MENU

ジイド『ソヴェト旅行記』あらすじと感想~フランス人ノーベル賞文学者が憧れのソ連の実態に気づいた瞬間

目次

アンドレ・ジイド『ソヴェト旅行記』概要と感想~フランス人ノーベル賞文学者が憧れのソ連の実態に気づいた瞬間

今回ご紹介するのはアンドレ・ジイド著『ソヴェト旅行記』という本です。

私が読んだのは新潮社版、小松清訳の『ジイド全集第十二巻』所収の『ソヴェト旅行記』です。

私がこの本と出会うきっかけとなったのは「ロシア・ビヨンド」というサイトの以下の記事がきっかけでした。

以前Twitterでもツイートしたのですがこの記事の中でジイドについて次のように紹介されていました。

アンドレ・ジイド(フランス)

ソ連のもう一人の「友人」で、フランスの有名作家であるアンドレ・ジイドは、1936年にモスクワを訪問した。彼は、マクシム・ゴーリキーの葬儀に参列し、レーニン廟で演説した。しかし、ソ連を旅したジイドは、この国の新体制とスターリンへのロマンティックなイメージを失い、フランスに戻ると、ノンフィクション『ソヴィエト紀行』の中で、否定的な実態を暴露した。結局、彼の作品はすべて、ソ連で発禁となった。

「ロシア・ビヨンド」レーニン廟上の外国の指導者や賓客たちより

ジイドはフランス人でしたがソ連に対し非常に強い関心を持ち、社会主義革命を進めるソ連に対し憧れを持っていました。そして1936年、ゴーリキーが危篤との知らせを受けソ連訪問が決まり、ソ連側からは熱烈な歓待を受けることになります。ゴーリキーについては以前紹介した以下の記事をご参照ください。

あわせて読みたい
帝政末期・ソ連時代を代表する作家ゴーリキーとドストエフスキー ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で社会主義思想によって人々の自由が失われる時代が来ることを予言しました。 そして実際にロシアはその通りになってしまったのです。ドストエフスキーがあれだけ危惧して読者に語りかけていたにも関わらず、そうなってしまったのです。そしてドストエフスキーは国民からもあまり読まれなくなった・・・ これは文学の敗北、思想の敗北なのではないかと私はふと思ってしまいました。いくら文学や思想を述べても、権力や武力で脅されたら私たちは無力なのではないか・・・そんなことを私は感じてしまったのです。 そのためこうした時代を学ぶために、まずはソ連を代表する作家ゴーリキーを読んでみようと私は思ったのでした。
あわせて読みたい
『スターリン伝』から見たゴーリキー~ソ連のプロパガンダ作家としてのゴーリキー 今回は『スターリン伝』という佐藤清郎氏の伝記とは違う視点からゴーリキーを見ていきました。ある一人の生涯を見ていくにも、違う視点から見ていくとまったく違った人物像が現れてくることがあります。 こうした違いを比べてみることで、よりその人の人柄や当時の時代背景なども知ることができるので私はなるべく様々な視点から人物を見るようにしています。

憧れのソ連を訪問し、どれほどこの国は素晴らしいのかと期待していたジイドでしたが、そこで彼は現実を知ってしまうことになります。その心情を綴ったのがこの『ソヴェト旅行記』という本になります。

せっかくですのでここでアンドレ・ジイドのプロフィールを見ていきます。

アンドレ・ジイドとは

アンドレ・ジイド(1869-1951)Wikipediaより

アンドレ・ジッド
(1869-1951)1869年、パリ生まれ。早くに父を亡(な)くし、清教徒の厳しい母に育てられる。マラルメのもとで象徴主義の洗礼を受けたのち、『パリュード』(1896年)で小説の可能性を模索。つづく『背徳者』(1902年)では、生の称揚とともに少年愛の世界を繰り広げる。他の小説に『狭き門』(1909年)、『法王庁の抜け穴』(1913年)、『田園交響楽』(1919年)などがあり、代表作の『贋金(にせがね)づくり』(1926年)は「メタフィクション」の先駆となった。政治参加にも積極的で、植民地経営やスターリン主義をいちはやく批判。『コリドン』(1924年)で男色を擁護し、『一粒の麦もし死なずば』(1926年)では自身の同性愛をカムアウトした。1947年にノーベル文学賞を受賞し、1951年、八十一歳で死去。2002年、フランスのガリマール社より未発表作『ラミエ』が出版される。

新潮社HPより

ジイドはノーベル文学賞を受賞し、ドストエフスキーにも造詣が深い作家で、彼の『ドストエフスキー』という作品はドストエフスキー論の古典として有名です。

あわせて読みたい
ジイド『ドストエフスキー』あらすじと感想~ノーベル賞フランス人作家による刺激的なおすすめドストエ... 『ソヴェト旅行記』と同じく新潮社版のジイド全集は旧字体で書かれているので一瞬面を食らうのですが、読み始めてみるととジイドの筆が素晴らしいのかとても読みやすいものとなっていました。 そして何より、ドストエフスキーに対する興味深い見解がいくつもあり、目から鱗と言いますか、思わず声が出てしまうほどの発見がいくつもありました。

『ソヴェト旅行記』

では、『ソヴェト旅行記』巻末の解題よりこの作品の背景を改めて見ていきましょう。

一九三〇年代のはじめ頃から《ジイドの転向》という言葉がフランスのみならず他国でも盛んに用いられるようになった。共産主義への転向という意味である。事実、その頃のジイドの日記には、社会問題や共産主義に対する深い関心を示す個所が随所に見出される。当時のジイドにとっては、ソヴェトは、人類や文化の運命と結びつく大きな可能性であり、希望であったのである。

一九三六年六月中旬、マクシム・ゴルキイの病篤しの報に接するや急遽空路モスコー(※モスクワ、ブログ筆者注)に向かった。モスコーについたのが六月十七日。全ソ連作家同盟代表のコリツォフ、旧知のソ連作家ピリニヤーク、ちょうどソ連に来ていたルイ・アラゴンなどがこれを迎えた。

だが、翌十八日、彼が見舞ういとまもなくゴルキイは長逝した。

六月二十日、〈赤い広場〉で行われた告別式では、ジイドは、新しい世界を過去の世界に結合させる運命を荷なっていたゴルキイの棺を前にして、心からなる追悼の辞を述べた。

深い悲しみを心にひめたまま、ジイドはモスコーに二週間滞在し、色々な社会的、文化的施設を視察し、各界の代表的人物に会った。その後、レーニングラードをはじめ、各地を歩き、九月三日、空路パリに帰った。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記』P324

ジイドはフランス人でしたが、三〇年代から共産主義へ傾倒し、ソ連を理想の国家として考えるようになっていました。そのジイドがユートピア、ソ連へ赴くことになったのです。当時は簡単にソ連に入ることはできませんでしたし、情報も厳しく統制されていましたのでソ連に関する情報はかなり偏ったものでしかありませんでした。憧れの国へ行くことができるということでジイドはこの旅にかなり期待していたようです。

しかし実際に行ってみると、彼は現実と直面することになりました。

ジイドのこの旅行には二重の悲しみがあった。一つはウージェーヌ・ダビの死であった。ダビは一足遅れてソヴェトを訪れ、ジイドと行を共にしたのであるが、セバストポリで猩紅熱に冒され、遂に異国の土となったのである。

もう一つの悲しみは、ソヴェトへの大いなる幻滅である。同年十二月『ソヴェト旅行記』(別名『ソヴェトより帰る』)をN・R・F社から発行した。これはソヴェトに於ける順応主義、文化鎖国主義に痛烈なメスを入れたもので、賛否両論、フランスのみならず、世界各国に異常な反響を呼び起こした。〈プラウダ〉や〈文学新聞〉がこれに猛烈な反撃を加えたことは勿論である。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』P324-325

彼が直面した悲しみは同行した友人の死と、何よりソ連への幻滅でした。

このソ連への旅とその時感じた思いを綴ったのが『ソヴェト旅行記』になります。ソ連を批判するこの本は賛否両論を巻き起こし、世界各国で異常な反響をもたらしたそうです。特に、ソ連からものすごい反撃が来たというのがリアルですよね。

私が読んだ『ジイド全集第十二巻』にはこうした反撃に対するジイドの反論が述べられた『ソヴェト旅行修正』という作品も収められています。

個人的にはこちらから先に読んでいった方がより『ソヴェト旅行記』がわかりやすくなると思います。

なぜジイドがソ連に幻滅するようになったのかということがより明快に書かれているのはこちらの方になります。

その一部をご紹介します。

「ソ連は私を欺いた」

私の信頼と讃嘆と欣びの失墜。それをあんなに深刻なもの痛ましいものにしたのは、諸君の空威張ブラフの行過ぎにあった。それと同じく、私がソヴェトを咎めるのも、決してより以上の結果をおさめていないからではない。

今になって、人はソヴェトがこれ以上のものを、もっと速かに収め得られなかった訳を私に説明してくれる。それを私が理解すべきであると言う。私が到底想像できないような低い段階から、ソヴェトが出発したということ、そして今日多くの労働者が生きている悲惨な状態も、かつて帝政時代の虐げられた人びとが空しく夢みたものだ、と言ってきかせてくれる。思うに、人々はかく言いながら、またいささか誇脹しているようだ。

否、私が特にソヴェトにたいしてあきたらなく思うのは、この国の労働者の生活を羨ましいもののように描いて、私たちを見事欺いたところにある。だから、私がフランスの共産党員を咎め立てするのも(私がここで問題にしているのは欺かれたコムニストでなくて、ソヴェトの現実を知っていた連中、或は知っていなければならなかった連中である。)自国の労働者を無意識的であれ意識的であれ(この場合は政策として)欺いたからである。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記修正』P115

ジイドがソ連を旅した際、彼は国賓扱いでソ連側から歓待されました。

最上級のホテルで最高級の食事やおもてなしを受け、彼が案内された場所では全てが完璧に整えられ、そこで出会う人々は皆夢や希望に溢れ、教養も素晴らしく、この国は驚くほど発達しているという印象を受けるようなものでありました。

しかし、ジイドはそうした完全護送スタイルの歓待からわざと距離を置き、一人で街を歩いたりしたそうです。そこで目にした光景や、人々との交流によって徐々にその実態を知ることになります。

『ソヴェト旅行記』『ソヴェト旅行修正』ではそうしたジイドの体験が綴られています。ここで紹介したいものが山ほどあるのですが、分量的にもそうはいきません。というわけで2つほどジイドのユーモアが効いた小話を紹介していきたいと思います。

小話①愛すべき案内人ー己の無知を知らぬことは、人間をたいへん肯定的にする

ここスゥフゥムは、ヴォロノフ教授の若返り法(註 ホルモン移植)や、その他の実験に使うために、非常に多くの猿を飼っている。これらの猿が、何処からきたのだろうと思って訊ねると、答は雑多であり、且つ矛盾だらけである。かつてアフリカの植民地(コンゴ)に行ったときと、少しも変わらない。多くの人たちは、漠然とした知識や無駄な言葉を並べることに満足しているようである。とりわけ、私たちの通訳と案内役をしてくれている愛すべき女性の同志はそうである。

とに角、この女史にかかると、何事にもすらすら解答こたえがでてくるし、従って返事に窮するということがない。自分の知らぬことほど、答は確乎としている。ただ、自分では少しもそのことに気がついていない。だが、彼女は私にこんなことを教えてくれる。ー己れの無知を知らぬことは、人間をたいへん肯定的にするものだということを。これらの人々の精神は≪いい加減≫な知識と出鱈目な材料と模造品ででっちあげられている……。

「ここで飼っている猿は、どこからきたものか、判りますか?」

「判りますとも。わけありませんわ。」(と言いながら。私たちにつきそっている人に訊ねる。)

「ここの猿は殆んどみなここで生れたのです。ええ、殆んどみなここの生れですわ。」

「でも、ここには、もともと猿はいなかったと聞いているが、やはり初めは何処からか連れてきたのでしょう?」

「勿論そうですわ。」

「そうだとすると、何処から連れてきたのでしょう?」

すると今度は、連れの人にきかないで、さっそく落着き払って、

「方々から少しづつ連れてきたのですわ。」

私たちの愛すべき案内者は、申し分のないほど親切で、献身的である。憎むらく、いささか退屈なのは、彼女の教えてくれることが、誤っているという点で、はっきりしていることだ。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記修正』P171-172

この小話がジイドがユーモアを効かせた皮肉であることは見逃せません。ソ連では情報が統制され、自分で何かを考えることは反抗分子と見なされ収容所送りにつながります。ソ連の人々はもはや自分では考えることができない、でも「答え」は持っている。党から与えられる「正しい答え」が彼らを肯定的にするとジイドが皮肉るのです。

小話②質素な生活は仮の姿?

パリに帰ってから。、、、、、、、、

ソヴェトから帰ってきた善良なCは、すっかり有頂天になっている。Cが私に言う。

「あの国の偉大な指導者たちが、ひどく特権階級的だと仰言るが、どんな点をみてそう言われるのです?私はKとよくつき合っていたが、とても親切で、しかも質素な生活をしていましたよ。彼のアパートにも行きましたが、豪奢とか贅沢といったところはまるでなかったですよ。夫人にも紹介されましたが、これまた気持のいい質素なひとでしたよ……」

「夫人って、どの夫人?」

「どの夫人って、どういうことです?つまり彼の奥さんですよ。」

「あ、あの正妻のことかね。君は知らんのかい、三号まであるってことを?だからアパートだって、もう二つあるし、保養地にだって楽に出かけられるし、自動車だって三台ある。君が見たのは、いっとう粗末な、つまり本宅用のやつだよ……」

「そりゃ本当ですか?」

「本当だとも、正真正銘。」

「それでよく党がそんなことを黙って見ていますね。どうして、スターリンが?……」

「君もいい加減、お人好しだね。スターリンが恐れているのは、純粋な人物、私腹を肥やしてない痩せた人間たちだよ。」
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記修正』P173

これもかなり皮肉が効いていますよね。党幹部の腐敗はレーニン時代からすでに始まっていましたがスターリン時代にはさらに進行していたようです。

あわせて読みたい
(13)レーニン崇拝、神格化の始まりとソ連共産党官僚の腐敗 マルクス主義、社会主義、資本主義など、ソ連の話はイデオロギー論争として語られることが多いです。 しかし、それらの議論ももちろん重要なのですが、どの主義であろうと、権力を握った人間がどうなるのか、官僚主義はどういった危険があるのか、平等な分配はありえるのかなどの問題は人間の本質に関わる問題であるように思います。

最後の言葉がまた痛烈です。「君もいい加減、お人好しだね。スターリンが恐れているのは、純粋な人物、私腹を肥やしてない痩せた人間たちだよ。」という言葉でソ連を強烈に批判しています。

ソヴィエトにおける順応主義ー幸福は、希望と信頼と無知によって作られる

『ソヴェト旅行記修正』に収められたジイドの小話2つを紹介しましたが、最後に『ソヴェト旅行記』からジイドのソ連評の重要な箇所を紹介したいと思います。

ソヴェトに於ては、何事たるを問わずすべてのことに、一定の意見しかもてないということは、前もって、しかも断乎として認められているのである。

だが、人々はみな、非常によく訓練された精神の持主となっているので、こうした順応主義も、彼らには容易な、自然な、一向に平気なものとすらなっている。そこに偽善があろうなどとは考えられないほどに。……

革命をやったのはこれらの人たちだろうか?いや、彼らは革命の恩恵をうけている人々でしかない。毎朝、プラウダ紙は、彼らが知り、考え、信じるに相応しいことを彼らに教えている。その教えの範囲から外にでることは危い!だから、一人のロシア人と話していても、まるでロシア人全体と話しているような気がする。

これは各人が一つの合言葉に文字どおり服従しているからではなく、一切が各人を類似させるように手入れされているからだ。しかも、このような精神の訓練は、ずっと幼ない子供の時代からはじめられるのである。

そこから、異国人たる君には、時として不思議に思われるあの異常な受諾と、それにもまして君を驚かせるあの幸福の可能性が生れてくるのである。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記』P32

「毎朝、プラウダ紙は、彼らが知り、考え、信じるに相応しいことを彼らに教えている。その教えの範囲から外にでることは危い!だから、一人のロシア人と話していても、まるでロシア人全体と話しているような気がする。」というジイドの実感はなんとも不気味ですよね。

そしてそのようなロシア人の精神は幼い頃からの訓練によって染みこまされたものであるとジイドは述べます。レーニン、スターリンと続いてきた共産党政権は長い時間をかけて国民の精神を教育していきました。その効果が1930年代後半頃には露骨に表れてきていたのでした。

これは他人ごとではありません。私達の生きる日本はどうでしょうか。当時のソ連とは絶対に違うと言い切れるでしょうか。教育の怖い所は、それが完全に染み込んでしまうともはやそれを疑問に思うことも違和感を感じることもなくなってしまうところにあります。もはやそれが完全に「当たり前」になってしまい、無意識なものとなってしまうのです。ジイドはそのことをここで指摘していると思われます。ジイドは続けます。

君は、幾時間も列をつくって並んでいる彼らを不憫に思う。しかし彼らにとっては、待つということは極めて自然なことなのだ。ここのパンや野菜や果物を君は不味く思うだろう。しかし、これよりほかのものはないのだ。人々が君に見せるこれらの布、これらの品物を、君は醜いと言う。が、選択の余地はないのだ。

少しも未練を感じさせないあの過去は別としても、他に比較するものをもたない彼らは、与えられたものに悦んで満足しなくてはならない。要は、人々に少くともよりよき生活を待っている間、彼らはみな可能な範囲において幸福であると信じこませることである。他所のいづこの国の人間も、彼らより幸福でないということを信じこませることである。

そして、こうしたことは、細心に外部とのあらゆる接触(すなわち国境の彼方との)を妨げることによってはじめて出来るのである。

そのお陰で、ロシアの労働者は、フランスの労働者と同じ位の、或は明らかに低い生活条件にありながら、なお自分を幸福と信じているし、また実際、フランスの労働者などよりは一層、いや比較にならぬほどずっと幸福である・・・・・。謂わば、彼らの幸福は、希望と信頼と無知によってつくられているのである。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記』P32-33

ソ連人は外国とは断絶され、国外のことはほとんど知りませんでした。そのため比べるべき対象がなかったのです。

このことは2019年に私がキューバを訪れたときにもガイドさんから聞いた記憶があります。

あわせて読みたい
ブエナビスタ・ソシアル・クラブのライブ体験とガイドさんに聞くキューバ人の陽気さ キューバ編⑩ キューバといえば陽気なラテンの人々。 これまでお話ししてきましたようにキューバ革命の指導者カストロも底抜けの楽観主義者だったそうです。 キューバ人はとにかく陽気で、歌い、踊り、生きることを楽しむ。様々な本でキューバ人の気質はそのように述べられていました。 しかし、私は正直心の中でこう思いました。 「本当にそうなのだろうか?さすがにみんながみんなそうではあるまいさ。それは外国人が作った誇張されたイメージなのでは?」 と、いうわけでハバナ散策の際に同行して下さった現地ガイドのダニエルさんに思い切ってそのことを質問してみたのでした。

ガイドさんはこう言っていました。

「キューバ人は他国のことを知りません。比べる相手のことを知らないのです。

山の中で孤立していた村のようなものです。

外部のことはまったく知りませんが、逆に言えば村のみんなのことは知っていますし、小さい時からずっと住み続けています。

これもキューバ人の気質を育んだひとつの要因かもしれませんね。」

これはジイドが言う状況とも似ているような気がします。

ただ、ソ連はキューバよりもかなり強制的に国民を教育していた点では違うかもしれません。

この引用の最後の「ロシアの労働者は、フランスの労働者と同じ位の、或は明らかに低い生活条件にありながら、なお自分を幸福と信じているし、また実際、フランスの労働者などよりは一層、いや比較にならぬほどずっと幸福である・・・・・。謂わば、彼らの幸福は、希望と信頼と無知によってつくられているのである。」というのはあまりに示唆的であると思います。

ドストエフスキーに造詣の深いジイドらしいコメントであるようにも感じます。

これはまさしく『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官の章」の問題そのものではないかと私は思ってしまいました。

あわせて読みたい
『カラマーゾフの兄弟』大審問官の衝撃!宗教とは一体何なのか!私とドストエフスキーの出会い⑵ 『カラマーゾフの兄弟』を読んで、「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私の上にドストエフスキーの稲妻が落ちます。 私は知ってしまいました。もう後戻りすることはできません。 これまで漠然と「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私に明確に道が作られた瞬間でした。 私はこの問題を乗り越えていけるのだろうか。 宗教は本当に大審問官が言うようなものなのだろうか。 これが私の宗教に対する学びの第二の原点となったのでした。

スターリンは人々に何が正しくて、何をすべきかを教えました。それに沿って行動すれば立派なソ連人、そこから逸脱すれば反抗分子、裏切り者となります。

善と悪の基準は個々の良心における問題ではなく、スターリンの与える答えに従順であるかどうかでしかなくなってしまったのです。しかし、従順でさえいれば、幸福が約束される(本当に幸福かどうかは別として)。

こうした社会をジイドはソ連への旅で見出してしまったのでした。だからこそ彼は憧れていたソ連に幻滅してしまったのです。

最後にソヴィエトに対するジイドの見解を引用してこの記事を終えたいと思います。

今日、ソヴェトで≪反対派≫と呼ばれているものは、自由なる批判と思想の自由の持ち主に他ならない。スターリンは同意しかうけつけない。彼に喝采をおくらないものを、すべて敵としてみる。彼は、しばしば、他人の提出した改革意見を、あとになって自分のものにすることがある。すっかり自分のものにするために、先づ提案した人間をなくしてしまう。これが彼の理屈を通す常套手段である。

だから、やがて彼の周囲には、彼にとって害を及ぼさない連中しかいなくなる。害を及ぼさない連中とは、まるっきり意見といったものを持たない人間たちである。己れの身辺に有能の士を置かず、おもねる者のみを置く。これが専制主義の真髄なのである。
※一部改行し、旧字を新字に改めました

新潮社版、小松清訳『ジイド全集第十二巻』所収『ソヴェト旅行記修正』P145

ジイドはソ連に対してこのように述べました。

しかしこれは当時のソ連だけの問題ではありません。私たちが生きる現代においてもこの言葉は生きています。世界中見回してもまさしくそうですよね。日本だって全く他人事ではありません。ソ連の歴史を学ぶことは「今の世界」を学ぶことでもあります。

ジイドの『ソヴェト旅行記』は非常に興味深い本でした。本当はもっともっと紹介したい箇所があったのですがそこはぜひ皆さん自身で手に取ってみてください。ものすごく面白い本ですのでとてもおすすめです。

以上、「ジイド『ソヴェト旅行記』フランス人ノーベル賞文学者が憧れのソ連の実態に気づいた瞬間」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

アンドレ・ジイド全集〈第12巻〉ソヴェト旅行記 (1950年)

アンドレ・ジイド全集〈第12巻〉ソヴェト旅行記 (1950年)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
ジイド『ドストエフスキー』あらすじと感想~ノーベル賞フランス人作家による刺激的なおすすめドストエ... 『ソヴェト旅行記』と同じく新潮社版のジイド全集は旧字体で書かれているので一瞬面を食らうのですが、読み始めてみるととジイドの筆が素晴らしいのかとても読みやすいものとなっていました。 そして何より、ドストエフスキーに対する興味深い見解がいくつもあり、目から鱗と言いますか、思わず声が出てしまうほどの発見がいくつもありました。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
『共食いの島 スターリンの知られざるグラーグ』あらすじと感想~人肉食が横行したソ連の悲惨な飢餓政策... この本ではこうした人肉食が起こるほどの飢餓がなぜ起きたのか、なぜロシアがこれほどまでに無秩序な無法地帯になってしまったのかが語られます。 この本はかなりショッキングな内容の本ですが、大量殺人の現場で何が起きていたのか、モスクワとシベリアの官僚たちのやり取り、ずさんな計画を知ることができます。

スターリン関連の記事一覧はこちらです。全部で14記事あります。

あわせて読みたい
ソ連の独裁者スターリンとは~その人物像と思想、生涯を学ぶ「スターリン伝を読む」記事一覧 レーニンに引き続きスターリンも学んできましたが、この二人の圧倒的なスケールには驚かされるばかりでした。 スターリンがこれほどまでの規模で粛清をしていたということすら知りませんでした。 そして、レーニン・スターリンというカリスマ2人によってソ連が形作られ、その後の世界を形成していった流れをここで知ることができました。

関連記事

あわせて読みたい
横手慎二『スターリン 「非道の独裁者」の実像』あらすじと感想~スターリン入門におすすめの一冊 この本は単純にスターリンを大悪人として断罪するのではなく、なぜロシア人は今でもなお彼を評価するのだろうかという観点を軸にスターリンとは何者かを解説していきます。 スターリン入門として読みやすく、偏りのない記述ですのでこの本はおすすめです。
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』あらすじと感想~ソ連の独裁者スターリンとは何者だ... この作品の特徴は何と言っても人間スターリンの実像にこれでもかと迫ろうとする姿勢にあります。スターリンだけでなく彼の家族、周囲の廷臣に至るまで細かく描写されます。 スターリンとは何者だったのか、彼は何を考え、何をしようとしていたのか。そして彼がどのような方法で独裁者へと上り詰めたのかということが語られます。
あわせて読みたい
(1)スターリンとは何者なのか~今私たちがスターリンを学ぶ意義とは  スターリン自身が「私だってスターリンじゃない」と述べた。 これは非常に重要な言葉だと思います。 スターリンはソ連の独裁者だとされてきました。しかしそのスターリン自身もソヴィエトというシステムを動かす一つの歯車に過ぎなかったのではないか。スターリンが全てを動かしているようで実はそのスターリン自身もシステムに動かされていたのではないかという視点は非常に興味深いものでした。 独裁者とは何かを考える上でこの箇所は非常に重要であると思います。
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 青春と革命の時代』あらすじと感想~スターリンの怪物ぶりがよくわかる驚... 前作の『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』も刺激的でかなり面白い書物でしたが、続編のこちらはさらに面白いです。独裁者スターリンのルーツを見ていくのは非常に興味深いものでした。 彼の生まれや、育った環境は現代日本に暮らす私たちには想像を絶するものでした。暴力やテロ、密告、秘密警察が跋扈する混沌とした世界で、自分の力を頼りに生き抜かねばならない。海千山千の強者たちが互いに覇を競い合っている世界で若きスターリンは生きていたのです。 この本を読めばスターリンの化け物ぶりがよくわかります。
あわせて読みたい
ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』あらすじと感想~スターリン時代の粛清・虐殺とは この本ではスターリンによる大量殺人がどのようなものであったかがわかりやすく解説されています。 ナチスによるホロコーストは世界的にも非常によく知られている出来事であるのに対し、スターリンによる粛清は日本ではあまり知られていません。なぜそのような違いが起きてくるのかということもこの本では知ることができます。
あわせて読みたい
『スターリン伝』から見たゴーリキー~ソ連のプロパガンダ作家としてのゴーリキー 今回は『スターリン伝』という佐藤清郎氏の伝記とは違う視点からゴーリキーを見ていきました。ある一人の生涯を見ていくにも、違う視点から見ていくとまったく違った人物像が現れてくることがあります。 こうした違いを比べてみることで、よりその人の人柄や当時の時代背景なども知ることができるので私はなるべく様々な視点から人物を見るようにしています。
あわせて読みたい
ソ連とドストエフスキー~僧侶の私がなぜ私がソ連を学ぶのかー今後のブログ更新について ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で来るべき全体主義の悲惨な世界を予言していました 文学は圧倒的な権力の前では無力なのか。思想は銃の前では無意味なのか。 私はやはりソ連の歴史も学ばねばならない。ここを素通りすることはできないと感じました。だからこそ私はドストエフスキー亡き後の世界も学ぼうとしたのでした。
あわせて読みたい
T・スナイダー『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』あらすじと感想~独ソ戦の実態を知... スターリンはなぜ自国民を大量に餓死させ、あるいは銃殺したのか。なぜ同じソビエト人なのに人間を人間と思わないような残虐な方法で殺すことができたのかということが私にとって非常に大きな謎でした。 その疑問に対してこの上ない回答をしてくれたのが本書でした。 訳者が「読むのはつらい」と言いたくなるほどこの本には衝撃的なことが書かれています。しかし、だからこそ歴史を学ぶためにもこの本を読む必要があるのではないかと思います。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次