M・ヴィローリ『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』~時代背景や『君主論』がなぜ書かれたかもわかるおすすめ伝記!

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M・ヴィローリ『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』概要と感想~時代背景や『君主論』がなぜ書かれたかもわかるおすすめ伝記!

今回ご紹介するのは2007年に白水社より発行されたマウリツィオ・ヴィローリ著、武田好訳の『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』です。

早速この本について見ていきましょう。

マキァヴェッリは1469年、フィレンツェに生まれる。29歳のときフィレンツェ共和国政府の第二書記官に就任。共和国政府の外交使節として、大いに活躍する。しかし共和政府が倒れメディチ家の政権が誕生するにおよんで、彼は官職を追われ、フィレンツェ郊外の山荘にひきこもり、不遇のうちに多くの著作を書き続けた。

古典的名著『君主論』の作者として知られるマキァヴェッリではあるが、この他のことについては意外と知られていない。たとえば彼が書いた喜劇『マンドラーゴラ』は、イタリア文学史上の傑作戯曲であるとか、官職を退いてからの生涯はあまり陽の光があたるものではなく、山荘前の居酒屋に夜ごとでかけてはワインを飲んでいたとか。ちなみに彼の名前を冠したキアンティワインがある。

本書はマキァヴェッリの残した膨大な報告書や書簡をもとに、その人間性を親しみをこめて読者に伝えようとしている。彼の残した文章の随所に見られる微笑の意味するところは一体何なのか。その微笑には、彼の政治思想よりもはるかに深遠な、生きるための偉大な知恵が含まれている。

こうして浮かび上がってくるマキァヴェッリ像は、とても新鮮なものであり、マキァヴェリズムの始祖という悪名でしか知られることのない彼が、じつは個人的な利益よりもつねに国益公益を優先させた人であることを改めて知ることができるのである。マキァヴェッリの生涯とその時代背景を知るうえでの好著。

Amazon商品紹介ページより

この作品は『君主論』で有名なマキァヴェッリの生涯や時代背景を知れるおすすめの伝記です。

上の記事でもマキァヴェッリの『君主論』がなぜ書かれたのかということをお話ししましたが、今回ご紹介する『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』ではさらに詳しく彼の生涯を知ることができます。

この伝記について訳者あとがきでは次のように述べられています。この本の雰囲気が感じられる箇所ですので少し長くなりますがじっくり読んでいきます。

ニッコロ・マキァヴェッリ(1469-1527)Wikipediaより

マキァヴェッリに関心を持つ者ならずとも、おそらく一度は目にしたことがあるであろう彼の肖像画が、フィレンツェのヴェッキオ宮に飾られている。本書を紐解く鍵は、今から五〇〇年近く前に描かれた彼の絵の、その口元に汚かぶ微笑である。

マキァヴェッリという言葉から抱かれる人間像、そして時代を経て一人歩きするマキァヴェリズムという妖怪のような言葉を充てる歴史上の人物にしては、多少威圧感に欠けるように思われるかもしれない。いや、もっと体躯よろしく、威厳に満ちた外見の方がマキァヴェッリという言葉が持つ響きにはふさわしいのかもしれない。だが、こちらを凝視する眼差しの奥には、フィレンツェ国の外交をつかさどる書記局の長であった彼が見た事物のすべてが隠されている。人間の力ではどうしようもない運命というものと、時代の流れに翻弄されながら、この世を「生き」「死んでゆく」人間たちを、彼はこよなく愛し、情熱のすべてを捧げて書き著した。それが、『君主論』であり、『ディスコルシ』『戦争の技術』『使節報告書』、詩、喜劇等の数々の文書である。彼が残してくれた文言は、現代を生きる私たちに、実に多くのことを惜しげもなく教え、与えてくれるのである。(中略)

本書はマキァヴェッリの死から始まり、その死をもって物語を閉じる。ヴィローリ氏は、マキァヴェッリがフィレンツェ共和国第二書記局に書記官として登場したときから亡くなるまでの年月を、序文にもあるように、残された資料を明確にたどりながら物語る。私たちは、マキァヴェッリが死の間際に語ったとされる夢の話を聞き、再び彼の人生に寄り添い、その夢を語った最期へと誘われるのである。

読者は、マキァヴェッリが過ごした日々を脳裏に思い描きながら、彼が生きた時代を追体験することができるだろう。フィレンツェ国の危機存亡に直接関わる問題を扱う彼の傍らで、著者はともに呼吸をし、昼夜を過ごし、喜怒哀楽を共有する。そうして彼の心の痛みと肉体の痛みを分かち合いながら、「微笑」の意味を読み解いていくのである。その手法は臨場感に溢れ、読む者を圧倒する。

マキァヴェッリは他人を笑い、自分を笑った。運命の女神に戦いを挑み、ときに欺き、また身を任せ、敗れ去る彼の、息苦しいほどに凝縮された日々は、まさに、男の目で見た男の人生だと言えるだろう。

白水社、マウリツィオ・ヴィローリ、武田好訳『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』P285-286

「読者は、マキァヴェッリが過ごした日々を脳裏に思い描きながら、彼が生きた時代を追体験することができるだろう。」

まさにこれです。この伝記はマキァヴェッリがどんな生涯を生き、何と戦っていたのかということを臨場感満載で追っていくことになります。

私はこの本を読んで驚きました。「マキァヴェッリってこんな目にも遭っていたのか!」とショックを受けました。まさか彼が失脚させられ謀反の疑いまで掛けられ、愛するフィレンツェの街から拷問までされていたとは・・・

そして田舎に閉じこもり書物と向き合い、そこから自身の外交官体験と照らし合わせて作られたのが『君主論』だった。この流れには痺れました。さらにこの伝記では『君主論』の何が画期的だったのかということもわかりやすく解説されます。これも非常にありがたいものがありました。

そしてもう一点ぜひ紹介したい箇所があります。それがこちらです。同じく訳者あとがきから引用します。

マキァヴェッリは、「国家はどのように統治され、保持されるべきか」を問い続け、そのために必要な外交術と軍事力について、知り得たすべてをフィレンツェの統治者に伝えようとした。その知識は、外交官の職にあったときに、数々の君主に拝謁し、直接に外交交渉を重ねた経験から得たのだった。もちろん、偉大な古代ローマの先人たちが残した書物から多くの知識を吸収したのだが、彼が信じるものは、外見でも権威でもなく、目に見えるものだった。そして、彼が希求してやまなかったのは、「知性と情熱を発揮できる場所」だったのである。情報収集に奔走した彼が残した文書の量は、実に膨大である。

派遣先の他のイタリア諸国や、ドイツ、フランス、スイスの現状を見て、彼は「相違」を理解し、国の統治の方法、君主の気性、領民の生活には違いがあることを認識することができた。「相違」は、彼にとっては自身の問題でもあり、「よい出自」でなく、有力家系の出身でなかった彼は、その「相違」に生涯苦しめられた。失脚し、田舎の「あばら家」で隠遁生活を送るときも、華々しく活躍した時代との「相違」に呻吟し続けたのだった。(中略)

国の在り方が、君主が、王が、そして教皇が「多様」で「相違」することを認識した彼は、そこに力の優劣を見定め、軍事力を分析し、人間の気質の違いを洞察する。だが、それと同時に、事物の本質は不変だが、それを覆う可視的なものに相違があると言い、人間の情熱には変わりはないことを説いた。「相違」するものと、「不変」であるものとを歴史から読み解いたのである。そして、彼の目的は、「理解してくれる者に有用であることを書き記すこと」であった。生きている間に天国も地獄も見た彼には、ローマ劫略の惨劇は十分に予見できたであろう。そして、マキャヴェッリは、まさにその年に生涯を閉じる。

白水社、マウリツィオ・ヴィローリ、武田好訳『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』P287

まずこの引用の前半でマキャヴェッリが古代ローマの歴史や賢哲の教えを学んでいたことが述べられました。

当ブログではまだ紹介出来ていませんがここ1カ月、私は古代ローマについて学んできました。そしてその古代ローマの興亡を学んだ上でマキァヴェッリの『君主論』を読むとまた違ったものが見えてきます。

まさに上の引用で出てきたように、マキァヴェッリ自身も古代ローマに学び、天才的な著作を生み出したのです。やはり古代ローマはすごい!ここから学べることはあまりに大きいことを実感します。

そして上の引用の最後の文、

「生きている間に天国も地獄も見た彼には、ローマ劫略の惨劇は十分に予見できたであろう。そして、マキャヴェッリは、まさにその年に生涯を閉じる。」

これも重要です。

マキァヴェッリは1527年に亡くなりました。

この年はまさにサッコ・ディ・ローマ(ローマ劫略)事件が勃発した年でした。この事件は2022年の読書で私が最も衝撃を受けた事件でした。

この事件は1527年にローマが攻撃され、虐殺、略奪の限りが尽くされた恐るべき出来事でした。

ローマ劫掠を描いた銅板画 Wikipediaより

そしてそれを行ったのが何を隠そう、カトリック王カール五世の神聖ローマ帝国軍でした。

カール5世(1500-1558)Wikipediaより

カール5世はスペインと神聖ローマ帝国という二つの国の皇帝です。つまり彼は熱烈たるカトリック国家のトップにいた人物になります。そのカトリック王国の盟主が聖地バチカンを徹底的に破壊し略奪したというのですから私はその事実に頭がくらくらする思いでした。

と言いますのも、私はこれまで、スペインはアメリカ大陸の発見後その黄金を用いてカトリックの繁栄と宗教改革への対抗のために莫大な財と労力を用いていたと理解してきました。

たしかにそれは事実なのですが、そんなスペイン・神聖ローマ帝国があろうことかカトリックの総本山のバチカンを略奪し破壊するなんて想像できるでしょうか。

私がこの事件について知ったのは石鍋真澄『教皇たちのローマ』という本がきっかけです。

私はその後この事件について様々な本で学ぶことになったのですが、この事件をマキァヴェッリは見届け、命を終えていったのです。

マキァヴェッリはまさしくこうした悲惨な事件が起こらないように奔走していたのです。ですが食い止められなかった・・・

マキァヴェッリというと、マキャベリズムという言葉があるほど「権謀術数何でもござれ」の悪いイメージがあるかもしれません。

ですがこの伝記を読めばそうしたイメージが覆ること間違いなしです。衝撃的な内容が語られます。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「M・ヴィローリ『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』~時代背景や『君主論』がなぜ書かれたかもわかるおすすめ伝記!」でした。

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