オーウェル『動物農場』あらすじと感想~こうして人は騙される。ソ連の全体主義を風刺した傑作寓話
オーウェル『動物農場』あらすじと感想~ソ連の全体主義を風刺した傑作寓話
今回ご紹介するのはジョージ・オーウェルにより1945年に発表された『動物農場』です。
私が読んだのは角川書店、高畠文夫訳の『動物農場』平成23年第60刷版です。
早速この本について見ていきましょう。
人間たちにいいようにされている農場の動物たちが反乱を起こした。老豚をリーダーにした動物たちは、人間を追放し、「すべての動物が平等な」理想社会を建設する。しかし、指導者となった豚たちは権力をほしいままにし、動物たちは前よりもひどい生活に苦しむことになる……。ロシア革命を風刺し、社会主義的ファシズムを痛撃する20世紀のイソップ物語。
角川書店、ジョージ・オーウェル、高畠文夫訳『動物農場』裏表紙
私は『一九八四年』と同じく、この作品も10年ほど前の学生時代に初めて読みました。その時の衝撃は今でも忘れません。
特に物語の最終盤で豚が二足歩行で行進するシーンはあまりのショックで、その時の驚きは今でも鮮明に覚えています。
そして時を経てソ連の歴史を学んでからこの本を改めて読み返してみると、この作品がいかに優れた作品かがよくわかりました。1917年のロシア革命からレーニン、スターリン体制のソ連の動きをこれほどうまく描写し、風刺する技術には驚くほかありません。
この物語はレーニンを連想させるメージャー爺さんという豚の演説から始まります。その一部を見ていきましょう。
われわれは、なにゆえ、この悲惨な生活に呻吟し続けなければならないのか?それは、ひとえに、われわれの労働より生ずる収穫のほとんどすべてが、人間によって盗み去られるからなのであります。同志のみなさん、ここに、われわれのすべての問題に対する解答が存在するのであります。それは、ただの一語に要約できる―『人間』だ。『人間』こそ、われわれの唯一の、真の敵である。人をこの農場より追放せよ。しからば、飢餓と過労の根源は、永久にとり除かれるであろう。「『人間』は、生産せずに消費する唯一の動物である。ミルクも出さなければ、卵も生まない。力がなくて鋤も引けない。野ウサギを捕えるほど早く走ることもできない。それにもかかわらず、彼らは動物たちに君臨している。動物を働かせ、動物には餓死すれすれの最低量を与えただけで、あとは全部自分たちがひとりじめにしている。
角川書店、ジョージ・オーウェル、高畠文夫訳『動物農場』P11
この演説の「人間」を「資本家」に、「動物」を「労働者」に言い換えればそっくりマルクス主義者レーニンの演説になりますよね。
同志のみなさん、このように眺めるならば、われわれの生活につきまとっている、いっさいの災いは、すべて人間どもの横暴から生まれることは、まるで水晶のように、明々白々ではないでしようか?ただひたすら、人間どもを追放せよ、しからば、われわれの労働の所産は、われわれの手に帰するであろう。ほとんど一夜にして、われわれは富裕にして自由の身となることができるのであります。しからば、われわれは何をなすべきか?それはいうまでもない、日夜、粉骨砕身、ただひたすら、人類打倒を目ざして邁進すること、これをおいてほかにはないのです!同志のみなさん、これが、わたしのあなた方へのメッセージだ。決起せよ!その日がいつ訪れるか、それはわたしにはわからない。一週間後かもしれない、あるいは百年後かもしれない。しかし、わたしには、自分の足の下のこのわらを見るのと同じほど確かに、わかっているのだ、遅かれ早かれ正義が行われるであろうことが。
角川書店、ジョージ・オーウェル、高畠文夫訳『動物農場』P13-14
敵を作り出し、そしてそれさえ倒してしまえば理想郷がやってくる。彼は動物たちにそう説きます。そしてそれが正義であることも・・・
わたしは、もうお話しすることはほとんどありません。ただ繰り返して申します。人間と彼らのいっさいの仕打ちに対して、うらみを固持するという義務を、かたときも忘れてはならない、と。いやしくも二本の脚で歩くもの、それは全て敵である。いやしくも四本の脚で歩くもの、あるいは翼をもつもの、それはすべて味方である。さらに、人間と闘うに当たって、心に銘記すべきは、人間のまねをするようになるな、ということである。人間を征服した後も、彼らの悪習に染まってはならない。およそ、動物たるものは、ゆめ、家に住むべからず。べッドで眠るべからず。衣服を身にまとうべからず。酒をのむべからず。たばこを喫うべからず。金銭にふれるべからず。商売するべからず。人間の慣習は、すべて悪徳である。そして、とりわけ、およそ動物たるものは、同胞に対して、かりそめにも暴威をふるうべからず。弱いものも強いものも、賢いものも愚かなものも。すべて同胞である。およそ動物たるものは、他の動物を殺害すべからず。すべての動物は平等である。
角川書店、ジョージ・オーウェル、高畠文夫訳『動物農場』P15-16
皆さんも薄々感じられていると思いますが、ここで述べられる崇高な理想や掟は後々すべて破られます。崇高な理想を語り、動物たちに夢を見せ、憎むべき敵さえ倒してしまえば理想郷がやってくると豚たちは述べます。しかし、農場主を倒した後、結局その座に収まったのは豚たちで、動物たちは相変わらず、いやもっとひどい生活を送ることになるのです。
この『動物農場』を読んでいてつくづく思うのは、甘い言葉や憎悪を煽る言葉に気をつけねばならないということでした。そしてまた気づくのは豚たちの話術の強さです。彼らの雄弁によって農場の動物たちは「おかしいな」と感じつつもついつい丸め込まれてしまいます。そして気付いた頃には暴力で支配されてしまうのです。しかもそうなったにも関わらずまだ彼らの巧妙な偽装のトリックに騙され続けるのです。
このことについて素晴らしい解説をしている本がありましたのでぜひここに紹介したいと思います。この本については次の記事で改めて紹介しますが、香西秀信著『レトリックと詭弁』という本の中で『動物農場』が次のように紹介されていました。
ジョーンズ氏の所有する荘園農場で、酷使されていた動物たちが、豚のスノーボールとナポレオンの指揮によって反乱を起こし、ジョーンズ氏を追放しました。彼らは荘園農場を動物農場と改め、その七戒を定め、「すべての動物は平等である」というスローガンのもと、自分たちの理想郷を作ろうとしました。
だが、その翌日から、早くも様子がおかしくなりました。雌牛から搾られたばかりの牛乳が、いつの間にかどこかに消えてしまったのです。これは、結局、豚たちがこっそりと自分たちのえさにしていたことがわかったのですが、彼らは牛乳のみならず、風で落ちたリンゴまでも独り占めしようとするに及んで、さすがに他の動物たちの間から不満の声が出始めました。そこでナポレオンは、ロの達者な豚のスクィーラーをスポークスマンとして派遣します。
「同士諸君よ!」と彼は叫んだ。「諸君は、まさか、われわれ豚が、がりがり根性で、特権風を吹かして、ミルクやリンゴをひとり占めにするのだ、などとはお考えにならないだろう?実をいえば、われわれのほとんどが、ミルクもリンゴも大嫌いなのだ。わたしも大嫌いだ。そんな大嫌いなものを、なぜ食べるのか、といえば、その目的はただひとつ、健康を保持するためなのだ。ミルクとリンゴは(同志諸君、科学がちゃんと証明しているのだが)、豚の福祉にぜったい欠くことのできない成分を含んでいるのだ。われわれ豚は、頭脳労働に従事している。この農場の運営と組織は、すべてわれわれの双肩にかかっている。われわれは、日夜、同志諸君の福祉に心をくだいている。したがって、われわれがあのミルクを飲み、あのリンゴを食べるのも、ひとえに同志諸君のためなのだ。もしわれわれ豚が、その義務を果たすことができなくなったとしたら、いったいどういう事態が起こるか、諸君はわかるか?ジョーンズがもどってくるのだ!そうだ、ジョーンズがもどってくるのだぞ!それでいいのか、同志諸君」スクィーラーは、右に左に跳ねまわり、しっぽを忙しくふり立てながら、ほとんど嘆願するような調子で絶叫した。「諸君の中で、ジョーンズに帰ってきてほしいなどと願っているものは、ひとりもいないだろう、ええ?」
この決め台詞は効きました。「動物たちにとって、ぜったいに確信できることがひとつあるとすれば、それはジョーンズに帰ってきてもらいたくない、ということだった。それをこんなふうにいわれてみると、彼らは、もう何もいえなかった」からです。
スクィーラーは、この論法の成功に味をしめました。その後、権力争いでナポレオンが革命の功労者スノーボールを追放し、動物たちが動揺したとき、彼は再度派遣されて同様の論法で恫喝しました。「同士諸君、規律だ、鉄の規律だ!これこそ、今日のわれわれの合言葉だ。もし一歩誤れば、われわれの敵は、たちまちわれわれを襲うだろう。いいか、諸君の中には、ジョーンズに帰ってきてほしいと願うものは、ひとりもいないだろう?どうだ?」―「今度もこの議論には、だれもぐうの音も出なかった」
筑摩書房、香西秀信『レトリックと詭弁』P86-88
『動物農場』の特徴が余すことなく解説された文章です。豚たちと動物たちの関係は最初から最後までこのようなものです。いかがでしょうか、段々恐ろしさを感じてきませんか?これはフィクションではなく実際にソ連であったことであり、さらに言えば今だって世界中どこにおいてもこれはありうるのです。いや、今私たちを取り巻いている環境もまさしくこれと同じなのかもしれません。
この言葉の中の「ジョーンズ」の箇所にいろんな言葉を当てはめてみて下さい。ぞっとする現実が見えてきませんか?
これはいつ、どこでも起こりうるから怖いのです。
引き続き解説を見ていきましょう。
あるいは、豚たちが七戒の四に違反して、べッドで寝ているのが露見したとき、彼は再びこれを繰り返しました。豚にとって、べッドで寝ることは健康上必要なのだ。われわれがへとへとに疲れてしまって、義務が果たせなくなってもよいとは誰も考えていまい。「諸君の中に、ジョーンズにもどってきてほしいと願っているようなひとは、ぜったいにいるはずはないんだからね?」―こう言われると、動物たちは、また何も言い返せませんでした。
スクィーラーがここで用いた論法のおかしさは明らかでしよう。彼は、「諸君は、ジョーンズに帰ってきてほしいと願っているのか?」と動物たちに問いかけました。無論、彼らの答えは「いいえ」に決まっています。だが、この意思表示が、そのまま、豚がミルクやリンゴを独り占めしたり、戒律に反してべッドで寝たりすることへの、あるいはナポレオンが独裁者になることへの承認となってしまうのです。
それというのも、スクィーラーが、豚がミルクやリンゴを独り占めしたり、べッドで寝たり、ナポレオンが独裁制を敷いたりするのを認めなければ、ジョーンズが再び帰ってくるという因果関係を前提として問いを出したためです。だから、頭の足りない動物たちは、つい煙に巻かれてこの前提を認めてしまったのですが、もし、ジョーンズが帰ってくることは望まないが、かといって豚たちの特権階級的振る舞いも認めない(すなわち、豚たちの一連の特権階級振りとジョーンズが帰ってくることとの因果関係に納得できない)者がいたとすれば、彼は先のスクィーラーの問いに、「はい」とも「いいえ」とも答えようがありません。ジョーンズが帰ってくることは望まないのだから、もちろん「はい」と答えるはずはない。しかし、もし「いいえ」と答えたら、それによって豚たちの行動を承認したことにされてしまうのです。
筑摩書房、香西秀信『レトリックと詭弁』P88-89
香西秀信の『レトリックと詭弁』は、タイトル通り「詭弁」とはいかなるものかを解説した本です。
その詭弁の代表的な例の一つとしてこの『動物農場』が紹介されていたのでした。
この本では引き続き解説が詳しく語られるのですが、当記事ではここまでに致します。
ただ、ここまでの流れを読んで頂いてわかりますように、彼らの雄弁のやり口というのは基本的に詭弁なのです。簡単には反論できないようなことを並べ立て、強い口調で聴き手に迫っていくのです。
また、はなから守る気もない耳触りのいい理想を語り、その一方で敵の悪い点をひたすら数え上げ、憎悪を煽ります。聴き手に冷静な判断をさせないよう、憎悪や怒り、不安を掻き立て、「同志諸君よ、連帯せよ!立ち上がれ!」と有無を言わさず行動させます。
理想を語り、悪者を倒しさせすれば世界はよくなるというのが彼らの言い方です。
最近でもそういう風潮が高まっているように私は感じています。経済が悪くなり、世の中の不満が高まった時にこのような風潮が高まるのは歴史の常です。
敵を作りだし、憎悪や不満を煽り、それにより敵を倒そうと宣伝してくる人たちには気を付けた方がいいです。敵を倒した後に何が起こるのか、それを『動物農場』は教えてくれます。
『動物農場』は150ページほどの短い作品です。文体も読みやすく、一気に読めてしまいます。そんな読みやすい作品でありながら驚くほどのエッセンスが凝縮されています。
『一九八四年』は大作ですし、内容的にも読むのが大変なのも事実。挫折された方も多いかもしれません。そういう方にはぜひこの『動物農場』をおすすめしたいです。もちろん、『一九八四年』とセットで読むのがベストですがこの一冊だけでも衝撃的な読書になること請け合いです。
非常におすすめな一冊です。今だからこそぜひ読みたい作品となっています。
以上、「オーウェル『動物農場』あらすじと感想~こうして人は騙される。ソ連の全体主義を風刺した傑作寓話」でした。
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