トルストイ『懺悔』あらすじと感想~トルストイがなぜ教会を批判し、独自の信仰を持つようになったのかを知るのに必読の書

ロシアの巨人トルストイ

トルストイ『懺悔』あらすじと感想~トルストイがなぜ教会を批判し、独自の信仰を持つようになったのかを知るのに必読の書

今回ご紹介するのは1884年にトルストイによって発表された『懺悔』です。私が読んだのは河出書房新社より発行された中村白葉、中村融訳『トルストイ全集14 宗教論(上)』1879年第3刷版の『懺悔』です。

この作品は1880年に書き始められ、1882年に完成しました。

ですが検閲により発表が禁止され、やむなくジュネーブで1884年に出版されることになったという流れがあった作品です。ロシア政府にとってもそれだけ危険な書物だったことがうかがえます。

では、この作品について見ていきましょう。

七九年秋からトルストイは猛烈に宗教的な著作を書きはじめたが、そのなかには二つの種類のものがあった。一つは教会や教会の教えを批判したもので、のちに『教義神学研究((または『教義神学批判』)『教会と国家』の題名で発表された著作。もう一つは真のキリスト教を示そうとするもので、『四福音書の統一と翻訳』『要約福音書』などだった。こうして、トルストイは死の危機が去った後、今度は自ら死を賭して、巨大な敵との闘いをはじめたのだった。

一方、これとは違った性質のものとして『懺悔』も書かれた。これは必ずしも一番はじめに書かれたものではないが、トルストイはさまざまな宗教的著作を出版する前に、『懺悔』を世に出して、自分の姿勢を明らかにし、なぜ宗教的な著作を書くにいたったのかを説明する必要を感じた。

それを抜きにしていきなり、『教義神学研究』や『要約福音書』など、常識はずれの著作を発表しても、読者はトルストイが本当に発狂したと思って、読まなかっただろう。

『懺悔』はすでに述べたように、「私」という一人称で書かれており、トルストイの実体験とかさなる決部分も多い。しかし、これは「告白文学」のジャンルに属する文学作品で、現実で起きる偶然的、無意味な現象は排除され、整理され、潤色もされてまとめられている。

また、「私」の物語でありながら、一般性、普遍性を帯びており、読者が自分のことかと感じるように書かれている。それはトルストイの告白であると同時に、十九世紀半ばのロシアの上流知識人の一般的な精神状態を描いたものでもある。

『懺悔』は内容もやさしいとは言えず、量的にもかなり大きくて、この本の二つの章に匹敵するくらいの分量がある。しかし、トルストイを知るために、後期の宗教的、思想的、社会的活動の本質を知るためには、ほかの宗教的・思想的著作に先んじて、第一に『懺悔』の内容を、少なくともそのいくつかのポイントを知っておくことが不可欠である。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P405-406

『懺悔』は宗教的著作をこれから発表しようとしていたトルストイが、自らの立場や思いを表明するために書いた作品になります。

「それを抜きにしていきなり、『教義神学研究』や『要約福音書』など、常識はずれの著作を発表しても、読者はトルストイが本当に発狂したと思って、読まなかっただろう。」

こう書かれてしまうほど根本的な思想転換がトルストイには起こっていました。一般の人にはまず受け入れられないであろう存在がここからのトルストイになります。

たしかに上の引用で出てきた『教義神学批判』や『要約福音書』など、教会批判の書はかなり過激です。当時のロシア正教側からすると到底認めることができない内容がびっしりと詰め込まれています。

当時としては想像を絶する「批判の書」と言っても過言ではありません。

しかもそれを書いたのがロシアの偉大なる作家トルストイだというのですから世間のショックはそれこそすさまじいものがあったと思います。

その衝撃を幾分か和らげるために書かれたこの『懺悔』ですが、これはこれでやはり世に衝撃をもたらしたのでありました。

この作品は上の解説にありましたように、「私はどのような道を経て、今の信仰を得るようになったのか」ということが書かれています。

藤沼貴著『トルストイ』にはその流れがとてもわかりやすくまとめられていたのですが、それでもかなり長くなってしまうのでここでは紹介できませんが、後期トルストイの独特な信条を知る上でこの作品は非常に重要なものとなっています。

以上、「トルストイ『懺悔』あらすじと感想~トルストイがなぜ教会を批判し、独自の信仰を持つようになったのかを知るのに必読の書」でした。

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