(4)パンテオンでフランス人の雄弁をからかうドストエフスキー~そして私はゾラとユゴーの墓参り
【パリ旅行記】(4)パンテオンでフランス人の雄弁をからかうドストエフスキー~そして私はゾラとユゴーの墓参り
パリにはとてつもないほど観光名所がある。その全てを回ろうとすればいくら時間があっても足りないだろう。
だが、ドストエフスキーゆかりの地巡りとなれば、その数は驚くほど少ない。ドストエフスキー自身、自らを「奇妙な旅行者」と呼んだように、普通の観光客がするような行動をほとんどとらなかった。そもそも彼は名所巡りにほとんど興味のない人間だったのである。
では華の都パリまで来て彼は何をしていたのか。それが人間観察だったのである。彼は旅行記『冬に記す夏の印象』でそうした人間観察を記しているのだが、その舞台がこれから紹介するパンテオンなのである。
パンテオンにはフランスを代表する偉人達が葬られている。ルソーやヴォルテールなどの哲学者やユゴーやゾラ、デュマなど国民的な文学者もここで眠っている。
元々この建物は18世紀後半に教会として作られたものであったが、フランス革命の後、キリスト教の教会から偉人を祀る墓所として転用されることになった。これはナポレオンの墓所となったアンヴァリッドも同じである。フランス王家とキリスト教には強い結びつきがあった。それら両方の力を削ぎ、革命思想や政治理念を広めるためには、この転用は非常に効率的な方法だったと言えるかもしれない。
地下に降りると墓所の空間が広がる。
墓所の入り口すぐ左手にヴォルテールの墓、右手側にはルソーの墓がある。この2人が向かい合うような形で配置されている。この配置についてドストエフスキーが面白い指摘をしているので、そのことについても後でご紹介したい。
そしてさらに奥に進むとユゴー、ゾラ、デュマの3人が眠る部屋がある。
左側がユゴー、右がゾラ、そして正面がデュマの墓だ。
これまで当ブログでも紹介してきたように、私はユゴーとゾラには並々ならぬ思い入れがある。ユゴーの『レ・ミゼラブル』には何度泣かされ、何度勇気をもらっただろうか。そしてゾラは私が最も尊敬する作家の一人である。
私がパンテオンに来たかったのはドストエフスキーに縁があるということもあったが、何よりこの2人のお墓参りをしたかったというのが大きい。私は彼ら2人への感謝と尊敬の念を込めてお祈りをした。これはパリ滞在を通して最も幸せな時間だったと言っても過言ではないと思う。
さて、ドストエフスキーに話を戻そう。
ドストエフスキーは『冬に記す夏の印象』でこのパンテオンでのエピソードを記している。少し長くなるが彼の言葉を聴いてみよう。これがすこぶるユーモアが効いていて面白いのでぜひ紹介したい。
何よりもフランス人の性格をよく現わしている特質は、ほかでもない雄弁である。フランス人の雄弁に対する愛は不滅であって、年とともにますます激しく燃えさかるばかりなのだ。この雄弁に対する愛がいったい、いつごろからフランスに現われたのか、私はそれが知りたくてたまらない。(中略)
ある時、私達は偉人を見るため、偉人廟へ入った。たまたま時間外だったので、私達はニフラン取られてしまった。やがて、かなり老いぼれた、とはいえ品のよい廃兵が鍵を取って、私達を地下の納骨堂へ案内した。その途中では、彼の話しぶりもまだ人間並みで、ただ歯が足りないためか、少しばかりもぐもぐいうくらいのものであった。ところが、納骨堂に入り、最初の墓の前へ私達を案内するがはやいか、彼はたちまち歌い出したのである。
「Ci-gît Voltaire(ここにヴォルテールが眠っております)。かの美しきフランスの偉大な天才ヴォルテールであります。彼は偏見を根絶し、無知を滅ぼし、暗黒の天使と闘い、文明の灯を掲げたのであります。彼はその悲劇において偉大な境地に到達しました。無論、フランスには彼以前にもコルネーユがいたわけではありますが」
彼が習い覚えた文句をそのまま喋っていることは明らかだった。昔、誰かに紙に書いてもらった言葉を、一生かかって覚え込んだのにちがいない。私達の前でこの格調高い演説を始めた時、老人の善良そうな顔は満足のあまり輝き出したほどであった。
「Ci-gît Jean Jacques Rousseau (ここにジャン・ジャック・ルソーが眠っております)」別の墓に歩み寄りながら、老人は言葉を続けた。「Jean Jacques, l’homme de la nature et da la vérité!(自然と真実の人、ジャン・ジャックであります)」
私は急におかしくなってきた。格調の高い言葉がどんな事でも俗悪にしてしまうこともあるのだ。そのうえこの老人は自然とか真実とか言いながら、それが何を意味するのか全く理解していないことは明らかだった。
「へんだねえ!」私は老人に言った。「その二人の偉人の一人は一生涯相手を嘘つきの悪人と言っていたし、もう一人はもう一人で相手のことをただもう馬鹿呼ばわりしていたじゃないか。それがここで隣り合わせになるとはね」
「ムッシュウ、ムッシュウ!」廃兵は何やら反論したげな顔をして、ロを開きかけたが、結局何も言わずに、さっさと別の墓へ案内した。
「Ci-gît Lannes(ここにランヌが眠っております)」と、彼はまたもや歌いだした。「ランヌ元帥こそ、許多の英雄に恵まれたフランスにおきましても、最も偉大なる英雄の一人であります。ただに偉大な元帥であり、大ナポレオンにつぐ最も老練な司令官であったばかりでなく、最上の幸運に恵まれた人物でもありました。彼はかの偉大なる皇帝の……」
「そうそう、この人はナポレオンの親友だったね」はやく話を切り上げさせようと思って、私はそう言った。
「ムッシュウ!私に話させて下さい」いくらかむっとしたような声で彼は私をさえぎった。
「いいとも、いいとも、聞かせてもらうよ」
「彼は最上の幸運に恵まれた人物でもありました。彼はかの偉大なる皇帝の親友だったのであります。皇帝の数多い元帥の中でも、その親友となるの光栄に浴した者はランヌ元帥ただひとりでありました。ひとりランヌ元帥のみがかくも大いなる名誉を与えられたわけであります。彼が祖国のために戦場で倒れ、まさに死に瀕した時……」
「そうそう、砲弾で両脚をひきちぎられたんだっけね」
「ムッシュウ、ムッシュウ!どうか私に自分で話させて下さい」廃兵はほとんど哀願するような声で叫んだ。「あなたは何もかも御存知なのかもしれませんけれど……でも、どうか私に話させて下さい」
この変り者はとにかく自分で話したくてたまらないのだ。われわれがそんな話は何もかもとっくに知っていたとしても、構いはしないのである。
「元帥が祖国のために戦場で倒れ」と廃兵は再び続けた。
「まさに死に瀕した時、皇帝はまさに心臓を刺し貫ぬかれた思いで、この大いなる損失を嘆きながら……」
「最後の別れをつげるために元帥のところへ駆けつけた」私はついうっかりロをすべらせてしまったが、すぐさま、これは悪いことをした、という考えがひらめいた。恥ずかしくなったほどである。
「ムッシュウ、ムッシュウ!」あわれっぽい非難の色を浮べて私の目を見詰め、白髪頭を振りながら老人は言った。
「ムッシュウ!あなたが何もかも、たぶん私よりもよく御存知なのは承知しておりますよ。それにちがいないと思います。でも、あなた御自身がこの私を案内にお傭いになったのですから、どうぞ私に話させて下さい。もうあとわずかなんですから……」
「その時、皇帝はまさに心臓を刺し貫ぬかれた思いで、皇帝御自身ばかりか、全軍、いや全フランスがこうむったこの大いなる損失を嘆きながら(悲しいかな、それも所詮は甲斐なきことでありましたが)、元帥の臨終の床へ歩み寄ると、御自ら最後の別れを告げられ、ほとんど御目の前で息を引き取らんとしている元帥の激しい苦しみを和らげてお上げになったのであります。C’est fini,monsieur(これでおしまいです、ムッシュウ)」非難のまなざしで私の顔を見ながら、こう付け加えると、彼はまた歩き出した。
「ここにも墓がありますが、これは、その……quelques sénateurs(何人かの元老院議員)でございます」彼はそっけない口調で付け足すと、近くに並んでいるいくつかの墓を無造作に顎でしゃくって見せた。老人の雄弁はことごとくヴォルテールと、ジャン・ジャックとランヌ元帥に費やされてしまったのである。これなどは雄弁に対する愛の、いわば、国民的な一例に他ならない。国民がほとんど直接に参加し、それによって再教育された国民議会や、国民公会や、さまざまなクラブにおける数多くの弁士達の演説も、雄弁のための雄弁に対する愛という、ただそれだけの痕跡を、国民の間に残したにすぎないのであろうか?
『ドストエフスキー全集』(新潮社版)6巻『冬に記す夏の印象』P64-71
いかがだろうか。ドストエフスキーというと暗くて厳めしいイメージがあるかもしれないが実はこのように茶目っ気もある人物なのである。雄弁に酔いしれるフランス人とのやりとりは思わずくすっと笑わずにはいられない。
このパンテオンにやって来た時もドストエフスキーのこのエピソードを真っ先に思い出してしまった。そして墓所の入り口でヴォルテールとルソーが向き合って配置されているのを見て、「なるほど、ドストエフスキーはこのことを言っていたんだな」と嬉しくなった。
ドストエフスキーは、自身の旅行のエピソードをほとんど語っていない。だがそんな中でもわざわざ多くの行を割いて書いたのがこのフランス人の雄弁だったというのだから、彼にとってこれはよほど印象に残った体験だったのだろう。
ドストエフスキーのパリ滞在の様子を知れる貴重な記録である。
パンテオンは私にとっても非常に印象深い場所となった。
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