親鸞聖人の父と叔父が眠る日野御廟所へ~親鸞を育んだ日野一族

【親鸞伝の旅】親鸞聖人の父と叔父が眠る日野御廟所へ~親鸞を育んだ日野一族
親鸞一族の菩提寺、法界寺を訪れた私は、そのすぐ近くの日野御廟所も訪れました。
法界寺の裏手側にあるこの日野御廟所は親鸞聖人の父である日野有範など日野家一族の墓所となっています。
『親鸞伝』では親鸞聖人だけでなく、その一族についてもスポットを当てましたが、その彼らが眠るのがこの廟所なのです。

こちらがその日野御廟所なのですが、今はロープと鎖が張られていて、基本的には奥には行けないようになっています。
ですが、今回私は法界寺の方に特別に許可を頂き、中へ入ることになりました。

この奥にお墓があります。

こちらが日野一族のお墓になります。
真ん中に五輪塔があり、そのすぐ右の緑色の塔のような石が親鸞の父・日野有範の墓石で、その右奥が母・吉光女の墓石となっています。写真では見にくいですが名前が刻まれていました。
そして左奥には叔父の範綱の墓石も見つけることができました。親鸞の娘の覚信尼の墓石も一番左にありました。
法界寺のホームページで掲載されていた4人のお墓ですね。
親鸞聖人の名は日本人の誰もが知るものでありましょうが、この4人の名前まで知っている方はほとんどおられないのではないかと思います。特に叔父の範綱まで知っている方がいましたら私もびっくりです。それほどこの一族のことは知られていないと言ってもよいでしょう。
ですが、私にとってはこの日野一族というのは親鸞聖人という人物を考える上で非常に大きな意味を持った存在であります。
私の『親鸞伝』を読んでくださった方はすでにご存じかと思いますが、親鸞が生まれた日野家というのは当時、没落貴族で、出世の見込みがほとんどないに等しい一族でありました。その影響で父の日野有範は貴族としての道をあきらめ、自身もろとも家族全員出家をするという大きな決断をすることになりました。親鸞聖人の9歳の出家はそうした家庭事情から行われたのです。(詳しくは「⑴親鸞の誕生とその出自~藤原氏傍流の日野家に生まれた聖人と当時の貴族事情について」の記事にて)
貴族の道を捨て仏道へと親鸞を導いたのは父・有範なのです。たしかに貴族としては成功しなかったかもしれませんが、親鸞聖人が僧侶になったのはこの父親の大きな決断があったからこそなのです。このことは私たちも大いに感謝すべきことなのではないでしょうか。
また、叔父の範綱も強烈です。彼は出世の見込みがないはずでありましたが、なんと後白河上皇の側近中の側近にまで到達することになります。「⑵親鸞聖人の優秀すぎる叔父たちの存在①日野範綱~あの後白河法皇の側近中の側近!?」の記事でもお話ししましたが、彼はとてつもなく有能な人間だったのです。そして幼い親鸞の養父となったのもこの範綱です。親鸞聖人はこの優秀すぎる範綱の背中を見て育ち、出家後もその躍進ぶりを遠くから見ていたことでしょう。己の才覚ひとつで道を切り開く叔父の姿は親鸞聖人にとっても大きな光になったのではないでしょうか。
こうして親鸞聖人の父や叔父について考えていると、私はまったく別の人物を思い出してしまいます。
それが、作曲家メンデルスゾーンの父・アブラハムです。
メンデルスゾーンといえば19世紀を代表する天才作曲家ですが、その才能を見抜き、彼が活躍するための環境を整えたのが父アブラハムでした。偉大すぎる息子の陰に隠れがちな父ですが、その父なくして私たちの知るメンデルスゾーンもまた存在しなかったことでしょう。
親鸞聖人についても私は同じようなことを感じます。親鸞聖人があまりに巨大な存在であるため、その父や叔父について語られることはほとんどありません。ですが、親鸞聖人もまた、ひとりで「親鸞」になったわけではないのです。
私は以前、メンデルスゾーン一家についてかなり熱中して記事を書いていました。興味のある方はメンデルスゾーン関係の記事もぜひご覧ください。(→「奇跡の音楽家メンデルスゾーンの驚異の人生」)

さて、話はメンデルスゾーンに飛んでしまいましたが、日野一族のお墓を見て、私は彼のことを思い出さずにはいられなかったのです。やはり、人間は環境にも大きく左右されます。偉大なる人間の周りにも、人知れず多くの人の支えがあったのだということを思わずにはいられません。
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