トマス・モア『ユートピア』あらすじと感想~ユートピアの始まりからすでにディストピア?

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トマス・モア『ユートピア』あらすじと感想~後の世界に影響を与えるユートピア思想の代表作

今回ご紹介するのは1516年にトマス・モアによって書かれた『ユートピア』です。私が読んだのは1957年に岩波書店より発行された平井正穂訳の『ユートピア』1998年第65刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

表題の「ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478-1535)の造語である。モアが描き出したこの理想国は自由と規律をかねそなえた共和国で、国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。社会思想史上の第一級の古典であるだけでなく、読みものとしても十分に面白い。


岩波書店、トマス・モア、平井正穂訳『ユートピア』1998年第65刷版表紙

トマス・モアはロンドン生まれの法律家、哲学者です。

トマス・モア(1478-1535)Wikipediaより

「ユートピア」という言葉は現代を生きる私達にも馴染み深い言葉ですが、この言葉を生み出した人物こそこのトマス・モアです。

前回紹介した『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』の中でもこのトマス・モアの『ユートピア』が紹介されていて、それが非常にわかりやすかったのでそちらをここに引用します。

民衆の信じた愉快で素朴なユートピアには、惰眠と安楽への人間の永遠の憧れがよく表れている。

これに対して、哲学者の考える都市型のユートピアはそれほど親しみやすいとは言えない。そこでは、欲求はひたすら満たされるのではなく、合理的な政府によって抑制される。その原型となったのは、プラトンの『国家』である。そこに描かれた理想の都市国家は、英才教育を受けた選ばれしエリートである。彼らはすべてを、そう、財産や妻まで共有する。そうやって国家のために定期的に子供を産ませるのだ。

トーマス・モアが一五一六年に発表した『ユートピア』は、このジャンルの文学の名付け親となった作品だが、そこに描かれているのもやはり不気味な国である。

モアのユートピアでは、支配階級のみならずすべての階級が財産を共有する。労働時間は一日六時間と短い。それが可能なのは、技術が進歩したからではなく、欲求が厳格に抑制されているからだ。「人生のささやかな楽しみ」は厳重に禁じられている。飲酒は禁止で、住民はみな同じ地味な服を着る。余暇はあるけれども、消費に費やすわけではない(そもそも消費するものがあまりない)。人々は余暇を「楽しく学び、議論し、読書し、朗読し、書いたり、散歩したり、心と体を鍛える」ことに費やす(同じく消費財の欠乏から、旧ソ連では余暇活動としてチェスが奨励された)。

次のような記述を読むと、人々を常時監視するビッグブラザーが連想される。「誰もがあなたを見ているので、あなたは熱心に働くこと、余暇を適切に活用することを強いられる」。女性は男性に従属し、二度姦通をすれば死刑に処される。
※一部改行しました


筑摩書房、ロバート・スキデルスキー、エドワード・スキデルスキー著、村井章子訳 『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』 P67-68

トマス・モアの『ユートピア』を読んで驚いたのですが、この作品はまさにここで述べられている解説そのまま、いや、もっと不気味な世界観でした。

特に 「人々は余暇を「楽しく学び、議論し、読書し、朗読し、書いたり、散歩したり、心と体を鍛える」ことに費やす(同じく消費財の欠乏から、旧ソ連では余暇活動としてチェスが奨励された)」という箇所はぞっとしました。

ユートピアでは一日の仕事は6時間でそれ以上は労働することはありません。ですが仕事を含めた一日のスケジュールが徹底的な監視の下管理されるという、これが私たちの感覚で言えばなかなかのディストピアっぷりなのです。まさに『一九八四年』のビッグブラザーそのものです。

少し長くなりますがその箇所(第二巻第四章 知識、技術および職業について)を見ていきましょう。

家族長の主な、というより殆んど唯一の任務は、怠けてぶらぶらすごす人間が一人もいないように、各人がその仕事に専心精を出すように、しかもこき使われている牛や馬のごとく朝早くから夜遅くまでのべつ幕なしに働いて疲れてしまうことのないようにと、注意し監督することである。なぜなら、かような牛馬のごとき生活こそ、悲惨と酸鼻を極めた奴隷の生活よりも、なおいっそうひどいものであるからである。

しかし、思うに、かような生活はユートピアを除いては実は世界中のすべての労働者と職人の生活にほかならないのである。例えばユートピア人は昼夜を二十四時間に等分し、その中僅か六時間を労働にあてるにすぎない。

すなわち、午前中三時間の労働、正午には直ちに昼食、食後は二時間の休息、その後で再び三時間の労働。次に夕食―とこういう風になっている。夕方の八時頃(正午の後、最初の一時間すぎた時刻を午後一時と算定する)、彼らは床につくが、睡眠時間には八時間あてている。空いている時間、つまり、労働・睡眠・食事などの合間の時間は各人が好きなように使っていいことになっている。

といっても何もこの時間を乱痴気騒ぎやぶらぶらしてすごしてよいという意味ではない。むしろ、せっかく各自の職務から解放された貴重な時間である、自分の好きな何かほかの有益な知識の習得にこの貴重な時間を最も有効に用いるようにとの意味なのである。

例えば、ここでは古くから毎日朝早く講義が行われることになっている。この講義に出席する義務がある者は、特別に学問の研究に身をゆだねるべく選ばれ指定された人たちだけである。しかし実際はあらゆる種類の人たちが、男も女も、たくさんこの講義をききにいっている。もちろん、各人の性向にしたがってそのきく講義もあれやこれやといろいろ違うわけである。しかしまた他面においては、以上のような事情にもかかわらず、もしこの自由な時間をもまた自分本来の仕事に捧げて働きたいという人があれば(一般的な学問的思索に向かない、多くの人々によくありがちなことであるが)それはそれとして少しも止められたりはしない、いや、むしろ国家の為になることだとして賞讃され推賞されている。

夕食の後の一時間は団欒の時にあてられている。場所は夏なら庭園、冬なら彼らがうち揃って食事をする食堂である。彼らはそこで音楽の練習をしたり、高尚で健全な話題に話の華を咲かせたりする。賽賭博その他の愚劣でいかがわしいゲームは彼らには無縁である。しかしただ、将棋とあまり違わない二つのゲームが行われている。その一つは片方が相手方を捕える算数合戦(計算の技術を競争する教義)で、も一つはいわば悪が堂々の陣を布いて善と一戦を交えるといったゲームである。
※一部改行しました


岩波書店、トマス・モア、平井正穂訳『ユートピア』1998年第65刷版 P87-88

そして、「第二巻第六章 彼らの旅行、および巧みに説かれ、賢く論ぜられたことども」では次のような衝撃的なことも語られます。

こういうわけで、いかに彼らにぶらぶらと時間を空費する自由が許されていないか、また怠ける口実や言訳があたえられていないか、ということがお分りになったと思う。つまりここには酒場も居酒屋も女郎屋もない。悪徳にふける機会もなければ、いかがわしい潜伏場所も、陰謀と不法集会の隠家もないのである。あらゆるものが白日の下にあり、衆人環視の下に行われるのである。人々はどうしても日常の仕事に精を出さざるをえないし、健康な明るい娯楽をもって心身を慰めざるをえないのである。


岩波書店、トマス・モア、平井正穂訳『ユートピア』1998年第65刷版 P99

ユートピアの住民は「空き時間」に何をすべきかはあらかじめ決められており、それは衆人環視の下徹底されるので逸脱する者は存在しないとトマス・モアは述べます。

「空き時間」に「良き住民としてなすべきこと」が指定されているならそれはもはや個人の自由などありはしません。

しかもそれが徹底的な監視の下行われるというのですからこれはもはや現代のディストピア小説の先駆けとも言えるかもしれません。そうです、ユートピア小説はその始まりからしてディストピアだったのです。これは読んでいて驚きでした。

ただ、16世紀のイギリス、ヨーロッパの社会事情から言えばこの世界も理想郷と言えるようなものだったのでしょう。それだけ過酷で厳しい世界だったということも見えてきます。

また、『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』から引用した解説にもありましたように、トマス・モアのユートピア思想にはプラトンの『国家』の影響も大きく見えてきます。

エリートによって政策が全て決定され、国民がなすべきこと、あるべき理想はすべて彼らによって指導される。人々は彼らの説く「素晴らしい教え」に基づいて生きること幸福で楽しい生活を送る。

これは党が生活の指針をすべて指導しようとしたソ連社会を彷彿とさせます。

何が良くて何が悪いかを優秀なエリートが全て決め、それに沿って厳格に「自由時間」まで管理していく社会。

それがトマス・モアの『ユートピア』の一側面でもありました。

たしかにその世界には絶望的な格差もなければ過重労働もありません。飢えもありません。

ですがその裏にはすでにして管理社会の萌芽が見て取れるのでした。

何度も言いますがこの作品はあくまで16世紀イギリスで書かれたものですので、当時の時代状況から言えばこうした社会でも素晴らしい理想世界だったのだと思います。

この本を通じて感じたのは、トマス・モアの政治的な見解がこの本では色濃く出ているということです。『ユートピア』は単に物語的な小説ではなく、よりよい社会を作るには何をすべきなのか、どう変えていけばいいのかという提言になっているということです。

トマス・モア自身もヒューマニストとして知られており、ロッテルダムのエラスムスと深い親交があったことで有名です。

ですが彼は後にはカトリック、イギリス国教会のいざこざに巻き込まれ死刑にされています。彼は自分の保身よりもよりよき社会について考え続けていた人物だったのです。あまりに時代に先駆け過ぎていた人物だったとも言えるでしょう。

岩波文庫の巻末解説ではそんな彼の生涯についても知ることができますので、ぜひぜひそこもじっくり読んで頂けたらなと思います。時代に先駆けて登場したトマス・モアの偉大さをそこで知ることになります。ぜひおすすめしたい1冊です。

以上、「トマス・モア『ユートピア』あらすじと感想~ユートピアの始まりからすでにディストピア?」でした。

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