(67)マリユス、興味本位で隣家を覗く~のぞき穴から始まる大事件

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(67)マリユス、興味本位で隣家を覗く~のぞき穴から始まる大事件
第三部 マリユス 第八章 腹黒い貧乏人 ⑶
謎の娘の来訪によって隣人のジョンドレット一家が極貧に沈んでいることを知ったマリユス。
彼はそんな隣人の存在に気付かなかったことを自責します。
マリユスは、夢想と熱情に心を奪われて、今日まで隣人たちに目もくれなかったことを、ほとんど自責した。家賃を払ってやったのは機械的な行為で、誰でもすることだが、彼、マリユスには、それ以上にしてやることがあったはずだ。なんということだ!壁一重向うには、あの見捨てられた人たちが、世間からのけ者にされて、闇の中で手探りに生活しており、彼らと肱をつき合せるばかりにしていて、彼らがすがれる人類の最後の鎖とでもいった立場にいながら、すぐ横で彼らが生きている、というよりあえいでいるのを聞きながら、それに注意もしなかったとは!日々刻々、壁越しに彼らが歩いたり、行ったり、来たり、しゃべったりするのを聞きながら、それに耳をかさなかったとは!その話し声にはうめき声もまじっていたのに、耳を傾けようともしなかったとは!頭はそこになく、さまざまな夢想、望みのない輝き、宙に浮いた恋、熱狂などに向けられていたのだ。
新潮社、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P305
たしかに、このゴルボー屋敷はかなりのおんぼろです。そんなおんぼろ屋敷の壁など、ないに等しいくらい貧弱であったことでしょう。それにもかかわらずマリユスは隣人の声やうめきに全く気付いていなかったのです。
これには読者の私達もさすがに「そんなことがあるだろうか」と思わずにはいれませんが、すかさずユゴーは「夢想家マリユスでなくてはありえないことだ」と補足しています。こう言われてしまうと、「まあ、たしかにマリユスならありえるか」と納得してしまうから不思議です。
というわけで、この時初めて隣人の窮地を知ったマリユスでありますが、そうなると隣人の生活がどんなものか気になってしまいます。
彼は部屋を隔てるその壁を見つめ始めました。そしてその壁の天井近くに小さな穴が開いているのを発見します。
戸棚に上がれば、その穴から、ジョンドレット一家の部屋が見えるはずだった。同情の中にも好奇心はあり、またそれが当然だ。その隙間は、一種ののぞき穴になっていた。不幸を救うためなら、それを盗み見することも許される。
「あの人たちがどういう人なのか、どんな状態にいるのか、ちょっと見てやろう」とマリユスは考えた。
彼は戸棚にのぼって、目を隙間に近づけて、のぞきこんだ。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P307
のぞき穴から見る、見てはいけない世界。
ここから私達はマリユスと一緒にそんなダークで危険な世界を覗き見ることになります。
正直、ここから第三部が終わるまでの一連の出来事こそレミゼ全体において最も面白い場面なのではないかとすら私は感じています。長大なレミゼの中でどこが一番面白かったかと聞かれれば、私は迷わずここからの展開を挙げることでしょう。まさにページをめくる手が止まらない。続きが気になって仕方がない!そんなストーリーがここから展開されていきます。
もちろん、これもユゴーの狙い通りの展開です。のぞき穴から覗くマリユスと私達読者は一体となり、その奇妙な世界をハラハラしながら見つめ続けることになります。古今東西、こうした展開は読者、観客、視聴者を惹きつけてきました。ベタと言えばベタかもしれませんが、言い換えれば王道中の王道ということでもあります。面白くないわけがありません。しかもこれを書いているのが世界最高の作家ユゴーなのですから、それは面白いに決まっています。
では、マリユスが覗き見た世界はどのようなものだったのか、その一部を紹介しましょう。
マリユスも貧乏で、部屋はみすぼらしかったが、彼の貧乏が高潔なように、その屋根裏部屋も小ざっぱりしていた。ところが、今のぞきこんだ部屋は、むさくるしくて、不潔で、臭く、薄暗く、いやらしかった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P308
部屋のすさまじさをさらに増しているのは、だだっ広いことだった。飛び出たところや、角や、暗い穴や、天井裏の見えるところがあり、湾や岬のようなところがあった。そのため、底知れぬ恐ろしい隅々ができていて、拳大の蜘蛛や、足のように大きなワラジ虫や、また何か怪物じみた人間までが、もぐりこんでいそうに見えた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P309
いかにも謎めいた恐ろしい部屋の様子がここで詳しく列挙されていきます。
そしていよいよジョンドレットもといテナルディエが登場します。
テーブルの上に、マリユスは、ペンとインクと紙があるのを見たが、その前には、六十歳くらいの男が腰をおろしていた。背の低い、痩せた、顔色の悪い、すご味のある男で、ずるくて残忍で、落着かない様子だった。恐ろしいならず者のようだった。
ラヴァテル(訳注 人相学の元祖)がその顔を見たら、禿鷹と検事の混合した面相だと思っただろう。肉食鳥と三百代言が、互いにみにくさを助け合い、補い合って、代言人が肉食鳥を野卑にし、肉食鳥が代言人を醜怪にしていた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P310
原作のテナルディエが恐ろしい存在であることは「(27)原作のテナルディエ夫妻がミュージカルと違って恐ろしすぎる」の記事でもお話ししましたが、ここでもまさに悪魔のような不気味な存在として登場しています。
そしてこのジョンドレットが口にする言葉も振るっています。
「死んだところで、平等なんかない!ぺール・ラシェーズの墓地を見ろ!偉い奴、金のある奴のは、高いところで、石の敷いてあるアカシアの並木道にある。そこまで馬車で乗りつけられる。偉くない奴、貧乏人、不幸者のは、ちえっ!低いところで、膝まで泥で埋まりそうな、じめじめした穴の中にある。早く腐るように、そんなところへ埋められるんだ!地面の中にめりこまなくちゃ、墓参りにも行かれねえ」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P311
「ああ!世間を食ってやりてえ!」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P311
「畜生!畜生!何もかも畜生だ!」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P313
悪魔こそ雄弁であり、気の利いたセリフを言うものですが、このジョンドレットもまさにその典型と言えましょう。
そしてこんな悪魔の住処のような部屋を覗くのも辛くなってきたマリユスが観測台から下りようとすると、急にドアが開き、あの娘が入ってくるのが見えました。そして「来るわよ!」という嬉しそうな叫び声が響きます。この不気味な部屋に一体何が来るというのでしょう。
さあ、ここから役者が一堂に会します。いよいよ面白くなってきました!次の記事でも引き続きこの顛末を見ていきましょう。
続く
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