中村元選集第18巻『原始仏教の社会思想』~原始仏教と国家、市場経済の関係性を知るのにおすすめ

インドにおける仏教

中村元選集第18巻『原始仏教の社会思想』概要と感想~原始仏教と国家、市場経済の関係性を知るのにおすすめ

今回ご紹介するのは1993年に春秋社より発行された中村元著『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』です。

早速この本について見ていきましょう。

仏教における社会思想とは? 原始仏教における社会についての反省を,現代的なテーマとの関連で検討。「人間の平等」「経済」「国家と平和」などを中心に詳細に論じる。

心の問題に終始すると思われがちな仏教の、人間の平等と差別、社会や国家、経済行為など、さまざまな社会問題に対する考え方を明らかにする。

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前回の記事で紹介した中村元選集第17巻『原始仏教の生活倫理』では、主に原始仏教教団における在家信者の生活を見ていきました。そこでは出家者における生活や思想とは異なる在家信者ならではのものを見ていくこととなりました。

そして今作『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』では、そうした在家信者という、いわば個の問題ではなく国家や市場経済という社会全体との関わりについて見ていくことになります。

著者の中村元先生は「はしがき」でそのことについて次のように述べています。

「原始仏教の社会思想」という標題を見て人々は訝るかもしれない―仏教に社会思想があったのか、と。しかし当時でも、人間が社会を形成していた以上、当然社会に関する反省があったにちがいない。

本選集第17巻で論じている「生活倫理」も、厳密にいえば社会思想にほかならないのであるが、この巻では現代人が「社会思想」という語から連想するであろうところの諸問題についての原始仏教の反省を検討することにした。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』Pⅰ

この本ではまずインド社会を強く規定していたカースト制と原始仏教について「平等」というテーマで論じていきます。仏教はカースト制を批判したことで有名ですが、実際に教団としてどのような対応を取っていたのか、インド社会において仏教教団はどのような立ち位置にあったのかということを詳しく見ていきます。このことについては以前当ブログでも紹介した山崎元一著『古代インドの文明と社会〈世界の歴史3〉』と比較して読んでいくとさらに興味深く読むことができると思います。

そしてこの本で特に注目したいのは第三章「経済倫理―西欧資本主義精神との対比において」で説かれる原始教団と資本家との関係性です。

これまで当ブログで紹介してきたように、仏教教団の主なパトロンは王侯貴族や資本家でした。原始仏教教団が生まれたのはインドにおいて産業が生まれ、経済活動が非常に活発化した時代でした。商売をする上でカースト制度は不都合です。誰とでも自由に商売してこそ収益を上げることができます。また、財力を蓄えたことでカーストを超えた力を持つ商人もどんどん出てきます。そうした時代背景の下仏教教団は経済活動についてどのように考えていたのか、これは非常に興味深い内容でした。

その一例をここに紹介します。

経済行為に関して在俗信者に説かれていることは、まず簡単にいうと、各個人が、ひたすら各自の業務に精励して、それが結果としておのずから営利を追求することになるということであった。日本では一般に、仏教は古来賤財思想(Antichrematismus)の傾向が著しいと考えられているし、また「財に執着するな」という教えが、実際にすでに原始仏教聖典のうちに説かれているが、それは出家修行者のために説かれているのであって、在俗信者に対してはまた別の教えがあてがわれている。原始仏教教団の中核を形成していた出家修行者たちは、家族と離れ、財産を捨て去った人々であったが、それは当時出家修行者の通習に従ったまでにすぎない。一般在俗信者に対しては、むしろ積極的に現世的な財を尊重すべきことを説いている。財の集積、、、、ということは、人生の望ましい目的の一つと考えられている。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』P142

原始仏教は、営利追求ということを、むしろ積極的に勧めている。ただそれを享楽的な消費に使ってはならない、というのである。隣人が苦しんでいるのに、自分だけが快楽を享受してはならぬということは、原始仏教聖典のうちにくり返し強調されているところである。積極的に資本として蓄積し、生産のために回転すべきである。それが家長の道であると説いているのである。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』P163

原始仏教においては富者に対抗する「貧者の友」という意識はなかった。時に貧しきことを誇りとするという態度は認められない。仏教徒は、施与の精神の強調や社会事業の実行などによって、実質的には貧者の友となっていたのであり、心から貧者への奉仕につとめていた。また信徒のうちには下層階級の出身者も相当に多かった。それにもかかわらず、富者に対する対抗意識、、、、というようなものは、現われていない。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』P170-171

仏教と言うと金銭の追求は真っ先に否定されるようなイメージがありますが、それはあくまで出家修行者においてであって在家信者においてはまた違った教えがなされていたのでありました。

前回の記事でもお話ししましたが、原始仏教教団の教えとしてよく私たちが目にするのは主に「出家者に対する教え」です。ですが仏教教団も出家者だけで成り立っているわけではありません。在家信者のサポートなくして存続は不可能です。また、当時の時代背景を無視して成立することもありえません。ですので、こうした出家修行者以外の存在との関わりも学ぶのは非常に有益であると私は思います。また中村元先生はこうした初期仏教教団の経済思想と西洋のプロテスタンティズムによる資本主義を比較して論じています。

こうした幅広い視点から原始仏教を考えていけるのも本書の魅力です。

そしてもうひとつ、本書では原始教団と国家の関係についても説かれていきます。

平等思想およびそれにもとづく宗教運動は、当然バラモン教徒の反撃に会わなければならなかった。バラモン教の学者たちは、仏教は、階級的区別を否認することによって、社会秩序を混乱させるといって、激しく仏教を論難した。そうしてカースト制度の確立しているインド社会においては、このような平等思想を抱懐する仏教徒はおのずから異端者と目されるにいたったのである。

ゆえにゴータマは階級の問題については、まず出家者のあいだだけで完全な理想的社会を作りだし、その精神的感化のもとに一般社会の改革を実現しようとしていたのであった。ゴータマは強権をもってする革命家ではなかった。しかしたとい出家者のあいだだけにもせよ、このように階級無視を徹底的に行なったことは史上ほとんど類例がない。かつては多くの人々に理想国と見なされたソヴィエト・ロシアにさえも実際上は階級的区別があったし、デモクラシーの本家本元であると標榜しているアメリカ合衆国にも実際上は人種的差別が存在する。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第18巻 原始仏教の社会思想』P96

この箇所自体は「平等」について論じられた言葉ではありますが、この「ゴータマは強権をもってする革命家ではなかった。」という言葉には非常に大きな意味があると思います。

こうした立場で布教を続けていたブッダと原始教団が国家とどのような関係性を持っていたのかというのは重要な問題だと思います。ブッダには王侯貴族のパトロンが多くいたことが有名ですが、こうした穏健な思想の持ち主であったこともその一因かもしれません。ただ、その穏健さゆえに強力な社会変革を行うことはできなかったという批判も同時になされてしまうことにもなります。この辺りの問題は非常に難しいものがあることを痛感します。

前回の記事で紹介した『原始仏教の生活倫理』と共にこの本も非常におすすめな作品です。原始仏教をまた違った視点から見ることができる名著です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「中村元選集第18巻『原始仏教の社会思想』~原始仏教と国家、市場経済の関係性を知るのにおすすめ」でした。

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