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ベツレヘムのキリスト生誕教会を訪ねて~イエス誕生の物語とムハンマド イスラエル編⑱

キリスト生誕教会
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ベツレヘムのキリスト生誕教会を訪ねて~イエス誕生の物語とムハンマド 僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編⑱

難民キャンプを後にすると、いよいよイエス・キリストが生まれたという、生誕教会へと向かう。

30分以上は歩いただろうか。

エルサレムと同じくここベツレヘムも丘が重なり合ったような地形だ。

そのため常に坂道を歩くことになる。

連日の疲れも出てきたのか、体力的にはかなり厳しい行軍となってしまった。

なんとか生誕教会周辺までたどり着く。

そこはエルサレムの旧市街と同じように、アラブ人の商店が連なっていた。

エルサレムよりは人が少ない。やはりここまで来るのはなかなか大変なのだろう。

そして見えてきたのが生誕教会だ。

イエス・キリストはここベツレヘムで生まれた。

そして当時のエルサレム王による幼児虐殺から逃れるため家族共々エジプトに行き、その後イスラエルに帰還してイスラエル北部にあるナザレの町でイエスは成長していくことになる。

実は、王が生まれたばかりの男の子を皆殺しにするというモチーフは『旧約聖書』にも見られる。

海を真っ二つに割ってエジプトから脱出したことで有名なモーセも、イエスと同じように王の虐殺から奇跡的に逃れて成長した人物だ。

モーセが生まれた時代、エジプトではヘブライ人(現在のユダヤ人)が奴隷として生きていた。

その奴隷たるユダヤ人が増えすぎたため、ファラオは生まれたばかりのヘブライ人の男の子を皆殺しにするよう命じたのだ。

それに対し、イエスの場合は王の権威を脅かす偉大な人物が生まれるという預言がまず王に対してなされ、それに怯えた王が国中の生まれたばかりの男の子を虐殺する。

『旧約聖書』の最も偉大な人物の一人であるモーセとイエスの類似はおそらく偶然ではないだろう。

イエスがモーセに匹敵する、いや、それをも凌駕するほどの人物であることを出生の段階で暗示させるエピソードがこの誕生の物語なのだろう。

何はともあれ、イエスは王の虐殺の手にかかることなく、ここで生まれることになったのだ。

中は神殿のような作りになっていた。

残念ながら一部工事中であったが、それでも美しさは損なわれていない。

木造の天井が印象的な建物だった。

聖墳墓教会と比べると、質素なように感じられる。

それに、参拝に来ている人も明らかに少ない。

やはり、キリスト教徒にとってはイエスの誕生より、十字架の受難と復活に重きが置かれているということなのだろうか。

不思議なことにイスラム教の開祖、ムハンマドにおいても彼の出生自体はそこまで重視されていない。

そもそも生まれた年すらわからないのだ。

ムハンマドは一人の裕福な商人だった。

その彼がある日突然神からの啓示を受ける。

ムハンマドはそれから神の啓示を人々に説き始め、イスラム教の原始的な形が生まれ始めた。

神の啓示を説いていたムハンマドは他の商売人や住人達から疎まれるようになり、やがて住んでいたメッカを半分追い出されるような形で去る。

そして彼とその信者達はメディナと呼ばれる町に迎え入れられることになる。

これがヒジュラ(聖遷)と呼ばれる出来事で、イスラムの暦はこの622年をヒジュラ暦元年として計算していく。

イスラム教徒にとってなぜこの622年のヒジュラが重要なのか。

ただメディナの町に移住しただけではないか。

いや、そうではない。

イスラム教徒にとってはそこからイスラム教の共同体が生まれ、神の恩恵がイスラム教徒のもとに施される決定的な瞬間になったからだ。

622年のヒジュラによって、メディナの町そのものがムハンマドを指導者とするイスラム共同体となった。

ここからムハンマドの快進撃が始まり、それは神の恩恵そのものであり、またその証明であると考えられたのである。

だからこそ、イスラム教においても神の現れを示すヒジュラを重要視するのであって、ムハンマドの出生にはあまり重きは置かれないのだ。

では、仏教は?

お釈迦様の生まれた年は紀元前483年頃と言われているが、古い時代のことであるため正確な年は議論が尽きない問題として残されている。

とはいえ、お釈迦様の誕生日は4月8日。

これはかなりメジャーなものとしてぼく達お坊さんは受け取っている。

この4月8日のお釈迦様の誕生日を祝うのが花祭りだ。

甘茶をお釈迦様の像にかけることでお馴染みの祭りである。

お釈迦様の出生のエピソードで有名なのは、

生まれてすぐに7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と話したというエピソードだ。

もちろんこれは史実ではなく比喩的な神話だ。

いつか機会があればこの花祭りについてもお話しできればと思う。

仏教ではお釈迦様がこの世にお生まれになったということの意義をとても重要視する。

なぜお釈迦様は生まれてこなければならなかったのか。

この解釈によって宗派が分かれていくほど根本的な問題だ。

さて、というわけで仏教ではお釈迦様の誕生は重んじられているということになるだろう。

このように、宗教によって何を重んじるかを比べてみることでその宗教の特色が見えてくる。

ぼくが他の宗教や文化に興味を持った理由もそこにある。

エルサレムはそのようなことを学ぶには最高の環境だ。

様々な宗教や文化がこの地に一堂に会している。

ここで目にしたこと感じたことを無駄にしないよう、改めて気を引き締めるのであった。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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