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ソ連の革命家レーニンの生涯と思想背景とは~「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧

目次

革命家レーニンの生涯とソ連の歴史を学ぶ~「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧

ウラジーミル・レーニン(1870-1924)Wikipediaより

これから紹介していく『レーニン 権力と愛』はレーニンその人だけでなく、当時の時代背景まで詳しく知ることができます。そして何より、私たちの生きる世界がどのようなものなのかを解き明かしてくれます。

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V・セベスチェン『レーニン 権力と愛』あらすじと感想~ロシア革命とはどのような革命だったのかを知る... この本ではソ連によって神格化されたレーニン像とは違った姿のレーニンを知ることができます。 なぜロシアで革命は起こったのか、どうやってレーニンは権力を掌握していったのかということがとてもわかりやすく、刺激的に描かれています。筆者の語りがあまりに見事で小説のように読めてしまいます。 ロシア革命やレーニンを超えて、人類の歴史や人間そのものを知るのに最高の参考書です。

ソ連の崩壊により資本主義が勝利し、資本主義こそが正解であるように思われてきましたが、その資本主義にもひずみが目立ち始めてきました。経済だけでなく政治的にも混乱し、この状況はかつてレーニンが革命を起こそうとしていた時代に通ずるものがあると著者は述べます。だからこそ血塗られた歴史を繰り返さないためにも、今レーニンを学ぶ意義があるのです。

それぞれの記事でより詳しくお話ししていますので、興味のある方はぜひご参照ください。

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レーニン 権力と愛(上)

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なぜレーニンを学ぶのかー現代を生きるための知恵としてのレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑴

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(1)なぜ今レーニンを学ぶべきなのか~ソ連の巨大な歴史のうねりから私たちは何を学ぶのか ソ連の崩壊により資本主義が勝利し、資本主義こそが正解であるように思えましたが、その資本主義にもひずみが目立ち始めてきました。経済だけでなく政治的にも混乱し、この状況はかつてレーニンが革命を起こそうとしていた時代に通ずるものがあると著者は述べます。だからこそ今レーニンを学ぶ意義があるのです。 血塗られた歴史を繰り返さないためにも。
  • ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑴ 目次
    • 1.1 はじめに
      1.2 プーチンと現在も生きるレーニン
      1.3 レーニンの今日的な意義
      1.4 レーニンの政治手法
      1.5 レーニンの人物像

レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕が語られていきます。この後の記事でも紹介しますのでぜひ読んで頂きたい内容です。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、現代を生きる私たちに必要な知恵であると私は思います。

なぜレーニンを学ぶのかー現代を生きるための知恵としてのレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑴

レーニンの出自ー彼の父親と裕福な家庭環境、そして兄の処刑~『レーニン 権力と愛』を読む⑵

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(2)レーニンの出自~貴族階級で裕福な家庭環境と人生を変えた兄の処刑とは レーニンといえば、その後のソ連の方向を決定づけた冷酷な独裁者というイメージがありました。しかし彼は裕福で温かな家庭で育った普通の人間でした。そこから兄の処刑、町でのつまはじきなど、これまでの生活ががらりと変わってしまいました。 こうした背景があったからこそレーニンが革命家になっていったと知り、それまでの冷酷で残酷な独裁者とはちょっと違った印象を受けることとなりました。
  • 『レーニン 権力と愛』を読む⑵ 目次
    • 1.1 レーニンの出自ー彼の父親と裕福な家庭環境
      1.2 皇帝暗殺を企てた兄サーシャの処刑
      1.3 兄サーシャの処刑の余波ーレーニンが革命家になったきっかけ

レーニン(ウラジーミル)は裕福な温かい家庭で育ち、リベラルな教育を受けていました。そのおかげかレーニンを含むウリヤーノフ家の子供たちは皆成績優秀だったそうです。

この一見革命とは無関係な家からなぜレーニンという革命家が生まれてきたのか、そのことをこの記事では見ていきます。

レーニンといえば、その後のソ連の方向を決定づけた冷酷な独裁者というイメージがありました。しかし彼は裕福で温かな家庭で育った普通の人間でした。そこから兄の処刑、町でのつまはじきなど、これまでの生活ががらりと変わってしまいました。こうした背景があったからこそレーニンが革命家になっていったと知り、それまでの冷酷で残酷な独裁者とはちょっと違った印象を受けることとなりました。

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ロシアの革命家、テロリストの歴史~『レーニン 権力と愛』を読む⑶

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(3)ロシアの革命家、テロリストの歴史をざっくり解説  1881年の皇帝アレクサンドル2世の暗殺後の2人の皇帝、アレクサンドル3世とニコライ2世の治世はとにかくテロリストによる暗殺が多かったとされています。 この記事ではそんなロシアのテロリストについてお話ししていきます。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑶ 目次
    • 1.1 ロシア帝政末期、暗殺の時代
      1.2 「平和的手段はわたしからは奪われていた。」
      1.3 革命グループの歴史⑴ー「人民のなかへ(ヴ・ナロード)」運動
      1.4 革命グループの歴史⑵ーカリスマ的指導者ネチャーエフの暴力革命
      1.5 革命グループの歴史⑶ーマルクス主義革命家

この記事では19世紀末のロシアの政治情勢をお話ししていきます。この時期のロシアはテロが横行する非常に緊迫した状況でした。ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフもこの時代を生きています。この時代の政治情勢を知ることはロシア文学を知る上でも大きな助けとなります。

もちろん、レーニンもこうした時代背景の下生まれてきます。レーニンが生まれてくる背景をこの記事で見ていきます。

ロシアの革命家、テロリストの歴史~『レーニン 権力と愛』を読む⑶

レーニンの革命家への道ーチェルヌィシェフスキー『何をなすべきか』に憧れるレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑷

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(4)革命家のバイブル、チェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』に憧れるレーニンとマルクスとの出... レーニンは兄の処刑によって革命家の道に進むことになりました。しかし最初からマルクス主義者として出発したのではありませんでした。彼はまずチェルヌイシェフスキーに傾倒します。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑷ 目次
    • 1.1 革命家レーニンの勉学期
      1.2 レーニンのバイブルーチェルヌィシェフスキー著『何をなすべきか』とは
      1.3 『何をなすべきか』に憧れるレーニン
      1.4 レーニンのブルジョワ趣味
      1.5 マルクス主義との出会い
      1.6 農地経営の失敗と弁護士資格の取得

チェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』と言えば、ドストエフスキー界隈でもかなり有名な作品です。

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『地下室の手記』あらすじと感想~ドストエフスキーらしさ全開の作品~超絶ひねくれ人間の魂の叫び この作品は「ドストエフスキー全作品を解く鍵」と言われるほどドストエフスキーの根っこに迫る作品です。 ドストエフスキーらしさを実感するにはうってつけの作品です。 有名な大作が多いドストエフスキーではありますが、『地下室の手記』は分量的にも読みやすいのでとてもおすすめです。ぜひ読んで頂きたい作品です。 この作品は時代を経た今でも、現代社会の閉塞感を打ち破る画期的な作品だと私は感じています。

ドストエフスキーの『地下室の手記』はチェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』に対する反論が書かれています。合理的知性は人間性を失わせるとドストエフスキーは叫ぶのです。

『何をなすべきか』という本はたしかに有名で、私も一度手に取ったのですがとにかく長い小説です。さすがに読むのは大変そうだと私はあきらめてしまい、この本に実際に何が書かれているかは知らずじまいでした。

ですがこのレーニン伝でざっくりとでありますが中身を知ることができてとても助かりました。この記事ではその内容を紹介しています。

レーニンは後に『何をなすべきか』というチェルヌィシェフスキーの作品と同名の本を書き上げ、これがボリシェヴィキ党のバイブルとなります。レーニンがどれほどこの作品に思い入れを持っていたかがうかがわれます。

レーニンの革命家への道ーチェルヌィシェフスキー『何をなすべきか』に憧れるレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑷

なぜ口の強い人には勝てないのか~毒舌と暴言を駆使するレーニン流弁論術『レーニン 権力と愛』を読む⑸

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(5)なぜ口の強い人には勝てないのか~毒舌と暴言を駆使するレーニン流弁論術の秘密とは レーニンは議論において異様な強さを見せました。その秘訣となったのが彼の毒舌や暴言でした。 権力を掌握するためには圧倒的に敵をやっつけなければならない。筋道通った理屈で話すことも彼にはできましたが、何より効果的だったのは毒舌と暴言で相手をたじたじにしてしまうことでした。 この記事ではそんなレーニンの圧倒的な弁舌についてお話ししていきます。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑸ 目次
    • 1.1 1891年の大飢饉とレーニンー冷酷な視線の萌芽
      1.2 革命家レーニン(ウリヤーノフ)の登場
      1.3 敵をやっつけるレーニンの弁舌ー毒舌・暴言を多用する独特な議論術
      1.4 毒舌と暴言の効果ーなぜ口の強い人に負けてしまうのか
      1.5 ゴーリキーから見たレーニンの演説

レーニンは議論において異様な強さを見せました。その秘訣となったのが彼の毒舌や暴言でした。

権力を掌握するためには圧倒的に敵をやっつけなければならない。筋道通った理屈で話すことも彼にはできましたが、何より効果的だったのは毒舌と暴言で相手をたじたじにしてしまうことでした。

しかも彼のすごい所はそれをしてもなお聴衆には彼こそ正しいと思わせる知的能力があったことでした。

この記事ではそんなレーニンのカリスマ的弁論術の秘密を見ていきます。

なぜ口の強い人には勝てないのか~毒舌と暴言を駆使するレーニン流弁論術『レーニン 権力と愛』を読む⑸

寛大なシベリア流刑 ドストエフスキー流刑時代との違い『レーニン 権力と愛』を読む⑹

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(6)レーニンが受けた寛大なシベリア流刑~過酷なドストエフスキー流刑時代との違いとは レーニンは海外旅行から帰国後の1895年12月、革命活動の容疑で逮捕されます。これが彼にとっての初めての逮捕となりました。 ですが想像以上に監獄は緩かったようです。むしろ快適とさえ言えたかもしれません。レーニンはこの監獄期間を利用したくさんの本を読み、政治的著作の執筆まで行っています。 差し入れも自由で、監視をかいくぐっての秘密のメッセージ交換までしていました。 これでは革命家を捕まえて監獄に入れた方が政府にとっては都合が悪いのではないかと思ってしまうほどです。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑹
    • 1.1 レーニン初めての海外経験
      1.2 レーニンの逮捕
      1.3 かつてより寛大で、後のソ連時代よりもはるかに寛大な刑事制度
      1.4 寛大なシベリア流刑 ドストエフスキー流刑時代との違い

革命家として活動していたレーニンはとうとう逮捕されてしまいます。そして彼はシベリア流刑になってしまうのですが、その待遇は私達の想像よりもはるかにいいものでした。

ドストエフスキー時代の過酷な流刑生活とは雲泥の差です。この記事ではその緩さについて紹介していきます。

この時の経験があったからこそ、後にレーニンが権力を握った時、想像を絶するほど厳しい刑事制度を作り上げたのでしょう。レーニン政権下では裁判なしの即時処刑や死につながる過酷な強制収容所を次々と作り上げ大量の逮捕者を収容します。自らの権力を維持するために、危険分子には一切容赦しない。こうした考えは自らの経験によるものが大きかったのかもしれません。

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レーニン・マルクス主義は宗教?政治家レーニン最大の手腕とは『レーニン 権力と愛』を読む⑺

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(7)レーニン・マルクス主義は宗教?政治家レーニン最大の手腕とは この記事で説かれる箇所はこの本の中でもトップクラスに重大な指摘です。「宗教とは何か」という問題においてこれはかなり突っ込んだ内容です。もちろん、ここで述べられること=宗教と絶対的に言い切れるわけではありませんが、宗教が広まっていく過程をピンポイントで指摘しているようにも思えます。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑺ 目次
    • 1.1 レーニン・マルクス主義は宗教?政治家レーニン最大の手腕とは
      1.2 無能な皇帝がもたらしたロシア革命

この記事で紹介する箇所はこの本の中でもトップクラスに重大な問題です。「宗教とは何か」という問題においてかなり突っ込んだ内容です。もちろん、ここで述べられること=宗教と絶対的に言い切れるわけではありませんが、宗教が広まっていく過程をピンポイントで指摘しているようにも思えます。

これは僧侶である私にとっても無視できない問題です。レーニンの生んだ共産主義ソ連は宗教がベースになっている可能性がある。宗教をどう定義するかによっても異なってきますがこれはこの後も考えていかなければならない大きなテーマであると思います。

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レーニンの黒い資金源。若きスターリンの暗躍『レーニン 権力と愛』を読む⑻

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(8)レーニンの黒い資金源~若きギャング、スターリンの暗躍 今回の記事で読んでいく箇所は私にとってもかなりの驚きでした。 こうまで堂々と強盗をしそれを資金源にする集団が政治集団として表舞台にいるという事実。 そしてこの時から影のギャングスターとして暗躍していた後のソ連の独裁者スターリンの存在。 資本家は労働者から収奪していたのだから、我々から収奪されるのは当然だという理屈をレーニンは主張します。まさに「目的は手段を正当化する」というレーニンの思想が表れています。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑻ 目次
    • 1.1 レーニン・ボリシェヴィキ党の意外な資金源
      1.2 「収奪」という名の強盗ーレーニンの黒い資金源。若きギャング・スターリンの暗躍
      1.3 「収奪者が収奪される」ーレーニンは強盗も正当化する
      1.4 レーニン・スターリンの最も劇的な「強制収奪」ーチフリスの現金強奪事件
      1.5 結婚詐欺による資金獲得

この記事で紹介している箇所も私の中でかなり衝撃的な内容でした。

レーニン率いる政治グループは部下に堂々と犯罪を犯させそれを資金源としていました。

こうまで堂々と強盗をしそれを資金源にする集団が政治集団として表舞台にいるという事実。

そしてこの時から影のギャングスターとして暗躍していた後のソ連の独裁者、スターリンの存在。

これはソ連史、特にレーニンとスターリンを学ばなければ知らずに終わっていた事実でした。

この記事もかなりショッキングです。ぜひ読んで頂きたい記事です。

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第一次世界大戦とレーニンードイツの支援と新聞メディアの掌握『レーニン 権力と愛』を読む⑼

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(9)第一次世界大戦とレーニン~ドイツの支援と新聞メディアの掌握 なんと、レーニンの政治活動の背後にはドイツ政府の秘密資金があったのでした。しかもその金額が桁外れです。そうした資金があったからこそロシアでのメディア掌握が可能になったのでした。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑼
    • 1.1 1917年ロシア二月革命の勃発
      1.2 レーニンの帰国ードイツの封印列車
      1.3 レーニンの政治活動ーポピュリスト的演説。嘘の公約。
      1.4 農村における内戦の予兆
      1.5 レーニンの権力拡大ー新聞メディアの掌握
      1.6 ドイツによる巨額の秘密支援金

1917年のロシア革命は1914年に勃発した第一次世界大戦の最中に起こった革命でした。この戦争がなければロシア革命もなかったかもしれません。

この記事ではロシア革命の顛末と、それを利用し権力を掌握しようとしたレーニンの動きについてお話ししていきます。

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ロシア十月革命とレーニンの権力掌握『レーニン 権力と愛』を読む⑽

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(10)ロシア十月革命とレーニンの権力掌握の流れをざっくりと解説 クーデターによって成立したボリシェヴィキ政権が長く生き残ることを当時の誰も想像していなかったというのは、どこかナチスのヒトラー政権の成立を思わせます。 ドイツ国民もまさかヒトラーがあそこまでの権力を持つことになろうとは想像していなかったとされています。
  • ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑽ 目次
    • 1.1 ロシア十月革命とレーニンの権力掌握
      1.2 レーニンの強迫観念
      1.3 レーニンにとって「権力」とは何だったのか
      1.4 ボリシェヴィキの存続を予想する者はいなかった
      1.5 プーチン大統領も所属した、後のKGBー国家警察の要「チェカー」の創設

1917年2月に起きたロシア二月革命によってロマノフ王朝が倒れたことで、国政は臨時政府によって行われていました。レーニン率いるボリシェヴィキ党はその中の野党の一つに過ぎず、未だ力を持ってはいませんでした。

しかし臨時政府の運営はなかなかうまくいかず、国民の不満は溜まっていきます。そしてそうこうする内に一つ前の記事でもお話ししましたように、レーニンはドイツからの圧倒的な資金を元手に新聞網を掌握し国民の支持を得ていきました。

そして同年10月、ついにレーニンは動きます。軍部も味方につけたボリシェヴィキはクーデターを決行。そしてその後憲法制定会議を経てついにレーニンは権力を掌握することになりました。

レーニンは権力を掌握するとそれを守るためにすぐさま秘密警察を創設します。これはロシア皇帝直属だったオフラーナという秘密警察を見本に作った組織で、抵抗分子をいち早く発見し逮捕することを目的にしていました。しかし後にチェカーはオフラーナよりも比べ物にならないくらい残虐な方法を取るようになっていきます。

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我々には全てが許されているー目的のために手段が正当化された世界『レーニン 権力と愛』を読む⑾

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(11)「我々には全てが許されている」~目的のためにあらゆる手段が正当化されたソ連の暴力の世界 今回の箇所ではレーニンの革命観が端的に示されます。 レーニンが権力を握ったことで結局党幹部は腐敗し、平等を謳いながら餓死者が多数出るほど人々は飢え、格差と抑圧が強まったのも事実でした。そしてスターリン時代には抑圧のシステムがさらに強化されることになります。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑾ 目次
    • 1.1 レーニンによる暴力の奨励。混乱状態のロシア
      1.2 暴行・略奪の横行と正当化
      1.3 法の軽視。革命の名の下に裁きが許される
      1.4 革命法廷ーわれわれには、すべてが許されている

ロシア10月革命後、無差別の暴力が横行するほど治安は不安定化していました。ですがこれはレーニンが繰り返し大衆に説いていたことでした。暴力を奨励していたのは彼自身なのです。

中流階級以上の人間は大衆の格好の標的とされ、彼らへの暴力はボリシェヴィキのお墨付きの下、奨励されました。それまで不満を溜めこんでいた大衆はここぞとばかりに暴行を加え、復讐に走るのでした。憎悪を基にした社会変革をレーニンは広めたのです。

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サンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転と食料危機『レーニン 権力と愛』を読む(12)

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(12)1918年のサンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転と食料危機 第一次世界大戦と革命によって農村は荒廃し、輸送システムも崩壊したためロシアの食糧事情はすでに危険な状態でした。そしてそこに凶作が重なりさらなる危機が迫っていました。 政権を握ったレーニンは早くも重大な局面に立たされます。 この記事ではそんな窮地のレーニンが取った政策をお話ししていきます。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(12)目次
    • 1.1 サンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転
      1.2 1918年の食糧危機
      1.3 食料危機に対するレーニンの回答ー強制徴発とテロルの強化
      1.4 「穀物のための戦い」の実態ー過酷な穀物取り立て

1918年3月、第一次世界大戦は今なお続き、ドイツ軍は首都サンクトペテルブルク(ペトログラード)に迫っていました。

そこでレーニンは首都をモスクワへ移転することに決定します。

現在にわたってモスクワが首都として存在するのもこの時に首都移転があったからこそなのでした。かつての旧首都としてモスクワが再びロシアの中心として君臨することになったのです。

また、この時第一次世界大戦と革命によって農村は荒廃し、輸送システムも崩壊したためロシアの食糧事情はすでに危険な状態でした。そしてそこに凶作が重なりさらなる危機が迫っていました。

レーニンは危機を打開するため、得意の戦法を用います。

「敵を作り出し、大衆の憎悪を煽り、暴力を行使する」という手法です。

穀物徴発は過酷を極めました。この記事では詳しいところまでは触れませんが、以前紹介した以下の本でかなり詳しくこの時期のソ連について書かれています。

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メリグーノフ『ソヴィエト=ロシアにおける赤色テロル(1918~1923)』あらすじと感想~レーニン時代の... ソ連時代に一体何が起きていたのか、それを知るために私はこの本を読んだのですが、想像をはるかに超えた悲惨さでした。人間はここまで残酷に、暴力的になれるのかとおののくばかりでした。 私は2019年にアウシュヴィッツを訪れました。その時も人間の残虐さをまざまざと感じました。ですがそれに匹敵する規模の虐殺がレーニン・スターリン時代には行われていたということを改めて知ることになりました。

この時の収奪は膨大な数の餓死者を生み出すことになりました。

そしてソ連の食糧政策はその後のスターリン時代に引き継がれ、1930年代には数百万人の餓死者が出る大惨事になります。

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(13)レーニン崇拝、神格化の始まりとソ連共産党官僚の腐敗 マルクス主義、社会主義、資本主義など、ソ連の話はイデオロギー論争として語られることが多いです。 しかし、それらの議論ももちろん重要なのですが、どの主義であろうと、権力を握った人間がどうなるのか、官僚主義はどういった危険があるのか、平等な分配はありえるのかなどの問題は人間の本質に関わる問題であるように思います。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(13)目次
    • 1.1 レーニン暗殺未遂事件とチェカーの弾圧
      1.2 レーニン崇拝、神格化の始まり
      1.3 権力掌握後も質素な生活を続けたレーニン
      1.4 レーニンの別荘とその料理人ープーチン大統領との意外な関係
      1.5 ボリシェヴィキ幹部の腐敗

1918年8月30日、レーニンは演説を終えた後、銃撃に遭います。

三発の銃弾が彼を襲い、あと少しで大動脈を傷つけ命を失うほどの大けがでした。幸い、命の心配はありませんでしたが、その後彼はこの傷の後遺症に苦しむことになりました。

レーニンが暗殺されかけ、命を失ったかもしれないという衝撃が、彼を神格化していく流れに火をつけました。

その流れはやがて死後にもっと加速していき、その姿を見たらレーニン自身が驚いてしまうほどであったでしょう。こうしてレーニンは神格化され、伝説と化し、人々に崇拝されるようになっていったのでした。

また、この記事の後半では党官僚の腐敗についてお話ししていきます。

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(14)レーニンの文学観~ドストエフスキー、トルストイらをどう見たか レーニンの文学観、芸術観を考える上で彼が保守的な考えを持っていたというのは意外な気がしました。革命家=既存の秩序の破壊というイメージが私にはありました。ロシアのニヒリストは特にそのような傾向があります。ツルゲーネフの『父と子』に出てくるバザーロフというニヒリスト青年はその典型です。 しかしレーニンはそうではなく、保守的な文化観の持ち主だったのです。 この記事ではそんなレーニンの文学観、芸術観を見ていきます。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(14)目次
    • 1.1 レーニンの文学観
      1.2 レーニンとツルゲーネフ・トルストイ
      1.3 レーニンのドストエフスキー評

この記事ではレーニンの文学観についてお話ししていきます。

レーニンがドストエフスキーやトルストイというロシア文学の巨頭についてどのような考えを持っていたのか非常に興味深かったです。

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レーニンとロシア正教会ーソ連政府の教会弾圧『レーニン 権力と愛』を読む(15)

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(15)レーニンとロシア正教会~ソ連政府の教会弾圧の過酷な実態とは 「農民の不満が最大限に高まり飢餓に苦しむ今、教会を守ろうとする人間もいないはず。」 レーニンは教会を潰すには今しかないというタイミングまで待ち、ついに行動に移るのでした。 これは権力掌握のために徹底した戦略を立てるレーニンらしい政策でありました。 これによってロシア正教会は徹底的に弾圧され、ソ連政権時の長きにわたって過酷な運命を辿ることになったのでした。 レーニンがいかにして教会を弾圧したかをこの記事では見ていきます。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(15)
    • 1.1 レーニンとロシア正教会
      1.2 レーニンの正教会攻撃の始まり
      1.3 本格的な弾圧の開始ー飢饉に乗じた略奪
      1.4 レーニンによる暴力的な教会弾圧-確信犯的な飢饉の利用

ソ連のイデオロギーにおいて宗教勢力は不俱戴天の敵でした。

しかしレーニンはすぐに行動には移さず、虎視眈々と教会を攻撃する機会をうかがっていました。

敵対勢力が最も抵抗できない時に叩く。それがレーニンのやり方です。

第一次世界大戦後、飢餓に苦しむ農民の不満が最大限に高まった時、彼は動き出します。

飢餓に苦しむ農民たちの不満を利用し、ついに弾圧に移るのでした。

権力掌握のために徹底した戦略を立てるレーニンらしい政策であったと言えます。

こうしてロシア正教会は徹底的に弾圧され、ソ連政権時の長きにわたって過酷な運命を辿ることになったのでした。

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レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟『レーニン 権力と愛』を読む(16)

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(16)レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟 レーニンの遺体を保存し「永久に」祀ることはまさしく宗教的な響きがします。無神論を標榜するソ連においてこれは何とも逆説的な崇拝でした。 レーニンは死してなおもロシアに生き続けています。レーニン廟の存在は私たちが想像するよりはるかに深いところでロシアと繋がっています。これは宗教を学ぶ上で、いや、人間そのものを学ぶ上でも非常に重要な問題です。
  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(16)目次
    • 1.1 レーニンの晩年ーレーニン最大の誤りとは
      1.2 レーニンの遺言
      1.3 レーニンの遺体をめぐる論議
      1.4 レーニンの防腐処置とレーニン崇拝
      1.5 レーニン廟と今なお生き続けるレーニン

レーニンは1924年1月21日、53歳でその生涯を終えました。

レーニンは遺言において「スターリンは後継者にはふさわしくない」と記しました。しかし、結果的にはこの遺言はスターリンの巧みな策略によって問題にされず、スターリンがレーニンの後継者としてソ連を指導していくことになりました。

レーニン自身はまさか死後、自分の遺体が防腐処置をされ半永久的に保存され崇拝されることになるなど想像もしていなかったかもしれません。レーニンの家族も死後は墓に埋葬されることを望んでいました。

しかしソ連の指導力を高めるためには彼の遺体は非常に重要な意味を持っていました。そこに目を付けた人物達が家族の反対を押し切り、レーニンをまさしく不滅の神へと押し上げていくのです。

レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟『レーニン 権力と愛』を読む(16)

終わりに~『レーニン 権力と愛』を読んで

16回にわたって『レーニン 権力と愛』を読んできました。

私自身、この本を読んでぎょっとすることばかりで、思わず声を出してしまうくらい夢中になって一気に読んでしまいました。こんなに刺激的な本はなかなかありません。

そして何より、レーニンは名前は知ってはいても日本においてはかなりマイナーな存在です。私もソ連史を学ぶまでほとんど彼のことを知りませんでした。

しかしこの本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。

レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。

レーニンは世界史上の人間で特殊な人間だから私たちとは関係のない問題だと思ってしまうかもしれません。しかし人間の本質とは何かを考えていく上でレーニンという存在は非常に重大な問題を提起しているように私には思えました。「レーニン的なもの」は世界中どこでも起こりうることです。そのことは忘れずにいたいなと思います。

以上、「ソ連の革命家レーニンとは何者かー「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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