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(6)アーレントの全体主義論と赤軍記者グロスマンの小説~独ソ戦や全体主義を論じた傑作について

目次

アーレントの全体主義論と赤軍記者グロスマンの小説 『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』を読む⑹

今回も引き続きティモシー・スナイダー著『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』を読んでいきます。

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この本を読めばスターリンとナチスの大量殺害がどのような世界情勢の中で行われたのかが明らかになります。

では早速始めていきましょう。

アーレントとグロスマン

一九四一年五月、アーレントはアメリカに逃れ、ドイツ哲学で鍛えた恐るべき思考力をもって、ナチス政権、ソ連政権の起源の問題に取り組んだ。彼女が亡命してから数週間後、ドイツはソ連に侵攻した。アーレントのヨーロッパでは、ナチス・ドイツとソ連は別個に台頭し、同盟を結んでいた。

もうひとつの比較論の流れを作ったワシーリー・グロスマンのヨーロッパでは、ソ連とナチス・ドイツが戦争状態にあった。小説家で、ソ連の従軍記者であったグロスマンは、東部戦線で重要な戦闘を多く見て、ドイツの(そしてソ連の)犯罪の証拠を目の当たりにした。

アーレントと同様、グロスマンも東欧におけるドイツのユダヤ人大量殺害を普遍的なものとして理解しようとした。当初は近代性批判というような大それたことをしているつもりはなく、ファシズムとドイツを非難するにとどまっていた。

アーレントが『全体主義の起源』を発表したように、グロスマンもやがてソ連で個人的に反ユダヤ主義を体験したことにより、政治的枠組みから解放された。

そして過去一〇〇年のタブーを破り、ふたつの小説でナチスとソ連の犯罪を同じぺージ、同じシーンで語ってみせた。どちらの作品も、時が経つにつれて高い評価を受けるようになった。グロスマンは、ひとつの社会学的アプローチ(たとえばアーレントの全体主義のような)の中でふたつのシステムを分析的に統合しようとしたのではなく、これをイデオロギー的な解説から切り離し、そうすることによって両者に共通する非人間性のヴェールをあげようとしたのだった。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』下巻P243-244
ハンナ・アーレント(1906-1975)Wikipediaより

アーレントといえば『全体主義の起源』や『イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』などでホロコーストについて語ったことで有名ですよね。ナチスのホロコーストを語る上で、ハンナ・アーレントの名は今もなお世界中に轟いています。

そして著者のティモシー・スナイダーはこのアーレントと対置してソ連の作家ワシーリー・グロスマンを紹介します。グロスマンについては以前当ブログでも紹介しました。

ワシーリー・グロースマン(1905-1964)Wikipediaより

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改めてこの記事よりグロスマンのプロフィールを紹介します。

ヴァシーリィ・グロースマン
Vasily Grossman

1905年、ウクライナのユダヤ人家庭に生まれ、ロシア革命に共感。モスクワ大学で化学を専攻、ドンバスて炭坑技師として数年をすごしたものの文学創作の道に入り、32年から初期の短編や長編を発表。ブルガーコフやゴーリキイらから賞賛を受けた。農業集団化の結果としてのウクライナ大飢饉、身辺に迫るスターリンの大粛清の脅威を見聞しながらも、新社会建設の理想にたいする信頼感はもちつづける。

41年独ソ戦勃発とともに愛国心に燃えて従軍志願。赤軍機関紙『クラースナヤ・ズヴェズダー』記者として前線に派遣、緒戦期のみじめな敗走から45年のべルリン攻略にいたるまでの一部始終をつぶさに取材。とくに42~43年のスターリングラード攻防戦の記録は絶賛を博しそのー部は戦後いちはやく日本にも翻訳紹介された。やがて母親や親族が独軍占領下で最初のユダヤ人虐殺の犠牲になったことを知り、44年にはトレブリーンカ絶滅収容所跡を訪れてホロコーストの実態をまっさきに報道した記者の一人となる。

一方では名もない兵士や一般民衆の英雄的抗戦ぶりに感動し、反ファシズム闘争での赤軍の解放者としての役割を理想化しながらも、その「解放軍」の略奪暴行をまのあたりにし、「戦争の非情な真実」を知るにつれて、グロースマンの作品はしだいに体制側の「大祖国戦争」史観と衝突するようになり、『人民は不死』はいったんスターリン賞候補にノミネートされながらスターリン自身の手でリストから抹消され、その他の作品もいわれのない非難を浴びるようになる。とくにユダヤ人受難の記録と証言を集めて『黒書』にまとめようとするグロースマンらの努力が、戦後反ユダヤ主義の旗幟を鮮明にした当局の忌憚にふれるが、スターリン死去によってあやうく収容所送りは免れる。

いまやヒトラーのナチズムもスターリン主義も本質において大差はないとの結論に達したグロースマンは50年代後半から60年にかけて畢生の大作『人生と運命』を執筆したが、原稿をKGBに押収され、失意と窮乏のうちに64年ガンで他界。80年奇跡的に隠匿保管されていた原稿のコピーがマイクロフィルムで国外に持ち出され、スイスで出版された。ロシアでは88年にようやく日の目を見る。

白水社、アントニー・ビーヴァー、リューバ・ヴィノグラードヴァ編、川上洸訳『赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45』表紙裏

独ソ戦の最前線を体験し、自らもユダヤ人であることから彼は戦後様々な葛藤に苦しむことになります。そんな彼の生み出した作品はロシアの文学史でも屈指の作品と称えられます。筆者は彼の作品について次のように述べていきます。

グロスマンの傑作『人生と運命』、『万物は流転する』

『人生と運命』(一九五九年に完成、一九八〇年に海外で出版された)の中で、グロスマンは主要登場人物のひとりに、ドイツがベラルーシでおこなったユダヤ人の銃殺とソヴィエト・ウクライナで起きた人肉食カニバリズムを同時に思い起こさせて、聖なる愚者〔ぼろをまとった愚者のふりをして真理を教える聖人〕の役割を果たさせている。

『万物は流転する』(グロスマンが死亡した一九六四年には未完、一九七〇年に海外で出版)では、ドイツの強制収容所のおなじみのシーンを、ウクライナ飢饉の導入に使った。

「子供たちをードイツの収容所にいた子供たちの写真を見たか?みんな同じに見えた。頭が砲丸のように大きくて。首か細くて……コウノトリの首みたいに細くて。腕や脚には、小さな骨が透けて見えた。皮膚の下で小さな骨が動いていた。関節のくっついた骨が」。

グロスマンは何度も何度も、こうしたナチスとソ連の比較に立ち返る。論争を巻き起こすためではない。そういう習わしを作るためだった。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』下巻P244

グロスマンの『人生と運命』と『万物は流転する』については以前当ブログでも紹介しましたのでこちらをご覧ください。

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グロスマンの語る、ナチズムとスターリニズムに共通する重要な要素

グロスマンの登場人物のひとりが声をあげて言ったように、ナチズムとスターリニズムに共通する重要な要素は、人間が人間と見なされる権利をある特定集団の人々から奪う能力を持っていたことだ。

唯一の対応は、それはまちがっていると繰り返し主張することだろう。ユダヤ人もクラークも「人」なのだと。「彼らは人間なのだ。いまわたしにはわかる。わたしたちはみんな人間なのだ」と。

これは、アーレントが全体主義の虚構世界と呼んだものに対抗する文学だ。アーレントは、大量殺人が起こりうるのはスターリンやヒトラーのような指導者がクラークやユダヤ人のいない世界を想像することができ、完全にではないにしろ、それを実世界に出現させることができるからだと考えた。

そこでは死が倫理的な重要性を失う。隠れるからではなく、死をもたらした物語によって薄められるからだ。死者たちもまた、人格を失い、なすすべもなく進歩というドラマの役者として生まれ変わることを余儀なくされる。その物語がイデオロギー上の敵の抵抗を受けたときでさえ。いや、とりわけそういうときには。グロスマンは世紀の不協和音から犠牲者を引っぱり出し、果てしない論議の中で彼らの声が聞こえるようにしたのである。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』下巻P244-245

少し難しい箇所ですがアーレントがヒトラーやスターリンの全体主義をどのように考えてるかがわかるかと思います。そしてそれに対しグロスマンがどのように考えているかがこの箇所で述べられています。そして著者はこの二人を比較して次のように述べていきます。

アーレントとグロスマンの比較から導き出されるもの

アーレントとグロスマンからは、ふたつの明快な考えが導き出される。

そのひとつは、ナチス・ドイツとソ連を正当に比較するには、犯罪について説明するだけではなく、関係したすべての人々ー被害者、加害者、傍観者、指導者ーの人間性についても検証しなければならない、ということだ。

もうひとつは、死ではなく生からはじめるべきだということだ。死は解決ではなく、ひとつのテーマにすぎない。死は不安をもたらすべきものであって、満足を与えるものであってはならない。何より、美辞麗句で物語をすっきりした結末へと導く役目を担わせてはならない。生が死に意味を与えるのであって、死が生に意味を与えるのではない。だから重要な問題は、大量殺人の事実にどのような政治的、知的、文学的、心理的に決着をつけるかということではない。決着はまやかしのハーモニーだ。瀕死の白鳥が歌う美しい歌のように聞こえて、じつは船人をおびき寄せて水底に引きずり込む海の精セイレンの歌なのである。
※一部改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』下巻P245

「美辞麗句で物語をすっきりした結末へと導く役目を担わせてはならない。」

「決着はまやかしのハーモニーだ」

ある出来事を抽象化し、理論化することでその出来事はたしかにわかりやすくなります。

しかし、はたしてそれで終わっていいのかと著者は述べます。巨大な理論の中に一人一人の苦悩の人生が埋没してもいいのかと著者は述べるのです。こうした思いをグロスマンも小説の中で表現しています。

それは彼の代表作『人生と運命』を読んだ時にも強く感じました。

そのとき感じた私の思いを、以前紹介した記事より引用します。

そしてこの小説を読んで私が最も印象に残ったこと。

それは戦闘員・非戦闘員含めて2700万人という信じられないほどの犠牲を出した独ソ戦において、そこに生きた一人一人の姿をくっきりと浮かび上がらせた点にあります。

独ソ戦の歴史の本を読んでいると、

「この戦いでは10万人が犠牲になり、その後の〇〇ではさらに数万人が餓死した。」

「〇〇ではナチスの占領により数千人が虐殺の犠牲になった」

などなど、ひとりひとりの悲劇的な死が巨大な数字によってその存在が薄れてしまうような気がしてしまうのです。「100万人がこの戦闘で戦死した。」「数万人がここで無抵抗のまま虐殺された」という言葉から、ひとりひとりの想像を絶する悲しみや苦悩、死の恐怖はなかなか浮かび上がってきません。

ですがグロスマンはこの小説でひとりひとりの人生と運命に光を当てます。

特に第2巻の後半に出てくるガス室の描写はあまりに強烈です。絶滅収容所に移送されガス室で殺されてしまう女性と少年のエピソードは本当に読んでいて辛かったです・・・ただ単に「ユダヤ人はアウシュヴィッツで110万人が殺されました」と聞かされるのとはその衝撃がまるで違います。

この小説を読んで改めて感じたのは、あの戦争において一人一人が想像もできぬような苦しみや恐怖を抱いて死んでいったということです。「100万人が殺されたという事実」は「想像を絶する苦しみや死が100万通りあった」ということなのだと思い知らされました。単純に「100万人が殺されたんだ」で終わらせてはいけないものがあるんだとグロスマンに言われているような気がしました。

ワシーリー・グロスマン『人生と運命』あらすじ解説ー独ソ戦を生きた人々の運命を描いたロシア文学の傑作!より

ナチスのホロコーストを考える上で、ハンナ・アーレントはあまりに有名です。

ですがワシーリー・グロスマンの名はあまり知られていません。

この本を読んでグロスマンはもっともっと世に知られてもいいのではないかと強く感じました。私がグロスマンの作品を読もうと思ったのも、この箇所を読んだからこそでした。ブログではグロスマンの作品を先に紹介しましたが、実はこの本を読んだのがきっかけで私はグロスマンを読み始めたのです。

グロスマンの作品を実際に読んでみて、著者のティモシー・スナイダーがここで述べていることが本当によくわかりました。

複雑で巨大な出来事に対し、理論を用いてすっきりとした決着をつけることの危うさを感じました。

もちろん、アーレントの説が間違いだと言いたいわけではありません。アーレントの思索の価値は少しも減ぜられるものではありません。ですが両者を比べてみることで見えてくるものがあるということをティモシー・スナイダーに教えてもらったなと感じています。

グロスマンという存在がもっと世に広まることを願っています。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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