C・アングラオ『ナチスの知識人部隊』あらすじと感想~虐殺を肯定する理論ーなぜ高学歴のインテリがナチスにとって重要だったのか
クリスティアン・アングラオ『ナチスの知識人部隊』概要と感想~ナチスのイデオロギーに重大な役割を果たした知識人。虐殺を肯定する理論
今回ご紹介するのは2012年に河出書房新社より出版されたクリスティアン・アングラオ著、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』です。
早速この本について見ていきましょう。
ナチス親衛隊下にあった情報機関SDという部隊は、高学歴で若いエリート集団だった。千年王国への熱情、終末論的な恐怖の末、東部戦線での果てしなき殺戮へと向かわせたものは? 知と信の根底を問う名著
頭脳明晰な大学出の若きエリートたちがなぜ数十万もの殺戮を犯したのか?ナチス親衛隊下の処刑部隊の指揮官として先頭に立った約80名の若者たちを詳細に分析した戦慄の研究。
Amazon商品ページより
この本はナチスにおいて大きな役割を果たしていた青年知識人にスポットを当てて書かれた本です。
そして上の引用にもありますようにこの部隊は若いエリートが多かったというのも重要です。ナチスのイデオロギーは若い知的エリートによって作られていったのです。老獪な政治家たちが練りに練って作ったイデオロギーではなかったのです。
この本ではそんなナチスの若き知的エリートがどのように生れ、彼らが独ソ戦においてどのような行動をしていったのかが語られます。
この本の内容については訳者あとがきが非常にわかりやすかったのでそちらを引用していきます。
「彼らは美男で、輝かしく、知的で、教養があった」
「彼らは美男で、輝かしく、知的で、教養があった」と本書の冒頭にあるように、彼らは頭脳明晰な若者たちだった。親衛隊の保安情報機関に採用されたのも、その知性を買われてのことだった。情報の収集や分析、すなわち「敵研究」に、法学や人文科学の知識が必要とされたからである。また、ナチスのイデオロギーに学問的な裏づけを与え、それを正当化するのも、彼ら知識人の重要な役目だった。そのようにして、八〇人ほどのアカデミカ―(大学修了者)が、SD(SS保安部)やRSHA(国家保安本部)で中心的な役割を担うことになった。彼らはやがて、そうした保安業務の一環として東部へ派遣され、処刑部隊の先頭に立つことになる。
それにしても、法律や経済や歴史を勉強していた若者たちが、なぜジェノサイドに加わることになったのだろうか。彼らはいわゆる「普通の人々」で、ただ上官の命令にしたがい、ジェノサイドに巻き込まれていったのか。それとも、彼らは率先してジェノサイドを行ったのか。彼らをジェノサイドに駆り立てた要因があるとするなら、それはいったいなんだったのか。そもそも、彼らはどうしてナチスに惹かれていったのだろうか。
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P438-439
「彼らは美男で、輝かしく、知的で、教養があった」
このような人たちがナチスのイデオロギーを強化していき、国民を動かしていったというのはやはり驚きですよね。この本では「普通のインテリ」である彼らがなぜジェノサイドへと突き進んでいったかを述べていきます。
ドイツ人が抱えた第一次世界大戦敗北のトラウマ
彼らの思考と行動の原点になった出来事として、まず考えられるのは、第一次世界大戦におけるドイツの敗北である。彼らの多くは一九〇〇年から一九一〇年のあいだに生まれており、戦中戦後の混乱期に、多感な青少年時代をすごした。ドイツの危機を心から憂い、強力なドイツ帝国を築きたいという熱意にあふれ、政治・社会活動にも熱心に取り組んだ。ユートピアの実現を掲げるナチスが彼らの目に魅力的に映ったのも、理解できないことではない。
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P438-439
この本を読んでとても印象に残ったのがここで言及されている部分でした。ドイツ国民にとって第一次世界大戦の敗北がトラウマになっていて、敵の脅威を常に恐れていたということでした。
第一次世界大戦は総力戦となりこれまでの戦争とは比べ物にならないほどの犠牲者が出ました。そして大量の国民を戦争に導入するにはプロパガンダが必要です。この時からすでに戦争は国民が一体となって敵の侵略から祖国を守る防衛戦争というイメージが作られます。「戦争に侵略戦争はない。すべて防衛のために戦っている」という国民意識が作られていきます。もちろん、それまでの戦争にもそうしたイメージはありましたがここに来ていよいよ強まってきたのでありました。
第一次世界大戦の敗戦によりドイツは悲惨な状況に追い込まれます。敗戦国となってしまえばこんな悲惨な目に遭うということをドイツ国民は思い知らされることとなりました。
なぜ青年たちはナチスに熱狂したのか
だが、それでもまだ疑問は残る。ナチスの機関で彼らが立案した誇大妄想的なゲルマン化計画、東方の数千万の住民を移住させようという常軌を逸した計画が、のちにユダヤ人の大量殺戮を引き起こしたとしても、それがアインザッツグルッぺやコマンド隊の指揮官としての行動とどのようにつながるのか、いまひとつ理解できないのである。
彼らはもともと実務官僚であり、銃を撃ったこともなければ、大勢の人を殺すことなど思いもしなかったはずである。そんな青年たちがやがて、恐るべき死刑執行人となっていく。そこにいたるまでに、いったいなにがあったのだろうか。
本書は多くの資料にもとづき、心理学、社会学、人類学などの分析手法を用いて、その過程を明らかにしている。まず、彼らが東方、とりわけロシアに侵入したとき、そこはまさに野蛮な土地であった。
彼らの認識によれば、ボリシェヴィキのロシア人は非人間的なやり方でドイツ兵を殺し、その背後でユダヤ人が糸を引いているのだった。保安情報機関の分析はまさにそのようなものだったし、メディアや「兵士の心得」をつうじて、すべてのドイツ兵にそうした認識が植えつけられていた。
そして、彼らが現地で目にした凄惨な光景も、その認識を裏づけているように思われた。占領地域で活動するドイツ人は恐ろしい敵に固まれており、それには強力な手段で対抗しなければならない。つまり、アインザッツグルッペによる大量処刑はもともと治安上、防衛上の措置であり、それは根深い「恐怖」から生じたものだったのである。
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P439-440
※一部改行しました
第一次世界大戦のトラウマが彼らを駆り立てたとしても、なぜジェノサイドまで突き進まなければならなかったのか。彼らは銃も撃ったこともない「普通のインテリ」だったのになぜ最前線で処刑人となったのか。その過程を私たちはこの本で見ていくことになります。
ナチス兵も虐殺執行による精神的ダメージを受けていたという事実。しかしそれが虐殺の効率化をさらに進めることに・・・
さらに、さまざまな資料から透けて見えるのは、そうした大量殺戮が、上は指揮官から下は雑用係の兵士にいたるまで、人々の心に大きな傷を負わせたことである。ショックに対する反応は人によって異なり、飲酒や暴力に走る者もいれば、体調を崩す者もいたが、これはある意味、人間として当然の反応といえるだろう。
しかし、そのようなショックを克服しようと各人が努めているうちに、処刑のやり方に秩序が生まれ、それがまた、殺戮の規模を拡大させていった。資料を見るかぎり、ジェノサイドの手法はナチスの上層部から直接指示されたものではなかった。現場の指揮官や兵士が臨機応変に対処した結果、号令による一斉射撃とか、作業の分担といったやり方が定着していったのである。「軍事行動」という形が整えば、あとは「慣れ」のメカニズムが働いて、兵士たちの心理的負担も軽くなる。こうして、大量殺戮が際限なく繰り返されていく……
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P440
※一部改行しました
ナチス兵も人間です。無抵抗の人間を虐殺していくのは尋常ではない精神的負荷をかけることになります。
ナチスはその残虐さ、非人間性がフォーカスされることが多いですが、実際にはやはり虐殺によってかなりの心理的ダメージがあったようです。
そうして精神的に病んでいく兵士のために虐殺の手法がより洗練されていくことになります。
「人を殺したという実感」をなるべく経験させないように現場では様々な方法が試されていきます。アウシュヴィッツのガス室の機械的な殺戮はまさにその極致と言えるかもしれません。2019年に私がアウシュヴィッツを訪れた時も、まさしくそのことを感じさせられたのでした・・・
ジェノサイドは私達に無縁のものではない
ここで私たちに突きつけられる問題は、ジェノサイドという現象がナチスに固有のものではないということである。もちろん、その背景にナチスの人種主義があったことは否定できないが、ジェノサイドの原因をナチス指導者たちの性格や考え方、あるいはナチスの体制やイデオロギーのみに求めるのは限界がある、と本書の著者は指摘している。
そのため著者は、人間一般の心理や、社会的、文化的背景にもとづいて、ナチスの行動を理解しようと試みたのである。その視点で見るなら、敵への「恐怖」や暴カに対する「慣れ」によって、人はだれでも残虐行為をエスカレートさせる可能性がある。つまり、ナチスのジェノサイド、さらにはナチスの戦争そのものも、私たちと無縁ではないということである。
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P440-441
※一部改行しました
ナチスによる虐殺は狂気の人々によって起こされた特殊な現象というわけではありません。私達もそれをしてしまいかねないのです。
引き続き著者は次のように述べていきます。
ナチスの行動は「狂気」ではなく「普通の人間」によるものだった
近年、ナチスの行動が「狂気」のひとことで片づけられることは少なくなった。そのいっぽうで、彼らも「普通の人間」だったという言説が目につくようになってきた。しかし、アインザッツグルッぺの指揮官たちは自ら志願してナチスの保安情報機関に入り、ナチスのイデオロギーを学問という支柱で支えたのである。
しかるべき立場にいた人々が、東部でなにか行われるか、また実際になにが行われているか、知らなかったはずはない。自分たちの言動が将来どのような結果を招くか、まったく考えがおよばなかったというのは無責任である。その意味で、彼らを「普通の人々」と呼ぶのはやや抵抗がある。
ただ、少なくとも大量殺戮に向き合って葛藤したという点では、やはり「普通の人間」だったといえるかもしれない。本書を読めば、彼らが「異常な人々」でなかったことがよくわかる。
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P441
※一部改行しました
ナチスによる虐殺は「普通の人間」によって行われたというのはハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』による指摘でも有名です。
虐殺は異常な人間がするものではなく誰でも行いうる。
私はこのことを考えると浄土真宗の開祖親鸞聖人の次のことばを思い出します。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもするべし」
「それをしてしまう縁があれば、人間はどんなこともしてしまいかねない。人間はそういう存在なのだ」ということを親鸞聖人は語ります。このことについては以下の記事でより詳しくお話ししていますのでご参照ください。
信じることと、皆殺しにすること
ただひとつ指摘しておかなければならないのは、彼らがナチスのイデオロギーを固く「信じて疑わなかった」ことである。
本書の原題『信じることと皆殺しにすること』は、まさにその点を指摘している。彼らは幼いころから、ドイツは「敵の世界」に囲まれていると信じていた。青年時代にナチスに出会い、ナチスの「ユートピアの到来」を信じた。東方で大量殺戮を行っているときでも、国のため、ドイツ民族のためにやっているのだと信じていたに違いない。
信仰と暴力の結びつきは、なにも宗教の分野にかぎられる話ではない。太平洋戦争中の日本人を考えても、それは明らかである。また、高学歴の人々がなんらかの考えにとりつかれ、とんでもない事件を引き起こすといったことは、現代の世界でも起きている。「自分の考えに疑問をもたない」、「自分と違う考えに耳を貸さない」という態度が、そうした事態を招くのだろう。ナチスの知識人たちは私たちとかけ離れた存在ではない。私たちは彼らから大きな教訓を学び取らなければならないのである。
河出書房新社、クリスティアン・アングラオ、吉田春美訳『ナチスの知識人部隊』P441-442
※一部改行しました
この箇所は本書において非常に重要な部分です。私自身、宗教に携わる人間として肝に銘じなければならない問題です。「信じること」は人を救うこともありますが、人を頑なにし排他的にさせてしまう危険もあります。それがエスカレートすると暴力へと突き進むことになります。
私自身もオウムの事件に際し、僧侶としての自分に不安を思うこともあります。この宗教と暴力の問題があったからこそ私はドストエフスキーを学ぶことになったのでした。
また「理想のためにはすべては許される」ということについてはこれまで当ブログでも紹介してきたソ連の歴史においても見られます。
理想のためには何をしても許される。そうした思考は今も誰にでも起こりうる危険な思考です。そのことは忘れてはならないと思います。
おわりに
この本は虐殺に突き進んでいった青年知識人たちにスポットを当てた作品でした。彼らがいかにしてホロコーストを行ったのか、そしてそれを正当化していったのか、その過程をじっくり見ていくことになります。
この本で印象に残ったのはやはり、戦前のドイツがいかに第一次世界大戦をトラウマに思っていたのかということでした。
そうした恐怖が、その後信じられないほどの攻撃性となって現れてくるというのは非常に興味深かったです。
ただ、この本についてですが、大量の人名や事例がずら~っと続いていきます。ですので読むのがちょっと辛くなってきます。読み物として面白さという点では少し厳しいものがあります。データに基づいた論文という雰囲気の本になっています。
ですので読み物として面白いものを読みたいという方には少し厳しい本にはなりますが、興味深い洞察や問題提起には何度も驚かされることになるのは間違いないです。
ナチスについてもっと知りたい方におすすめしたい1冊です。
以上、「『ナチスの知識人部隊』虐殺を肯定する理論ーなぜ高学歴のインテリがナチスにとって重要だったのか」でした。
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