MENU

帝政ロシア末期を代表する作家チェーホフ―ドストエフスキー亡き後のロシアを知るために

チェーホフ
目次

なぜチェーホフが必要なのか―チェーホフとの出会い

前回の記事まででドイツの厭世哲学者ショーペンハウアーについてお話ししていきました。

ここからはロシアの偉大な作家チェーホフについてお話ししていきます。

チェーホフ(1860-1904)Wikipediaより

チェーホフとはどんな人物かと言いますと、次のようになります。

帝政ロシア末期を代表する世界的作家。短編小説の名手で、『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』の四大戯曲を残した。農奴の祖父を持ち貧しい生まれながら医師となり、執筆と並行して医療や地域活動に献身。流刑地だったサハリン(樺太)にも赴いた。

祥伝社、ヴィリジル・タナズ、谷口きみ子、清水珠代訳『チェーホフ』裏表紙

チェーホフが文学者として活動し始めたのは1880年。ドストエフスキーが亡くなる直前です。

彼が文学者として活躍したのはまさにドストエフスキーやツルゲーネフが亡くなった直後のロシアでした。

ドストエフスキーやツルゲーネフ亡き後ロシア文学界はどうなっていたのか、そしてこの二人の死後、彼らの思想がどのように受け止められていたかを知るにはチェーホフを学ぶことが大きなヒントになります。

そして私がチェーホフを読もうと思った最大の理由は『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』の著者のロシア文学研究者佐藤清郎氏の影響がありました。

あわせて読みたい
佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』あらすじと感想~これ1冊で両者の特徴を... やはり比べてみるとわかりやすい。特に、ツルゲーネフとドストエフスキーは真逆の人生、気質、文学スタイルを持った二人です。 この著作を読むことでドストエフスキーがなぜあんなにも混沌とした極端な物語を書いたのか、ツルゲーネフが整然とした芸術的な物語を書いたのかがストンとわかります。

この本のあとがきで佐藤氏はこう述べます。

私にとって文学研究は、結局のところ、人間の研究であった。それは取りも直さず自分自身の生き方の模索でもあった。

武蔵野書房 佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』P284

この一言に私は打たれてしまったのです。この著書では佐藤氏の思想に親鸞や道元の思想の影響もあることを知ることができました。そうした佐藤氏のロシア文学に対する姿勢に私は惹かれてしまったのです。

そして佐藤氏の著書をもっと読んでみたいと思い手に取ったのが『わが心のチェーホフ』という本でした。この本のあとがきで佐藤氏は次のように述べていました。

チェーホフ、ゴーリキー、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、ブーニンと、全集を一冊また一冊と、毎日のように読みつづけました。ゴーリキーからは勇気と誠実を、ツルゲーネフからはみずみずしい文章からほとばしる快感を、ドストエフスキーからは信と不信の果てしのない格闘を、トルストイからは限界を超えるほどの真摯さに対する畏敬を、ブーニンからは「哀」と詩情をふんだんに汲み取りました。

そして今、また、チェーホフの「風通しのよさ」に心の安心を得た思いがしています。身の丈に合った同伴者をチェーホフに見出したのです。幾冊も書いた著書のうちで、チェーホフのものがやはりいちばん多い。そこで、死までの距離がわずかとなった九十代半ばの老齢で、チェーホフの総括をこころみました。(中略)

西田幾多郎は晩年こう言っております。

「我々の最も平凡な日常の生活が何であるかを最も深くつかむことに依って最も深い哲学が生まれるのである。」(昭和十八年七月二十七日、務台理作宛)

チェーホフは、まさに「最も平凡な日常生活」を描いて、人間の、この世の真実に迫った作家です。彼が求めた公正、真実、自由、美(清さと言うべきか)は、時代がどう変わっても、人間が人間らしい人間でありつづけるかぎり、人間の目標たるを失わないはずです。

チェーホフは、私にとって、そういう作家でありつづけました。

以文社、佐藤清郎『わが心のチェーホフ』p216-217

佐藤氏はチェーホフを中心に研究をされた方です。その佐藤氏が「ゴーリキーからは勇気と誠実を、ツルゲーネフからはみずみずしい文章からほとばしる快感を、ドストエフスキーからは信と不信の果てしのない格闘を、トルストイからは限界を超えるほどの真摯さに対する畏敬を、ブーニンからは「哀」と詩情をふんだんに汲み取りました。」と述べるのです。

佐藤氏にとってはチェーホフがその思想研究の柱です。

ですがチェーホフと関わる多くの作家に対しても真摯に向き合い、そこからさまざまな感動を得て、またチェーホフに立ち返っていく。そのことに私は感銘を受けたのです。

佐藤清郎氏がそこまで愛するチェーホフという人間はどんな作家なのだろうか。きっとその作品はとてつもなく面白いに違いない。そう感じた私はチェーホフを読むことに決めたのでありました。

ドストエフスキー亡き後のロシア文学界―日本との驚くべき類似

ドストエフスキーは1881年1月末、肺病により命を終えました。

そしてその数か月後には皇帝アレクサンドル2世が暗殺され、ロシアはテロの恐怖に覆われ、その後即位したアレクサンドル3世によって弾圧政治が敷かれることになりました。

これによって文学における自由も奪われ、厳しい検閲が敷かれる時代に逆戻りしてしまうことになったのです。

理想に燃え、反体制運動に身を投じていた若者たちも次々と投獄され、70年代に流行した「ヴ・ナロード運動(人々の中へ)」も下火になってしまいました。

ドストエフスキー亡き後のロシアは厳しい弾圧による、文学や思想の敗北の時代とも言えるのかもしれません。佐藤氏は次のように述べます。

ところで、当時のロシアには今の日本に似たところがたくさんあります。まず、日本でアニメやマンガが隆盛しているように、ロシアでは滑稽小説の隆盛期でした。人々は「笑い」を求めていたのです。

それには社会的な背景があります。社会改革を目指して、「ヴ・ナロード」のかけ声とともに農村に繰り出した、理想主義的で献身的な青年たちの一大啓蒙運動のはかない挫折は、どこか戦後日本の民主主義謳歌や、七〇年代の学園紛争の嵐とその瓦解・消滅に似ています。

やがて、その熱もさめ、理想主義は地を払い、「理想」めいたことは「ダサイ」こと、「甘い」ことと見なされる時代がやってきました。純真な「理想」に代わって、もっぱら物欲を、金銭を追う「金銭亡者」たちが現われました。どこへ行くべきか、地図を持たない若者たちの続出という点でも似ています。

日本では、「堀江モン」は一時期、ヒーローでしたが、やがて、ふくれあがったバブルが弾け、新しい「金色夜叉」は歴史から消えていき、まもなく海の向うから、マネーゲームの果ての「金融破綻」による大不況の波が押し寄せてきました。この一連の流れのなかに、人々は「狂」を認めないのでしょうか。

「人民主義」挫折後のロシアと現代の日本はどこか似ております。歴史は形を変えて繰り返すものなのでしょう。

日本の場合、生きる目的を失った人たちは、「憂さ」をやる手立てをもっぱらスポーツとグルメ、笑いに求め、ひたすらこれらに癒しを見出そうとしましたが、当時のロシアでは、滑稽小説の耽読か、「鬱」を紛らわせるために、逆に、「鬱」こそ人生の本性なのだと説くショーぺンハウアーの悲観哲学が流行しました。

ロシアでは当時、「詩と密告のほかは何でも書いた」とチェーホフがもらしているように、貧困が世をおおい、「物乞い」の姿はいたるところで、特にロシア正教の寺院の前で見られたのです。自殺者が三万人を超え、「引きこもり」の学生が三万に達するという日本に似て、自殺者の多いことでも、ロシアは昔から知られております。当時のロシア人が笑いに飛びついた事情と、日本のマンガ、アニメ、空虚な漫才の流行する風潮は似ていないでしょうか。

以文社、佐藤清郎『わが心のチェーホフ』p24-26

『理想主義は地を払い、「理想」めいたことは「ダサイ」こと、「甘い」ことと見なされる時代がやってきました。純真な「理想」に代わって、もっぱら物欲を、金銭を追う「金銭亡者」たちが現われました。どこへ行くべきか、地図を持たない若者たちの続出という点でも似ています。』

私はこの部分に特に衝撃を受けました。私の中で今までもやもやしていた感覚がずばりここで言い当てられたような気がします。

「今やロシアではドストエフスキーやトルストイはそんなに読まれていない。むしろドストエフスキーはそこまで好かれていない。」そういう記事をネットで見たことがありました。

ドストエフスキーやトルストイは「生きるとは何か」を問い続けた作家です。ですが「そんなものは誰も読まないし必要もない。そんなことを考えてるのはダサい、甘いことなのだ。現実を見たまえ」と、そう見られているからこそそのような記事が書かれたのだなと感じました。

また、

『日本の場合、生きる目的を失った人たちは、「憂さ」をやる手立てをもっぱらスポーツとグルメ、笑いに求め、ひたすらこれらに癒しを見出そうとしましたが、当時のロシアでは、滑稽小説の耽読か、「鬱」を紛らわせるために、逆に、「鬱」こそ人生の本性なのだと説くショーぺンハウアーの悲観哲学が流行しました。』

という箇所に前回の記事で述べたショーペンハウアーとのつながりが見えますね。ドストエフスキーが生きていた頃にはまだ彼の存在やトルストイの存在がそうした風潮へのアンチテーゼとして力を持っていました。しかし彼の亡き後、ロシア皇帝は暗殺され、その後は弾圧政治へとまっしぐら。もはやショーペンハウアーに抗う風潮は失われてしまったのです。

こうした世の流れからドストエフスキー亡き後のロシア文学はすっかり変わってしまうのです。

人物たちの性格に共通しているのは、一時代まえに風靡した名作群が持っていた「偉業」とか「犠牲」とか、深い「思想性」とか「啓蒙性」とか、「哲学性」とか「探究性」とかにはそっぽを向いて、ただパンのため、金のため、娯楽提供のためと割り切っていることです。

以文社、佐藤清郎『わが心のチェーホフ』p27-28

こうしてドストエフスキーやトルストイらが生み出した偉大なロシア文学の伝統がここで途切れてしまったのです。

これから読んでいくチェーホフは1860年生まれの作家です。つまりこうしたロシア文学の絶頂期の中で若き日を過ごし、成人して作家としてデビューする頃には時代の変化がまざまざと感じられるような中にいたのです。

しかしチェーホフは時代に迎合した世の中の多くの作家とは違い独自な道を進んでいくことになります。もちろん、彼も時代の影響を受け、最初は滑稽小説からスタートしています。ですがそこから最晩年に至るまで彼は多くの傑作を生みだし、ドストエフスキーやトルストイと並ぶ偉大な作家としてロシアで愛されることになります。

チェーホフを学ぶことで当時の時代背景や、ドストエフスキーやトルストイがどのようにロシア人に受け止められていたかが見えてくるようになります。これはドストエフスキーを学ぶ上でも大きな意味があります。

そして何より、チェーホフ自身が圧倒的に魅力的な作家であること。これに尽きます。

今チェーホフ作品を読んでいるところなのですが、衝撃です。この人は化け物かと読むたびに度肝を抜かれています。この感覚はフランスの文豪エミール・ゾラを初めて読んだ時のことを思い出します。いや、それ以上の衝撃とも言えるかもしれません。

そして面白いことにゾラとチェーホフには面白い共通点があります。このことについてもいつか改めてお話ししていきたいと思います。

あわせて読みたい
『居酒屋』の衝撃!フランス人作家エミール・ゾラが面白すぎた件について ゾラを知ることはそのままフランス社会を学ぶことになり、結果的にドストエフスキーのヨーロッパ観を知ることになると感じた私は、まずゾラの代表作『居酒屋』を読んでみることにしました。 そしてこの小説を読み始めて私はとてつもない衝撃を受けることになります。

今後の記事について

さて、次の記事からいよいよチェーホフ作品を・・・といきたいところですが次の記事から仏教コラムをしばらくお届けします。

ショーペンハウアーは仏教に強い影響を受けた思想家です。その彼が影響を受けていた仏教というのが原始仏教と呼ばれる最も古い時代の仏教になります。

以前私のブログでも紹介した『ブッダのことば』はその代表です。

あわせて読みたい
中村元訳『ブッダのことば』を読む~お釈迦様のことばに聴く 最古のお経のひとつであるこの『ブッダのことば(『スッタニパータ』)』はお釈迦様が存命当時実際に説かれていた教えに最も近いとされています。 シンプルだけれども心に響く深い味わいがある、そんなお経がこの『ブッダのことば』です。 有名な「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉もこのお経で説かれています。私も大好きな経典です。

犀の角のようにただ独り歩め」という有名な言葉もここから来ています。

次の記事から紹介するのは、これと同じく最も古いお経のひとつと言われる『法句経(ダンマパダ)』というお経です。

このお経は中村元訳で『ブッダの真理のことば』という名前で読むことができます。

せっかくショーペンハウアーを読んだので、ここで改めて仏教の教えを学んでいくのもいい機会なのではないかと思います。

というわけでチェーホフに入る前に『ブッダの真理のことば』を次の記事から読んでいきたいと思います。

以上、「帝政ロシア末期を代表する作家チェーホフ―ドストエフスキー亡き後のロシアを知るために」でした。

次の記事はこちら

あわせて読みたい
中村元訳『ブッダの真理のことば』概要と感想~簡潔で心に響く原始仏教のエッセンスを知るならこの1冊! 『真理のことば』はひとつひとつの文が簡潔で、非常にわかりやすいです。哲学的なものというより生活実践としての言葉がそのほとんどを占めます。ですのでとてもわかりやすく、すっと心に染み入ってきます。 そうしたわかりやすさ、率直さ、簡潔さがあったからこそこのお経が世界中で親しまれることになったのです。 仏教入門としてこのお経は非常に優れています。お釈迦様が説かれていた教えに触れるにはこのお経が非常におすすめです。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
生きる意味とは?絶望の時代にどう生きる―ショーペンハウアーを読んで感じたこと ショーペンハウアーの本を読み、考え、記事にするのはなかなかに厳しい時間でした。普段の数倍疲労感がたまり、気持ちも落ち込みました。 しかしだからこそショーペンハウアーの悲観主義を乗り超えねばならぬとも感じました。ドストエフスキーやトルストイはその偉大なる先達なのだと改めて感じたのでありました。あの時代の文豪たちがなぜあそこまで本気で「生きること」について思索し続けていたのかが少しわかったような気がしました。 絶望の時代だったからこそ彼らは「生きること」に真剣になっていたのだと。そしてその葛藤を文学にぶつけていたのだと。

チェーホフおすすめ作品一覧はこちら

あわせて読みたい
チェーホフおすすめ作品10選~チェーホフは小説も面白い!戯曲だけにとどまらない魅力をご紹介! 強烈な個性で突き進んでいくドストエフスキーは良くも悪くも狂気の作家です。 それに対しチェーホフはドストエフスキーと違ってもっと冷静に、そして優しいまなざしで訴えかけてきます。 私たちを包み込んでくれるような穏やかさがチェーホフにあります。こうしたクールで優しい穏やかさがチェーホフの大きな特徴です。ぜひおすすめしたい作家です!

関連記事

あわせて読みたい
ショーペンハウアー『幸福について』あらすじと感想~仏教に強い影響を受けたショーペンハウアー流人生論 「幸福は蜃気楼である。迷妄である」 『幸福について』というタイトルから「人生を幸福なものにするための方法」を教えてもらえるのかと思いきや、いきなり幸福など幻に過ぎぬとばっさり切ってしまうあたりショーペンハウアーらしさ全開です。 この本ではショーペンハウアーが「人々の信じる幸福の幻影」を木っ端みじんにし、どう生きればよいのか、真の幸福とは何かを語っていきます。
あわせて読みたい
『居酒屋』の衝撃!フランス人作家エミール・ゾラが面白すぎた件について ゾラを知ることはそのままフランス社会を学ぶことになり、結果的にドストエフスキーのヨーロッパ観を知ることになると感じた私は、まずゾラの代表作『居酒屋』を読んでみることにしました。 そしてこの小説を読み始めて私はとてつもない衝撃を受けることになります。
あわせて読みたい
佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』あらすじと感想~これ1冊で両者の特徴を... やはり比べてみるとわかりやすい。特に、ツルゲーネフとドストエフスキーは真逆の人生、気質、文学スタイルを持った二人です。 この著作を読むことでドストエフスキーがなぜあんなにも混沌とした極端な物語を書いたのか、ツルゲーネフが整然とした芸術的な物語を書いたのかがストンとわかります。
あわせて読みたい
謎の国ロシアの歴史を年表を用いてざっくり解説! 正直、ドストエフスキーを学ぶまで私はほとんどロシアのことを知りませんでした。 「極寒の薄暗いどんよりした恐い国」 そんなイメージが頭にあるだけでした。 いつ頃からロシアという国が成立し、どんな歴史を経て今に至っているかなど全く想像すらできなかったのです。いや、興味関心もなかったというのが正直なところかもしれません。 謎の国ロシア。 ですが、いざ調べてみると実はこの国の歴史は非常に面白いことがわかってきました。
あわせて読みたい
ドストエフスキー年表と作品一覧~ドストエフスキーの生涯をざっくりと この記事ではドストエフスキー作品一覧と彼の生涯を簡潔にまとめた年表を掲載します。 ドストエフスキーの生涯は簡易的な年表では言い尽くせない波乱万丈なものです。特にアンナ夫人とのヨーロッパ外遊の頃は賭博に狂った壮絶な日々を送っています。 ドストエフスキー作品は彼の生涯とも密接な関係を持っています。彼の生涯を知ることは作品を知る上でも非常に大きな助けとなるのではないでしょうか。
あわせて読みたい
僧侶が問うコロナ禍の日本~死と病が異常事態になった世界で 今本当に見るべきことは何か。問題の本質はどこなのか。私たちは目先の不安や憎悪に流されることなく、冷静にこの事態を見ていかなければなりません。 伊藤計劃さんの『ハーモニー』はそんな今の日本に警鐘を鳴らしてくれている作品だと私は思います。こういう時代だからこそ文学の力、言葉の力は私達に大きなものの見方を与えてくれるのではないかと私は信じています。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次