親鸞とドストエフスキー・世界文学

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(28)温泉地バート・エムスのドストエフスキーゆかりの地を訪ねて~結婚後10年経っても夫人に熱烈なラブレターを送るドストエフスキー

私にとってバート・エムスはドストエフスキーのアンナ夫人への愛を感じられる象徴的な場所です。

結婚後10年経っても妻を熱愛したドストエフスキー。

彼はエムスからアンナ夫人に熱烈なラブレターを送り続けます。

あの『悪霊』を書いた文豪とは思えぬほどのデレデレぶりをぜひ皆さんにお目にかけたいと思います。

愛妻家としてのドストエフスキーを知るならここを超える場所はないのではないだろうかと私は感じています。

名作の宝庫・シェイクスピア

蜷川幸雄演出『ムサシ』あらすじと感想~武蔵、小次郎の舟島の決闘の後日談を描いた衝撃の舞台!圧倒的面白さ!

藤原竜也さん、小栗旬さんをはじめとした役者さんたちの演技にはとにかく圧倒されっぱなしでした。シリアスシーンでは息もつけぬほどの緊張感、喜劇的なシーンでは思わず笑ってしまうコミカルな演技。

「とんでもないものを見てしまった」

この一言に尽きます。

後半の大団円に向かうシナリオも脱帽です。お見事すぎてため息が出ました。井上ひさしさんのすごさを感じずにはいられません。

いやあ、とんでもないものを見てしまいました。このDVDを観れて本当によかったなと思います。

アンナ夫人ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(27)帰国後のアンナ夫人の無双ぶり!借金取りも撃退!ドストエフスキーも全幅の信頼を寄せるその姿!

前回の記事「(26)ドストエフスキー夫妻の4年ぶりの帰国!旅を経てすっかり丸くなったドストエフスキーとアンナ夫人の成長とは」ではついにドストエフスキー夫妻がロシアに帰国したところまでをお話ししました。

今回の記事ではそんな旅を経て成長を遂げたアンナ夫人の姿をご紹介していきます。4年の月日が経ち、二人は出発前とは全く違う人間となって帰ってきました。一回りも二回りも成長した彼らは帰国後どんな生活を送ったのでしょうか。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(26)ドストエフスキー夫妻の4年ぶりの帰国!旅を経てすっかり丸くなったドストエフスキーとアンナ夫人の成長とは

四年前、ドレスデンから始まった二人の旅。

新婚早々のドレスデン、バーデン・バーデンの悪夢、ジュネーブでの天国と地獄、フィレンツェでの日々、そしてホームシックのドレスデン。色んなことがあった。ありすぎた。想像を絶する日々を夫妻は二人三脚で乗り越えてきた。

旅に出た当初の二人はもういない。

ドストエフスキーは自身の闇や狂気に打ち克ち、作家として一回り大きくなって帰って来た。そしてアンナ夫人はドストエフスキーを支える名マネージャーとしてこれから抜群の活躍を見せることになる。

この四年間はドストエフスキーにとってまさに運命を変えた旅だったのだ。

名作の宝庫・シェイクスピア

岩淵達治『ブレヒト 人と思想64』~われわれはシェイクスピアを変えられる。もしわれわれがシェイクスピアを変えられるなら

この本はドイツの劇作家ブレヒトの生涯や時代背景、思想をコンパクトに知れるおすすめの作品です。

私がこの本を手に取ったのはシェイクスピアがきっかけでしたが、「演劇と時代背景」について考えることができたのは大きな収穫だったなと思います。

当時の演劇界の空気感を知れるこの本はとてもおすすめです。私も1ページ1ページ興味津々で読みました。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(25)カジノの街ヴィースバーデンでドストエフスキーのギャンブル中毒が消滅!!旅の終盤、彼の身に起こった奇跡とは!

ギャンブル熱から解放されたヴィースバーデンでの出来事はドストエフスキーの旅の中でも屈指の重大事件です。作家としての誇りを取り戻した出来事と言ってもいいかもしれません。

自分の筆で、自分の仕事で家族を守る!もうギャンブルの一攫千金には頼らない!と宣言したドストエフスキー。今度こそ嘘ではない。それは歴史が証人だ。本当に彼は生まれ変わったのでした。

そしてその再生をもたらしたのはやはりアンナ夫人あってのことでしょう。やはりアンナ夫人はドストエフスキーの守護天使だったのだ。運命の相手だったのだ。そのことを思うとこの二人を祝福せずにはいられません。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(24)プラハに滞在したかったドストエフスキー夫妻~あのスメタナともニアミス!泣く泣くドレスデンへ。二人の旅も終盤へ

娘の出産のためにフィレンツェからプラハへ向かったドストエフスキー夫妻。

プラハにはスラブ系知識人のコミュニティーがあり、ドストエフスキーは彼らとの交流を願っていました。そして何より、夫妻は美しきプラハに滞在することを楽しみにしていたのです。

ですが、プラハに滞在することは叶わず、ドレスデンへ移ることになります。

歴史に「もしも」は禁物ですが、もし夫妻がここに滞在できたらあのスメタナやドヴォルザークともドストエフスキーは接点があったのかもしれませんでした。

フィレンツェイタリアルネサンスと知の革命

フィレンツェ・サンタ・クローチェ聖堂~ミケランジェロ、マキャヴェリ、ガリレオの墓を訪ねて

2022年末、私はヨーロッパを旅しました。そしてその時の体験を『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』という旅行記にまとめ当ブログで更新してきました。そしてその旅の中で私はフィレンツェも訪れています。

今回の記事ではそんなフィレンツェの中でも特に印象に残っているサンタ・クローチェ聖堂をご紹介していきます。

この聖堂には錚々たる偉人達のお墓があります。私はこうした偉人達のお墓参りがしたくこの聖堂にやって来たのでありました。特にミケランジェロやマキャヴェリのお墓には強い思いを持って私はお墓参りをしました。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(23)芸術の都ヴェネツィアを訪ねて~美しき水の都にドストエフスキーは何を思ったのだろうか

この記事ではドストエフスキー夫妻が訪れたヴェネツィアと、その道中で立ち寄ったボローニャをご紹介します。

誰もが憧れる水の都ヴェネツィア。ドストエフスキー夫妻はわずか数日の滞在でしたが、楽しい一時を過ごしたようです。私も夫妻が過ごしたヴェネツィアを歩き、彼らの滞在に思いを馳せながらこの街のゆかりの地を巡ったのでありました。

どこを撮っても美しい写真が出来上がる驚異の街でした。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(22)フィレンツェでのドストエフスキーの日々~ゆかりの地や彼お気に入りのラファエロ作品『小椅子の聖母』などをご紹介!

夫妻はバーデン・バーデン・ジュネーブ・ヴヴェイでどん底を見た。そんな彼らに恐いものはもう何もない。這い上がるしかないのだ。

悲しみや苦しみを分かち合い、今や二人は強固な絆で結ばれた。彼らの復活はいよいよここから始まっていく。自分たちをミコーバー夫妻になぞらえたフィレンツェでの生活はこの旅の大きなポイントになったのではないでしょうか。

あぁ、美しきフィレンツェ!できるなら私ももっともっとゆっくり滞在したかった!さすがは花の都。この街の芸術には感嘆させられっぱなしでした。

ドストエフスキー夫妻にとってもこの街での滞在はかけがえのない日々だったと私は信じたい。