プーシキン『吝嗇の騎士』あらすじと感想~ドストエフスキー『未成年』に強烈な影響を与えた傑作小悲劇
プーシキン『吝嗇の騎士』のあらすじ
アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)Wikipediaより
『吝嗇の騎士』は1830年に完成したプーシキンの小悲劇作品です。
私が読んだのは河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』所収の『吝嗇の騎士』です。
この物語は吝嗇の騎士たる男爵とその息子アルベールを中心とした物語です。
男爵は吝嗇の化身のような男で金を貯めることに全てを捧げ、その金こそ全能なる力であると信じる年老いた男です。
それに対して息子のアルベールは好人物ながらも父に言わせれば頭の悪いただの放蕩息子。こんな息子に遺産を相続すればあっという間に金は垂れ流されてしまうだろうと嘆きます。
そして父はそんな息子にお金を渡さず、息子は貧乏な生活を余儀なくされていたのでした。
ですがさすがの彼ももう我慢ならず、吝嗇な父に分け前を要求します。その要求が争いに発展し、最後は悲劇的な終局を迎えます。
『吝嗇の騎士』とドストエフスキー
さて、この作品はドストエフスキーと非常につながりの深い作品として有名ですが、まずはこの作品についての解説を見ていきましょう。『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』巻末の解説が非常にわかりやすかったのでそちらを引用します。
『吝嗇の騎士』の基底をなすものは、他のすべての「小悲劇」と同様に、人間の情念の分析であり、吝嗇―金銭にたいする人間のすさまじい欲望―がその基本テーマである。
吝嗇漢、守銭奴は古来世界の文学で好んで取り扱われてきたテーマであり、プーシキン以前には、モリエールの『守銭奴』におけるアルパゴンやシェイクスピアの『ヴェニスの商人』のシャイロックにその典型を見ることができる。プーシキンは一八三四年、『テーブル・トーク』のなかでモリエールの守銭奴とシェイクスピアのそれに触れて、次のように書いている。
「シェイクスピアの創造した人物は、モリエールにおけるような、これこれの欲望、これこれの悪徳の典型ではなくて、かずかずの欲望、かずかずの悪徳にみちみちた、いきいきとした存在である。登場人物の多様にして多面的な性格が、状況に応じて、観客のまえに展開されるのである。モリエールにおいては、守銭奴は吝嗇である―ただそれだけのことである。シェイクスピアにおいては、シャイロックは吝嗇であり、頭の回転が速く、執念ぶかく、子煩悩で、機智に富んでいる」
この一文からも、プーシキンが自分の悲劇の登場人物について、ながい時間をかけて構想を練りあげていたことが想像される。
プーシキンにおける守銭奴は、まず第一に、シェイクスピアのシャイロックやモリエールのアルパゴンのような、庶民階級を代表する商人、小市民ではなく、上層支配階級に属する男爵であり、名誉をなによりも重んずる自尊心の強い騎士である。「吝嗇の騎士」とは、そもそも、形容矛盾のはずである。この戯曲は中世(おそらく十五、六世紀)のフランスを舞台としているが、騎士道が衰頽期にあったにせよ、「寡婦、孤児、貧者を庇護する」ことは騎士の義務とされていた。しかるに、この老騎士は寡婦や貧者からなけなしの金を絞り取るのである。男爵の吝嗇が病的な欲望であることを示すために、プーシキンはもうひとりの守銭奴―ユダヤ人の高利貸ソロモンを登場させる。ソロモンにとっては富の蓄積、なさけ知らずの高利貸業は単なる職業であり、当時迫害を受けていたユダヤ人が封建社会のなかで生きてゆくための手段であった。彼は、人間が金のためにはどんなことでもなし得ることを知っており、そのため、アルベールに父親殺しを暗示するのである。
河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P615-616
プーシキンはシェイクスピアの『ヴェニスの商人』などにインスピレーションを受けてこの作品を創造しました。彼は彼流に吝嗇漢をロシアに合わせて、さらにもっと生き生きとした個性を持った存在として造形しました。
解説は続きます。
名誉を尊重する騎士にとっては、金銭欲は卑しい、恥ずべき欲望である。男爵の欲望は単純ではない。その根底にあるものは、名誉欲、権勢欲である。彼は権力に到達する確かな手段として富の蓄積を志したのである。「わしの権力に従わぬものがあろうか?わしは悪魔さながらに、/ここから世界を支配できるのだ」と彼は言う。彼は、莫大な富によって、すべてのものを―女性の愛も、美徳も、宮殿も、芸術も―買いとることができる、と考えている。しかし、この吝嗇の騎士の権力、金権は想念においてのみ存在するのであって、実生活においては存在しない(「わしはあらゆる願望を超越している存在だ。わしは平安だ。/わしは自分の権力を知っておる。この自意識で/わしは十分だ……」)。それは自己欺瞞にほかならない。男爵が金櫃を開くのは金を入れるためで、金を出すためではない。彼は自ら言うような「王者」ではなく、息子のアルべールが正しく指摘しているように、金の「奴隷」にすぎない。
河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P616
ここですね。金は権力、つまりパワーそのものだという思想。
いかにしてこの世で権力を得るか、成り上がっていくのか。ここにナポレオン以後ヨーロッパ中で志向された考え方があります。この発想がドストエフスキーにも脈々と受け継がれ、『罪と罰』や『未成年』につながっていくのです。
解説でも次のように述べています。
プーシキンは、男爵のモノローグにおいて、手段が掌中にある以上、目的物はいつでも掴むことができるという意識、想念が獲得そのものに代わり得るという人間の心理、人間の良心を麻痺させてしまう幻想の魔力を、簡潔無比に表現している。ドストエーフスキイは『未成年』のなかで、ヴェルシーロフの口を借りて、「私は子供の時分に、プーシキンの『吝嗇の騎士』のモノローグを暗誦したものだが、あれ以上想において優れたものは、プーシキンもその後かつて創り出したことがない!」(米川正夫訳による)と語っている。
吝嗇の騎士にとって最大の敵である、息子のアルべールは、勇敢な、善良な青年として描かれている。彼は、最後の一本のぶどう酒を病気の鍛冶屋に見舞にやるほどの好人物であるが、親の異常な吝嗇が正常な親子の人間関係を歪めてしまっている。互いに憎み合い、相手の死を願う父と子は、最後に、それぞれの名誉にかけて、騎士として決闘を望み、大公を嘆かせる(「恐ろしい時代だ、恐ろしい人のこころだ!」)。
河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P616
父親の異常な吝嗇によって家族間の関係は歪み、父と子は互いに憎しみ合い、相手の死を願う・・・
これ、どこかで聞いたことがある筋書きではないでしょうか。
そう。『カラマーゾフの兄弟』です。
これまでドストエフスキー以外の様々な作家の小説を見てきましたが、このように多くの作品が彼にインスピレーションを与え、その結果彼は様々な名作を生み出しているのです。
ドストエフスキーは無から作品を創造したのではありません。多くの偉大な先達の作品を長い時間をかけて自らに取り込み、そこからドストエフスキー流の世界観を表現していったのです。
『吝嗇の騎士』は直接的には『未成年』に最も強い影響を与えた作品ですが、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』にも影響を与えていると考えるとまた興味深いですね。
せっかくですのでモチューリスキーの『評伝ドストエフスキー』に『吝嗇の騎士』とドストエフスキーのつながりがいくつか出ていましたのでその一つを紹介します。
一八七四年夏、ドストエフスキーは肺気腫治療のためにエムスへ出かけて行き、長篇小説のプランを練った。けれども作業ははかどらなかった。「いったいいつ小説を書けばいいのか」と、彼は妻にあてて書いている。「日中は、こんなにも明るく太陽が輝いて、散歩したい誘惑に駆られるし、町はざわめいている。どうか長篇に手がつけられればいいのだが。たとえわずかでも見当がつきさえすれば、手がつけられればということは、仕事の半分はできたということだからね」(一八七四年六月十五日づけ)。作品を執筆するかわりにプーシキンを読み、「夢中に」なっている(六月十六日づけ、妻あて)。彼は「吝嗇の騎士」の天才的なプロットに、あらためて驚嘆する。プーシキンの悲劇的な守銭奴の影響を受けて、自分の主人公―「ロスチャイルドのイデー」を持ったアルカージー・ドルゴルーキーを思いつく。
モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P528
こうしてドストエフスキー五大長編の一つ『未成年』は生まれたのです。
『未成年』はドストエフスキーの五大長編に数えられてはいますが一般には知名度が低く、作品としての評価もそこまで高くはありません。
誰にでも楽しんで読んでもらえる作品というよりかは、どちらかといえば玄人好みの作品と言えるかもしれません。
とは言えたしかに少しマイナーな『未成年』ではありますが、プーシキンの『吝嗇の騎士』を読み終わった今ではこの作品に対してものすごく興味が湧いています。改めて読むのが楽しみです。
一般には人気が少なくとも、『未成年』をかなり高く評価する研究者が実は多いというのもなんとなくわかるような気がしてきました。
以上、「プーシキン『吝嗇の騎士』―ドストエフスキー『未成年』に強烈な影響を与えた傑作小悲劇」でした。
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