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(25)アルメニアのわからなさ、ソ連的どん詰まり感にショックを受け体調を崩す。カルチャーショックの洗礼

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【アルメニア旅行記】(25)アルメニアのわからなさ、ソ連的どん詰まり感にショックを受け体調を崩す。カルチャーショックの洗礼

アルメニア滞在の3日目、私はノアの箱舟の聖地アララト山や世界遺産エチミアジン大聖堂を訪れた。

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しかし実はその前日の夕方から私の身体に異変が生じ、エチミアジンの辺りでは完全にダウンしてしまった。

私の身に何が起こったのか、これからお話ししていきたい。

さて、このアルメニアに入国してから私は何度となく違和感という言葉を使ってきた。

これまで様々な教会を紹介してきたが、そこに入る度に過去と現在との断絶にとまどわずにはいられなかった。

「まるで時間が止まっているかのよう」

こう言葉で言ってしまえばそれまでの話なのだが、実際にこれを現地で体感してみるとそれどころではない大きなショックを受けることになった。

そして私にとってさらに疑問に思ったことがある。

建物自体は中世から時が止まった古いままなのに、そこに置かれているイコンが明らかに新しいものなのだ。

この写真はセヴァン湖のほとりにある修道院のイコンなのだが、その顔つきや画風に注目してほしい。どこかペルシャ風に感じはしないだろうか。ヨーロッパ的な雰囲気がないのである。これはアルメニアのどこの教会に行ってもそうであった。

私はガイドに尋ねてみた。「このイコンはいつからですか?昔からこういう描き方なのですか」と。

すると、「これは比較的最近です。実はかつてのイコンは失われてしまってどう描かれていたのかわからないのです」とガイドは答えた。

私は一瞬フリーズしてしまった。イコンがない?描き方がわからない?これは一体どういうことなのか?

ガイドもこれ以上はわからないそう。

私の違和感はここに来て一気に強まった。

アルメニアは最古のキリスト教国家だ。だがかつてのイコンの描き方がわからないのである。つまり、歴史が断絶しているのである。これには私もとまどうしかなかった。

アルメニア使徒教会は世界に一つしかない。カトリックともプロテスタントとも正教とも違う。そんな中戦乱や政治体制の変化でアルメニア教会の聖具が失われてしまったらどうなってしまうだろうか。

もしこれがカトリックだったり正教だったら、同じカトリックや正教同士で似たものをすぐに復元することができるだろう。しかしアルメニア使徒教会はそれらとは異なる独特な道を辿った。だからこそ一度失われてしまったら似たものも存在しない以上わからなくなってしまうのではないだろうか。

専門家ではない私にはこれ以上はわからない。だがこのアルメニアのイコンに私は心底とまどったことはぜひお伝えしたい。

この最古の歴史を持ちながら歴史が断絶しているという奇妙な現象がアルメニアの存在を独特なものにしている。

実はアルメニアに入る前、ジョージアのガイドから私はこんなことを聞かされていた。

「アルメニアの人はすぐに『〇〇は私たちが作りました』と言います。『アルメニアの〇〇は世界最古です』というのもよく言いますね。」と。

そして実際に私がアルメニアに入国しガイドと話してみると、驚くべきことにまさにその通りだったのである。

「アルメニアはアララト山のノアに歴史は遡り、世界最古のキリスト教国です」という話はまあ当然解説されるであろう内容なので私は気にはしなかった。

しかしそれに続いてアルメニアのガイドはなんとこう言ったのである。

「日本にはメロンパンがありますね。あれはアルメニア人が作りました。メロンパンの起源はアルメニアにあるのです。今度見せてあげます。」

言った!本当に言った!

私は内心かなり驚いた。まさかこんなに早く炸裂するとは!

この後も同じようなことが何度もあった。「ソ連の戦闘機もアルメニア人のミコヤンが作りました」という言葉も忘れられないが、その中でも特に印象に残っているのはディリジャンという街を訪れた時だった。

旧市街の古い街並みはたしかに美しかった。

しかしここでガイドはこう言ったのである。

「これは19世紀のアルメニア建築です。アルメニアオリジナルの建築ですね」と。

だが私は思った。ジョージアでもかなり似たような建物は見たし、ヨーロッパ各地にもこのような建築はいくつもあるではないかと。

それを柔らかく伝えてみると、ガイドは笑っていた。まるで「それはこれを真似したのです」と言わんばかりに・・・

19世紀といえばかなり最近のことである。19世紀はその初頭からロシア帝国がジョージアに侵入している。そう考えてみるとロシアの影響もここまで来ているだろう。さらに言えばアルメニアの西には大国オスマン帝国が控えている。

それを考えたらそこまで堂々と「アルメニアのオリジナルです」と言い切ってしまうのはやはり違和感を感じてしまう。

これが19世紀のアルメニア建築で素晴らしいのはよくわかったが、だからといってこれがどこの影響も受けていないオリジナルですと断言できるのはやはりアルメニアだからこそなのか。

私はジョージアのガイドにこのことを報告したくてたまらなかった。後日そのことを話して見ると、彼女は苦笑いしていた。やはりそうでしたかと。

このように、アルメニアは「我々は最古の〇〇である」ということを誇りにしている人たちであるのかもしれない。

だがこれこそ私がアルメニアの教会に感じた違和感とも繋がるのである。

過去や最古の歴史を重んじるあまり、今と断絶してしまっているのである。過去と今が繋がらないのだ。

これまで時が止まったかのような教会をいくつも見てきた。

たしかにその建物から過去の歴史は感じる。しかし肝心のイコンの描き方も失われてしまっているのである。これこそ私が感じた違和感の正体なのだろう。

私はドストエフスキーのご縁でアルメニアに留学中の日本人男性とこの後エレバンで会うことになった。その彼も同じことを言っていた。

「アルメニア人は皆『我々は最古の〇〇だ』、『〇〇は私たちが作った』と言います。ですが、それが何?「So What ?」じゃないですか?」

私もそう思う。今がないのだ。過去から続いてきたものが感じられないのだ。どこか断絶を感じるのである。

彼はこうも言っていた。

「アルメニアにはそのような歴史のつながりがないからこそ、過去を持ち出すのかもしれませんね」と。つまり、古くから続く伝統が失われてしまったが故に一足飛びに最古を持ち出すしかないのだと。

そう考えると、日本という国はあまりに連続性がある文化を持っているのではないだろうか。私達はわざわざ「私たちは最古の〇〇です」ということや「これは〇〇が作りました」と言うことすら思い浮かばない。

これはまさにアルメニアという国、民族が背負ってきた歴史や大きく影響しているのだろう。日本人である私には到底わからない感覚なのだ。

私はアルメニアに入ってからずっと「わからない、わからない」と戸惑い続けてきた。

私はこれまで世界中の聖地や宗教施設を訪れたがこれほど「わからない」と思ったことはない。それほど奇妙な国なのだ。

だが、アルメニアの人たちにすればこれは当たり前のことで何の不思議もないのであろう。このわからなさは部外者の私だからこそ感じるものであって、アルメニアに責任はない。あくまで私がこう感じたということにすぎない。

だがこの違和感が私の身体をどんどん蝕んでいったのである。

そしてもうひとつ。私がどうしても慣れることができなかったのが旧ソ連的な雰囲気だった。

すでに「(22)ノアの箱舟の聖地アララト山と時が止まったかのような修道院目指して隣国アルメニアへ」の記事でもお話ししたがこのくすんだ茶色、灰色の世界。

旧ソ連のなれの果て。どん詰まり感。

これが私の心に重くのしかかってきた。

ジョージアは2004年に政権交代があってからアメリカ的な経済成長政策をとってきた。そのためインフラも整備され、産業も生まれつつある。

しかしこのアルメニアはどうだろうか。首都のエレバンですらどこか旧ソ連的などんよりした空気を感じるのである。

アルメニアは今もロシアと強い結びつきがある。ロシアから距離を置き、アメリカやヨーロッパとつながろうとしたジョージアとは全く空気が違う。

要するに、私が生きる欧米的な世界とは全く異なる世界がここにあったのである。

あまりに違い過ぎる。

自分の慣れ親しんだ世界と異なるものを見ると、そこに神経がいく。見慣れぬものがどんどん新情報として頭に流れ込んでくる。そしていつしか処理しきれなくなりパンクする。こうやって知らぬ間にストレスが蓄積されていく。見慣れぬものに対して人は無意識に緊張を強いられる。私にとって、アルメニアはその極致だったのだ。

最初は頭痛だった。しかしエレバンに入った二日目の夕方から私は下痢が止まらなくなったのである。汚い話で申し訳ないが、まったく冗談では済まされないほどの危機だったのだ。

だが気合いで翌日のアララト山やエチミアジンはなんとか耐えた。しかし限界だった。私はここで完全にダウンしてしまったのである。

私は2019年にキューバを訪れた。その時も全く異なる世界にショックを受け寝込んでしまった。

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この時はキューバ人の陽気さに付いていけず、頭痛に苦しむことになった。

そして今度はアルメニアで下痢に苦しむことになったのである。上から下へ大忙しである。

私は弱い。昔からそうだった。友人たちと旅行に行くとたいてい終盤で何かが起こる。

そもそも弱い身体に精神的なショックが加わるとやはりこうなってしまうのだ。

今度の旅は無事に終えたいとかなり気を遣っていたのだがやはりだめだった。私はアルメニアに打ちのめされてしまったのである。

こうなってしまえば、もう一刻も早くアルメニアを脱出したいという念しかない。

しかしスケジュールはすでに決まってしまっている。出国日はまだ先だ・・・

私はこの後、アルメニアでのほとんどのスケジュールをキャンセルし、ホテルで闘い続けた。

アルメニアでのこの体験はある意味忘れられない。来なきゃよかったと正直思った。だがこれがあったからこそこの後のジョージア・コーカサス山脈がより素晴らしい体験となったのである。

次の記事でアルメニア最後の日の様子をお送りしたい。念願のアルメニア脱出である。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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