鹿島茂『デパートを発明した夫婦』あらすじと感想~デパートはここから始まった!フランス第二帝政期と「ボン・マルシェ」
鹿島茂『デパートを発明した夫婦』概要と感想~デパートはここから始まった!フランス第二帝政期と「ボン・マルシェ」
デパート、百貨店といえば、私たちの誰しもがそこで買い物をしたことがあると思います。それはもはや単なる商業施設というだけではなく、街の顔として今でも存在しているのではないでしょうか。
私たちの生活に深く根ざしているデパート。当たり前のように私たちはデパートと共に生活していますが、このデパートがいつどこで生まれたのか、皆さんはご存知でしょうか。
実はそれがこのフランス第二帝政期のパリだったのです。
デパートの誕生は世界の商業スタイルを一変させることになりました。
そしてそれがそのまま私たちのライフスタイルを形作っていくことになるのです。
今回の記事でもフランス文学者鹿島茂氏による、『デパートを発明した夫婦』講談社を参考にざっくりとお話ししていきます。
世界初のデパート「ボン・マルシェ」
鹿島茂氏の 『デパートを発明した夫婦』 では世界初のデパート「ボン・マルシェ」を題材にデパートの誕生とその発展過程を解説しています。
「ボン・マルシェ」がデパートとしての形を成したのは1852年。それまではマガザン・デ・ヌヴォテという、デパートの前段階的なお店の形態で商売をしていました。
マガザン・デ・ヌヴォテ は前回紹介しましたパリ万博のように、明るいウインドーで商品を陳列し、従来の「商品を見せない小売店」とは一線を画した商売をしていました。
しかしまだまだ時代が追いつかず、社会全体に定着するほどではなかったのです。
ですが1852年から始まった第二帝政期からは時代の流れが明らかに変わっていきます。
経済第一主義、街並みを一変させ、広い道路、巨大な建造物を次々と建てるパリ大改造、鉄道網の急拡大、株式相場の高騰による巨大資本の出現など、様々な要因が絡まりついに巨大なデパートが出来上がる素地が整い始めたのでした。
鹿島氏は、「デパートとは純粋に資本主義的な制度であるばかりか、その究極の発現」であるとします。
そしてそれはなぜかというと、「必要によってではなく、欲望によってものを買うという資本主義固有のプロセスは、まさにデパートによって発動されたものだからである」と述べるのです。
つまり、現在私たちが生きている資本主義のシステムはここから始まったと言えるほどデパートの誕生は大きな意味を持つものだったのです。
「ボン・マルシェ」の何がすごかったのか
この著書ではデパート誕生の前段階から全盛期までひとつひとつ丁寧に解説されていますのでこれ1冊を読めば「ボン・マルシェ」がいかにすごかったのかは一目瞭然です。ですので興味のある方はぜひこれを読んで下さいとしか言いようがないのですが、なんとか「ボン・マルシェ」の特徴をここではいくつか紹介していきたいと思います。
ボンマルシェの特徴をざっくりと挙げていきますと、
- 薄利多売
- 現金販売(手形を用いない取引)
- バーゲンセールの発明
- 目玉商品というコンセプト
- 商品の返品可能
- 巨大な店舗、売り場面積
- 客の度肝を抜く商品ディスプレイ、売り場空間
- ライフスタイルの提唱、教育
- 贅沢品に対する罪悪感の消滅
- 子供の夢の国としてのデパート
- 広告の利用
- カタログによる通信販売
といったものが主に「ボン・マルシェ」の特徴と言うことができるでしょう。
私たちがよく行くバーゲンセールも、「ボン・マルシェ」の発明だったのです。どうしても売り上げが少なくなってしまう時期にお客さんを集めるために目玉商品を用意し、大売り出しをすることで年中コンスタントに利益を確保する方法を編み出したのです。
薄利多売も今では当たり前になってはいますが、これもこの時代に鉄道網の拡充によって大量の物資を迅速に運べるようになったからこそ可能になったのです。そこにいち早く目をつけ、システム化したのが「ボン・マルシェ」だったのです。
いかがでしょうか。これらはもはや私たちの生きる現代と全く変わらないのではないでしょうか。
「ボン・マルシェ」の存在はそのまま私たちの生活に直結しています。
創業者のブシコーは人々の欲望を解放する天才でした。デパートの存在は人々の欲望を刺激し、肯定します。そして買わずにはいられない心理へと導くのです。
ブシコーという魔術師の登場により、〈ボン・マルシェ〉に行くことは、まるでディズニー・ランドにでもいくような、胸のわくわくするファンタスティックな体験となり、買い物は、必要を満たすための行為ではなく、自分もスペクタクルに参加していることを確認する証となる。
いいかえれば、消費者は、スペース・マウンテンやキャンプテンEOに行列するような浮かれた気分で、絹織物やマントを買う。それが必要だからというのではなく、それがそこに陳列されているからというだけの理由で。
もはや、商品が安いか高いかなどということは問題とはならない。たとえぼ『ボヌール・デ・ダム百貨店』の中に登場するマルティ夫人は、ある商品が安いから買ったと説明するが、それはただ購買衝動を覆いかくすための口実でしかない。
極端な言い方をするなら、買いたいという欲望がいったん消費者の心に目覚めた以上、買うものはどんなものでもいいのだ。まず消費願望が先にあり、消費はその後にくるという、消費資本主義の構造はまさにこの時点で生まれたのである。
講談社現代新書 鹿島茂『デパートを発明した夫婦』P69-70
※適宜改行しました
もはや、「必要だから買う」ではないのです。
「欲しいから買う」なのです。
これは当時の商業形態からすると革命的な変化でした。
この変化が鹿島氏が述べるように私たちの生きる消費資本主義の時代の幕開けになったのです。
この引用に出てきた『ボヌール・デ・ダム百貨店』とはフランスの偉大な作家エミール・ゾラの小説です。
ゾラは実際にデパートを取材し、その発展過程やその特徴を忠実にその小説に描いています。
物語としてデパートを学ぶなら最適の一冊です。
まとめ
さて、前回のパリ万博に引き続き、欲望の喚起装置であるデパートについてここまでお話ししてきました。
パリ万博が国家レベルの欲望喚起の事業だとするならば、民衆レベルの欲望喚起の事業がこのデパートの役割だったのではないかと私は思います。
パリ万博とデパートの相乗効果はすさまじいものがあり、パリの商業システムは一気に変革の時を迎えます。
そしてこの商業形態は世界中を席巻し、今現在にまで続いているのです。
何度も繰り返しますが、ドストエフスキーはこういうパリにやって来たのです。
「小林秀雄『読書について』に痺れる!こうして私はドストエフスキーを読み始めた~私とドストエフスキーの出会い⑷ 」の記事でも少し触れましたが、ドストエフスキーはせっかく憧れの都パリに来たのに観光名所に一向に興味を示しません。
彼はひたすら街の様子や人々の生活、その様子に心を傾けるのでありました。
パリの目立つ場所にあった「ボン・マルシェ」のことをドストエフスキーはおそらく見ていたことでしょう。また、そこを訪れるお客さんたちの様子も見ていたはずです。
ドストエフスキーはこうした欲望追求の時代へと突き進むヨーロッパをどんな思いで眺めていたのでしょうか。
彼はデパートへと殺到していく群衆をどんな目で見ていたのでしょうか。
彼のヨーロッパ旅行記である『冬に記す夏の印象』では悲し気で憂いに満ちたトーンで回想が語られ、ロンドンやパリに対しては怒りすら感じさせる口調で彼はヨーロッパを語ります。
まだまだ「ボン・マルシェ」について話したいことは山ほどあるのですがこれ以上はきりがありません。何度も言いますが、この本を読んで下さいとしか言いようがありません。
私たちが普段何気なく買い物しているこの世界の成り立ちがビシッとこの一冊に凝縮されています。この本はものすごい本です。社会科の教科書にしてほしいくらいです。非常におすすめです。
以上、鹿島茂『デパートを発明した夫婦』デパートはここから始まった!フランス第二帝政期と「ボン・マルシェ」でした。
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