Pushkin's "Boris Godunov" Synopsis and Impressions - Dramatization of the chaotic period after the death of Ivan the Terrible

stone guardian lion-dogs at Shinto shrine The great Russian writer Pushkin Gogol

プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』の概要とあらすじ

Boris Godunov" was completed in 1825 and published in 1830. Originally a dramatic poem, it was designed to be performed on stage, but due to censorship, the work was considered a criticism of the Empire, and its first performance was in 1876.

私が読んだのは河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』所収の『ボリース・ゴドゥノーフ』です。

This is a historical drama about Russia after the death of the tyrant Ivan the Terrible, who ruled Russia with overwhelming charisma.

以前私のブログで紹介した「謎の国ロシアの歴史をざっくり解説!」の記事で見ると、イヴァン雷帝の死後からロマノフ朝の成立までの1584年から1613年が雷帝亡き後の混乱時代になります。

この作品ではその中でも特に劇的であった皇帝ボリス・ゴドゥノフの治世を描いた劇詩となっています。

ボリス・ゴドゥノフ(1551頃-1605)Wikipedia.

ボリス・ゴドゥノフがいかなる人物かを解説していくと、ものすごく長くなってしまいますので詳しくはお話しできませんが、もともとこの人はイヴァン雷帝の寵臣でした。

彼は非常に優秀でその政治的実力からみるみるうちに頭角を現し、イヴァン雷帝の側近にまで成り上がったのでした。

そしてなんと、イヴァン雷帝は帝位継承者である息子とゴドゥノフの妹を結婚させることになったのです。つまりゴドゥノフは次期皇帝の義兄となったのです。

そしてイヴァン雷帝亡き後、帝位継承者のフェオードルが皇帝になるも彼は政治実行力がなく、義兄のゴドゥノフが摂政政治をすることになります。ここに事実上のゴドゥノフ政権が始まることになったのです。

その後フェオードルが突然謎の死を遂げ、帝位は空に。

ゴドゥノフは貴族達や民衆から帝位に就くよう請願を受けますがしばらく断り続けます。ですがついに承諾し、ボリス・ゴドゥノフがロシアの皇帝となったのです。

しかし彼は貴族の陰謀に苦しめられ、敵国の不穏な動きにも悩まされます。さらにタイミングが悪いことに未曽有の飢饉に見舞われ国は荒廃します。そしてさらにさらに悪いことに皇帝僭称者ディミートリィなる者が現れ反乱が起きてしまいます。

ディミートリィはフェオードルの弟にあたり、彼はフェオードルの死後皇帝になるはずでしたがこちらも謎の死を遂げています。国民の間ではこれがボリス・ゴドゥノフの仕業であると噂されていたのです。

皇帝僭称者ディミートリィは「我こそが正当な帝位継承者である」と反乱を起こしました。もちろん、この男は本物のディミートリィではありません。本物のディミートリィはすでに死んでいます。この男は単なる貧しい脱走修道士にすぎません。

ロシアではこうした皇帝僭称者が度々現れ反乱を起こします。

皇帝一族が帝位争いのため血みどろの殺し合いをしていたからこそ、そして反乱の大義名分に打ってつけであるが故にこうした僭称者が度々現れてきたのです。そして現皇帝の統治に不満を持った民衆もそれに乗っかる形で信じ込むことになったのです。

プーシキンの『ボリス・ゴドゥノフ』はこの辺りの複雑な背景を実に明快に、そして研ぎ澄まされた簡潔な文体で描いていきます。

また、この作品は当時のロシア演劇界の暗黙の了解を覆した点でも非常に画期的な作品でした。

巻末の解説には次のように述べられています。

 十八世紀の古典主義の悲劇においては、歴史的闘争の結末は、人民のはるか上に立つ傑出した歴史の主人公たちの意志と情熱の触れ合いによって決定されていたが、プーシキンの悲劇においては、ボリース・ゴドゥノーフも、僭称皇子ディミートリイも、貴族も、主人公ではなく、彼らは自分たちのかたわらに、特別な、決定的な、歴史的な力としての人民の存在を感じ取る。ゴドゥノーフ朝の打倒、僭称皇子の勝利は、ボリースを憎む貴族たちの陰謀によって決せられたのでもなく、ポーランド軍の参加によって決せられたのでもなく、軍司令官らの成功・不成功によって決せられたのでもなく、権力による抑圧者にたいして静かに蹶起する人民の心情・行動性によって決せられたのである。「本営」の場において僭称皇子ディミートリイの側近ガヴリーラ・プーシキンは、バスマーノフとの対話において、歴史における人民の役割を語っている。(「けれども、なぜわれわれが強いのか、おわかりかな、バスマーノフ?/軍隊のためではない、また、ポーランドの後押しのためでもない。/輿論のためだ。さよう!人民の輿論のためですぞ」)。

北垣信行・栗原成郎訳『プーシキン全集3』河出書房新社P613-614

At that time, tragedies revolved around historical heroes, outstanding figures, aristocrats, and other protagonists with strong personalities, and the giver of tragedy in the name of fate drove the story.

But Pushkin does not make the story's protagonist, Boris Godunov, or the pretender Czar Dimitry, or the nobles, or even "fate," the driving force of the story.

It is the Russian people who are truly driving this story.

Pushkin is making the case in this work that the will and actions of the Russian people will determine the history of Russia.

This was a milestone in Russian literature and theater.

But of course, this was an anti-establishment idea from the perspective of the Russian government of the time, so it was subject to strict censorship.

This would also lead to his late misfortunes and tragic death in a duel.

Pushkin believed in the power of the Russian people and elevated it to an art form.

Boris Godunov" is a very important work for understanding Pushkin's view of history.

Dostoevsky naturally read this work carefully and took its historical view into his own. Dostoevsky's love of the people may have been influenced by this as well.

I recommend this work as it is very interesting to learn about the history of Russia after the death of Ivan the Terrible.

以上、「プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』あらすじ解説―イワン雷帝亡き後の混乱時代を劇作化」でした。

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