シェイクスピア『コリオレイナス』あらすじと感想~古代ローマを舞台に民主主義の弱点とポピュリズムを描いた政治劇

名作の宝庫・シェイクスピア

シェイクスピア『コリオレイナス』あらすじと感想~古代ローマを舞台に民主主義の弱点とポピュリズムを描いた政治劇

今回ご紹介するのは1608年頃にシェイクスピアによって書かれたとされる『コリオレイナス』です。私が読んだのはKindle版の新潮社、福田恆存訳です。

早速この本について見ていきましょう。

ヴォルサイ人との戦いでローマを勝利に導いたコリオレイナスは市民に英雄と讃えられ、執政官に推薦される。しかし執政官になるために避けては通れない慣習を受け入れられず、市民を敵に回してしまう。愛国心と自尊心の強さゆえ、コリオレイナスがたどる運命とは…シェイクスピアの名悲劇の一作。

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前回の記事で紹介した『タイタス・アンドロニカス』に引き続き今回紹介する『コリオレイナス』も古代ローマを舞台にした作品になります。

シェイクスピアはプルタークによる古代ローマ史を参考にし、『コリオレイナス』を書き上げました。これは『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』も同じです。

そして今作の主人公コリオレイナスは紀元前519年頃に生まれた実在の人物です。これはカエサルが生まれる400年以上も前ですからかなり昔のお話です。古代ローマが大国として繁栄する前の時代です。

ニコラ・プッサン画、『家族に説得されるコリオラヌス』(1653年頃)Wikipediaより

ただ、この頃にはすでに古代ギリシャと同じようにある程度民主制の仕組みは整っていたようです。この物語はそんな民主制がはらむ問題と貴族と民衆の対立、迎合が語られていくことになります。

主人公のコリオレイナスは勇敢な武将でローマに幾度となく勝利をもたらした英雄でした。しかし彼は頑固一徹。自分の思ったことは意地でも曲げない、ある意味真っすぐすぎる男でありました。

そしてそんな彼がどうしても我慢ならないのが民衆たちの自分勝手な要求だったのです。彼ら民衆はもっと食べ物を安くしろと暴動を起こそうとしています。彼らの言い分もたしかに理解はできるものの、他国から必死の思いで国を守ってきたコリオレイナスからすれば「なぜお前たちは全く国のために尽くそうともせず、自分たちの要求ばかり主張するのか」とこれまた正当な思いを抱きます。

コリオレイナスは民衆を全く信用しません。そんな彼の主張は物語冒頭で次のように語られます。

一体、何が欲しいのだ、この野良犬め、平和も厭だ、戦争も厭だと喚き放す手合ひの癖に?戦争となれば縮み上り、平和となるといい気にふんぞり返る。貴様等を信じたら万事休すだ(中略)

畜生め等!貴様等を信じるだと?猫の目のように気が変り、今の今まで憎んでゐた奴を褒めそやすかと思ふと、檞の冠を戴いた勝利者を忽ち悪党呼ばはりする。(中略)

奴等は暖炉の前に腰を降し、知ったかぶりに議事堂で何があったのなかったのと口から出まかせを言ってゐるだけだ、誰が偉くなりさうだの、誰が幅をきかせ、誰が落ち目だのと、そんな話ばかりさ、さうかと思ふと、あれこれの派閥に身方したり、誰と誰とが結婚するなどと当てずっぽうの噂を流したり、お気に入りの党派を強くするのには力を貸すが、虫の好かぬ党派ときたら、自分達の破れ靴で踏み躙って顧みない。穀物は十分余ってゐるだと!貴族達が憫みの情を捨て、この俺の剣を使はせてくれさへすれば、こいつら何千もの奴隷共を八つ斬りにし、槍を以てしても貫き通せぬ程の堆高い死人の山を築いてやるのだが。

Kindle版、新潮社、『コリオレイナス』、シェイクスピア、福田恆存訳、位置No113-135

コリオレイナスは最後の最後までこうした民衆への敵意を捨て去りません。

もし彼がこの後少しでも態度を軟化して妥協することができたなら・・・。

彼を案ずる者は皆それを忠告し、必死で彼をなだめようとします。でもだめなのです。彼はそれをするにはあまりに高潔直情すぎたのでありました。

この物語はそんな真っすぐすぎる男が破滅していく悲劇です。この作品はシェイクスピア悲劇時代の最後の作品で、これを最後に次からは『ペリクリーズ』、『シンベリン』、『冬物語』、『あらし』と浪漫喜劇へと向かっていくことになります。

シェイクスピア最後の悲劇作品としてもこの作品は注目すべき一作と言えるかもしれません。

・・・それにしても、この作品で説かれる民主制の弱点とポピュリズムのなんと鋭いことか・・・!

この物語には名も無き市民たちが重要な役割を果たすことになります。

物語の始まりからしていきなり「第一の市民」「第二の市民」のアジテーションから始まり、この物語を通して名も無き市民や役人たちの声が大きな意味を持ってきます。

キャラの濃い主要人物が織りなすシェイクスピア劇において、こうした名も無き民衆たちに大きなポイントが置かれている点でもこの作品は非常に興味深いものがあります。そして実際にこの名も無き民衆たちがいかに振舞うか、これがまさに先ほどコリオレイナスがぶちまけた非難そのままなのです。

しかもその民衆をさらに焚きつける男たちがいます。それが護民官という、名目上は市民の言葉を代弁する役目の政治家なのですが、彼らこそコリオレイナスを完全に破滅させた人物に他なりません。

彼らはコリオレイナスの成功を憎み、その栄光の座から引きずり落とすことを狙っていました。

そして彼らはコリオレイナスの高潔すぎる傲慢さを利用し、市民を煽ります。

「コリオレイナスはあなた達市民を軽蔑しているぞ。あの男を野放しにしてはやがて権力を使ってあなた達をおさえつけるだろう!」とそそのかします。そして市民たちの恐怖や怒りを焚きつけるだけ焚きつけて、自分たちは法の手続きを無視してコリオレイナスを殺そうとします。怒り狂う「市民の声」を代弁して。

先ほども申しましたが、護民官は民衆の要求を議会に代弁するという役目を持っています。これはつまり、民衆の喜ぶことをひたすら述べ続けるということです。ですが、コリオレイナスが作中で述べるように、そんなことをすべて許していたら国は崩壊してしまう。財政的にも不可能であり、いつ敵が攻めてくるかもわからない。いや今すでに敵が攻めてきているではないか。なのに自分たちは何もせず、「食べ物を安くよこせ」の一辺倒。国を守るために議論すべき議会も完全に機能不全を起こしている。こんなことでいいのかとコリオレイナスは怒り狂います。

しかしそんなコリオレイナスの怒りは民衆の怒りをさらに煽ることになり、完全に護民官の思うつぼです。

結局彼は死刑は免れたもののローマから追放されることになります。誰よりも国に忠義を尽くし、誰よりも命を懸けて国を守ってきたというのに・・・

そしてその報いは早速ローマに訪れることになります。

目先のことばかりあれやこれやと言っていた民衆は慌てふためき絶望し、有能なコリオレイナスを追放した護民官も無策で何もできず。このままでは国は亡びるしかない・・・

さてローマはどうなるのか、そしてコリオレイナスはどうなってしまうのかというのがこの物語になります。

この作品は紀元前519年頃に生まれた男の物語ですが、あまりに現代的すぎる問題を提起していることに驚愕するしかありません。

シェイクスピアはやはり化け物です。

この作品を読んで今を生きる私たち自身のことを思い浮かべない人はおそらくいないと思います。

そして私はここ2ヵ月ほどローマについて学んできました。

ローマは知れば知るほど奥が深い。

そしてその中でもやはり思うのは「あれほどの繁栄を誇ったローマも、ついには滅びてしまったのだ」ということです。

なぜこれほどまでの技術を誇った大国が滅びてしまったのか。

「蛮族が侵入したから」と単純に解説されることもありますが事はそんなに簡単ではありません。

なぜ「蛮族の侵入」が起こったのか。それはそもそも蛮族から国を守ることもできないくらい帝国が自壊していたという背景もあるでしょう。ではなぜ帝国が自壊していたのか、そもそも帝国が自壊するとはどういうことか。いや、そもそも蛮族蛮族と言われがちですが彼らとローマ帝国の関係はどのようなものだったのかなどなど、考えだせばきりがありません。

ですがやはり私が思うのは古代ローマは完全に民主主義による弱点がもろに出たのではないかということです。「パンとサーカス」のことばかり考えていた市民。政治の腐敗。そして大国を維持するための莫大なコスト、戦争と平和のバランス・・・

考え出せばこれも複雑極まりなく、言葉にしてしまえばその時点で単純化の罠にかかってしまうのは自分でも承知です。ですがこの作品で説かれていたことは少なくともローマ滅亡の大きな要因となっていたように私には思えます。

巻末の訳者解題ではこのことについても詳しく書かれていますのでぜひそちらもご参照頂ければと思います。

シェイクスピア最後の悲劇作品はやはりとてつもない重みがありました。現代を生きる私たちにとってもこの作品は大きな意味を持つ作品だと思います。

以上、「シェイクスピア『コリオレイナス』あらすじと感想~古代ローマを舞台に民主主義の弱点とポピュリズムを描いた政治劇」でした。

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