モンタルボ『アマディス・デ・ガウラ』あらすじと感想~ドン・キホーテを狂わせた騎士道物語の傑作!
モンタルボ『アマディス・デ・ガウラ』あらすじ解説と感想~ドン・キホーテを狂わせた騎士道物語の傑作!
今回ご紹介するのは1508年にガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボによって書かれた『アマディス・デ・ガウラ』です。私が読んだのは2019年に彩流社より出版された岩根圀和訳の『アマディス・デ・ガウラ』です。
早速この本について見ていきましょう。
『ドン・キホーテ』の原点…「ドン・キホーテ・デ・
ラ・マンチャ」の頭を狂わせたスペイン最古の騎士道物語。ガウラ(フランス)王とスコットランド王女との間に
生まれた不義の子「アマディス(アマデウス)」についての
物語「アーサー王伝説」につらなる、全ヨーロッパを舞台に
したアマディスとオリアナ姫との禁断の恋と
各国との死闘を描く奇想天外な伝説の書、大長編、前半!
本邦初訳!「ドン・キホーテはまだ眠っていた。…ニコラス親方がまず
Amazon商品紹介ページより
手渡したのは『アマディス・デ・ガウラ 全四巻』であった。
司祭が言った。
「はて面妖な。聞くところによると、この書物こそが
スペインで印刷された最初の騎士道本であって、ほかのものは
これを手本とも模範とも仰いでいるそうな。
邪悪なる教義を説く一派の祖師であれば、迷うところなく火刑じゃ。」
「いやいや」と親方が言った。
「この分野の書物で最良の出来だとも聞いておりますよ。
最高傑作として許されるべきですな。」
(セルバンテス『新訳 ドン・キホーテ』第6章より)
『ドン・キホーテ』といえば言わずと知れた世界文学の最高峰です。
私も大好きな作品です。
あらすじについては上の「名作『ドン・キホーテ』のあらすじと風車の冒険をざっくりとご紹介 スペイン編⑪」でご紹介していますが、主人公ドン・キホーテの狂気のきっかけとなったのが何を隠そう、この『アマディス・デ・ガウラ』だったのでした。
では、その『アマディス・デ・ガウラ』とはいかなる書物なのか解説を見ていきましょう。下巻の巻末解説では次のように述べられています。
ドン・キホーテの頭を狂わせた書物
マンチャのさる村の貧乏郷士が騎士道物語を読みすぎて頭に変調を来し、騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと自称して遍歴の旅に出たあげく風車にぶつかって地面に叩き付けられるのは、スペインが世界に誇るセルバンテスの傑作『ドン・キホーテ』に周知のところである。
齢五十になんなんとする田舎郷士アロンソ・キハーノの健全たるべき精神を席巻し、世に正義を行って天下の無法を糺すべく遍歴の騎士ドン・キホーテと名乗って冒険に乗り出す手本と仰いだのがこの『アマディス・デ・ガウラ』の一巻だった。
日々、なすべき事とてない郷士が徒然の暇をもてあまし、ひねもす読み暮らしたあげくドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの名乗りをひねりだすまでに耽溺したのである。もとよりドン・キーテの頭を狂わせたのはこの書物だけではなかったが、アマディスこそは騎士の指針、騎士道の鑑、これを 拳々服膺して学ばねばならないのだと時代錯誤を起こし、この書物を模範にして遍歴の旅路に乗り出して行ったのである。
果てはシエラ・モレーナ山中にこもって苦行を行う狂態を演じ、サンチョに想い姫ドゥリシネアへの手紙を持たせて使いに出す場面などはアマディスがぺーニヤ・ポブレで苦行に入る場面そのままのパロディである。その他にもアマディスを真似た場面や言葉の類似は枚挙に暇がなく、またアマディスへの言及も数多く見られ、ここではそれを取り上げる場ではないがドン・キホーテの頭を占めていたのはアマディスの所業の逐一を真似ることにあったのは確かである。
郷士アロンソ(ドン・キホーテ)の精神を狂わせた書物を家人が焼き捨てる第四章の場面では、『アマディス・デ・ガウラ』こそはスペインで印刷された最初の騎士道物であって他のはすべてこれをもとにしてそれに倣ったものだから、害悪の鼻祖として火刑に処すべしと判決を下されて真っ先に火に投げ込まれるところだった。
ところが「いや、この種の書物では唯一最良の物として酌量の余地あり」と村の司祭から救いの手が入って火刑をまぬがれている。他にも良書として許されたなかに『ティランテ・エル・ブランコ』があった。これについてはカタルーニャ語からの翻訳『ティラン・ロ・ブラン』があるのでそちらの解説にゆずることにするが、ドン・キホーテが狂うほどに傾倒した形跡は見られないようでもっぱら手本としてその行勧を真似たのが『アマディス』であったのは確かである。
彩流社、モンタルボ、岩根圀和訳『アマディス・デ・ガウラ』下巻P592-593
※一部改行しました
まさにドン・キホーテファンにはたまらない作品が今作『アマディス・デ・ガウラ』になります。私もこの本を手にしてニヤニヤが止まりませんでした。
そして訳者はドン・キホーテとアマディスについて次のように指摘します。これがまた「なるほど!」と思える素晴らしい解説ですので読んでいきます。
しかし、いい歳をした郷士が風車を巨人と思ってぶつかって馬から転げ落ちて何がおもしろかろう。図書館でも一冊目はボロボロ、二冊目からは手つかず、三冊以降は新品同様である現象は、滑稽な読み物を期待した読者が失望して二冊目には手を伸ばさない皮肉な証拠である。
期待するほどに『ドン・キホーテ』が笑えない理由のひとつに『アマディス』のパロディがあると思える。風車の冒険にしても、あれが現実に巨人と見えているなら本当の狂人かも知れない。だがドン・キホーテは、アマディスに登場するような巨人どもが風車に姿を変えられているのだと信じ込んでいるのである。もしファモンゴマダンかマダンファブルでもあるか、ないしは巨人バランかあるいは怪獣エンドリアゴでもあろうか、いずれにしてもそれらの幻想が頭に渦巻いているのであってドン・キホーテの目にも風車は現実に風車と見えているのはサンチョと同じである。
アマディスの天下無双の武勲を真似たドン・キホーテがそのことごとくにつまずいて狂態を演じる。それがすべてだとは言わぬまでも、その落差が笑いを生む重要な要素のひとつになっているのである。
ドン・キホーテが騎士道の話題を離れれば人生論を披瀝し立派に経綸を論じる極めて理性的で英邁な人物であるのはよく知られている。因みにアべリャネーダの書く贋作『ドン・キホーテ』の主人公はひたすら狂気に埋没して凶暴であってここがセルバンテスの『ドン・キホーテ』と大きく違うのである。
アマディスを知っていた当時の人びとは『ドン・キホーテ』を読んで抱腹絶倒、涙を流して笑い転げたと言われるが、われわれも『アマディス』を読んでから『ドン・キホーテ』を読めば抱腹絶倒とまでもいかなくとも、ドン・キホーテの愚昧とも思える言動にそれなりの理由があるのが分かり、意味不明の行動になるほどと膝を打って納得できる場面が多く、作者セルバンテスの仕組んだ意図に思い至ってふつふつと笑いが込み上げてくるのは間違いない。原典を知らずしてパロディだけを読んでも愉快なはずがないのである。
彩流社、モンタルボ、岩根圀和訳『アマディス・デ・ガウラ』下巻P593
※一部改行しました
「原典を知らずしてパロディだけを読んでも愉快なはずがないのである。」
まさしくこれです。
私も初めて『ドン・キホーテ』を読んだ時、その面白さが全く分からずただただとまどうばかりだったのを覚えています。
ですが以前紹介した牛島信明著『ドン・キホーテの旅』を読んだことでドン・キホーテに対する思いががらっと変わりました。
この本を読んでから『ドン・キホーテ』を読み返すとそれが面白いのなんの!
それ以来私はドン・キホーテの大ファンとなりました。
上の引用で訳者が述べるように、『ドン・キホーテ』はパロディであり、様々な風刺が書き連ねられた作品です。それを真正直に読んだとしてもその面白さが伝わらないのは当然です。
『ドン・キホーテ』の何が面白いのか、どこにそのすごさがあるのかを知らずして読むとかなりの確率で挫折してしまうでしょう。
というわけでそのネタ元となった『アマディス・デ・ガウラ』はとてつもなく価値のある作品となっています。
もちろん『アマディス・デ・ガウラ』を読まなくても『ドン・キホーテの旅』を読むだけで『ドン・キホーテ』を十分すぎるほど楽しむことができます。ですが、「ドン・キホーテファンとしてはもっともっと楽しみたい!」そんな方もたくさんおられると思います。であるならばぜひぜひ『アマディス』はおすすめしたいなと思います。
実際私もこの本を読んでみたのでありますが、ドン・キホーテがはまるのもむべなるかなの名作です。作中で司祭が「この種の書物では唯一最良の物」というのもわかる気がしました。
たしかに騎士の武勇がいかんなく語られるこの物語は面白いです。特に『ドン・キホーテ』の「シエラ・モレーナ山中にこもって苦行を行う狂態」のネタ元である「ペーニャ・ボブレの苦行」はものすごく面白かったです。
「ほぉほぉ、ドン・キホーテはこの話を真似してあんなことをしていたのか」とニヤニヤしながら一気に読み込んでしまいました。パロディから入って元ネタを見るという楽しみを私はこの本で満喫しました。
ただ、ふと思ったこともあります。
それは、「思っていたよりファンタジー要素が少ないな」ということでした。
私にとって『アマディス』は魔法使いだったり巨人や怪物と戦うというかなりファンタジー要素が強いイメージだったのですが、魔法そのものもだいぶ地味ですし、巨人や怪物との戦闘も案外こじんまりしています。現代の漫画やアニメのように、巨大な相手を一刀両断というような派手な演出もほとんど見られませんでした。
ここが私が想像していた『アマディス・デ・ガウラ』との違いでした。
とはいえ、当時としてはこれですら驚天動地の物語だったのでしょう。
『アマディス・デ・ガウラ』は16世紀に書かれた騎士道物語の祖であり最高傑作であるとされています。
ですが個人的な騎士道物語のベストは19世紀に書かれたスコットランドの作家ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』です。
この作品のあらすじは以下の通りです。
武勇並びなき騎士アイヴァンホーとロウィーナ姫とのロマンスを中心に、獅子王リチャードが変装した黒衣の騎士や義賊ロビンフッドが縦横に活躍する痛快無比の歴史小説。たくみなプロット、美しい自然描写、広範囲な取材により全ヨーロッパ文学に大きな影響を与えたウォルター・スコット(1771‐1832)の代表作である。(上巻)
黒衣の騎士たちの奮戦で囚われの人々は救出された。だが、傷ついたアイヴァンホーを献身的に介抱してくれたユダヤ人の美少女レベッカだけは、敵に拉致され、魔女として処刑されようとしている。アイヴァンホーは彼女を救い出すために決闘に臨む。…1819年刊行当時、記録的な売れゆきで人気を博したイギリスロマン主義の傑作。(下巻)
岩波文庫 菊地武一訳『アイヴァンホー』表紙解説
この作品は『アマディス・デ・ガウラ』よりもかなり後に作られてはいるとはいえ、とにかくこてこての騎士道物語となっています。
悪役たちはもう気持ちがいいほどの悪人です。「THE 悪人」!
悪徳騎士たちの非道っぷりがこれでもかと描かれます。
それに対して主人公のアイヴァンホーや謎の黒騎士もこれまたこてこてのヒーローっぷりを発揮します。
主人公のピンチに突如現れる謎の黒騎士。この黒騎士がものすごく強い。そしてその謎な雰囲気がまた格好良さを引き立てます。
何でしょうか、どうして私たちはこういう戦いのピンチの時に現れる謎の救世主にこんなにもワクワクするのでしょう。
正義の騎士たちが悪党たちと命を懸けて戦い、そして激しい戦闘の末、勝利を得てハッピーエンドというのは何度見ても気持ちがいい。
ウルトラマンや仮面ライダー、はては水戸黄門もそうですね。絶対勝つのがわかっているのに全く飽きない。むしろ「待ってました!」と大喜びで期待してしまう。
そんな物語がこの『アイヴァンホー』で語られていくわけです。あのロビン・フットも登場するというのもポイントです。彼の存在がまたこの物語にいい味を付け加えてくれています。
そして高潔な騎士や悲劇に見舞われても誇り高い心を失わない姫。
悪に立ち向かう彼らの姿は読む者の心を震わせます。
『アマディス・デ・ガウラ』もたしかに面白いです。ですがやはり16世紀という古い時代の作品ということもあってそのストーリー展開には限界があります。戦っては次の戦いへという単調な繰り返しという印象がどうしても否めません。
時代の蓄積があって書かれた『アイヴァンホー』は騎士道物語の極みと言っていいほどの面白さです。『アマディス』と比べて読むと時代の移り変わりというものも感じられてとても興味深いです。文学作品の進化というものを感じられます。
さて、話は戻りますが『ドン・キホーテ』のパロディ元となった『アマディス・デ・ガウラ』。
これはドン・キホーテファン必見の作品となっています。
もっともっとドン・キホーテを好きになること間違いなしの作品です。ぜひぜひおすすめしたい1冊となっています。
以上、「モンタルボ『アマディス・デ・ガウラ』あらすじと感想~ドン・キホーテを狂わせた騎士道物語の傑作!」でした。
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