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F・C・アーモンド『英国の仏教発見』あらすじと感想~仏教学はイギリスの机上から生まれた!?大乗仏教批判の根はここから

英国の仏教発見
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F・C・アーモンド『英国の仏教発見』概要と感想~仏教学はビクトリア朝の机上から生まれた?原始仏教至上主義、大乗仏教批判の根はここから

今回ご紹介するのは2021年に法蔵館より発行された、フィリップ・C・アーモンド著、奥山倫明訳の『英国の仏教発見』です。

早速この本について見ていきましょう。

記念碑的著作、待望の本邦初訳!
「仏教」は西洋の机上で誕生した?
〝異形の教え〟をいかに理解し受容したか、その言説空間に迫る。

今日用いられる「仏教」という概念。それは東洋発祥ではなく、植民地由来の文献を介した西洋による想像と願望の産物からはじまった?

一九世紀ヴィトクリア朝の英国人らによる仏教表象を分析し、称賛と蔑視・偏見・畏怖を交えながら、キリスト教などとは異なる「一つの宗教としての仏教」が構築される過程を、〈オリエンタリズムと宗教〉をめぐる問題系を踏まえつつ解明。

西洋近代の〝仏教創造〟を描いた記念碑的著作、待望の本邦初訳。

Amazon商品紹介ページより

こちらの本紹介にありますように、この作品では衝撃的な事実が語られます。以前当ブログでも紹介した『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』でも西洋由来の仏教学の問題について語られていますが、本書はまさにその本丸と言ってもよい作品になります。

この本を読むと、「原始仏教に帰れ。日本仏教は堕落している」という批判が出てくる理由がよくわかります。これまでどうしても腑に落ちなかった大乗仏教批判に対して「ほお!なるほど!そういうことだったのか!」という発見がどんどん出てきます。この批判が出てくる背景を追うととてつもない事実が浮かび上がってきます。これは最高に刺激的な一冊です。とてつもない作品です。もうぜひ読んで下さい!きっと皆さんも衝撃を受けると思います!

この記事ではそんな恐るべき一冊からその一部を紹介したいと思います。その一部を読むだけでもきっと驚くのではないかと思います。では、始めていきましょう。

一八五〇年代初めまでに、仏教に関する一つの言説が繰り広げられていた。この頃までに「仏教」は、東洋の諸文化の多様な側面を記述し分類してきた。そのうえ、それはヒンドゥー教とは区別され、(時代はまだ特定されていなかったが)ゴータマとともに始まったもので、インドで生まれたとほぼ見なされるようになっていた。仏教がまずはそれ自体の文献の集成と編集によって確定可能な対象と見なされるようになって初めて、仏教に関する見解の大半が結果的に確固たる足場を得ることができるようになった。一八五〇年代までに仏教文献の分析が、重要な学問的作業と捉えられるようになった。西洋が仏教の諸文献をますます多く所有するようになり、それを通じて仏教はいわば西洋によって物質として所有されるようになる。そして所有されることで仏教は、西洋によってイデオロギー的に支配されるようになる。

ヴィクトリア時代の初めには、驚くべきことに、仏教に関してほとんど知られていないという、はっきりとした認識があった。たとえば一八三六年に『ペニー・サイクロペディア』は、仏教について多々記されてきたが、仏教の起源、教義の体系、伝播の歴史についての批判的研究は、依然として切実に待望されたままだと報告している。仏教独自の資料は十分に調査されたことはほとんどなく、仏教に関する知識はほとんど仏教以外の資料だけから得られたものだという事実に照らして、同書は読者に対して警告を発している。「われわれは本稿の限界のなかに仏教を圧縮するつもりである。仏教を尊重する言明を過剰なほどの絶対的な信頼で受け取ってはならない」。しかしながら同書は続いて、仏教資科についての文献分析は手中にあり、それが現在の仏教理解をおそらく変えることになるだろうとも認めている。

法蔵館、フィリップ・C・アーモンド、奥山倫明訳『英国の仏教発見』P57-58

1850年代に仏教文献が少しずつまとめられ始め、仏教というものがどうやらインドにあったようだというのがイギリス人の中で認識されるようになってきました。ですがこのほんの少し前まではブッダがアフリカ人だったのではないかという説が論じられるなど、仏教についてはほぼ五里霧中といった状態だったのです。

と言いますのも、インドでは13世紀頃に仏教は消滅してしまっています。イギリスがインドを支配した頃には仏教僧侶も信者もすでに存在しなかったのです。そんな見たことも聞いたこともない宗教のことをイギリス人は古代の文献から想像していたわけです。

上の引用で「西洋が仏教の諸文献をますます多く所有するようになり、それを通じて仏教はいわば西洋によって物質として所有されるようになる。そして所有されることで仏教は、西洋によってイデオロギー的に支配されるようになる。」と述べられていたのは極めて重要です。見たことも聞いたこともない仏教の姿を「物質として所有した仏教文献」から作り上げたのが西洋の仏教学なのです。つまり、イギリス人は実際の仏教僧侶や仏教徒の生活を見ることなく仏教学を形成したということなのでありました。しかも自らのイデオロギーに沿う形でであります。

では、続けていきましょう。

仏教が、西洋にとっては第一に文献から説明されるようになると—それが一九世紀半ば以降のことである―東洋における同時代の仏教は、概して頽廃状態にあると見られるようになった。これは、一九世紀前半とは際立った対照を成している。仏教についての西洋の初期の言説では、仏教が頽廃した堕落宗教だと見なすような暗示はなかった。理想的な文献仏教という、東洋で遭遇する仏教の比較対象が存在していなかった頃には、そのような暗示はありえなかった、、、、、、、。対照的に、一九世紀後半に東洋で仏教を見た人々は、文献が語っているものと対比して評価しないわけにはいかず、東洋の仏教において欠落を見いだ腐敗、堕落、頽廃といったような言葉でそれを表現しないわけにはいかなかった。

西洋における理想的な文献仏教と東洋の事例とのこのような対比は、多くの場合、表面に現われており、また潜在的には遍在し、欠けていることはめったにない。

法蔵館、フィリップ・C・アーモンド、奥山倫明訳『英国の仏教発見』P83-84

要するに、腐敗、堕落、頽廃といったイメージは、過去の理想的な文献仏教と、同時代の東洋の事例を対比することが可能となった結果、生じてきたのだった。それと同時に、このことは、今や衰微した仏教に対抗して、前進し繁栄しているキリスト教を宣教する事菓を正当化するイテオロギーを提供した。理想的な文献仏教をヴィクトリア期が創造したことが重要な要素となって、東洋の仏教を拒絶することが可能になった。(中略)

あらゆる点で東洋精神は劣っていた。その事実に責任があるとされたのが、多くの場合、仏教だった。一八三〇年にジョン・クローファード〔一七八三―一八六八、スコットランドの医師、東南アジアで植民地行政に従事〕は、アジア諸国全体であらゆる仏教国は二流にすぎず、「芸術でも軍備でも一流になった国は一つもなく、国会議員、作家、軍人、新たな形態の信仰の創始者といった世界的に有名な個人を輩出した国もまったくない」と断言した。東洋精神は、植民地を支配する西洋列強の最善の努力にもかかわらず、劣位にあり続ける運命であるとも示唆された。

法蔵館、フィリップ・C・アーモンド、奥山倫明訳『英国の仏教発見』P89-91

「理想的な文献仏教をヴィクトリア期が創造したことが重要な要素となって、東洋の仏教を拒絶することが可能になった」

さあ、核心的な要素に入ってきました。イギリスで生まれた仏教学は東洋の仏教を拒絶し、植民地支配を正当化する存在へとなっていったのです。だからこそ東洋で根付く大乗仏教を批判し、「堕落した劣った教えである」と言うのです。つまり、「劣った東洋文化を捨てて西洋化せよ」というメッセージが「大乗仏教批判」には込められていたのでありました。

そしてさらに驚きの事実がこの後説かれます。

「憎悪にではなく愛にこそふさわしい」「過去の最大の偉人の一人」、これらに見られる感情が、ヴィクトリア期のブッダへの見方を要約している。とりわけ一九世紀後半を通じてブッダは、ほとんど世界的な称賛を得ることになった—それは彼の教説のためというよりはむしろ人柄のためである。仏教の開祖としての歴史的な評価が、右に引用したリチャード・フィリップスの叙事詩『ゴータマ・ブッダ物語』〔一八七一年〕に明らかに見て取れる。しかしながら、そうしたブッダへの崇敬の態度は、フィリップスのような共鳴者のみならず、エドウィン・アーノルド〔一八三二―一九〇四、イギリスのジャーナリスト、作家〕はもちろんのこと、仏教教説にほとんど共感していない人々によっても共有されており、おそらくそのことこそ興味を惹くところである。バルテルミ=サンティレール〔一八〇五―九五、フランスの哲学者〕は、仏教の支持者と批判者の双方から認められる仏教批判の代表的な論者である。そのような彼でも、「キリストを唯一の例外として、宗教の開祖全員のなかで、ブッダほど純粋で、彼ほど感動を引き起こす人物は存在しない。純粋で穢れのないその生涯において、彼は信念に従って行動した。説示した教説が誤りだとしても、彼が示した人格としての模範には非の打ちどころがない」と認めざるをえなかった。

法蔵館、フィリップ・C・アーモンド、奥山倫明訳『英国の仏教発見』P116-117

「「憎悪にではなく愛にこそふさわしい」「過去の最大の偉人の一人」、これらに見られる感情が、ヴィクトリア期のブッダへの見方を要約している。とりわけ一九世紀後半を通じてブッダは、ほとんど世界的な称賛を得ることになった—それは彼の教説のためというよりはむしろ人柄のためである。」

本書ではこの後もこのことについて詳しく解説されますのでぜひ読んで頂きたいのですが、この箇所も極めて重要な指摘です。

言うならば、「ブッダは宗教家としてではなく、歴史的人物として賞賛すべき人物である」という受け止め方が西洋でなされたということになります。

これの何が問題かといいますと、このような受け止め方がベースとなって「仏教は宗教ではない。人生哲学である」という言説や、「神格化されたブッダではない人間ブッダこそ真の姿である」、「後の仏教は偶像崇拝に堕し、迷信的な宗教にすぎない」、という批判にも繋がってくるのです。

イギリスは「イギリス国教会」が主流の世界でした。ヴィクトリア朝時代でもその宗教は国民の間で強い力を持っていました。そして科学や産業が発達したヴィクトリア朝全体の雰囲気として、禁欲的で質素倹約、勤勉な生活が理想視されていました(※スマイルズの『自助論』はまさにこの時代)。イギリス国民の信仰、国民性をこのように大きく括るのは問題ではありますが、ローマ的な信仰とは違うというのは明確だと思います。そんなイギリス人がブッダを「歴史的人間」として好んだのも、まさにイギリス人好みの人格であったからでした。

しかもブッダを「神的な存在」ではなくて「歴史的人間」として見ようとしたことにも大きな意味があります。

キリスト教では神は唯一なる存在ですので、ブッダを「神的な存在」として認めるわけにはいきません。だからこそ「歴史的存在」であることが強調されるのです。この「歴史的存在」ということについては、当ブログでも以前中村元著『ゴータマ・ブッダ』を紹介しました。

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この本はまさに「神格化されていない、人間ブッダ」を掲げたブッダ伝です。中村元先生はこうした「人間ブッダ」や原始仏教について数多くの著作を残されておりますが、先生自身は別の著書の中で「西洋の机上でのみ作られた仏教ではなくて、インドの地に実際に行って現地の様子を体感しなければならない」ということを述べておられましたので、『英国の仏教発見』で述べられていたようなアジア蔑視の仏教学とはまた違った視点で仏教を見ていたと私は信じています。先生の生き様には私も植木雅俊著『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』を読んで本当に感動しました。

ですがその中村元先生の説も無批判に受け入れることはやはり慎まなければなりません。時代は進み、研究も日々アップデートされています。当ブログでも様々な仏教書を紹介していますが、まさに中村元先生の時代とは全く違った仏教の世界が今や開かれてきています。もちろん、中村元先生の偉大な研究成果があったからこそ現在にも繋がっているのだということは強く思います。

西洋から輸入された形で入ってきた仏教学。その仏教学はインドやその周辺で発見された文献から構築された仏教でした。そこに仏教を生きる人たちの姿や文化、生活は顧みられることはありませんでした。顧みようにもインドにはもはや仏教はないのです。見えるものといえば東南アジアや東アジアの仏教のみ。それらをアジア蔑視の視点からしか見ようとしないのが「原始仏教至上主義」の根っこにあったのでした。

ブッタ在世時においても、後の原始仏教教団においても、そこには生きた生活があります。そして教団を支える信者の生活もあります。残された文献だけを見て「ブッダは〇〇をしなかった。〇〇とは言わなかった」と現在の仏教を否定してもそもそも話がかみ合わないのは当然です。

近年の研究で当時のブッダ在世時の生活や教団の様相が徐々に明らかになってきています。これまでの原始仏教至上主義的な観点からの大乗仏教批判はもはや成立しない状況です。

これについては『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』や辛島昇・奈良康明著『生活の世界歴史5 インドの顔』『シリーズ大乗仏教 第三巻 大乗仏教の実践』『シリーズ大乗仏教 第五巻 仏と浄土—大乗仏典Ⅱ』、奈良康明著『〈文化〉としてのインド仏教史』などの本でも詳しく説かれていますのでぜひご参照ください。

また、原始仏教に近いとされているスリランカやタイの仏教も実際のところはどうなのかというのもとても興味深い点で、『東南アジア上座部仏教への招待』や、杉本良男著『スリランカで運命論者になる 仏教とカーストが生きる島』、田中公明/吉崎一美著『ネパール仏教』などの作品が非常におすすめです。

今作『英国の仏教発見』は私にとって非常に興味深い作品でありました。私は以前ヴィクトリア朝やマルクスについても学んでいたのでこの本はそれらともリンクする内容が多々あり、とにかく刺激的でした。

仏教に関心のある方だけでなく、イギリスや西欧文化に興味のある方にもぜひぜひおすすめしたい名著です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「F・C・アーモンド『英国の仏教発見』~仏教学はビクトリア朝の机上から生まれた!?大乗仏教批判の根はここから」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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