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(3)ロシアの革命家、テロリストの歴史をざっくり解説 

目次

ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑶

引き続きヴィクター・セベスチェン著『レーニン 権力と愛』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。

ロシア帝政末期、暗殺の時代

1881年の皇帝アレクサンドル2世の暗殺後の2人の皇帝、アレクサンドル3世とニコライ2世の治世はとにかくテロリストによる暗殺が多かったとされています。アレクサンドル2世は農奴解放をはじめ、ある程度ではありますが自由主義的な政策を取った皇帝でした。しかしこの皇帝が暗殺されたことによって後の皇帝はその反動で厳しい弾圧政治をすることになったのです。

専制政府は、ロシアを西欧流に近代化するといういかなる考え方が広がることも、三〇〇年近く続くロマノフ王朝に対する直接の挑戦だとみなした。朝廷はあらゆる形態の「転覆活動」を根絶するために、あらゆる種類の国家機関を作り上げた。最後の皇帝の下で三年間、首相を務めたセルゲイ・ウイッテ伯爵が語ったように「ロシア帝国は……とくに抜きんでた警察国家となった」。

ロシア最後の二人の皇帝は共に抑圧と検閲を強化し、もっとも穏健な政治的反対派をも流刑に処し、あらゆる種類の政治活動を禁止―これは旧体制アンシャンレジームがほぼ終わるまで続いた―することで、帝政はいっそう安泰になると考えた。

これほど誤った考えはなかった。ロマノフ王朝初期の支配者たち、例えば大帝ピョートルやエカチェリーナニ世は、権力とは何かを理解し、専制国家をどう運営すればよいのかを知っていた。レーニンもそうだった。

判断力がお粗末で、無能で、想像力にまったく欠けていた最後の二人の皇帝は、違っていた。彼らには無慈悲さはあったが、手腕や洞察力がなかった。ニ〇世紀へのとば口にあって、彼らの大いなる望みは、ロシアを一七世紀に連れ戻すことだった。

どうすればそれができるか、彼らには分からなかったのは驚きではない。彼らは二人して一連の致命的なミスを犯した。なかでも最悪だったのは、革命には何の関心もない中産階級の穏健自由主義者を、過激派への道に追いやったことだ。

二人は暴力的な反対勢力の成長を許してしまい、これを叩き潰すには、彼らは余りに弱く無能だった。皇帝専制への反対運動の先頭に立ったのは、予想どおり学生たちだった。体制は教育を受けた若者たちと常に世代間紛争の状態にあった。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』p73-74

2人の皇帝の失策は弾圧によって余計に不満分子を増やしてしまったことにあった。弾圧によって本来革命とは無関係だった穏健な自由主義者までテロリストに変えてしまったというのは何という皮肉でしょう。

皇帝支配の最後の二五年間に、大臣、県知事、高級官吏、陸軍高級将校など二万人近くが革命グループに暗殺された。(中略)

何人かの嗅覚の鋭い外国人観察者は、毎日のように暗殺事件が発生しているのに、ほとんどの人びとが革命家に対する怒りを感じていないことに気づいていた。肩をすくめて体制への不満をロにするだけなのだ。

蛇蝎のごとく嫌われていた内務大臣がサンクトぺテルブルクで爆弾で吹き飛ばされたとき、とくにリベラルな人物でもないオーストリアのロシア駐在大使フロイス・レクサ・フォン・エーレンタール男爵は書いた。

「もっとも印象的なことは……政府の根本原理に対する重大な打撃となった出来事への完璧な無関心だ。権威主義的傾向ゆえに多くの敵を作ったに違いない大臣であってみれば、同情を期待することはほとんどできなかっただろう。それでも、ある程度の思いやりや、少なくとも近い将来に対する不安や懸念があっても当然だが、そうしたことはかけらも見いだせない。人びとは完全に無関心であるか、あるいは、暗殺は当然の帰結だ、とロに出すほどシニカルである。人びとは、最高権威の側に心を入れ替えさせるためには……さらなる大惨事が必要だと言っている」
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』p74-75

25年間で2万人以上が暗殺されたのは驚き以外の何物でもありませんよね。

さらに、そうした状況に対し国民は怒るのではなく、むしろ容認していたということも注目すべき点です。革命が起こることを望む空気がすでにロシアには充満していたのです。

「平和的手段はわたしからは奪われていた。」

ヴェーラ・フィグネルは医師としての訓練を受けた初めてのロシア女性の一人だが、彼女はある革命グループを指導し、皇帝アレクサンドルニ世の暗殺を二度企てて失敗したあと、成功した計画にも加わった。彼女は逮捕を免れて逃亡したが、一八八三年、ついにクリミアで警察に拘束された。当時、三一歳だった。監獄とシベリア流刑でニ〇年以上を過ごした。逮捕の翌年に行われた裁判で、彼女はある陳述を行い、それをアレクサンドル・ウリヤーノフ(※レーニンの兄。後に皇帝に処刑される。ブログ筆者注)が読み、暗記していたのは確かなようだ。

「平和的手段はわたしからは奪われていた。わたしたちには言論・出版の自由はなく、印刷された言葉という手段で思想を伝えることなど考えられなかった。もし社会の何らかの機関が暴力以外のやり方を指し示してくれていれば、わたしはそれを選んだだろう」

後年、スイスに亡命し、レーニンとボリシェヴィキの激烈な反対者でもあった彼女は、テロリストとしての人生を回顧して、「爆弾と銃への、殺人と絞首台への信仰は、抗いがたい魔力を帯びていた」と書いた。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』p76-77

2人の皇帝の弾圧政治はこうしたテロリストを生み出すことになりました。

もし平和的な手段が残されていれば私はそちらを選んでいた。暗殺実行犯のテロリストの口からそのような言葉が出ることに私は衝撃を受けました。

革命グループの歴史⑴ー「人民のなかへ(ヴ・ナロード)」運動

革命グループのなかで、それなりの影響力を最初に獲得したのは人民主義者たちだった。彼らは当初、完全に平和的な手段を採用していた。彼らは、革命は農民から起こると確信していた。このため一八六〇年代以降、一種の農村社会主義に発展してゆく「人民のなかへヴ・ナロード」運動で、理想主義的な若い男女の一団が田舎へ出かけ、そこの共同体に住み着き、救急センターを開設したり、読み書きのできない農民たちを教育したりしようとした。

この種の人びとのいくつかの類型はチェーホフの劇や小説に登場する。彼らの大半は特権階級の出身で、自分たちの富を目覚していた。「われわれが普遍的な真理にたどり着いたのは、ひとえに人民の長年の苦しみのおかげだ。われわれは人民に負債があり、この借金はわれわれの良心に重くのしかかっている」と、彼らの一人は言った〔社会思想家ニコライ・ミハイロフスキー〕。

土地と自由ゼムリャ・イ・ヴォーリャ」といった人民主義グループはほとんど例外なく、自分たちが助けようとしている農民から拒絶された。農民は、特権階級であるがゆえに彼らを信用せず、社会主義に警戒心を抱き、彼らが保護者づらして農村生活を混乱させるのを不快に思った。

多くの場合、村人たちは急進活動家を警察に通報したり、近在から追い出したりした。彼らを襲撃したり、殺害したりする例も少しあった。「社会主義は、壁にぶつかって跳ね返るエンドウ豆のように、農民にぶつかって跳ね飛ばされた。農民たちはわれわれの仲間の言葉を、村の司祭の言葉を聞くように拝聴したが、農民たちの考え方や行動はなんら影響を受けなかった」
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』p80

ヴ・ナロード運動を描いた作品でここではチェーホフを挙げていますが、当ブログでも以前ツルゲーネフの『処女地』をご紹介しました。

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この作品でも典型的なナロードニキ青年が描かれており、当時の時代の空気を感じることができます。

しかし、ナロードニキ運動は農民から信頼されず結局頓挫することになってしまったのです。

革命グループの歴史⑵ーカリスマ的指導者ネチャーエフの暴力革命

次に採用された戦術は、暴力に訴えて国家を不安定化させることだった。彼らは相変わらず、革命は農民から始まると信じており、ロシアを統治不能に陥れるため、帝政の役人、地方の知事、警官、軍将校を標的とした暗殺を実行した。その廃墟から、農村社会主義者による共和国が権力を掌握し、ロシアを変えるというのだ。

これらのグループのうちで最大かつ最も危険だったのが「人民の意志党ナロード・ヴ・ヴォーリャ」。その中心的理論家で指導者が、カリスマ性のあるセルゲイ・ネチャーエフだった。ドストエフスキーの小説『悪霊』の虚無主義者ヴェルホーヴェンスキーは、ネチャーエフをモデルにしている。

ネチャーエフは一世代の信奉者を熱狂と禁欲主義で感化したカリスマ的指導者だった。彼は一〇年間、監獄に入れられたまま、長期にわたって重労働を強いられ、囚人としてぺトロパヴロフスク要塞で死んだ。彼が書いた政治パンフレット『革命家の教理問答』は発禁になったが、広く流布され、テ口組織の歩兵となる若い急進派の入門書になった。

このパンフレットは背筋が寒くなるような生活を勧めているが、その自己犠牲の呼びかけと、暴力には暴力で戦うという論理が多くの若者を引きつけた。革命家は献身的な人間だ。彼はいかなる個人的利害も、私的な事柄も、感情も、財産も、名前ももたない。彼の内にあるすべてが、ただ一つの専心的献身、ただ一つの思い、ただ一つの情熱、すなわち革命に従属している。

革命家は、己れを社会秩序と文明世界に結びつけているあらゆる紐帯を、あらゆる法律、道徳、習慣、そして一般に受け入れられているあらゆる慣習と共に断ち切ったことを、自らの存在の最も深いところで、口先だけではなく、その行動をもって自覚している。彼はこうしたことの不倶戴天の敵であり、もし彼がこうしたことと共存し続けるとすれば、それはただ、こうしたことをより素早く破壊するがためなのだ。彼には、自分の道に立ちふさがるあらゆる人間と事柄を破壊する覚悟がなければならない」

アレクサンドルニ世暗殺の後、「人民の意志党」はオフラーナ(※皇帝の秘密警察のこと。ブログ筆者注)によってほぼ壊滅させられた。しかし、主として学生による小集団が同じ名前で結成されては、消滅した。アレクサンドル・ウリヤーノフ(※レーニンの兄。後に皇帝に処刑される。ブログ筆者注)が所属していたグループも、こうしたものの一つだった。

世紀末近く、人民主義者たちの廃墟の上に、社会革命党(エス・エル)が創設されることになる。組織としてはもっと洗練されているが、個別のテロ行為が革命を前進させるとの信念はまだ変わらなかった。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』p81-82
ネチャーエフ(1847-1882) Wikipediaより

ドストエフスキーの代表作『悪霊』に出てくる主要人物は実在の革命家ネチャーエフをモデルにしています。

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カリスマ指導者であったネチャーエフは後の革命家に大きな影響を与え、レーニンにも多大な影響を与えることとなりました。

革命グループの歴史⑶ーマルクス主義革命家

一八七〇年代以降、西欧からの思想であるマルクス主義に刺激を受けたいくつかのライバル組織が創設される。彼らは、ロシアのような半中世的な国では農民から革命が始まる、という考え方を捨て去った。革命は労働者階級、すなわちプロレタリアートによって主導されると彼らは信じた。

マルクス主義の理論家たちを悩ませ、農村社会主義者たちとの果てしない論争を引き起こした問題があった。それは、ロシアは工業生産国として西欧にはるかに遅れており、一九世紀末の時点で、英国、ドイツ、フランスに比べて小規模な労働者階級しか存在しなかったことだ。

ウリヤーノフはマルクス主義者の陣営に加わる。「わたしはマルクスとエンゲルスに恋をしたよ」と、彼は姉妹たちに語った。「文字どおりの恋だ」と。この人物がレーニンとして、すべてのマルクス主義者のなかでもっとも有名になり、マルクス主義の原則に基づく初の国家の創始者になるのである。

しかし彼と彼の情熱の対象とは、複雑な関係をとり結ぶことになる。彼はマルクスの思想を、マルクスなら考えもしなかったようなやり方でロシアの諸条件に当てはめた。多くの歴史家は、ソ連式の共産主義があのような展開を見せたのは、レーニンがロシアのような遅れた国に西欧の教義と哲学を持ち込もうとしたからだ、と論じてきた。むしろ、逆の方が正確だ。レーニンは一連のヨーロッパ思想を、きわめてロシア的な産物に変容させたのだ。不寛容、厳格さ、暴力、残虐性を伴ったレーニン流のマルクス主義は、一九世紀ロシア人としての彼の経験から形づくられた。レーニンのボリシェヴィズムは、ロシアにその深い根をもっている。

ナロードニキ運動やネチャーエフを経てロシアに根付いた革命思想がマルクス主義でした。

ここで興味深いのはレーニンがマルクスの思想をロシアに持ち込んだのではなく、レーニンがマルクス思想をロシア流に変容させたという点にあります。

産業の発達していないロシアで革命が起きるというのは、マルクスの理論から言えばありえないことです。(※晩年のマルクスは容認したともされますが・・・詳しくは「(60)マルクスはロシアでの共産主義革命についてどのように考えていたのだろうか」の記事参照)

ですがレーニンはロシアの状況に合わせてマルクス思想をロシア流に適応させました。ここにレーニンの特徴を知る上での大きなポイントがあると思われます。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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