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ドストエフスキーの隠れた名作『未成年』概要とあらすじ
『未成年』は1875年に発表された長編小説です。
私が読んだのは新潮社出版の工藤精一郎訳の『未成年』です。
早速裏表紙のあらすじを見ていきましょう。
1870年代、古い制度と道徳が急激に崩れ去ったロシア。
この国を崩壊から救うものは何か、文豪はこの作品に答えを探ろうとした。
知識人の貴族ヴェルシーロフは、一家の主でありながら、「宿命の女性」アフマーコワへの情熱に駆られ破滅への道をひた走る。いっぽう彼と使用人の間に生れた私生児アルカージイは、日陰の生立ちのため世を憤り、富と権力を得ることを求めながら、父の愛を渇望する。ロシア社会の混乱を背景に、信仰と不信、地上的恋と天上的愛に引き裂かれる人間像を描くドストエフスキー円熟期の名作長編。
Amazon商品紹介ページより
この物語の主人公は貴族ヴェルシーロフとその使用人の間に生まれたアルカージイという私生児です。
アルカージイは私生児であるがゆえに、寄宿学校でもみじめな思いをし、心に深い傷を受けます。
そうした彼が青年へと成長し、この物語が始まっていきます。『未成年』はこの青年アルカージイの手記という形で書かれています。よって物語はすべてアルカージイ目線であり、世の中を知らない彼の目を通して読者の私たちも謎めいた世界を見ることになるのです。
下巻のあとがきにはこの作品の成立過程が次のようにまとめられています。
一八七一年七月、彼はパリ・コンミューンの荒れ狂うヨーロッパをあとにして、「西欧ではキリストは失われてしまっている、だから西欧は破滅するにちがいない……」と深い悲しみを抱いて帰国した。そして彼が見たのは、トルストイの言う「何もかもひっくりかえってしまった」ロシアであった。
当時のロシアは、農奴制度の廃止とこもに、社会を支えていた古い制度と道徳が急激に崩れ去り、資本主義の発達につれて、全般的な貧困化が急速に進み、新しい指導理念がないままに、国じゅうが混沌と無秩序の中に突き落とされていた。この「化学的に分解しつつある」ロシアを最終的崩壊から救うものは何か?ドストエフスキーはこれを『未成年に』さぐろうとした。
※一部改行しました
新潮社出版 工藤精一郎訳『未成年』下巻P614
1871年のパリ・コンミューンはおよそ20年続いたナポレオン3世のフランス第二帝政の崩壊直後の混乱期にあたります。そのあたりの顛末は以前紹介したエミール・ゾラの『壊滅』に詳しく描かれています。
この記事ではパリ・コミューンについては言及しませんでしたが、第二帝政の腐敗と1870年の普仏戦争、そこから現れたパリ・コミューンの悲惨な最後についてざっくりとではありますが紹介しています。
さて、ドストエフスキーはこの作品を通して、没落していくヨーロッパと、混乱を極めるロシアにおいてその救いとなるものはいかなるものかをこの作品で探究していきます。
感想
この作品をざっくりとまとめることは正直、とても難しいです。
なぜならこの作品はロシアの混沌を描いたものだからです。
その混沌の中を主人公のアルカージイはもがき苦しみながら突き進み、自分自身を見出そうとしていきます。
そしてさらに厄介なのはこのアルカージイ自身も混沌そのもので、混沌の中で確たるものを見つけられず右往左往と苦しんでいます。そのアルカージイ目線でこの物語は進んで行くのですからこの小説はずっと不確かな謎のまま進んでいくという何とも落ち着かない雰囲気を味わい続けることになります。
ですがそんなアルカージイですが、彼なりに心に秘めた理想があります。彼自身、その思いを次のように述べています。
わたしの理想、それは―ロスチャイルドになることである。わたしは読者諸君におちついて、まじめに聞いてもらいたいのである。
くりかえして言うが、わたしの理想、それは―ロスチャイルドになることである。ロスチャイルドのような富豪になることである。ただの金持ちになるのではなく、ロスチャイルドのようになることなのである。
新潮社 工藤精一郎訳『未成年』上巻P614
主人公アルカージイは私生児という生れに非常に強いコンプレックスを抱えています。そして寄宿学校での体験から彼の内面にはさらに深い傷が与えられます。
そんな彼が見出した理想、それがロスチャイルドでした。
金、それも圧倒的な金があればどんな人間もひれ伏す。ただの金持ちではだめです。ロスチャイルドでなければなりません。そこに彼のこだわりがあります。
『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフはナポレオンにその理想を見出しましたが、今作ではロスチャイルドが思想上のテーマとして選ばれたのでありました。
なぜロスチャイルドがここで選ばれたのかと言いますと、ドストエフスキーはプーシキンの『吝嗇の騎士』という作品に強い影響を受けていたのでありました。
『吝嗇の騎士』とドストエフスキーのつながりについてその一つを紹介します。
一八七四年夏、ドストエフスキーは肺気腫治療のためにエムスへ出かけて行き、長篇小説のプランを練った。けれども作業ははかどらなかった。「いったいいつ小説を書けばいいのか」と、彼は妻にあてて書いている。「日中は、こんなにも明るく太陽が輝いて、散歩したい誘惑に駆られるし、町はざわめいている。どうか長篇に手がつけられればいいのだが。たとえわずかでも見当がつきさえすれば、手がつけられればということは、仕事の半分はできたということだからね」(一八七四年六月十五日づけ)。作品を執筆するかわりにプーシキンを読み、「夢中に」なっている(六月十六日づけ、妻あて)。彼は「吝嗇の騎士」の天才的なプロットに、あらためて驚嘆する。プーシキンの悲劇的な守銭奴の影響を受けて、自分の主人公―「ロスチャイルドのイデー」を持ったアルカージー・ドルゴルーキーを思いつく。
モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P528
こうしてドストエフスキー五大長編の一つ『未成年』は生まれたのです。このドイツのエムス滞在について私は2022年に実際にこの地を訪れ以下の記事を書きました。ドストエフスキーがどんな状況で『未成年』の構想を練っていたのかがきっと伝わるかと思います。
ドストエフスキーのかつての理想郷「ヨーロッパ」の没落と、ロシアの混沌。
そんな八方ふさがりの悲惨な状況の中で何が人々を救いうるのか。それをドストエフスキーは『未成年』という作品で読者に問いかけます。
そしてこの作品で提出された問題はその後ますます熟成し最後の大作『カラマーゾフの兄弟』へと組み込まれていきます。
つまり『カラマーゾフの兄弟』への萌芽をすでにこの作品の中に見出すことができるのです。そうした意味でもこの作品は興味深いものとなっています。
『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』という、あまりに巨大な作品に挟まれた『未成年』は五大長編の中でも影が薄い作品となってしまっていますが、思想的な意味では非常に重要なものを含んだ作品です。
ドストエフスキーの研究書でもこの作品は重要なものとして取り上げられることが多いです。それだけ文学的、思想的な価値がある作品と言うことができるでしょう。
以上、「『未成年』あらすじと感想~ドストエフスキーの隠れた名作!「私はロスチャイルドになりたいのだ」」でした。
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