ユゴー『レ・ミゼラブル』あらすじと感想~ミュージカルでも有名なフランス文学の最高傑作!
ユゴー『レ・ミゼラブル』あらすじと感想~ミュージカルでも有名なフランス文学の最高傑作!
今回紹介するのは1862年にヴィクトル・ユゴーによって発表された『レ・ミゼラブル』です。私が読んだのは新潮社版2013年第73刷版です。
では早速この本について見ていきましょう。
わずか一片のパンを盗んだために、19年間の監獄生活を送ることになった男、ジャン・ヴァルジャンの生涯。19世紀前半、革命と政変で動揺するフランス社会と民衆の生活を背景に、キリスト教的な真実の愛を描いた叙事詩的な大長編小説。本書はその第一部「ファンチーヌ」。ある司教の教えのもとに改心したジャンは、マドレーヌと名のって巨富と名声を得、市長にまで登りつめたが……。
Amazon商品紹介ページより
前回の記事「ドストエフスキーも愛した『レ・ミゼラブル』 レミゼとドストエフスキーの深い関係」では『レ・ミゼラブル』とドストエフスキーの関係性をお話ししましたが、この作品は1862年、ヴィクトル・ユゴーによって発表された言わずと知れた名作です。
この小説を原作に数多くの舞台や映画化もされていて、むしろそちらの方が印象が強い作品かもしれません。
この『レ・ミゼラブル』についてフランス文学者鹿島茂氏は『「レ・ミゼラブル」百六景』の中で次のように述べています。
世の中には、誰でも題名とあらすじぐらいは知っているか実際には誰も読んだことのない《世界の名作》というものが存在している。これらの《名作》は大人たちの親切心から、たいていは抄訳の形で『少年少女世界文学全集』の類いにおさめられているか、こうした抄訳で《名作》を読んだ少年少女が成人してから完訳版でその作品を読み返すことはまずないといっていい。
思うに、こうした読まれざる《名作》は大きく二つの系列に分けることができる。一つは『ドン・キホーテ』『ガリヴァー旅行記』といったきわめて象徴性が高い作品で、いちど概要を知れば、あらためて読み返す必要がないように思えるものである。もう一つは、いわば普遍的な通俗性とでもいえる要素を備えた作品で、何度も映画化やドラマ化されているため、読みもしないのになんとなく読んだ気になってしまうものである。ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』は、幸か不幸か、このどちらの要素も含んでいる。したがってほとんど読まれることがない。もしフランス文学に関するアンケートを取ったなら、題名を知っている作品のトップには必ずこの『レ・ミゼラブル』が来るだろうが、読了した作品の項目では順位はかなり下になるはずである。
文藝春秋、鹿島茂『「レ・ミゼラブル」百六景』P3-4
たしかに、『レ・ミゼラブル』ほど知名度のある作品はめったにないかもしれません。
しかしそれをいざ原作で読んだことがあるかということになると、いかんせん下の写真のような分量ですのでなかなか手が出ません。
そもそも映画や舞台がすでに面白いのでそちらで十分ということも大いにありえると思います。『レ・ミゼラブル』はミュージカルでも大人気です。ちなみに私も大ファンです。観るたびに号泣し、今でもよくサントラを聴いています。
さて、そんな『レ・ミゼラブル』ですが、この作品はなぜこんなにも人々に愛されることになったのでしょうか。
作品あとがきには次のように述べられています。
『レ・ミゼラブル』の魅力、読者に与える感動はどこから生れるか。それはこの小説全体をつらぬく作者のヒューマニズムにある。これを書いたときのユゴーの意図は明白であり、それを実現するために、彼は途中で不安やためらいを全く感じていない。それだけに事件が複雑であり、人物は多種多様であっても、読者は一貴して作者の思想をとらえることができ、安んじてそれに身を委ね、感動することができるのである。この作品におけるユゴーの意図は、その短い前書きにもあるように、貧しさや飢えに苦しむ人々に味方して、彼らを虐げ、彼らを苦しめる制度や慣習を打破しようと戦うことである。そこに『レ・ミゼラブル』(みじめな人々)という題名の意味が存する。「みじめな人々」はいつの時代にも、どこの国にもいて、同じような制度や慣習の犠牲になって、かぎりない不幸を味わっている。だからこの小説の読者は作者の意図に深い同感を覚えながら、主人公ジャン・ヴァルジャンの行動に感動するのである。
『レ・ミゼラブル』⑸佐藤朔訳、新潮社、P532
たしかに『レ・ミゼラブル』には、物語が面白すぎるきらいがあり、人物の善玉と悪玉がはっきりしすぎる憾みがある。しかしそうした物語と人物が、多くの読者に強い感動を与えるからこそ、この小説が広く、長く愛読されていることも事実である。
『レ・ミゼラブル』⑸佐藤朔訳、新潮社、P532
『レ・ミゼラブル』は「みじめな人々」という意味です。『レ・ミゼラブル』はユゴーのヒューマニズムの結晶であり、みじめな人々をめぐる壮大な作品です。
主人公のジャン・ヴァルジャンはそんなみじめな人々を生み出す社会そのものと戦い、自らの内にもあるみじめさとも戦います。
主人公ジャン・ヴァルジャンは貧困に苦しむ姉の小さな子供たちのためにたった一片のパンを盗んだことから19年の監獄生活を送ることになります。
「無知と悲惨から犯した些細な罪のために重罪に処せられ、世にいれられず、絶望に陥った彼が、司教に感化されて悪の道からのがれて、身を犠牲にしてあらゆる善根を施してゆく。(中略)無数の善行によって罪を贖いつづけてゆく彼は、超人的であり、純粋であり、非現実的であり、その意味で叙事詩的な英雄」となっており、この物語はそんなジャン・ヴァルジャンの波乱万丈な人生を描いています。
そして先の引用にもありましたように、この作品はなんと、「物語が面白過ぎる」という理由で批判がなされることもあるのです。
善玉悪玉がはっきりしている点や、「えっ!?まさかここでこの人が!?」と思うような筋書き。こうした点で文学専門の批評家からはあまりに通俗的で、芸術的ではないと批判されてしまうのです。
つまり、「そんな劇的でわかりやすい物語はたしかに面白いが芸術的ではない、けしからん!」という批判です。
よくよく考えてみるとすごい批判ですよね。「面白過ぎるからいかんのだ!」
わからなくもないですが、面白いものを読んで楽しみたいという一読者からするとこんなありがたい批判はないでしょう。
批判すべきところが「面白過ぎる」「わかりやすすぎる」しかないのですから。
『レ・ミゼラブル』は分量も多く、原作はほとんど読まれていない作品ではあるのですが、基本的には難しい読み物ではなく、わかりやすすぎるほど善玉悪玉がはっきりしていて、なおかつ物語そのものもすこぶる面白い作品です。
しかも単に「面白過ぎる」だけではありません。この作品にはユゴーのありったけが詰まっています。つまり、ものすごく深い作品でもあります。私もこの作品のことを学ぶにつれその奥深さには驚愕するしかありませんでした。
というわけで次の記事からいよいよ『レ・ミゼラブル』の本編に入っていきたいと思います。
私が読んだのは新潮社版の『レ・ミゼラブル』で、文庫本で全5巻となっています。
1冊1冊がちょうどきりのよい章分けになっていますので、1冊ずつご紹介していきたいと思います。
以上、「ユゴー『レ・ミゼラブル』あらすじと感想~ミュージカルでも有名なフランス文学の最高傑作!」でした。
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