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アンリ・トロワイヤ『帝政末期のロシア』あらすじと感想~ドストエフスキー亡き後のロシア社会を知るために

帝政末期のロシア
目次

アンリ・トロワイヤ『帝政末期のロシア』概要と感想~ドストエフスキー亡き後のロシア社会を知るために

『帝政末期のロシア』はアンリ・トロワイヤによって1959年に発表された作品です。

早速この本について見ていきましょう。

最後の皇帝ニコライ二世治下、1903年のロシアを、若きフランス人の旅、そしてロシア娘との結婚までの物語を通して描く。20世紀初頭のロシアの社会をまるで旅しているかのように感じられる小説。

Amazon商品紹介ページより

アンリ・トロワイヤといえばこのブログでももうお馴染みになりましたよね。

彼はドストエフスキーやツルゲーネフ、ピョートル大帝など様々な人物の伝記を書いたロシア系フランス人作家です。

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この本は小説仕立てで1903年のロシア帝政末期の社会を紹介していきます。

主人公は若いフランス人ジャン・ルセル。彼はふとしたきっかけでロシアに旅立つことになります。私たち読者は彼と同じ異国人の新鮮な目で当時のロシア社会を目の当たりにしていくことになります。

訳者あとがきには次のように述べられていました。

アンリ・トロワイヤは最後の皇帝ニコライ二世治下の、一九〇三年のロシアを描写するにあたって、若いフランス人、ジャン・ルセルを旅立たせたが、それによって読者も一緒にロシアを旅行しているような気分になってしまう。そしてモスクワの商人の娘と結婚することで終わる好奇心の強いこの旅行者の存在が、この本に小説の効果と魅力を与えているとはいえ、さらに幼年時代に作者自身が聞いた話の思い出がそれに生命を与えており、そのために二〇世紀初頭のロシアの社会が読者に生き生きと伝わって来る。

新読書社、福住誠訳、アンリ・トロワイヤ『帝政末期のロシア』P239

ドストエフスキー亡き後のロシア文学界が厳しい弾圧を受けていたのはここまでもこのブログでお話ししてきました。

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ではその他の人たちは実際にどのような生活をしていたのかということがこの本では明らかになります。

帝政末期の行き詰ったロシア社会をまざまざと見せつけられます。

その中でも特に印象に残ったのは貧民街のヒトロフカという場所を舞台にした次の箇所です。当時のロシア社会の様子が端的にわかる箇所となっています。少し長くなりますが大事なところですので引用していきます。

一人の女が通り過ぎた。土色の顔には深いしわが刻まれ、両肩は汚いぼろで覆われ、赤ん坊が彼女の腕の中で震えていた。

「ここにはプロの乞食女がいます。彼女は子供を一日賃借りしたに違いない」と、パーヴェル・エゴロヴィチは言った。

「ヒトロフカでは子供たちが賃貸しされるんですか」と、ジャン・ルセルは尋ねた。

「もちろんです!彼らは人々の施しで生きて行く口うるさい意地悪女たちにとても引っ張りだこなのです。かさぶたのできたよだれを流すこの荷物があれば、彼女たちは確実に人々をほろりとさせます。四旬節の最後の週に、少し金切り声を上げる乳児は一日二五コぺイカで、三歳の餓鬼は一〇コぺイカで貸し出される。

子供たちは寒さの中を、泥の中を引っ振り回される。もし彼らが歩ければ、もっと同情を誘うように靴を脱がされる。彼らが乳児なら、もっとすすり泣くように乳が取り上げられる。多くの場合、赤ん坊は乞食女に抱かれて死にます、それでも彼女は施しを逃さないように日暮れまで赤ん坊を抱き続けるのです。」

「恐るべきことだ!」と、ジャン・ルセルは口ごもった。

「そうですよ」と、パーヴェル・エゴロヴィチは言った。「ヒトロフカの子供は非常に気の毒だ。生きながらえている者は年端も行かぬうちに見張り、ショーウインドーからの盗み、あるいはただ物乞いを覚える。彼らは専門化している。彼らはグループに加わる。時々木賃宿に手入れが入る。品行の悪い人間が数人投獄される。刑期を終えると、彼らはまた同じ場所に戻って来てその習わしを再開する。

女の子はどうかというと、通りにせよ、売春宿にせよ、全員売春婦として終わる。ヒトロフカでは一四歳の小娘がまだ処女であることは稀です。パリでも悪評の高い界隈がありませんか。」

「もちろんあります。でも貧困、退廃はここほどひどくないような気がします!」と、ジャン・ルセルは言った。、

「その通りです!」と、パーヴェル・エゴロヴィチは同意した。

「ロシアでは全てが大きいのです。富、貧困、信仰…わが国にはいわば中間階級がないのです。一方では身分の高い貴族階級、商人、企業家、地主の裕福な団体、他方では貧窮の中のこの見せかけだけの自由よりは、恐らく農奴の身分で満足していた迷信深い文盲の数限りない民衆。

この両極端の間に未熟練労働者、技術者、小役人、インテリの薄い層があり、彼らは進歩と独立の願望を守ろうとしています。

彼らはこの国の現代的な積極分子ですが、彼らの後にいる無気力な国民大衆を引っ張ることができないのです。絶えず彼らは大衆によって押し潰され飲み込まれる恐れがあります。

私の義父は楽天家なので、物事は時とともにうまく行くと信じています。私は最悪のことをひどく恐れています。ロシアには社会的な不平等があり過ぎていつか体制の安定が危険にさらされるでしょう。ヒトロフ市場から出てトヴェルスカーヤ通りのきれいな店を見ると、私はこの二つの世界がどうやって共存できるのか分からなくて胸が締め付けられるような不安にかられます。」

新読書社、福住誠訳、アンリ・トロワイヤ『帝政末期のロシア』P51-52

ロシアには中間階級がいない。何もかも極端だ。

ここが非常に重要な点になります。

実はこの箇所の前では貴族階級や資産家たちの贅沢な暮らしぶりがこの本では紹介されています。それが上の引用の最後に出てきたトヴェルスカーヤ通りになります。この貧困と富の極端な格差。全ての社会制度にひずみができているロシア社会をこの箇所では見て取ることができます。

この本では他にもロシア正教を中心にした宗教事情、そして劣悪な状況で働く労働者、軍隊の内情、農民の生活など様々な事象を紹介しています。

当時のロシア社会がどのようなものであったかを知るのにとても便利な一冊となっています。しかも小説仕立てであるので読みやすいというのも嬉しい点です。

ドストエフスキー亡き後のロシア社会を知るにはとてもおすすめです。

以上、「アンリ・トロワイヤ『帝政末期のロシア』―ドストエフスキー亡き後のロシア社会を知るために」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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