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ドストエフスキー『地下室の手記』概要とあらすじ
『地下室の手記』は1864年に『世紀』誌3月号、4月号に連載された作品です。
私が読んだのは新潮社出版の江川卓訳の『地下室の手記』です。
裏表紙のあらすじを見ていきます。
誰にも愛されたことがない。人を愛したこともない。
社会から隔離された暗闇の部屋で綴られる、どす黒き魂の軌跡。
この作品を通過せずして、『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』等の後年の大作は生れなかった。
極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。
Amazon商品紹介ページより
この作品はフランスのノーベル賞作家アンドレ・ジイドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評されました。ジイドのドストエフスキー論はとてもわかりやすく、また刺激的なので個人的にかなりおすすめな参考書です。
さて、本作品ですがタイトルにもありますように、主人公は自分の地下室に閉じこもった小官吏。
彼は極端に自意識過剰でとてつもなくひねくれています。
物語のスタートは彼の独白から始まるのですが、いきなり読者の度肝を抜くような奇妙な言葉が続きます。
「ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなど、ぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いのかも正確には知らない。医学や医者は尊敬しているが現に医者に診てもらっているわけではなく、これまでにもついぞそんなためしがない。そこへもってきて、もうひとつ、ぼくは極端なくらい迷信家ときている。まあ、早い話が、医学なんぞを尊敬する程度の迷信家ということだ。(迷信にこだわらぬだけの教育は受けたはずなのに、やはりぼくは迷信をふっきれない。)いやいや、ぼくが医者にかからぬのは、憎らしいからなのだ。といっても、ここのところは、おそらく、諸君のご理解をいただけぬ点だろう。ぼくにはわかっているのだから。むろん、ぼくにしても、この場合、では、だれに向って憎悪をぶちまけているのだといわれたら、説明に窮するだろう。ぼくが医者にかからぬからといって、すこしも医者を《困らせる》ことにならぬくらい、わかりすぎるほどわかっているし、こんなことをやらかしても、傷つくのはぼくひとりきりで、ほかのだれでもないことも、先刻ご承知だからである。けれど、やはり、ぼくが医者にかからないのは、まさしく憎らしいからなのだ。肝臓が悪いなら、いっそ思いきりそいつをこじらせてやれ!」
新潮社 江川卓訳『地下室の手記』『地下室の手記』P6
地下室人は「ぼくは病んだ人間だ。意地の悪い人間だ、およそ人好きのしない人間だ」といきなり自分を貶めることを告白します。(実はこれすらも自分を守る仮面的な告白にすぎないのですが…)
そしてそれを自己弁護するかのように肝臓のせいだと言います。
さらに「もっとも」と読者の思考を先回りするかのように勝手に話を進めていきます。
自意識過剰でとてつもないひねくれもの。とにかく彼は相手の思考を先回りし、「いやいやあなたがそう思うのはわかりますがね…」と自分から話すことで自己弁護し、そこからまた妙な理由を並べ立て読者を揺さぶり、さらにそれに対しても「ぼくはわかってますよあなたが困っているのも」とさらに妙なことを言い出すのです。
地下室人は常にこの調子で語り続けます。あまりに奇妙!初めてこの小説を読んだ人はおそらく面食らうことになるでしょう。
ですが、訳のわからぬ論法で続く彼の独白に、不思議なことになぜか引き込まれてしまうのです。それはまるで彼の口から紡ぎ出される呪文や黒魔術のよう。
そして地下室人はそこから理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであるとを主張していきます。
この点については以下の記事で解説していますので、そちらを読んで頂ければ幸いです。
何はともあれ、彼は理性的、合理的な精神を否定し、自分が何者であるかを語ります。
そして小説の後半ではそんな彼に起こったある出来事を読者の前に披露することになります。
それもまた彼の性質を余すことなく伝えるもので、彼のひねくれっぷりを示すことになるのですが、これまたなぜか引き込まれてしまうエピソードなのでありました・・・
感想
この作品のあらすじや重要なポイントを簡潔にまとめるというのは非常に難しい。つくづくそれを感じます。
あらすじを言おうにも、前半は地下室人の独白で、後半はそんな彼がなぜこうなってしまったかというエピソードが語られるのですが、この話がまた何とも奇妙なのです。
完全に病んだ人間、とまではいかなくともそこにあるのは精神的にはかなり闇に落ち込んだ混沌です。
理性的、合理的な思考とはあまりにかけ離れた彼の行動や思考。
それは人間心理の奥底にある不条理な魂の叫びと言えばいいのでしょうか。
人間は二二が四のような数学的、合理的な存在ではない。もし人間がそういう存在なら機械となんら変わることがないじゃないか。それがはたして人間と言えるのだろうか。
ドストエフスキーは地下室人を通してそれを問いかけます。
この作品は文庫本でおよそ200ページ少々と、ドストエフスキー作品にしては少なめの分量です。ですので手に取りやすい本であるのは間違いないと思います。
そしてドストエフスキーらしさ全開の語り口を堪能できるという点でもこの本は一際存在感を放っています。
人間の心の奥底のどろどろな部分、何が飛び出してくるかわからぬ混沌が地下室人の自意識過剰でひねくれた言葉を通して現れてきます。
たしかに、初めてこの作品を読むと、あまりに独特で奇妙な語り口に度肝を抜かれるかもしれません。しかしなぜか彼の術中に引き込まれてしまうのです。
地下室人は決して世の中の勝者ではありません。彼は世間的には人好きのしないダメな人間です。自分の殻に閉じこもり、周りと合わせることができない孤独な人間です。
でも、だから何だというのです、おれにだって叫びたいことはあるんだと、地下室人は言っているかのようです。
そういう、敗者の哲学、虐げられた人間の反抗とでも言うべき訴えがこの作品には込められているのではないでしょうか。
そう言うと、なんだか難しそうな本かなと思われるかもしれませんが、この小説は難解な哲学書というわけではありません。地下室人のひねくれっぷりがとてつもないだけで、難解というわけではありませんのでご安心を。
あらすじにもありましたようにこの作品は「ドストエフスキー全作品を解く鍵」と言われるほどドストエフスキーの根っこに迫る作品です。
ドストエフスキーらしさを実感するにはうってつけの作品です。
有名な大作が多いドストエフスキーではありますが、『地下室の手記』は分量的にも読みやすいのでとてもおすすめです。ぜひ読んで頂きたい作品です。
この作品は時代を経た今でも、現代社会の閉塞感を打ち破る画期的な作品だと私は感じています。
以上、「『地下室の手記』あらすじ解説―ドストエフスキーらしさ全開の作品~超絶ひねくれ人間の魂の叫び」でした。
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