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中村元選集第21巻『大乗仏教の思想』概要と感想~原始仏教と初期大乗について考えるのに刺激的なおすすめ参考書

大乗仏教の思想
目次

中村元選集第21巻『大乗仏教の思想』概要と感想~「日本仏教は仏教ではない?」批判に対する明確な答えがここにあります

今回ご紹介するのは1995年に春秋社より発行された中村元著『中村元選集〔決定版〕第21巻 大乗仏教の思想』です。

早速この本について見ていきましょう。

政治経済や王権との関係,在家仏教運動,慈悲や奉仕の精神,悪の問題など,大乗仏教全体に通じる諸問題を解明。浄土教,華厳経の思想,唯識思想については特に詳論する。

原始仏教から密教まで、インド思想や西洋思想までも視野におき、著者ならではの幅広い観点から、大乗仏教思想のさまざまな問題を縦横に論じる。

Amazon商品紹介ページより

今作では日本仏教にも直接関わってくる大乗仏教の思想やその成立・発展過程を知ることができます。中村元先生の特徴は単に思想だけでなく当時の時代背景と絡めて語る点にあります。この本でも当時の時代背景や当地の気候風土、民族性など幅広い視点から仏教を見ていきます。

この本の冒頭ではいきなり次のようなドキッとする指摘がなされます。

初期の大乗仏教は、当時の支配者層に依拠しない民衆のあいだの信仰運動であって興隆途上にあったから、いまだ整った教団の組織を確定していなかったし、細密な哲学的論究を好まなかった。むしろ、自分らの確乎たる信念と、たぎりあふれる信仰とを、華麗巨大な表現をもって、息もつかずにつぎからつぎへと表明し、その結果成立したものが大乗経典である。

大乗経典は、それ以前に民衆のあいだで愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓意させ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である。その奔放幻怪を好む思惟方法は、われわれ日本人の単純な表象能力にとってはしっくりしない。しかし、それにもかかわらず、大乗仏教はその普遍的宗教としての性格ゆえに東洋全般にひろがった。伝統的な小乗仏教もインドの外にひろがったけれども、インドと風土的特徴をひとしくする諸国に限られている。ところがシナ・チべット・モンゴル・ヴェトナム・朝鮮・日本ではみな大乗仏教を奉じている。

日本の仏教家は、日本のことを「大乗相応の地」という。しかしじっさいには、日本では大乗仏教によるのでなければ生活はできない。身体に三種しか衣類をまとってはならないとか、午前中でなければ食事をしてはならないという小乗の戒律は、日本の風土では実際問題として遵守困難である。だから、どうしても、融通性があり実際的な大乗仏教によらざるをえなかったのである。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第21巻 大乗仏教の思想』P44-45

「身体に三種しか衣類をまとってはならないとか、午前中でなければ食事をしてはならないという小乗の戒律は、日本の風土では実際問題として遵守困難である。」

たしかに、これは言われてみると「なるほど!」と膝を打たずにはいられないですよね。気候風土がその地の宗教や思想に大きな影響を与えることを改めて考えさせられます。よくネットやSNSでは「ブッダが説いたものこそ真の仏教で、その当時の教団のあり方以外は堕落している。原始教団に帰れ」という批判がなされますが、その原始教団ですら当時のインドの時代背景や気候風土の中で生まれた存在です。これまで当ブログでも中村元先生の著作やインド関連の様々な本を紹介してきましたが、仏教も当時のインド社会の文脈において成立した宗教です。「その時その地において成立したもの」が、いついかなる時いかなる場所でも成立するかというとそうではありません。時と場所が変化すれば、その宗教も変わっていくのです。そうして無限に変わり続けていくのが宗教であり、文化、思想であり、人間世界そのものなのではないでしょうか。

また本書後半では次のようなことも語られます。仏教僧侶の結婚について書かれた箇所なのですが、これもなかなかに衝撃です。

中央アジアでも昔は仏教僧のあいだで結婚生活が行なわれていた。また釈尊の生国ネパールでは公然と僧侶の結婚が行なわれ、法脈は父から子へと伝えられている。その思想的根拠は密教に置かれている。そこではほぼ日本におけると同様の経典(『法華経』『華厳経』『金光明経』『楞伽経』など)が尊重されている。

ネパールの僧侶たちは金剛師(Vajrācārya)とよばれ、寺院の建物のうちに住んでいるが、かれらはネパール服をまといネパール帽をかぶっているのみならず、結婚して家庭をつくっている。首都力ートマンドゥにおける最大の仏教霊場であるスヴァヤンブー(Svayaṃbhū)寺院に参詣すると、寺院の建物のなかから子供たちが元気よく飛びだしてくる。僧侶たちの子供たちなのである。(中略)

ところでネパール仏教がとくに日本仏教と類似した特徴をしめすようになったのはなぜか?という問題を考察しよう(世界に数多い仏教諸国のうちで僧職者が公けに独身生活を放棄してしまったのは、日本とネパールだけだからである)。それは風土的歴史的に条件づけられた社会生活という視点から解明されるべきであろうとおもわれる。

スネルグローヴ氏は、ネパールの渓谷がそれぞれ限られていて小さいという事実に注視する。インドは広い地域であるから、ある場所で住みづらくなると、仏教の修行僧らは他の土地に逃げることができた。回教徒の軍隊が攻めてきたときに、仏教僧らは、東べンガルやアッサム、オリッサ、ネパール、チべットなどに逃げることができた。しかし、ネパールは山々に固まれた限られた渓谷よりなる。僧院の僧侶たちはヒンドゥー教的な心情と習俗をもっている民衆に取り囲まれている。さらにカートマンドゥやパータンの僧院は隠棲の場所ではなくて、民衆の真中に位置している。そこで修行僧らは社会に適応せざるをえなかった。かれらはバラモンと同様に社会の〈尊敬されるべき人々〉(banra)とみなされ最高のカーストに属させられた。この公けのカースト所属は一四世紀中葉になされたことであるが、それとともに古風な仏教は死んでしまったのである。仏教徒たちがカースト制度に従属するとともに、古い僧院制度は死滅してしまった。ついに社会に対する最後の譲歩としてかれらは独身生活をすててしまった。そのためにはタントラ仏教の理論がその道を開いたのであろう。そこで僧侶たちはバラモンとおなじ特権を享受し、またそれを要求するようになった。僧職は世襲となり、寺院はかれらによって保護され、学問の伝統もグルカの征服ののちまでつづいていた。(中略)

ネパール仏教を現世的なものとさせた他のひとつの理由は、ネパール人の生活における勤労の尊重の精神ではないかとおもわれる。ネパールには渓谷はあるが平野はない。ネパール最大のカートマンドゥの飛行場でさえも丘陵の中腹につくられているので、下は窪地である。ジェット機を飛ばす飛行場をつくることは困難であろう。こういう風土においては水田も畑も階段状につくらざるをえない。段々畑はアメリカにはないし、南アジア、西アジア諸国でも中心部には見当たらない。ヨーロッパの一部、日本などに見られる程度であろう。とくに首都のすぐそばに段々畑があるのはカートマンドゥくらいのものではなかろうか。ところでこのような土地に水田や畑をつくることは、はるかに多くの労力を要する。そこでは自然に積極的にはたらきかける必要が生ずる。ネバール人はのんびりしているが、しかし働くのをそれほどいとわない。霊場には乞食がいるが、その他の場所には見当たらなかった。こういう環境においては、ヒマーラヤに住む聖者というようなものは、宗教的理想としては憧れの的にはなるが、一般には行なわれがたいものである。独身の隠遁生活よりもむしろ人間を産む、、ことのほうが尊ばれるの当然であろう。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第21巻 大乗仏教の思想』P238-241

なんと、ネパールでも仏教僧侶の結婚は公然のものとなっていたのでした。そしてそのようになった背景も中村元先生によって解説された通りです。

私の属する宗派である浄土真宗は元々在家仏教という、出家者とは異なる仏教を標榜していたので他宗派とは事情が異なるのですが、日本仏教が妻帯に至った時代背景というのも当然あります。この本では日本についてはこれ以上は語られませんが、ネパールの背景は大きな示唆となるのではないでしょうか。やはり宗教は単に抽象的な思想や観念だけではなく、時代背景や気候風土にも大きな影響を受けるということが上の引用からもわかると思います。

「原始仏教至上主義」とも言える日本仏教への批判も、言わんとしていることはわかります。ですが「原始に帰れ」というその「原始」は一体何を指すのでしょうか。その「原始」も特定の時代背景の下生まれてきたものに他なりません。ブッダの思想も遡ればバラモン教の枠組みから生まれてきています。枠組みが変わればその教えの形も変わります。そうして変化を繰り返しながら広がり、受け継がれていくのが人間の文化であり、思想であり、宗教です。

「今の日本仏教は堕落している」というお叱りの言葉はありがたく受け止めます。ですがその根拠として「日本仏教は原始仏教と違う」ということを持ち出されてもそれに対しては明確に反論します。日本には日本に根付いた姿としての仏教があるのです。原始仏教から長い時を経て大乗仏教が生まれ、さらに長い時をかけて中国や朝鮮を経由して日本にやってきました。古代インドという特定の状況下で生まれた仏教がそっくりそのまま日本に根付くということはありえません。日本には日本の仏教があり、神道やその他土着の文化が様々に混じり合って宗教を形成してきました。それはそれで日本人の心、文化として大切にしていけばよいのではないでしょうか。

これ以上はここではお話しできませんが、「日本仏教は原始仏教とは違うからだめだ」という批判には私はノーと言いたいです。ですが中村元先生や三枝先生も述べられるように、だからといって原始仏教をないがしろにし、自分たち日本仏教を徒に持ち上げる在り方も反省しなければなりません。日本仏教も今の時代に応えられるよう変わっていかなければなりません。

この本はそうした原始仏教と大乗仏教を考える上で最高の参考書です。ぜひぜひおすすめしたい名著です。

以上、「中村元選集第21巻『大乗仏教の思想』~原始仏教と初期大乗について考えるのに刺激的なおすすめ参考書」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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