MENU

ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』あらすじと感想~スターリン時代の粛清・虐殺とは

目次

ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』概要と感想~スターリン時代の粛清・虐殺とは

ヨシフ・スターリン(1878-1953)Wikipediaより

ノーマン・M・ネイマーク著、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』は2012年にみすず書房より発行されました。

著者のプロフィールをご紹介します。

Norman M. Naimark

1944年ニューヨーク生まれ。スタンフォード大学で博士号取得(歴史学).ボストン大学、ハーヴァード大学ロシア研究センターを経て、1988年からスタンフォード大学教授、ロシア・東欧史を講じる。同時に現在、フーヴァー研究所上級研究員。ジェノサイド、民族浄化を重点的に研究する。

みすず書房、ノーマン・M・ネイマーク、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』

続いてこの本の内容をご紹介します。

1930年代初期から1953年に没するまで、スターリンは優に100万人を超える自国民を処刑した。さらに腹心の部下を通して、国の内外を問わず何百万という人びとが、民族・宗教・階級などを理由に犠牲になった―ウクライナ穀倉地帯の飢餓殺人、富農の撲滅、「有害」民族の酷寒地への強制移住と死、ポーランド支配階級の抹殺(カチンの森の虐殺)、全政敵の粛清など、その全容が、はじめてコンパクトなー冊になった。

1930-40年代初頭のスターリン体制下の殺戮を「ジェノサイド」と認めるかどうかは議論が分かれる。ネイマークはその理由として、大量殺人の根拠となった共産主義イデオロギーを批判することの歴史的な難しさと、国連ジェノサイド条約(1948年採択)が大国の思惑の産物で、政冶・社会集団が対象から除外されたことを挙げる。

そして徹底した資料渉猟の末に、条約の「定義」自体の見直しを主張し、ー連の行為をジェノサイドだったと明言する。

殺戮の背後には、つねにスターリン個人がいた。この独裁者の成り立ちを探り、さらにヒトラーによるユダヤ人絶滅という「公認の」ジェノサイドと真正面から比較して、この議論の今日的を意味を問う。

みすず書房、ノーマン・M・ネイマーク、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』裏表紙

この本の特徴はスターリンの大量殺人はジェノサイドと呼ぶべきではないのかという問題提起から始まるところにあります。

この本によるとジェノサイドは国連によって定められた言葉で、ナチスによるホロコーストを指すものとして当初決められました。

ナチスによるホロコーストでは600万人(※諸説あり)の犠牲者が出ましたが、スターリンによる大量殺人も実はそれ以上の数の犠牲者が出ていたのです。

しかしジェノサイドという言葉の定義上、その殺人はジェノサイドではないという解釈が多勢を占めていたのです。この本ではそのことに対する問題提起を行っています。

以下、この本における印象に残った箇所をいくつか引用していきます。

ソ連による国連への介入

本書はまずはじめに、ジェノサイドという用語自体の使用をめぐる問題から説き起こす。わたしは、これまでの学問的文献での扱い方よりももっと広く柔軟なかたちで、国連ジェノサイド条約を考え適用すべき十分な理由があると主張するものだ。

これは、スターリンの事例を検討するにはとくに大切である。なぜならばソ連と連合国が国連ジェノサイド条約のいくつかの初期草案のほとんど全部に盛りこまれていた社会・政治集団の字句を削除させたからだ。

また国際法廷はジェノサイドの広義解釈の方向をとった。よい例は旧ユーゴスラヴィアの戦争犯罪を裁く国際戦争犯罪法廷が2004年にラドスラフ・クルスティチの事件で下した判決である。

この判決は1995年7月にスレブレニツァでボスニア・セルビア人がおこなったボスニア・イスラム教徒の成年男子と少年約8000名の集団処刑をジェノサイドとした。

この法廷はこの事件の上訴において、スレブレニツァのような大量殺害事件はジェノサイドの実行者を一人も有罪にできなくてもジェノサイドとみなせると結論した。

2007年にやはりハーグにある国際司法裁判所(ICJ)は、ボスニア=へルツェゴヴィナ政府がセルビアにたいして起こした裁判についての裁定で、やはりおなじようにスレブレニツァをジェノサイド事件と裁定した。またそうでなければ提訴を却下しただろう。

みすず書房、ノーマン・M・ネイマーク、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』P10

ここで重要なのは「ジェノサイド」という言葉の定義を決める時に、ソ連が国連に対して「いくつかの初期草案のほとんど全部に盛りこまれていた社会・政治集団の字句を削除させた」という点にあります。

ホロコーストはユダヤ人を主な対象にした大量殺人でした。

しかしスターリンの大量虐殺は特定の民族を対象というより、政治的敵対者に対する殺害だったためジェノサイドではないと釈明されます。

つまりこれはどういうことかというと、戦勝国が主である国連において、ソ連の行為がホロコーストと同列にされるのは不都合であったということなのです。

これは国際上非常に難しい問題です。ここで簡単に述べることは私には難しいのでぜひ興味のある方はこの本を読んで頂きたいと思います。

スターリンによるクラーク(富農)撲滅の特徴―人を人とも思わぬような残虐行為はなぜ可能だったのか

第三の特徴は、20世紀をつうじてジェノサイド犠牲者が共通して非人間扱いされ、固定概念で烙印を押されたことである。かれらは「人民の敵」だったのはもちろんだが、「豚」「犬」「ゴキブリ」だった。「屑」「害虫」「汚物」「ごみ」なのだから浄化され、叩きつぶされ、抹殺されるべきだった。

ゴーリキーはかれらを「半獣・動物」として描き、時としてソ連の新聞と宣伝資料はかれらを猿として描写した。この意味でクラークとは非人間化され、生まれつき劣等な存在として種族化され、そのように扱われたのだった。

みすず書房、ノーマン・M・ネイマーク、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』P65-66

「なぜ同国民に対してここまで残虐なことができるのか。」

そのことがずっと私の中で引っかかっていたのですが、虐殺の執行者からするとそもそも彼らは人間ですらないと考えていたからだとここでは述べられていました。

そしてもっとショックだったのがゴーリキーがここに積極的に加担していたということです。やはりスターリンと近い位置にいたということはそういうことなのかと思わされました・・・

このことについては以前紹介した記事でもお話ししていますのでぜひご参照ください。

あわせて読みたい
『スターリン伝』から見たゴーリキー~ソ連のプロパガンダ作家としてのゴーリキー 今回は『スターリン伝』という佐藤清郎氏の伝記とは違う視点からゴーリキーを見ていきました。ある一人の生涯を見ていくにも、違う視点から見ていくとまったく違った人物像が現れてくることがあります。 こうした違いを比べてみることで、よりその人の人柄や当時の時代背景なども知ることができるので私はなるべく様々な視点から人物を見るようにしています。

スターリンの大粛清とは

1937―38年の大粛清についての先駆的著作で、ロバート・コンクエストは「大恐怖政治」(The Great Terror)という専門用語をつくり、それ以来この言い方は歴史家たちに採用され使われている。

この言い方はヴォジュド(首領)本人、つまりスターリンを除いてソヴィエト市民のだれもが逮捕され、拷問され、流刑あるいは処刑される可能性のあったこの2年にわたる「恐怖の黙示録的場面」をよく表現している。

恐怖は明白だったし、とくに責任ある立場にいる人びと、共産党のノーメンクラトゥーラ(特権階級)、工場長、知識人、将軍、新聞編集者はわかっていた。かれらは夜中にドアをノックされ連行される場合に備えて身のまわり品を詰めた鞄を用意していた。

大都市と地方中心都市の雰囲気は張りつめていて、だれもが自分の状況に一種の無力感を抱き、あえいでいた。恐怖、無力感、密告、自白を経験しなかった者には、この時代を生き延びることがどんなものだったかを理解するのはむずかしい。

みすず書房、ノーマン・M・ネイマーク、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』P107-108

ヒトラーが国民大衆を巧みにひきつけたのにたいして、スターリンのほうは国民基盤が脆弱だから、共産党を私党化し、秘密警察を私兵化して国民をことごく見えざる恐怖の虜にした。

国民のあいだに潜む無数の潜在的な「人民の敵」と迫りくる戦争の脅威を口実に、戦時戒厳令下の状況を常時つくりだし、見えざる恐怖にたえず怯える社会が実現した。

そのためには見える恐怖として深夜の逮捕、拷問、処刑、強制収容所、強制移住、一族におよぶ処罰、幼い少年少女への死刑適用の制度を設けてみせしめとした。

カラスとあだ名された黒い車が逮捕者を詰めこんで町を走りまわった。密閉した車の外側にはパン屋とか花屋と書いてあった。こうしてソ連は広大な収容所群島と化した。

みすず書房、ノーマン・M・ネイマーク、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサイド』P162

この本ではスターリンによる大量殺人がどのようなものであったかがわかりやすく解説されています。

ここではこの二つを引用しましたが他にもご紹介したい部分がたくさんあります。スターリン時代に何が行われていたかを知るにはこの本は非常に役に立ちます。

ナチスによるホロコーストは世界的にも非常によく知られている出来事であるのに対し、スターリンによる粛清は日本ではあまり知られていません。なぜそのような違いが起きてくるのかということもこの本では知ることができます。

おわりに

2019年に私はアウシュヴィッツ、そしてボスニアのスレブレニツァを訪れています。そしてそれぞれの地でジェノサイドについて学ぶことになりました。

しかしこの本を読んで「ジェノサイド」という言葉はそもそもどんな定義があるのか、単に大量殺人が起こったから「ジェノサイド」という言葉を使うのではなく、特別な状況下による大量殺人に対してこの言葉が使われるということを知りました。

まして私はロシアのことを学ぶまでスターリン時代の粛清のことはほとんど知りませんでした。改めてジェノサイドということについて考えさせられた1冊でした。

この本もぜひおすすめしたい1冊です。

以上、「ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』~スターリン時代の粛清・虐殺とは」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

スターリンのジェノサイド

スターリンのジェノサイド

次の記事はこちら

あわせて読みたい
『共食いの島 スターリンの知られざるグラーグ』あらすじと感想~人肉食が横行したソ連の悲惨な飢餓政策... この本ではこうした人肉食が起こるほどの飢餓がなぜ起きたのか、なぜロシアがこれほどまでに無秩序な無法地帯になってしまったのかが語られます。 この本はかなりショッキングな内容の本ですが、大量殺人の現場で何が起きていたのか、モスクワとシベリアの官僚たちのやり取り、ずさんな計画を知ることができます。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(9)時代が味方したスターリン~スターリンはスターリンのみにあらず スターリンその人に才能があったことは確かですが、時代がそれを求めていなければ表舞台に上がることなく消えていくのが定めです。スターリンが登場したのはまさにスターリンがその力を発揮するのにもっとも適したタイミングだったのです。 革命の暴力的な状況はスターリンをロシアの巨大な指導者へと成長させていく場となりました。そのような状況があったからこそスターリンが生まれ、スターリンがいるからこそ暴力的な支配構造がどんどん確立していく相互作用が生まれたのでありました。

スターリン関連の記事一覧はこちらです。全部で14記事あります。

あわせて読みたい
ソ連の独裁者スターリンとは~その人物像と思想、生涯を学ぶ「スターリン伝を読む」記事一覧 レーニンに引き続きスターリンも学んできましたが、この二人の圧倒的なスケールには驚かされるばかりでした。 スターリンがこれほどまでの規模で粛清をしていたということすら知りませんでした。 そして、レーニン・スターリンというカリスマ2人によってソ連が形作られ、その後の世界を形成していった流れをここで知ることができました。

関連記事

あわせて読みたい
T・スナイダー『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』あらすじと感想~独ソ戦の実態を知... スターリンはなぜ自国民を大量に餓死させ、あるいは銃殺したのか。なぜ同じソビエト人なのに人間を人間と思わないような残虐な方法で殺すことができたのかということが私にとって非常に大きな謎でした。 その疑問に対してこの上ない回答をしてくれたのが本書でした。 訳者が「読むのはつらい」と言いたくなるほどこの本には衝撃的なことが書かれています。しかし、だからこそ歴史を学ぶためにもこの本を読む必要があるのではないかと思います。
あわせて読みたい
V・ザスラフスキー『カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺』あらすじと感想~ソ連が隠蔽した大量虐殺事... アウシュヴィッツのホロコーストに比べて日本ではあまり知られていないカチンの森事件ですが、この事件は戦争や歴史の問題を考える上で非常に重要な出来事だと私は感じました。 国の指導者、知識人層を根絶やしにする。これが国を暴力的に支配する時の定石であるということを学びました。非常に恐ろしい内容の本です。ぜひ手に取って頂ければなと思います。
あわせて読みたい
死の収容所アウシュヴィッツを訪れる①~ホロコーストから学ぶこと ポーランド編④ 2019年4月14日。 私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。 幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。 クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。 アウシュヴィッツ博物館前で降車します。 この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。
あわせて読みたい
ボスニア紛争で起きた惨劇、スレブレニツァの虐殺の地を訪ねて ボスニア編⑩ 2019年4月29日、私は現地ガイドのミルザさんと二人でスレブレニツァという町へと向かいました。 そこは欧州で戦後最悪のジェノサイドが起こった地として知られています。 現在、そこには広大な墓地が作られ、メモリアルセンターが立っています。 そう。そこには突然の暴力で命を失った人たちが埋葬されているのです。 私が強盗という不慮の暴力に遭った翌日にこの場所へ行くことになったのは不思議な巡り合わせとしか思えません。 私は重い気持ちのまま、スレブレニツァへの道を進み続けました。
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』あらすじと感想~ソ連の独裁者スターリンとは何者だ... この作品の特徴は何と言っても人間スターリンの実像にこれでもかと迫ろうとする姿勢にあります。スターリンだけでなく彼の家族、周囲の廷臣に至るまで細かく描写されます。 スターリンとは何者だったのか、彼は何を考え、何をしようとしていたのか。そして彼がどのような方法で独裁者へと上り詰めたのかということが語られます。
あわせて読みたい
(1)スターリンとは何者なのか~今私たちがスターリンを学ぶ意義とは  スターリン自身が「私だってスターリンじゃない」と述べた。 これは非常に重要な言葉だと思います。 スターリンはソ連の独裁者だとされてきました。しかしそのスターリン自身もソヴィエトというシステムを動かす一つの歯車に過ぎなかったのではないか。スターリンが全てを動かしているようで実はそのスターリン自身もシステムに動かされていたのではないかという視点は非常に興味深いものでした。 独裁者とは何かを考える上でこの箇所は非常に重要であると思います。
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 青春と革命の時代』あらすじと感想~スターリンの怪物ぶりがよくわかる驚... 前作の『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』も刺激的でかなり面白い書物でしたが、続編のこちらはさらに面白いです。独裁者スターリンのルーツを見ていくのは非常に興味深いものでした。 彼の生まれや、育った環境は現代日本に暮らす私たちには想像を絶するものでした。暴力やテロ、密告、秘密警察が跋扈する混沌とした世界で、自分の力を頼りに生き抜かねばならない。海千山千の強者たちが互いに覇を競い合っている世界で若きスターリンは生きていたのです。 この本を読めばスターリンの化け物ぶりがよくわかります。
あわせて読みたい
メリグーノフ『ソヴィエト=ロシアにおける赤色テロル(1918~1923)』あらすじと感想~レーニン時代の... ソ連時代に一体何が起きていたのか、それを知るために私はこの本を読んだのですが、想像をはるかに超えた悲惨さでした。人間はここまで残酷に、暴力的になれるのかとおののくばかりでした。 私は2019年にアウシュヴィッツを訪れました。その時も人間の残虐さをまざまざと感じました。ですがそれに匹敵する規模の虐殺がレーニン・スターリン時代には行われていたということを改めて知ることになりました。
あわせて読みたい
V・セベスチェン『レーニン 権力と愛』あらすじと感想~ロシア革命とはどのような革命だったのかを知る... この本ではソ連によって神格化されたレーニン像とは違った姿のレーニンを知ることができます。 なぜロシアで革命は起こったのか、どうやってレーニンは権力を掌握していったのかということがとてもわかりやすく、刺激的に描かれています。筆者の語りがあまりに見事で小説のように読めてしまいます。 ロシア革命やレーニンを超えて、人類の歴史や人間そのものを知るのに最高の参考書です。
あわせて読みたい
ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』あらすじと感想~ソ連の強制収容所の実態を告発 この作品は第二次世界大戦後のソ連の強制収容所を舞台にした作品です。ソルジェニーツィンはこの作品を通してソ連の現実そのものを描写しようとしました。 ソルジェニーツィンはソ連生まれの作家でノーベル文学賞作家であります。今回ご紹介する『イワン・デニーソヴィチの一日』はその代表作であり、『収容所群島』でも有名です。
あわせて読みたい
(21)スターリンの生まれ故郷ジョージアのゴリへ~スターリン博物館で旧ソ連の雰囲気を感じる 私がジョージアにやって来たのはトルストイを学ぶためであることを前回の記事でお話ししました。 ですが、せっかくジョージアに来たのならどうしても行きたい場所がありました。 それがスターリンの生まれ故郷ゴリという町です。 この記事ではスターリンの若き時代やスターリン博物館を訪れた私の体験をお話ししていきます。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次