(33)親鸞の主著『教行信証』の執筆とその意義とは~聖人のライフワークとも言える大著!

【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】(33)親鸞の主著『教行信証』の執筆とその意義とは~聖人のライフワークとも言える大著!
明恵の『摧邪輪』によって法然の『選択本願念仏集』は鋭い批判にさらされることになりました。そしてその批判に対してどう応えるかが弟子たちに課せられた大きな課題となったのでありました。
親鸞もまさにそのひとりです。前回の記事でもお話ししましたように、親鸞もこの『摧邪輪』を越後滞在の最終盤か、関東滞在中に読んでいたことでしょう。
そしてこの明恵の批判に反論し、法然の教えが誤りでないことを証明せんと親鸞は日々構想を練っていたと思われます。
そんな親鸞が主著である『教行信証』を書き上げたのは1224年のこととされています。明恵の『摧邪輪』発表から11年後のことです。とはいえこの時に完全に完成というわけではなく親鸞はその後も加筆修正を繰り返しており、現在の形で一応の完成を見たのが1247年、親鸞75歳の年だったとされています。これだけ長い期間修正を繰り返していたというのは驚きですよね。まさに親鸞のライフワークとも言える書物となっています。

そしてこの『教行信証』ですが、正式名称を『顕浄土真実教行証文類』といいます。『教行信証』というのはあくまで後世の私たちが呼んでいる呼称になります。
さて、この親鸞の主著たる『顕浄土真実教行証文類』はその名の通り、「浄土の真実の教、行、証を明らかにする文書類」という意味の書物です。「文類」という言葉は私たちにあまり馴染みのないものではありますが、当時においてはスタンダードな書式になります。
当時の仏教思想界が非常に高度な議論の下成り立っていたことはこれまでお話ししてきた通りです。そんな中自分勝手に自説を説いても誰も聞いてくれません。「それって根拠はあるのですか?」で終わりです。というわけで自分の思想を述べる際にはその根拠となる経典や先行文献を引用することが求められます。そしてその集合体が「文類」になります。
親鸞の『教行信証』を初めて読まれた方のたいていが驚かれるのですが、とにかく引用だらけなのです。親鸞が自分の言葉で語る部分はほとんどありません。逆に言えば、このごくわずかの親鸞の言葉こそ親鸞思想の核心であり、その他の引用部分はそれの根拠として置かれているということです。これがまさに「文類」という形式の特徴になります。
ただ、それにしても『教行信証』は引用が多いのです。これはまさに明恵から「根拠はあるのですか」という批判がなされたことへの意趣返しのようにすら思えてきます。
いずれにせよ、親鸞はこの書で明恵が問題にした「菩提心」の問題に非常に大きなウエイトを置いて論じていきます。
明恵は法然が「菩提心は必要ない」と述べたことを批判しました。「菩提心がなければどうやって仏道を歩むのか。そんなことはありえない」と。
しかし親鸞は『教行信証』で次のように述べます。
「我々凡夫の菩提心は必要ない。なぜなら、我々愚かな人間の心には絶対に煩悩が混じってしまう。どんなに修行をしたところで煩悩が消えるなどありえない。我々の心ではもはやどうにもならないのである。そんな愚かな私たちのために阿弥陀仏が誠の心を私たちに与えてくださったのだ。そのお心のおかげで私たちは仏道を歩めるのである。」と。
いかがでしょうか。わかるようでわからない?
そうなのです。『教行信証』はとんでもなく難しい書物なのです。そしてなぜこんなにも難しいかといいますと、まさに論理の飛躍がそこかしこに出てくるからなのです。前回の記事でもお話ししましたが、法然の念仏信仰は従来の思想を飛び越えた革新的なものでした。そしてその信仰を支えたのが法然自身の神秘体験(真宗ではこれを回心体験と言います)です。その確固たる体験を基に法然は経典と向かい合い思想を構築していきました。これはまさに親鸞も同じです。親鸞も六角堂夢告を経て法然と出会い、そこから自らの信仰を深めていっています。


両者とも体験から信仰が深められているのです。体験があるからこそ自身の信仰に自信が持てるのです。私はかつて、なぜ法然や親鸞はここまで確信を持って念仏信仰に生きることができたのか不思議に思っていました。ですが、こうした体験があったからこそ経典の文字を読んで「あぁ・・・やはりそうであったか!」と確信を持てたのではないかと思うのです。経典や論書が先ではないのです。知識の上ではこれらは役に立つかもしれませんが、自身の信念として血肉と化すにはやはり体験が必要なのです。
こういうわけで、親鸞の『教行信証』にはそれまでの常識を覆す表現が次々と出てきます、上の「阿弥陀仏が誠の心を私たちに与えてくださった」という発想はまさに親鸞の独創です。
これが実際どういうことなのかということをさらにかみ砕いて見ていくことにしましょう。
明恵は菩提心こそ私たちが仏道を歩む基礎となると述べました。それに対し親鸞は人間の心ではそもそもそれも無理であるとします。だからこそ阿弥陀仏が私たちに誠の心を授けたのだと言うのです。
この対論を言い換えるなら、「人間の自由意思」の問題と言うことができるでしょう。
つまり、明恵側のスタンスでは菩提心があるからこそ人間ひとりひとりに清らかな心があることが証明されていると考えます。このどうしようもない世の中において、良い人間になりたい、仏道に生きたいという菩提心はまさに泥の中から咲く蓮の葉のように美しいものだと。菩提心は世の堕落に抗うひとりひとりの人間性の輝きです。どんな人間にもそんな美しい心があるではないか。それを否定するとは何事かということです。
それに対し親鸞は人間の自由意思に全く信を置きません。私たちがやることなすこと、すべては煩悩に犯されてしまっていると考えます。そんな汚れた心では到底仏道成就など不可能なのだと。人間に美しい心など存在しない。どこまでいっても汚れ切った存在なのだという絶望的な人間観を親鸞は持っています。ですがその絶望の中にこそ救いはあると親鸞は述べます。その鍵が阿弥陀仏から頂いた心と念仏なのです。
「私たちは現に念仏を称えている。この念仏を称えさせてくれたのは私であり、私ではない。これは阿弥陀仏が私たちにそうさせてくれたからなのである。これは私たちの意思を超えた清らかな心のなせる業なのである。だからこそ私たちは救われるのだ。決して自分たちの心のおかげではない。これは阿弥陀仏から頂いた心なのだ。」
いかがでしょう。親鸞が人間の自由意思を信用しないというのは何となく伝わったでしょうか。
まとめると、親鸞は我々凡夫の菩提心は信用できないと述べます。そしてだからこそ法然上人は「菩提心は必要ない」と言ったのだと明恵に反論します。そして凡夫の菩提心は必要なくとも、その代わりに阿弥陀仏の誠の心が菩提心となって私たちを動かし、救ってくれるのだと親鸞は結論します。
この「我々凡夫の菩提心のたよりなさ」「阿弥陀仏から頂く心」という2つの論点を論証するために『教行信証』では膨大な論述がなされていくのですがこれがまあ凄まじいのなんの・・・。親鸞自身の心をえぐり出す自己内省の徹底ぶりは驚くべき程です。
『教行信証』は膨大な引用から成る巨大な著作です。これはまさに親鸞のありったけを込めた書物であることは間違いありません。しかもこの内容からして一般読者を想定したものではなく、学者層を対象にしたものと考えられます。やはり、当時最高の仏教者のひとりである明恵を意識したものであることは間違いないでしょう。
とはいえもちろん、この書の執筆動機は明恵以外にも様々な要素があると思います。「明恵だけ」と言うつもりは私も毛頭ありません。ただ、親鸞の主著たる『教行信証』がどういう性格のもので、どのようにして書かれたのかを知る上で明恵の存在は非常に大きな意味を持つと私は考えています。
あくまでこの連載は入門ですので親鸞思想の深くまでは立ち入りませんが、この記事でその一端を感じて頂けましたら幸いでございます。
続く
この記事で特に参考にした書籍はこちら
平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
今井雅晴『親鸞聖人の一生』
田中久夫『明恵』
主要参考文献一覧はこちら

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