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死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 ポーランド編⑤

アウシュビッツ
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死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 僧侶上田隆弘の世界一周記―ポーランド編⑤

前回の記事に引き続き、アウシュヴィッツの展示で印象に残ったものを今回の記事でもお話しさせていただく。

さて、ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられている。

その展示の一つがこれだ。

これは収容所でユダヤ人が着せられていた服だ。

見てわかるように、それぞれ微妙に色が違う。

この色の違いはユダヤ人の中でも、政治犯として捕えられてきたのか、どこから来たのかなど、その服の色を見るだけでカテゴリーがわかるようにしたのだ。

さらに、胸元にはこの写真のようなマークを付けられることになる。

左上の赤い下向き三角は政治犯。隣はロマと呼ばれる人々、さらに隣はソビエトの捕虜。

アウシュヴィッツなどの収容所には、ユダヤ人だけでなく、ナチスの政策に不都合な人間も収容されていたのだ。

そしてこの印によって、同じユダヤ人、同じ被害者同士の中にも区別が生じることになった。

どうしてナチスはこのような区別をつけるようにしたのだろうか。

それは、収容者同士が団結して反抗しないようにという明確な狙いがあったからなのだ。

これは人間の心理に基づいた実に効果的な作戦だったと言われている。

ぼく達人間は無意識に自分と相手を区別する。

さらに、自分の属する集団を好ましい、あるいは身びいきしたくなるような感情を無意識下で持ち合わせている。

それをナチスはこの極限状況下で利用したのだ。

つまり、ユダヤ人とソビエトの捕虜を区別させ団結させないようにするにとどまらず、ユダヤ人同士でも細かな区別をつけることでお互いに憎しみ合うようにナチスは仕向けたのだ。

ナチスは意図的に収容所内に「私達」と「そうではない彼ら」という区別を作り出した。

平和で安全な時代にいるぼく達は、そのことで直ちに相手を攻撃したりはしない。

しかし、アウシュヴィッツはまさしく地獄だった。

どちらも助かるとは限らない。

いや、どちらも殺される可能性の方が圧倒的に大きいのだ。

生き延びたい。なんとしてでも。

そうなったときに人間は、いとも簡単に「そうではない彼ら」を憎むことができる。

最も憎むべき相手であるナチスではなく、隣にいる「そうではない彼ら」に敵意が向くのだ。

彼らを押しのけられれば生き抜くことができるかもしれない・・・

そのようなことをナチスはユダヤ人の無意識下に植え続けたのだ。

たとえユダヤ人達が「そうではない彼ら」を憎まなかったとしても、彼ら同士で積極的に協力し、ナチスに反抗することは難しくなる。

ナチスにとってはそれだけでも十分すぎるほど区別による効果は発揮されているのだ。

そしてその究極の形がガス室での悲劇へと繋がっていく・・・

さて、このことはぼく達にとって他人事なのだろうか。

「自分たち」と「そうではない彼ら」をぼく達は日常的にも作り出している。

意識的にも無意識下でも。

誰にだって、好きな人たちのグループもあれば、どうしても好きになれない人たちがいる。

それは仕方のないことだ。人間のあり方としてまったく自然なことだ。

でも、それが特定の状況下で圧倒的な力を持った時、人は平気で「そうではない彼ら」を攻撃することができる。

その「そうではない彼ら」を攻撃するときの、相手の境遇に対する無関心さを侮ってはならない。

いじめがなくならないのも、最近では著名人に対して炎上騒ぎが起きるのも「自分たち」と「そうではない彼ら」の意識の暴走の一つの形なのではないかと思えてくる。

もちろん、いじめも炎上も同じ背景から生じたものではないし、ひとくくりにはできない問題だ。

だが、人間が持っている「自分たち」と「そうではない彼ら」を区別する人間の性質を軽く見てはならないということをぼくは感じた。

それが極端にエスカレートすると、大惨事が目の前に現れてくるのだ。

アウシュヴィッツは、アウシュヴィッツのみにあらず。

「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」

エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉だ。

だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはならない。

それを手掛かりに、考えなければならないことがたくさんある。

ぼくはそう感じたのであった。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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