エンゲルス『反デューリング論』あらすじと感想~マルクス主義伝播に巨大な影響を与えたエンゲルスの代表作
エンゲルス『反デューリング論』概要と感想~マルクス主義伝播に巨大な影響を与えたエンゲルスの代表作
今回ご紹介するのは1878年にフリードリヒ・エンゲルスによって発表された『反デューリング論』です。
私が読んだのは岩波書店より発行された、1974年改版第二十刷版、粟田賢三訳の『反デューリング論』です
早速この本について見ていきましょう。
『オイゲン・デューリング氏の科学の変革』通称『反デューリング論』は哲学、経済学、社会主義の全領域にわたってマルクス主義の世界観をはじめて包括的に叙述したものとして、マルクス主義の歴史において『資本論』とならぶところのもっとも重要な古典的著作である。
それは当時のドイツのプロレタリアートの科学的社会主義に対する理解を深めたばかりでなく、国際的なプロレタリアート解放運動に重要な意義をもつ著作であり、今日もなおマルクス主義の全体に対する最良の入門書である。
ことにそのうちの三つの章を抜粋して編まれた『空想より科学への社会主義の発展』は、『共産党宣言』とならんでもっとも広く普及しているマルクス主義文献である(本文庫所収、大内兵衛氏訳、『空想より科学へ』)。
またこの書物はそうした基本的な著作としてそれ以後の多くのマルクス主義著作の模範となり出発点となった。例えば、レーニンの『人民の友とはなにか』、『唯物論と経験批判論』、プレハーノフの『史的一元論』などはこの書物の発展であり、その論争的な形式までも継承されている。
これはマルクス主義がプロレタリアートの世界観として党派性をもつものであり、ブルジョア的世界観との闘争を通じて発展してきたものであることを思えば、うなずかれることである。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P311-312
※一部改行しました
ここで解説されますように、この作品はマルクス主義においてあの『資本論』と並ぶ最も重要な書物のひとつとして位置づけられています。
そしてこの作品より抜粋して新たに作られた『空想より科学へ』はマルクス主義の手引書として世界中で読まれ、「空想的社会主義者」という有名な言葉もここから広がっていきました。
そしてタイトル『反デューリング論』とありますように、この作品はデューリングという人物への反論という体で書かれたものとなっています。
では、そのデューリングとは一体何者なのか、巻末の解説では次のように書かれていました。
デューリングは哲学、自然科学、経済学、社会主義の諸領域についていわば百科全書的な知識をもった学者で相当に高い能力をそなえた人物であった。二十八歳で視力を失ってしまった盲人でありながら、哲学、経済学から社会主義にわたる広大な体系をうちたて、終局的な決定的の真理を発見したと自称し、マルクスやラッサールをふくめて先行の哲学者や社会主義者を手ひどくこきおろし、彼が私講師の職にあったべルリン大学の学生に大へんな人気があったばかりでなく、ラッサールの煽動的な文書にもはや満足せず、マルクスの『資本論』をまだ十分に理解することのできなかった社会主義運動の指導者たちをも強くひきつけたのである。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P313-314
詳しくは以前紹介した上の記事で紹介していますが、マルクス・エンゲルスの政治活動において非常に強力なライバルとして現れたのがこのデューリングでした。
デューリングに対してはマルクスもエンゲルスも我慢ならなかったようで、『反デューリング論』ではかなり激しい攻撃の言葉を投げかけています。
例えば、この作品の冒頭で早速エンゲルス節が炸裂しています。
デューリング氏は、今日ドイツのいたるところにのさばりでて、そのぶんぶんとやかましい―高等駄弁でもって一切のものをきこえなくしてしまっているところの、うるさいにせ科学の特色をもっともよく示す型の人物の一人である。
詩歌に、哲学に、政治学に、経済学に、歴史記述に見られる高等駄弁、教壇や演壇での高等駄弁、いたるところ高等駄弁だらけである。
他の諸国民の単純で平凡卑俗な駄弁とはちがって、優越と思想的深さとをもって任ずる高等駄弁、ドイツの知的産業のもっとも特徴的なもっとも大量的な産物である高等駄弁、これは他のドイツ製品とまったく同様に、安かろう悪かろうというしろものであって、それらと一緒にフィラデルフィアに陳列されなかったのは残念なしだいである。
さらにドイツの社会主義までが、とくにデューリング氏がりっぱなお手本を見せてからというもの、近頃ではとみにめざましく高等駄弁をたたきはじめて、得意然と「科学」をふりまわすくせに、それについて「ほんとうになにも学んでいない」あれこれの連中を生みだしているしまつである。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P14
※一部改行しました
デューリングの言葉を「高等駄弁」、「高等駄弁」と嘲笑し、「科学を自称しながら、デューリングには何の根拠もない」とこき下ろします。
そしてデューリングという人物もマルクス・エンゲルスに劣らぬ激しい言葉遣いで有名で、誹謗中傷の嵐が両者の間に吹き荒れたことがこの本からもうかがえます。エンゲルスはデューリングが言ったマルクスへの悪口をこの本で引用しています。
マルクス。「理解の狭さ……彼の仕事と業績とは、それ自体として、すなわち純理論的に考察すれば、われわれの領域」(社会主義の批判的歴史)「にとって、なんらの永続的意義がなく、精神的潮流の一般史にとっても、たかだか近時の宗派的スコラ主義の一分派の影響の一症候としてあげらるべきものである……集中し秩序づける能力の欠乏……思想と文体とのぶざまさ、品格のない言葉づかい……イギリス風の虚栄……ペテン……実際は歴史的幻想と論理的幻想との雑種にすぎないところの混乱した構想……詭弁的な言い方……個人的虚栄心……卑しい小細工……あつかましい……文士気とりのおどけやしゃれ……中国人式博学……哲学上、科学上の時代おくれ。」
等々、等々―というのは、実際、以上はデューリング・バラ園からざっと集めてきた、ほんのささいな花束〔詞華集〕にすぎないからである。言うまでもないことだが、これほどの愛すべき悪口雑言をやる以上、いくらデューリング氏でも、いくらかの教養があるなら、なにごとかについてそれは卑しいとか、あつかましいなどとはいえた義理ではないのだが、はたしてこの愛すべき悪口雑言もこれまた終局的な決定的真理なのかどうかは、さしあたりわれわれにはどうでもよい。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P55-56
正直、後世を生きる私たちにとっては、デューリングの言っていることはあながち全くの的外れではないのではないかと思ってしまいます・・・
この記事でもお話ししましたが、デューリング以前にもロシアのアナーキスト、バクーニンもマルクス・エンゲルスの痛いところを突いた批判をしました。それに対してマルクス・エンゲルスはなりふり構わず政治的工作を用いてバクーニンを失脚させようとしています。
今回のデューリング対マルクス・エンゲルスの戦いもそのような泥仕合を感じさせる雰囲気があります。
エンゲルスはこの本で、
唯物史観と、剰余価値を通じての資本主義的生産の秘密の暴露とは、われわれがマルクスに負うものである。これらの発見によって社会主義は一つの科学となった。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P47
と述べ、マルクスの思想こそ科学だと断言します。
そして、デューリングについて次のように述べていきます。
デューリング氏は「自分の時代および当面見とおしうる、このカ」(哲学)「の今後の発展を通じて、この力の代表者をもってみずから任ずるもの」だという名乗りをあげている。だから、彼は現代および「見とおしうる」将来にわたって、唯一のほんとうの哲学者だとみずから公言するわけだ。彼にそむくものは真理にそむくことになる。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P49
さらに、
彼はこれよりほかにないという真理をにぎっているばかりでなく、また唯一の厳密に科学的な研究方法をもにぎっているわけで、それに対しては他の方法はすべてみな非科学的なのである。彼のいうことが正しいとすれば―その場合には、われわれはあらゆる時代を通じての最大の天才、不可謬であるがゆえに超人的であるところの最初の人間のまえに立っていることになる。
終局的な決定的真理と唯一の厳密な科学性とをにぎっていれば、自分以外のまちがいにおちいっている非科学的な人類に対して、かなりの軽蔑を感ずるのはもちろんのことである。だから、デューリング氏が彼の先輩たちに対して悪口雑言をきわめ、そしてほんの少数の例外的に彼自身のご指名にあずかった大人物だけが、彼の根底性のおぼしめしにかなうのだということは、あえて驚くにはあたらない。
岩波書店、フリードリヒ・エンゲルス、粟田賢三訳『反デューリング論』P52-53
『デューリングは「自分が説く教えは絶対的な真理であり、科学的なものだ」と述べるがそんなものには根拠がない』とエンゲルスは述べます。
さらに、『デューリングは自説とは異なる理論を言う者には「真理に背く者であり、馬鹿げた非科学的な人間だ」と嘲笑する』とエンゲルスは嘲笑し返します。
ただ、よくよく考えてみて下さい。
これは歴史を経て現代を生きている私たちだからこそ思えることなのですが、エンゲルスの言う一言一言が壮大なブーメランとなってマルクス・エンゲルスに返ってきているようにも感じてしまいます。
たしかにエンゲルスの言葉を聞く限りでは、デューリングの言っていることは独善的で非科学的なものです。
ですがそれを批判しているエンゲルス自身も似たようなものなのではないかという思いを抱かずにはいられません。
この作品は終始このような雰囲気のまま進んでいきます。
「デューリング氏は間違っている。非科学的だ。我々マルクス・エンゲルスの理論こそ科学的なのだ」
ということをこの本は主張し続けます。
この本を読んで想像してしまったのは、間違っている説を持った人間が二人いて、それぞれが「我々こそ真理だ。科学的な根拠だってある」と主張し合い、罵り合いの結果、多くの支持者を集めた方が勝ちという状況です。
両者はそれぞれの真理をかけて決闘し、一人は倒れ、一人は勝者となるのですが、もし仮にどちらも間違いだった場合はどうなるのでしょう。
間違ったものを掲げた者同士の決闘の勝者は「真実」になるのでしょうか。
思えば、マルクス・エンゲルスは若い時からずっとその手法で作品を書き続けています。二人の初めての共同作業である『聖家族』が出版されたのは1845年、マルクス27歳、エンゲルス25歳の年ですがこの作品もブルーノ・バウアーへの批判が書かれた本です。
マルクス・エンゲルスの強みはライバルの思想を批判し、「自分たちこそ正しい」という印象を与えることにあるように思えます。ある意味、マルクス・エンゲルスは独創的な見解というものを世間に開陳するのではなく、すでにあった思想に対して、「いや、それは違う」を繰り返して壮大な思想体系を形成していったとも言えるかもしれません。二人とも、特にマルクスは猛烈な勉強家でしたので当時流行していた思想から古典経済学まで異常なほど読書しています。大英博物館図書館にこもり、本の海に飛び込んでいただけあります。
このことについては、法政大学出版局から出版されたジャック・バーザンの『ダーウィン,マルクス,ヴァーグナー 知的遺産の批判』に詳しく書かれていますのでぜひご参照ください。
『反デューリング論』はマルクス主義の重要解説書として非常に重視されてきました。マルクスの著作、特に『資本論』は膨大で難解過ぎました。そんな書物のエッセンスを抽出し、マルクス主義をわかりやすく解説したものとして出版されたのがこの本です。
たしかにこの本は読みやすいです。
特に、『空想より科学へ』の基になった「社会主義」の章は非常にわかりやすく、ドラマチックです。
超難解な『資本論』と違ってこうしたわかりやすくてドラマチックな物語が書かれた『反デューリング論』という存在があったことがマルクス主義の伝播にどれほど役に立ったかは計り知れません。
この作品が出版された1878年はマルクスも存命中で、いわば共同作業とも言っても過言ではありません。
『反デューリング論』の成立過程やその反響については以前お話しした以下の記事により詳しく書いてありますのでぜひこちらもご参照ください。
以上、「エンゲルス『反デューリング論』概要と感想~マルクス主義伝播に巨大な影響を与えたエンゲルスの代表作」でした。
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反デューリング論〈上巻〉―オイゲン・デューリング氏の科学の変革 (1974年) (岩波文庫)
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