(90)インドの仏教聖地に感動できない私は僧侶失格か。ブッダガヤに沈む・・・
ブッダガヤは仏教の聖地中の聖地です。
ですが私はブッダガヤという地に対して全く感動できなかったのでした。いや、それどころではありません。私はこの地でネガティブな感情に支配されてしまいました・・・
ここで神聖な心境になれない私は仏教僧侶として失格ではないか。私はそんな念に駆られてしまったのです。
ブッダガヤは仏教の聖地中の聖地です。
ですが私はブッダガヤという地に対して全く感動できなかったのでした。いや、それどころではありません。私はこの地でネガティブな感情に支配されてしまいました・・・
ここで神聖な心境になれない私は仏教僧侶として失格ではないか。私はそんな念に駆られてしまったのです。
ネパール仏教の象徴たるスワヤンブナート。この寺院はネパール仏教最古の仏教寺院として知られる世界遺産です。
スワヤンブナートは独特な空気が漂う場所でした。インドともスリランカともやはり違います。そしてやはりあの目です。「ネパールといえばこれ」というほど私の中に強烈な印象を残した場所でした。
この本はとてつもなく面白い名著です!頭がスパークするほど刺激的な一冊です!」
いやあこの本には参りました。中国関連の本をこれまで当ブログではご紹介してきましたが、その中でも間違いなくトップクラスに君臨します。いや、中国に限らず仏教関連の本全てにおいてもこの本はその位置に来るでしょう。それほど面白い一冊です。
インドから伝来した仏教が中国においてどのようにして受容され変容していったのかが本書の主要テーマでありますが、これがものすごく刺激的です。
他にも老荘思想の概要や中国仏教と政治の関係性、禅仏教や浄土教の展開など、この本ではとにかく興味深い内容がどんどん出てきます。いや~面白い!脳内がスパークしました。
『バガヴァッド・ギーター』は文庫本で140ページほどとかなりコンパクトです。そして上村勝彦さんの訳も非常に読みやすく、巻末には50頁以上も解説が付されていますのでこれはありがたいです。
この本では大乗仏教の教えと非常に近い思想がどんどん語られます。
やはり仏教もインドの思想や文化の枠組みの中で生まれたのだなということを強く感じました。もちろん、それはインド神話から仏教への一方通行ということではなく、お互いが影響し合ってのことだと思います。
仏教を学ぶ上でもこれは大きな意味がありました。いや、仏教だけに収まらず、宗教、人間そのものにも目を開かせてくれる珠玉の聖典でした。インド思想、インド文化にますます惹かれている自分を実感しています。
この本は「僧侶としてのあり方に悩む方」にぜひおすすめしたい作品です。
文献に書かれた教義だけが仏教なのではなく、そこに生きる人々と共に歩んできたのが仏教なのだというのがよくわかります。私自身、この本にたくさんの勇気をもらいました。仏教は現代においても必ずや生きる力に繋がるのだということを私は感じています。
僧侶以外の方でも、仏教における儀礼の意味に興味のある方には多くの発見がある作品です。
ぜひぜひおすすめしたい名著です。著者の信念が伝わってくる素晴らしい一冊でした。
今作では浄土経典について説かれるということで浄土真宗僧侶である私にとって非常に興味深いものがありました。
特に第二章の新田智通氏による「大乗の仏の淵源」は衝撃的な内容でした。これは仏教を学ぶ全ての人に読んで頂きたい論文です。
「シリーズ大乗仏教」は2010年代初頭当時における最新の研究が反映されています。かつては主流だった仏教理解が今や通用しなくなっているということを肌で感じた作品でした。
新田智通氏の衝撃的な論文が収録された『シリーズ大乗仏教 第五巻 仏と浄土—大乗仏典Ⅱ』は仏教を学ぶ全ての方におすすめしたいとてつもない一冊です。このシリーズの中でも圧倒的に印象に残った作品です。
「日本人はいわば「隠れヒンドゥー教徒」であるといっても過言ではありません。そのことを示すことが、本書の目的の一つでもあります。」
衝撃的な言葉ですよね。
ですがこの本を読んでいると、この言葉があまりにリアルなものとして感じられてきます。日本の文化や大乗仏教とのつながりが非常にわかりやすく説かれます。
この本自体は『バガヴァッド・ギーター』の解説書ということでなかなか手が伸びにくい作品であるかもしれません。ですがそこは少し見方を切り替えてこの本を仏教書として見てみてはいかがでしょうか。
この本は古代インドやインド思想を知らなくても読めるような作りになっています。また同時に、仏教の入門書としても十分通用するほどわかりやすい作品になっています。これはものすごい名著です。
今作もショペン節全開で刺激的な読書になること間違いなしです。
私の中で特に印象に残っているのが第3章の「ブッダの遺骨と比丘の仕事」と第8章の「クシャーナ期阿弥陀仏像碑文とインド初期大乗の特質」です。
「原始仏教は葬式をしない。遺骨への供養も存在しない。それなのに日本仏教は葬式や先祖供養をする。これは仏教として間違っている」
このような批判が今も根強く残っていますが、実はこの批判そのものがもはや学術的に成立しないことがショペンの説から明らかになります。当時のインド仏教徒にとっても遺骨の存在は大切なものだったということが考古学的な証拠から明らかにされつつあります。これは刺激的な論稿でした。
また真宗僧侶である私にとって阿弥陀仏像の碑文のエピソードは非常に興味深いものがありました。