったのが善鸞の存在です。実は善鸞は恵信尼の子ではない可能性があるのです。

「え!?」と思われるかもしれませんが、これが善鸞の悲劇に繋がったとも言えるのです。

善鸞は親鸞が法然教団にいる時に生まれた子であるとされています。となると越後で出会った恵信尼より前の女性との間で生まれた子ということになります。つまり、親鸞には恵信尼の前にもうひとり妻がいたのです。そして流罪によって2人は別れ、善鸞も京で育つことになったのです。

そして親鸞が越後、関東を経て京に帰り、ようやく2人は再会しました。ここから2人の親子、師弟関係が始まるのです。

関東の門弟たちが善鸞を認めないのもここにその一因があります。もし善鸞が恵信尼の子で、関東で親鸞と共に暮らしていたなら門弟たちと善鸞もそもそも面識があったはずです。小さい頃から善鸞のことを知っていたなら、多少頼りなくとも親鸞の子として可愛がられた可能性は大いにあります。しかし善鸞はそうではなかった。彼は根っからの京生まれ京育ちで、坂東武者たちとは縁もゆかりもありません。だからこそ、関東の弟子たちからも信頼されにくかったのかもしれません。

こういうわけで善鸞ひとりに関しても本編で話しきれなかったことがまだまだあるのですが、私としてはまずは大きな流れで親鸞聖人の人生を知って頂きたいという思いがありました。本文の流れが煩瑣にならないよう、削りに削って親鸞の物語を紡いだつもりです。より詳しく親鸞聖人の生涯や伝承を知りたい方は平雅行氏や今井雅晴氏の伝記を比べながら読んで頂ければと思います。

また、親鸞聖人の信仰や思想についてもこの連載では最小限に抑えました。思想や信仰はその人を支える核となる重要なものではありますが、それに立ち入るとどうしても入門の域を超えてしまうのです。この連載でもお話ししましたが、親鸞聖人の信仰はただでさえ難しいのです。なので聖人の思想を知るにはじっくりと段階をふまえて学んでいく必要があります。それに、まずは思想よりもその人自身の人生を知ること、時代背景を知ることが大切だと私は考えています。それがあってこそはじめて思想が生き生きとしたものとして立ち現れてくるのです。つまり、思想だけでは抽象的過ぎてなかなかピンとこないということです。

こういうわけでこの連載ではあえて思想問題は極力触れないという方針を取ることにしたのでありました。親鸞聖人の思想に関してはこれから先、『教行信証入門』や『正信偈入門』、『和讃入門』という形で改めて書いていけたらと考えています。まだまだ先のことになりそうですがどうぞご期待ください。

また、この『親鸞入門』の次は『シン日本仏教史』を執筆していく予定です。これは親鸞聖人の時代までの仏教の歴史を世界規模の視点から見ていこうという試みになります。やはり親鸞聖人の生きた時代だけを見ても親鸞聖人の特異性は見えてきません。比べてみるからこそその個性が見えてくるのです。

というわけでこれから先私は新たな連載を始めていく予定です。ぜひこれからも変わらずお付き合い頂けましたら幸いでございます。

以上、「親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯」でした。

この記事で特に参考にした書籍はこちら

平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
今井雅晴『親鸞聖人の一生』

主要参考文献一覧はこちら

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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