(24)なぜ仏教はヒンドゥー教王朝に弾圧されなかったのか~当時の仏教教団のあり方とは

【シン日本仏教史】(24)なぜ仏教はヒンドゥー教王朝に弾圧されなかったのか~当時の仏教教団のあり方とは
前回の記事で320年に成立したインド人王朝グプタ朝についてお話ししました。
このグプタ朝がヒンドゥー教を重んじたことで、ヒンドゥー教が急成長していくことになります。
ただ、ここで注目したいのがこのグプタ朝がヒンドゥー教だけでなく、仏教も同じように庇護し続けたということです。つまり、仏教は弾圧されることなく継続することができたのです。これは意外ですよね。
少し先回りになりますが、中国の仏教においては時の皇帝の信じる宗教次第ですぐに過酷な弾圧が行われるのが当たり前の世界でした。それに比べるとこのインドの肝要さは不思議に感じられます。
これには宗教に寛容なインド古来の伝統も関わってきますが、インドにおける仏教教団のあり方も大きく関わってきます。
つまり、一言でいうならば、ヒンドゥー教王朝にとって仏教は弾圧するほどの存在ではなかったということになります。
奈良康明著『仏教史』によれば当時の仏教はすでにインド社会にかなり深く根付いていた存在だったようです。
仏教教団としては出家者がブッダの教えを守り、悟りを開くための修行に勤しむのが基本です。ですが、それを支える信者は普通のヒンドゥー教徒と同じような生活を送っていたのでありました。
「(14)ブッダ死去の直後、仏教教団はどのように動いたのか。火葬やお墓について明らかになっていること」の記事でもお話ししましたが、仏教では元々年中行事や葬送儀礼などは積極的には行っていませんでした。こうした儀礼に関してはその道のプロであるバラモンに任せるというのが伝統的な仏教教団のあり方だったのです。つまり、仏教教団の信者は仏教徒として仏教を信仰しながらインド土着の宗教儀礼や年中行事を行っていたということになります。
こういうわけで、インドの仏教徒にとってバラモン教・ヒンドゥー教の慣習というのは実に身近な存在であったのです。これは日本人の多神教的な感覚とも似ていると言えるかもしれません。七五三に神社に行き、結婚式はチャペルで、葬式は仏式でということが日常的に行われている感覚です。
もちろん、仏教教団の僧侶自体はバラモン教・ヒンドゥー教的な宗教はしていませんが、それを支える信者に関してはほとんどバラモン教・ヒンドゥー教的なあり方そのものだったのです。当然、仏教徒として教えを守ったりヒンドゥー教とは異なる生活をする場面もありますが、大きく言えばインド人社会にそのまま溶け込むことが可能なレベルのあり方が当時の仏教教団の姿だったのです。
そして重要なポイントが、仏教で語られる教えが極めて倫理的なものだったということです。「善い行いをせよ。悪いことをしてはいけない。自分の行為によって自分の未来が決まる」というのがブッダ以来の上座部仏教の基本的な考え方です。これを守るならば社会にとって実に好ましい集団ということになりますよね。極端に走らない中道的なあり方は実にバランスがよく、社会で活動する上でも信頼される大きな要素となったと思われます。
こういうわけでヒンドゥー教王朝たるグプタ朝からしても弾圧する理由が特に見当たらなかったのです。いや、さらに言うならばこの時期からの仏教はヒンドゥー教の一部として仏教が見られていくようにもなっていきます。
次の記事ではそんな仏教のヒンドゥー化について引き続き見ていきたいと思います。
続く
主要参考文献一覧
〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧
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