批評の神様によるドストエフスキー論 小林秀雄『ドストエフスキイの生活』

ドストエフスキー資料データベース

本日は新潮文庫出版の小林秀雄『ドストエフスキイの生活』の生活をご紹介します。

小林秀雄は昭和に活躍した批評の神様と呼ばれた文学者です。

小林秀雄は批評の神様と呼ばれたように、日本の文学界に絶大な影響を与えました。その影響は学者や文学者だけではなく、日本の読書人全体にわたります。

その小林秀雄が満を持してドストエフスキーを評論したのがこの『ドストエフスキイの生活』です。その結果、日本におけるドストエフスキー像に多大な影響を与えることになりました。

さて、この評論の特徴は E・H・カー『ドストエフスキー』 の伝記を参考にしながら、小林秀雄独自の感性でドストエフスキーを論じていくというところにあります。

江藤淳による巻末の解説によれば小林秀雄自身、この評論の執筆動機について次のように語っています。

「……僕は批評文を書いているうちに、小説家とか作家とかいうのがだんだん僕の主観を離れて独立して生きて来たことを近頃感じたのだ。だから、なるほど、小説家がほんとに人生を見てるように俺は作品を見てる―そういうところまでやって来た、という自信が出来て来たんだよ―どういう訳だか知らないけれどね。それが、僕があれをやる動機なんだ。つまり僕はドストエフスキイという奴をどういうふうに評論しようかというよりも、どんなふうに描こうかという事が僕の評論になる。そういう自信が出来たんだよ。だからまあどんなものが出来るか、結論なんというものは僕には全くわからない。僕は昔は結論を知らなきゃ評論が書けなかったものだ。この頃は結論を知らなくて書けるんだ。……そして非常に楽しいんだ。ドストエフスキイがどういうふうに現われるか、どういうふうに生きるか、それだけが僕には問題なんだ……(中略)俺のドストエフスキイ論なんて、世界の一流知識人の書いた評論と同じレべルにまで行かそうと思っているよ」P619

小林秀雄節全開です。何を言っているのかわかるようでわからない、イマイチ雲を掴むような歯がゆい感覚ですがなぜか格好いい。言葉が難しくて頭をひねりながらもなぜか引き込まれてしまうという小林秀雄の摩訶不思議です。

おそらく、小林秀雄によると「ドストエフスキイという奴をどういうふうに評論しようかというよりも、どんなふうに描こうかという事 」がこの本の主題になっているのではないかと思われます。

つまり、資料を駆使して客観的にドストエフスキーを分析していくのではなく、小林秀雄自身から生まれたドストエフスキー像を描くというのが彼の意図なのではないかと思われます。

解説は次のように続けます。

「このような作者の意図は、『ドストエフスキイの生活』で、半ば達成されているといってよい。小林は、ほとんど同じ史料に拠りながら、E・H・カーの描いたそれとは対照的なドストエフスキーの像を発掘し、それを見事に活かしているからである。この対照が、単に小林秀雄とE・H・カーというニつの強い個性の対照の域を超えて、日本の教養人と英国の教養人との人間認識の方法の対照にまで及んでいるのは、小林がいかに高い達成に到達し得たかの証拠である。」P620

解説者の話すように、この評論は小林秀雄流のドストエフスキー論として一つの到達点に達しているとされています。

日本人がどのようにドストエフスキーを受容してきたかを学ぶ上で大きな資料となりうる評論と言うことが出来るのではないでしょうか。

『ドストエフスキイの生活』はE・H・カーの伝記に沿いつつ、文庫版でおよそ250ページというコンパクトな分量でドストエフスキーの生涯を論じています。

以前私がアップしましたこうして私は腹を決めた~小林秀雄とドストエフスキー の記事でもお話ししましたように、私はこの著作によってドストエフスキーに強い関心を持つようになりました。

小林秀雄の文章の魔力と申しましょうか、やはりこの方の言葉には何かよくわからないが人の感情を揺さぶるような謎の力があります。日本の文学青年から絶大な支持があったのも頷けます。批評の神様と呼ばれる所以をこの本から感じることが出来ました。

新潮文庫の『 ドストエフスキイの生活』には、他にも「カラマアゾフの兄弟」「罪と罰についてⅠ・Ⅱ」「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」という評論も収録されています。小林秀雄によるドストエフスキー論を学ぶには格好の一冊となっております。

文庫本サイズで手に取りやすいのも嬉しいポイントです。

小林秀雄の言葉の魔力により、ドストエフスキーがものすごく格好良く感じられてくる評伝です。

批評の神様による小林節全開のドストエフスキー論『ドストエフスキイの生活』 ―とてもおすすめです。

以上、小林秀雄『ドストエフスキイの生活』でした。

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