MENU

フィレンツェ・サンタ・クローチェ聖堂~ミケランジェロ、マキャヴェリ、ガリレオの墓を訪ねて

フィレンツェ
目次

【フィレンツェ旅行記】フィレンツェのパンテオン、サンタ・クローチェ聖堂~ミケランジェロ、マキャヴェリ、ガリレオの墓を訪ねて

2022年末、私はヨーロッパを旅しました。そしてその時の体験を『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』という旅行記にまとめ当ブログで更新してきました。

あわせて読みたい
『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』~文豪の運命を変えた妻との一世一代の... この旅行記は2022年に私が「親鸞とドストエフスキー」をテーマにヨーロッパを旅した際の記録になります。 ドイツ、スイス、イタリア、チェコとドストエフスキー夫妻は旅をしました。その旅路を私も追体験し、彼の人生を変えることになった運命の旅に思いを馳せることになりました。私の渾身の旅行記です。ぜひご一読ください。

そしてその旅の中で私はフィレンツェも訪れています。

あわせて読みたい
(22)フィレンツェでのドストエフスキーの日々~ゆかりの地や彼お気に入りの芸術をご紹介! 悲しみや苦しみを分かち合い、今や二人は強固な絆で結ばれました。彼らの復活はいよいよここから始まっていきます。自分たちをミコーバー夫妻になぞらえたフィレンツェでの生活はこの旅の大きなポイントになったのではないでしょうか。 あぁ、美しきフィレンツェ!できるなら私ももっともっとゆっくり滞在したかった!さすがは花の都。この街の芸術には感嘆させられっぱなしでした。

ですがこの旅行記ではドストエフスキーゆかりの地をメインに紹介していますので、見どころ満載のフィレンツェを全て紹介することはできませんでした。

今回の記事ではそんなフィレンツェの中でも特に印象に残っているサンタ・クローチェ聖堂をご紹介していきます。

サンタ・クローチェ聖堂はドゥオーモのあるエリアから東に少し歩いたところにあります。

こちらがサンタ・クローチェ聖堂の内部。柱が比較的細く、広々とした開放感を感じます。

『地球の歩き方』ではこの教会について次のように解説されていました。

趣のあるフィレンツェ最古の広場に面した大教会。横に付属した僧院中庭とブルネッレスキによるパッツィ家礼拝堂の生み出す空間は類まれな美を作り上げ、フィレンツェ・ルネッサンスの凝縮といわれている。

きて、140 x40mという広い教会内部には、この町を追われラヴェンナで死んだダンテの記念廟からミケランジェロ、マキャヴェリ、ロッシーニ、G.ガリレイなど276の墓が収められ、一大墓地の趣だ。これらの人々にふさわしく、内部もさまざまな芸術家たちの手によって飾られている。

ダイヤモンド社『地球の歩き方A09 イタリア2019~2020年版』P160

この解説にありますように、この聖堂には錚々たる偉人達のお墓があります。私はこうした偉人達のお墓参りがしたくこの聖堂にやって来たのでありました。特にマキャヴェリのお墓には強い思いを持って私はお墓参りをしました。

ミケランジェロのお墓

こちらがミケランジェロのお墓。ミケランジェロらしい暖色系の色彩や肉体表現が描かれています。

そしてこのお墓の前に立ってふと私は思ってしまいました。

「あれ?ミケランジェロってどんな顔してたっけ・・・?」

お墓参りをするとその人を思い浮かべてお参りをするわけです。ですがミケランジェロの顔や姿がどうも浮かんでこないのです。

そこではっとしました。自分がそもそもミケランジェロの顔をほとんど知らないことに・・・。

ミケランジェロといえばサンピエトロ広場の『ピエタ』やシスティーナ礼拝堂の天井画や『最後の審判』、そしてここフィレンツェの『ダヴィデ』を思い浮かべることでしょう。

ただ、これらのインパクトが強烈すぎてミケランジェロといえばミケランジェロその人よりもこれらの傑作が思い浮かんでしまう・・・

これはなかなかに珍しい現象なのではないでしょうか。

なぜなら、レオナルド・ダ・ヴィンチならば私たちも何となくあの顔を思い浮かべることができるからです。

ミケランジェロの面白さはこういう所にもあるなとお墓を前にして思ったのでした。

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)Wikipediaより

ちなみにこちらがミケランジェロのお顔。皆さんはどう感じますでしょうか。

・・・ん?ちょっと待ってください。

よくよく考えたら画家の顔を想い浮かべてパッと出てくるダ・ヴィンチの方が珍しいのでは?あれ?そんな気がしてきました。ラファエロも何となく思い浮かびます。ですがブリューゲル、ボッティチェッリ、モネ、マネ、セザンヌなどなどたくさんの有名画家がいますがなかなか顔が思い浮かびません。そう考えると、ダ・ヴィンチの方が特殊なのかもしれません。お墓の前でふと思ったことと帰国してから一呼吸置いて考えたのだとまた少し違ってきますね。

以下ミケランジェロに関する記事を掲載しますので興味のある方はぜひご覧ください。

あわせて読みたい
システィーナ礼拝堂のミケランジェロ作品の特徴とその魅力とは!古代ローマ芸術とのつながり イタリア... この記事ではシスティーナ礼拝堂とはそもそもどんな建物なのか、そしてミケランジェロのすごさの秘密についてお話ししていきます。 特にミケランジェロのインスピレーションの源泉についてはきっと皆さんも驚かれるだろうと思います。ぜひ読んで頂きたい記事です。
あわせて読みたい
ミケランジェロとベルニーニが設計したサン・ピエトロ大聖堂の美の秘密を解説 イタリア・バチカン編⑥ この記事ではサン・ピエトロ大聖堂の建築とミケランジェロ、ベルニーニという二人の天才についてお話ししていきます。 ミケランジェロが建築家としてサンピエトロ大聖堂を設計していたという驚きの事実や、それを引き継いだベルニーニがいかに人々を魅了する芸術を生み出していったかを紹介していきます。皆さんもきっと彼らの天才ぶりに驚くと思います。

マキャヴェリの墓

こちらが『君主論』で有名なマキャヴェリのお墓です。

ニッコロ・マキァヴェリ(1469-1527)Wikipediaより

実は私がこの教会を訪れた一番の理由はこのマキャヴェリのお墓参りをしたかったからなのです。

私が彼に興味をもったのは高階秀爾著『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』を読んだのがきっかけでした。

あわせて読みたい
高階秀爾『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』あらすじと感想~メディチ家やイタリアの時代背景... この本ではルネッサンスが生まれてくるその時代背景、政治状況を詳しく知ることができます。フィレンツェといえばダ・ヴィンチのイメージもありますが、彼自身はここで芸術家として成長したものの、その才能を完全に発揮させたのはこの街ではありませんでした。なぜフィレンツェではなく他の街でそうなったのか。それもこの街の政治情勢やフィレンツェ人の気質などが関係しています。 ダ・ヴィンチを通してルネッサンスやフィレンツェに興味を抱くようになった私ですが、これまで学んできた色々なものとつながってくる非常に興味深い読書になりました。

この本では15世紀にルネッサンス全盛を迎えたフィレンツェの政治情勢やイタリア全体の時代背景を知ることになりました。

ルネッサンス芸術の繁栄はイタリアの独特な政治情勢に大きな影響を受けていて、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロもまさに各国間の政治的駆け引きの道具として利用されていたということに私は驚くことになりました。

そしてそのまさに同時代に生きていたのが『君主論』で有名なあのマキャヴェリだったのです。

あわせて読みたい
マキャヴェッリ『君主論』あらすじと感想~ダ・ヴィンチと同時代のフィレンツェ人による政治論 マキャヴェッリの『君主論』といえばマキャヴェリズムという言葉があるように、厳しい現実の中で勝ち抜くためには冷酷無比、権謀術数、なんでもござれの現実主義的なものというイメージがどうしても先行してしまいます。 たしかに『君主論』の中でそうしたことが語られるのは事実です。 ですが、「マキャヴェッリがなぜそのようなことを述べなければならなかったのか」という背景は見過ごされがちです。 当時のイタリアの政治状況はかなり特殊な状況です。 そのことについてこの記事では考えていきます

『君主論』はマキャヴェリズムという言葉があるほど有名な作品ですが、この本自体はなかなかに読みにくく、手強い作品となっています。私も以前この本を読もうとしたのですが前半で挫折してしまいそのままになっていました。

ですがこの『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』を読んでから改めて『君主論』を読むと、全く別の顔を見せるようになったのです!とにかく面白いのなんの!時代背景がわかってから読むと、マキャヴェリの言葉がすっと入ってくるようになったのです。

そうなってくると『君主論』の理想の君主のモデルともなったチェーザレ・ボルジアという人物が気になって気になって仕方なくなってきました。世界中を席巻することになった『君主論』のモデルになるほどの人物ですから、とてつもなく巨大な男に違いません。これはぜひもっと知りたいものだと本を探した結果出会ったのが『昔も今も』という本でした。

あわせて読みたい
サマセット・モーム『昔も今も』あらすじと感想~マキャヴェリの『君主論』のモデル、チェーザレ・ボル... 2人の天才、マキャヴェリとチェーザレ・ボルジアが織りなす濃密な人間ドラマ!そして彼らが生きたイタリアの時代背景も知れます。ドラマチックなストーリー展開の中に『君主論』を思わせる名言が出てきたり、人間臭いマキャヴェリの姿も知れたりと非常に盛りだくさんな作品となっています。

この本もものすごく面白かったです!極上の歴史小説です!これはいい本と出会いました!

2人の天才、マキャヴェリとチェーザレ・ボルジアが織りなす濃密な人間ドラマ!そして彼らが生きたイタリアの時代背景も知れます。ドラマチックなストーリー展開の中に『君主論』を思わせる名言が出てきたり、人間臭いマキャヴェリの姿も知れたりと非常に盛りだくさんな作品となっています。

この作品について訳者は巻末の解説で次のように述べています。

『昔も今も』に登場する主人公は、ニッコロ・マキアヴェリとチェーザレ・ボルジアである。マキアヴェリはフィレンツェ共和国に仕える才気煥発、敏腕な官僚であり、喜劇作家であり、そして何よりも『君主論』の著者であって、今日近代政治学の祖と言われる。

一方、チェーザレ・ボルジアは、長年〈ボルジア家の毒薬〉で知られる悪逆無道な権力亡者、目的のためには手段を選ばない、いわゆる〈マキアヴェリズム(権謀術数)〉の権化として、歴史にその名を記されてきた。

マキアヴェリは『君主論』のなかで、君主は世の美徳や評判に捉われることなく、時と場合によっては、残酷な行為も一気呵成に行ない、悪に踏み込んで行くことも必要である、獅子のごとく猛々しく、狐のごとく狡猾でなければならないと語っている。さらに、雄図半ばにして斃れたチェーザレ・ボルジアについて、「すばらしい勇猛心と力量の人であった。また民衆をどのようにすれば手なずけることができるか、あるいは滅ぼすことができるかを、十分わきまえていた」(『君主論』池田廉訳)と述べ、彼こそ新時代の君主となる人たちが模範とすべき人物であると称賛している。

しかしながら、そのようなキリスト教の美徳に挑戦する言辞が災いして、『君主論』はマキアヴェリの死後まもなく、高名な教会人によって〈悪魔の所産〉と弾劾され、やがて彼の全著作がローマ法王庁の禁書目録に載せられた。
※一部改行しました

筑摩書房、サマセット・モーム、天野隆司訳『昔も今も』P366-367
チェーザレ・ボルジア(1475-1507)  Wikipediaより

この箇所を読むだけでマキャヴェリとチェーザレ・ボルジアがどのような人物だったかが浮き上がってきますよね。

そして著者は続けます。次の箇所では当時のイタリアの時代背景が解説されます。

マキアヴェリの時代イタリアは、大小の都市国家が割拠して分裂し、そのために絶対王政の体制を整えたフランス、スペイン両大国の介入と収奪を許していた。たがいに傭兵を雇ったり傭兵に雇われたりして〈八百長戦争〉をしながら勢力均衡を維持し、豪華絢爛たるルネサンス文化を謳歌していた時代は去りつつあった。一四九四年のフランス国王シャルル八世の侵入以来、イタリアは全土が残忍な戦闘や略奪の横行する不安定な状況に陥っていた。

この乱世の時代にチェーザレ・ボルジアが登場した。まだ二十七歳という若い剛毅な君主である。彼は法王アレッサンドロ六世の私生児ながら、統一をめざして国民軍を創設し、法王領の実権を握るべく群小領主の一掃に邁進する。

彼の野望に直面して、フィレンツェやヴェネツィアや、シエナやボローニャは動揺する。彼らにとってイタリアの分裂状態と勢力均衡こそ自国が繁栄する条件だった。このままチェーザレの過激な行動を許すならば、とりわけ大都市国家の存立が脅かされる。その自由と繁栄が失われる。

おりしもチェーザレの傭兵隊長たちが、自分たちも主人の野望の生け贄にされかねないと恐怖して謀反を起こした。これはフィレンツェにとって、共和国が生き延びる格好のチャンスだった。強欲な軍人どもが共食いをしてくれるならば、漁夫の利を得るのはフィレンツェである。こうしてフィレンツェ政府は巨額の傭兵契約を求めるチェーザレの許に、口八丁手八丁のマキアヴェリを使節として送りこんだ。反乱の結果が見えるまで、舌先三寸でチェーザレの矛先をかわそうという作戦だった。

かくして物語は、二人の天才的人物の丁々発止のやりとりを縦糸にし、女好きなマキアヴェリが手練手管を発揮する恋の火遊びを横糸にして進行する。マキアヴェリは男盛りの三十三歳、共和国に忠実な官僚であるとともに、情熱的な生身の一個の男である。出張先のイーモラに到着したとたん、有力な商人の若い女房にひと目惚れし、多忙な外交交渉の合間をぬって、彼女をモノにしようと奮闘する。この必死の政治活動とマメで真剣な恋愛活動とが、モーム得意の軽妙なタッチで描かれる。

マキアヴェリの涙ぐましい活動の顛末は本書を読んでいただくとして、そのコミカルな物語の展開のなかにも、マキアヴェリとモームの鋭い人間観察が表裏一体となって現われ、読者を随所で楽しませてくれる。『昔も今も』を一読されたあと『君主論』を手にするならば、読者は大いに興味・関心を刺激されて読書が進むのではあるまいか。
※一部改行しました

筑摩書房、サマセット・モーム、天野隆司訳『昔も今も』P367-369

チェーザレ・ボルジアが教皇アレッサンドロ六世の私生児であるというのは驚きですよね。しかもその立場を利用してイタリア全土を掌握しようというとてつもない野心を持った人物でした。

そしてこの作品で説かれるように、チェーザレ・ボルジアは単に生れを利用しただけの男ではなく、信じられないほど優秀な人物でもありました。その鋭敏な頭脳、カリスマ性、権謀術数にはただただ驚くしかありません。

訳者が「『昔も今も』を一読されたあと『君主論』を手にするならば、読者は大いに興味・関心を刺激されて読書が進むのではあるまいか」と述べますように、これはぜひセットで読むのをおすすめしたい作品です。

おそらく、世の大半の方は有名な『君主論』をそれ単体で読むのではないかと思います。私もそうでした。

「あの有名な『君主論』はどんな本なのだろう。ベストセラーにもなってるみたいだし、試しに読んで見ようか」、そんな軽い気持ちで手に取ったはいいものの案の定挫折してしまった苦い思い出があります。

ただ、この『昔も今も』を読んでから『君主論』を読み返してみたらどうでしょう。これはもう全く別の作品に見えるくらいの違いが生まれてきます。今となっては『君主論』が面白くて面白くてたまりません。

さて、マキャヴェリの『君主論』といえばマキャヴェリズムという言葉があるように、厳しい現実の中で勝ち抜くためには冷酷無比、権謀術数、なんでもござれの現実主義的なものというイメージがどうしても先行してしまうのではないでしょうか。

たしかに『君主論』の中でそうしたことが語られるのは事実です。

ですが、「マキャヴェッリがなぜそのようなことを述べなければならなかったのか」という背景は見過ごされがちです。

当時のイタリアの政治状況はかなり特殊な状況です。上の解説でも少しだけ触れましたが、イタリアはそれぞれの都市国家がひしめき合っていました。そして形の上では共和制という一見民主的なシステムの下運営されていましたが、その実態は腐敗し機能不全という体たらくでした。

しかもそこにフランスやスペインなどの強力な絶対王政的国家がイタリアを侵略しようと動き出し、さらにはオスマン帝国の勢力にも地中海地域を蹂躙されていた時代です。

腐敗し機能不全を犯していた都市国家群。そんな形だけの民主主義をベースにした小国が小競り合いに明け暮れていたのがマキャヴェリの生きたイタリアだったのです。もしフランスやスペイン、オスマン帝国などの大国が侵略してこなかったならイタリア内で茶番の小競り合いを続けていてもよかったでしょう。

ですが大国が問答無用で攻めてくる状況にあっては強力な国家体制が必要になってきます。もはや、腐敗した民主主義ではどうにもならない状況なのです。

マキャヴェリもできることなら愛するフィレンツェが健全な民主主義の下繁栄することを願っていたでしょう。ですがこの危機の時代に相変わらず腐りきった少数の人間達が共和制の名の下に無能を晒し続けている・・・

そんな中でマキャヴェリは『君主論』を書いたのでした。

そう考えるとこの作品がかなり特殊な状況を前提とした意見書であることが見えてくるのではないでしょうか。

ルネサンス時代のイタリア、ヨーロッパ情勢を考える上でマキャヴェリの説く教えは非常に重要な示唆を与えてくれます。政治経済と宗教が一体化したその世界を教えてくれるのがマキャヴェリでもあります。

ヨーロッパ社会の複雑さ、面白さ、仁義なき戦いの激烈さを教えてくれたマキャヴェリには頭が上がりません。

とはいえ、私自身は『君主論』のモデルのように冷酷無比、権謀術数何でもござれを推奨しているわけではございません(笑)この辺りで私が思う所は「マキャヴェッリ『君主論』時代背景と感想~ダ・ヴィンチと同時代のフィレンツェ人による政治論」の記事で詳しく書いていますのでそちらも読んで頂けますと幸いです。

私はマキャヴェリには強い思い入れがあります。マキャヴェリは世の中の厳しさを教えてくれた師でもあります。マキャヴェリは仁義なき権謀術数を推奨したかったのではなく、愛すべきフィレンツェを救うべく戦っていたのでした。彼の生涯について知るにはM・ヴィローリ著『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』がおすすめです。

あわせて読みたい
M・ヴィローリ『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』あらすじと感想~時代背景や『君主論』がなぜ書か... 「読者は、マキァヴェッリが過ごした日々を脳裏に思い描きながら、彼が生きた時代を追体験することができるだろう。」 まさにこれです。この伝記は彼がどんな生涯を生き、何と戦っていたのかということを臨場感満載で追っていくことになります。

この本では世の大半の人がイメージするマキャヴェリとは全く違う姿を知ることができます。

そんなマキャヴェリを知った私はこのお墓参りをとてもとても楽しみにしていました。私は彼の波乱万丈の生涯を偲び、ゆっくりと念を込めてお参りしてきたのでありました。

ガリレオ・ガリレイのお墓

こちらはガリレオ・ガリレイのお墓。

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)Wikipediaより

イタリアのピサ生まれの科学者、ガリレオ・ガリレイ。1564年というのはあのシェイクスピアが生まれた年でもあります。同じ年に世界を変えた天才が生まれているというのはなんとも感慨深いですよね。

天体望遠鏡で星を観察し、科学的な実験を重ねたガリレオ。そんなガリレオの理論はカトリック教会の語る世界観と真っ向からぶつかってしまいます。

しかもガリレオが住んでいたイタリアはローマカトリックのお膝元。宗教的に非常に厳格な地域です。少しでも教会の言うことと違えば異端審問にかけられます。

そんなガリレオの生涯についてはマイケル・ホワイト著『ガリレオ・ガリレイ 伝記 世界を変えた人々17』がおすすめです。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

あわせて読みたい
マイケル・ホワイト『ガリレオ・ガリレイ 伝記 世界を変えた人々17』あらすじと感想~天体望遠鏡を用い... イタリアのピサ生まれの科学者、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)。1564年というのはあのシェイクスピアが生まれた年でもあります。同じ年に世界を変えた天才が生まれているというのはなんとも感慨深いですよね。 さて、この伝記ではそんなガリレオの生涯と偉業がわかりやすく物語られます。写真や絵もたくさん掲載されていて非常に読みやすく、ドラマチックな語りでぐいぐい引き込まれてしまいます。これは素晴らしい伝記です。

ダンテの記念碑

ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)Wikipediaより

このサンタ・クローチェ聖堂にはなんと、ダンテの記念碑まであります。これもダンテの『神曲』を読んだ私にとってはとても嬉しいものでした。

あわせて読みたい
ダンテ『神曲 地獄篇』あらすじと感想~仏教の地獄との比較も面白いイタリア文学最高の古典 『神曲』といえば誰もがその名を知る古典。ですがこの作品がいつ書かれて、それを書いたダンテという人がどのような人物だったのかというのは意外とわからないですよね。 この記事ではダンテはどんな時代に生き、どのような背景の下この作品を書いたのか、また、この作品で描かれる地獄の最下層がなんと氷漬けのキンキンの世界だったことに衝撃を受けた私の感想をお話ししていきます。仏教の地獄と対比して読んでいくと非常に興味深い作品です。

『神曲』といえば誰もがその名を知る古典ですよね。ですがこの作品がいつ書かれて、それを書いたダンテという人がどのような人物だったのかというのは意外とわからないですよね。

というわけでダンテのプロフィールを簡単にご紹介します。

1265年、トスカーナ地方フィレンツェ生まれ。イタリアの詩人。政治活動に深くかかわるが、1302年、政変に巻き込まれ祖国より永久追放される。以後、生涯にわたり放浪の生活を送る。その間に、不滅の大古典『神曲』を完成。1321年没

河出書房新社、ダンテ、平川祐弘訳『神曲 地獄篇』より

ダンテはイタリアルネサンス文芸を代表するペトラルカ(1304-1374)やボッカッチョ(1313-1375)より少し前の世代の人物になります。

あわせて読みたい
近藤恒一『ペトラルカ-生涯と文学』あらすじと感想~読書のカリスマ!ルネッサンスをもたらしたイタリ... ルネサンスだけでなく、読書とは何かということも感じられる名著です。読書人の皆様にはぜひおすすめしたいです。読書狂の先達がここにいます。読書のカリスマがここにいます。ぜひペトラルカという人物と出会ってみてはいかがでしょうか。
あわせて読みたい
ボッカッチョ『デカメロン』あらすじと感想~ペスト禍を舞台にしたルネサンス文学の傑作ーダンテ、ペト... 現在も続くコロナ禍ではありますが、この作品もペストという悲惨な疫病が広まった世界が舞台となっています。そういった意味でもこの作品は注目されることになるかもしれません。ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。

彼がフィレンツェ生まれであるということにまず驚きましたが、政治の争いに巻き込まれたことで追放されてしまったというのもびっくりですよね。そしてこの追放への様々な思いから書かれたのが『神曲』になります。祖国への思いや権力闘争、不正への憤りがこの作品の原動力になっていたと思うとまたこの作品が違って見えてきますよね。どこかマキャヴェリとも重なってきます。

サンタ・クローチェ聖堂はルネサンスの大御所たちのお墓参りができる素晴らしい場所です。

この記事ではミケランジェロ、マキャヴェリ、ガリレオ、ダンテを紹介しましたが、他にもたくさんのビッグネームのお墓があります。それぞれの分野のスペシャリストたちがここに眠っています。「フィレンツェのパンテオン」と呼ばれるのももっともだなと思います。

見どころだらけのフィレンツェにおいては少し影の薄い場所かもしれませんがぜひおすすめしたい教会です。

ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

以上、「フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂~ミケランジェロ、マキャヴェリ、ガリレオの墓を訪ねて」でした。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
『Pen BOOKS ルネサンスとは何か』あらすじと感想~フィレンツェやベネチアなど、ルネサンスの名画を幅... この『PenBOOKS ルネサンスとは何か』では歴史の流れに沿ってそれぞれの名画をわかりやすく解説してくれます。図版も非常に充実していますのでビジュアル的にも非常にイメージしやすいです。 イタリア旅行に行かれる方にぜひおすすめしたい入門書です。

関連記事

あわせて読みたい
フィレンツェを知るためのおすすめ参考書一覧~ダ・ヴィンチやマキャヴェリ、ダンテなど芸術や歴史、文... フェイレンツェといえばボッティチェリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど言わずもがなの巨匠の作品が今なお世界中の人を魅了し続けている華の都です。 知れば知るほど面白いフィレンツェです!ぜひこの記事を役立てて頂ければ幸いです。
あわせて読みたい
(22)フィレンツェでのドストエフスキーの日々~ゆかりの地や彼お気に入りの芸術をご紹介! 悲しみや苦しみを分かち合い、今や二人は強固な絆で結ばれました。彼らの復活はいよいよここから始まっていきます。自分たちをミコーバー夫妻になぞらえたフィレンツェでの生活はこの旅の大きなポイントになったのではないでしょうか。 あぁ、美しきフィレンツェ!できるなら私ももっともっとゆっくり滞在したかった!さすがは花の都。この街の芸術には感嘆させられっぱなしでした。
あわせて読みたい
桑木野幸司『ルネサンス 情報革命の時代』あらすじと感想~知の爆発はいかにして起こったのか!知的好奇... この本はルネサンスというわかるようでなかなかわからない時代を「メディア革命」という切り口で見ていきます。 私は本が大好きです。そんな本好きの私にとって、本がいかにして世界を変えてきたのかということを知れたのは最高に刺激的でスリリングな体験となりました。 これは面白いです。 知的好奇心がスパークする作品です!ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
あわせて読みたい
石鍋真澄『フィレンツェの世紀』あらすじと感想~メディチ家やフィレンツェの政治状況と美術の流れを知... この作品はフィレンツェの芸術作品そのものよりもその作品が生み出された時代背景に注目していく点にその特徴があります。 フィレンツェの歴史や魅力を知るのにこの本は非常におすすめです。
あわせて読みたい
A・バルベーロ『近世ヨーロッパ軍事史』あらすじと感想~マキャヴェリ時代から近代戦争への流れを知るの... この本はコンパクトでありながら深い考察もなされた優れた作品となっています。軍事史といいますと、固有名詞や専門用語がずらりと並んで堅苦しく難しいというイメージがあるかもしれませんがこの本は全く違います。 当時の時代背景や戦争の実態を物語風にわかりやすく語ってくれるこの本は非常に読みやすいです。 「中世における戦争ってこういうものだったのか」ときっと驚くことになるでしょう。
あわせて読みたい
システィーナ礼拝堂のミケランジェロ作品の特徴とその魅力とは!古代ローマ芸術とのつながり イタリア... この記事ではシスティーナ礼拝堂とはそもそもどんな建物なのか、そしてミケランジェロのすごさの秘密についてお話ししていきます。 特にミケランジェロのインスピレーションの源泉についてはきっと皆さんも驚かれるだろうと思います。ぜひ読んで頂きたい記事です。
あわせて読みたい
ミケランジェロとベルニーニが設計したサン・ピエトロ大聖堂の美の秘密を解説 イタリア・バチカン編⑥ この記事ではサン・ピエトロ大聖堂の建築とミケランジェロ、ベルニーニという二人の天才についてお話ししていきます。 ミケランジェロが建築家としてサンピエトロ大聖堂を設計していたという驚きの事実や、それを引き継いだベルニーニがいかに人々を魅了する芸術を生み出していったかを紹介していきます。皆さんもきっと彼らの天才ぶりに驚くと思います。
あわせて読みたい
(21)ドストエフスキーお気に入りのミラノ大聖堂と夫妻のイタリア滞在の始まり 愛娘を喪い悲しみに暮れるドストエフスキー夫妻。ヴヴェイでの悲しみの夏を過ごした後、二人はいよいよイタリアへ向かうことになります。 彼ら二人が最初に滞在したのはミラノ。ここにはドストフスキーお気に入りのミラノ大聖堂があります。 この記事ではそんな二人がここでどのように暮らしたのかを見ていきます。
あわせて読みたい
(23)芸術の都ヴェネツィア~美しき水の都にドストエフスキーは何を思ったのだろうか この記事ではドストエフスキー夫妻が訪れたヴェネツィアと、その道中で立ち寄ったボローニャをご紹介します。 誰もが憧れる水の都ヴェネツィア。ドストエフスキー夫妻はわずか数日の滞在でしたが、楽しい一時を過ごしたようです。私も夫妻が過ごしたヴェネツィアを歩き、彼らの滞在に思いを馳せながらこの街のゆかりの地を巡ったのでありました。 どこを撮っても美しい写真が出来上がる驚異の街でした。
あわせて読みたい
(24)プラハに滞在したかったドストエフスキー夫妻~あのスメタナともニアミス!泣く泣くドレスデンへ... 娘の出産のためにフィレンツェからプラハへ向かったドストエフスキー夫妻。 プラハにはスラブ系知識人のコミュニティーがあり、ドストエフスキーは彼らとの交流を願っていました。そして何より、夫妻は美しきプラハに滞在することを楽しみにしていたのです。 ですが、プラハに滞在することは叶わず、ドレスデンへ移ることになります。 歴史に「もしも」は禁物ですが、もし夫妻がここに滞在できたらあのスメタナやドヴォルザークともドストエフスキーは接点があったのかもしれませんでした。
あわせて読みたい
ローマおすすめ参考書一覧~歴史、文化、宗教、芸術!ローマがもっと面白くなる名著を一挙ご紹介! ローマはあまりに奥が深い。そして知れば知るほどはまってしまう底なし沼のような存在です。私もこのローマの浪漫にすっかりとりつかれてしまいました。
フィレンツェ

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次