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(12)1918年のサンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転と食料危機

目次

ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(12)

引き続きヴィクター・セベスチェン著『レーニン 権力と愛』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。

サンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転

1918年3月、第一次世界大戦は今なお続き、ドイツ軍は首都サンクトペテルブルク(ペトログラード)に迫っていました。

そこでレーニンは首都をモスクワへ移転することに決定します。

大方の古参ボリシェヴィキはぺトログラードを、ヨーロッパの伝統を受け継ぐ西欧の都市として眺め、タマネギ型屋根の教会のあるモスクワは、半ばアジア的な正教信仰と「旧ロシア」の首都だとみなしていた。

多くの者にとって、彼の地への引っ越しは一歩後退のように思われ、ヨーロッパ社会主義のルーツからの絶縁を暗示するものであった。「中世の城壁とおびただしい数の金ぴかの丸屋根があるモスクワは、革命的独裁の砦としては完全な逆説であった」とトロツキーは言っている。

ボリシェヴィキ指導部のほかの面々は、立ち去るのは「臆病」に思われ、倫理的敗北のように見えるだろうと述べた。ボリシェヴィキは「スモーリヌイの輝かしい精神」を考えるべきだ、と。

レーニンは彼らの議論を退けた。政府が移動すれば、権力と権威もともに移動するのだ、と。

「もしドイツが大規模な急襲でぺテルブルク〔彼はほぼいつもその名前か「ピーテル」で呼んでいた〕とわれわれすべてを侵略したら、革命は崩壊する。

政府がモスクワにあれば、ぺテルブルクの陥落は悲しむべき打撃ではあるけれど、一つの打撃にすぎない。もしわれわれがとどまるなら……軍事的危険を増大させるだろう。モスクワへ去れば、ドイツにとってぺテルブルクを奪取しようという誘惑ははるかに小さくなる。

彼らにとって、飢えた革命都市を奪取することにどんな利益があるたろうか?……。なぜ諸君はスモーリヌイの象徴としての重要性について、幼稚なおしゃべりをするのか?スモーリヌイはわれわれがいてこその場所だ。全員がクレムリンにいれば、諸君の象徴のすべてはクレムリンのなかにあるだろう」
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P184

現在にわたってモスクワが首都として存在するのもこの時に首都移転があったからこそなのでした。かつての旧首都としてモスクワが再びロシアの中心として君臨することになったのです。

サンクトペテルブルクとモスクワの歴史については以前紹介した以下の記事をご覧ください。

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1918年の食糧危機

ロシアの大半は飢えているーそこで、レーニンは責めを負わせるだれかを見つけなければならなかった。ロシアの数千の村落にどのような悲惨と流血が加えられようと、農民を生け贄にするのが、国を養うもっとも手っ取り早い方法だ。レーニンは最初からそう考えていた。ボリシェヴィキが直接の食料危機を招いたわけではない。戦争による秩序の崩壊と完全に破綻した輸送システム、そして凶作が原因の一部だった。だが、強制と残忍なテロルというレーニンの懲罰的政策が、事態を一段と悪化させたのである。(中略)

食糧不足は一九一八年の間にさらに深刻化し、都市部にもっとも厳しい影響があった。理由の一つは、輸送システムがあまりに劣悪で、流通が大問題であったのと、もう一つはインフレーションである。

革命のあと、通貨はたちまち無価値になり、農民は現金での代金受け取りを拒否した。一九一七年には約三〇〇〇人だった造幣局の職員数は、一年後には一万三五〇〇人になっていた。「紙幣印刷が唯一の成長産業だった」と、スハーノフが言ったのはあながち冗談ではなかった。

一年のうちに、流通するルーブルの総額は六〇〇億から二二五〇億にはね上がった。物納・物々交換という完全な並行システムが出来上がった。一部のボリシェヴィキは、想像上の社会主義経済理論を実験しながら、インフレーションは経済の通貨依存を破壊するので、いいことだと考えた。レーニンは同意せず、それがあらゆる物の価値にどう響くかを悟っていたが、歴史上の多くの指導者と同様、インフレがいったん威力をふるいだすと、なすすべがなかった。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P188-189

第一次世界大戦と革命によって農村は荒廃し、輸送システムも崩壊したためロシアの食糧事情はすでに危険な状態でした。そしてそこに凶作が重なりさらなる危機が迫っていました。

政権を握ったレーニンは早くも重大な局面に立たされます。

そこでレーニンが取ったのは強制的な食糧徴発という方法だったのです。

食料危機に対するレーニンの回答ー強制徴発とテロルの強化

レーニンは敵を必要とした。そこで、ロシアの新たな階級「クラーク」、すなわち富裕農民をつくり出し、彼らが穀物を貯め込み、国の残りの部分、とくに都市部をわざと飢えさせているのだ、と彼は主張した。

現実には、ロシアには富裕農民はほとんどいなかった。それなりに相当な土地を所有しているのは少数で、一部は他の農民へ金を貸し、一頭以上の馬、牛か、あるいは鍬を所有する農民も少数だった。家族以外のだれかを雇っている農家はニパーセントに満たない。富農に対するレー二ンの政治運動は、彼が都市で展開していた階級戦争の延長だった。(中略)

農民は強制され、脅され、そしてしまいにはテロを加えられて、従わされたのである。もともと、富農とされた人びとは、ほとんどが村の長老か農村共同体の指導者だった。あるいは、もっとも成功した創意豊かな、もしくは非常に勤勉な農民だった。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P188ー189

レーニンは危機を打開するため、得意の戦法を用います。

「敵を作り出し、大衆の憎悪を煽り、暴力を行使する」という手法です。

ロシアには実際に富農(クラーク)と呼ばれる階級は存在しないにも関わらず、その存在を喧伝しました。引用にありましたようにその大部分は「ほとんどが村の長老か農村共同体の指導者だった。あるいは、もっとも成功した創意豊かな、もしくは非常に勤勉な農民」だったのです。彼らはいわれのない罪を着せられ攻撃されることになったのです。

食糧危機に対するレーニンの回答は、強制とテロルの強化であった。彼は一九一八年の初夏、血の凍るような演説で「穀物のための戦い」を発動し、富農と「不当利得者」にロシアの飢餓の責めを負わせた。

「富農はソヴィエト政府の凶暴な敵である。……これらの吸血鬼は人民の飢餓によって裕福になったのである。これらのクモは労働者によって肥え太った。これらのヒルは労働者の血を吸い、都市労働者が飢える一方で、いっそう豊かになったのである。クラークに無慈悲な戦争を!彼ら全員に死を」
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P191

「穀物のための戦い」の実態ー過酷な穀物取り立て

布告が出て最初のニカ月で、いわゆる「徴発隊」が二万村落以上に派遣された。徴発隊は通常、七五人の隊員とニ、三丁の機関銃から成っており、彼らは村を包囲し、地元のボリシェヴィキ党本部が決めた一定収量の穀物の引き渡しを要求するのだった。

「要求された量の穀物を供出せずに現行犯で逮捕され、明白な証拠にもとづいて有罪を宣告され得る投機屋はその場で処刑されるであろう」とレー二ンの布告は宣言していた。

徴発隊はたいてい度外れた残忍さで行動し、「しかるべき」量の穀物が見つかるまで、いつも容疑者を拷問した。ボリシェヴィキ当局者の一人は、徴発隊がロシア南部の「黒土地帯」のある村を襲撃するのを目撃して、衝撃を受けた。「収奪の手段は中世の審問を思い出させる。農民を裸にし、地面にひざまずかせて、鞭打ったり殴ったり、時には殺すのだ」。

レーニン自らが、「村落における階級戦争」で追加的な工夫をするよう勧めた。懲罰が加えられるときは、懲罰隊は「必ず近隣の貧困住民から選ばれる少なくとも六人の証人を招集すべきである」と。要求する量の穀物が引き渡されるまで、徴発隊がニ〇人ないし三〇人の村人を人質にして、要求するケースもあった。

もともとレーニンは、すべての農民は個別に穀物を引き渡すものとし、そうしない者は「その場で銃殺」するよう主張していたのたが、食糧人民委員のアレクサンドル・ツュルパとトロツキーがこの考えにひるんで、少々和らげなければならなかった。その結果、「適正に指定された鉄道駅と船荷積み出し地点への配送を怠った」農民は、「人民の敵と宣言されるものとする」との表現になったのである。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P191-192

穀物徴発は過酷を極めました。今回の記事では詳しいところまでは触れませんが、以前紹介した以下の本でかなり詳しくこの時期のソ連について書かれています。

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1918年の時点でかなり過酷な強制徴発を行ったレーニンでしたがその後の1921年にはさらに悲惨な政策を行うことになります。

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この時の収奪は膨大な数の餓死者を生み出すことになりました。

そしてソ連の食糧政策はその後のスターリン時代に引き継がれ、1930年代には数百万人の餓死者が出る大惨事になります。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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