(38)「造悪無碍」の嵐~親鸞不在の関東で何が起こっていたのか

【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】(38)「造悪無碍」の嵐~親鸞不在の関東で何が起こっていたのか
親鸞が関東を去ってから早20年近くが経ちました。
親鸞もすでに80歳になろうかという年です。もはや穏やかな老境といった年代です。やることはやった。あとはもう、静かに念仏生活を送りたいものだ・・・。
しかし、そんな親鸞に最後の嵐がやってきます。
それが関東の弟子たちの混乱だったのです。親鸞はこの弟子たちの混乱に生涯の最後の最後まで悩み続けることになります。
では、その事の起こりについて見ていくことにしましょう。
まず、これまでお話ししてきましたように、親鸞は関東各地で布教を行ってきました。そして各地に初期真宗教団とも言える、親鸞の弟子を中心とした道場コミュニティが出来ていきました。親鸞が関東にいる内は、それぞれの弟子達が親鸞を師匠と慕い、その教えを聞いていたわけです。
しかし親鸞が関東を去ってからは、もし教えの内容でわからないことや不安なことがあってもすぐに質問することはできなくなってしまいました。また、弟子間で考え方のすれ違いがあっても、親鸞がいなければ自分たちで裁定しなければなりません。これらは大きな問題ではありましたが、親鸞が関東を去って間もなくはまだよかったのです。親鸞と共にいた記憶は鮮明であり、弟子達にもその薫陶が強く残っていたからです。そのため全体としてもそれほど大きな混乱はありませんでした。
しかし、10年、15年、20年と経てばどうでしょう。
時が経つにつれ、それぞれの道場では様々な問題が噴出してきます。
それが弟子の暴走でした。
一部の弟子、あるいはその信者が、「念仏を称えさえすれば、悪いことをしても構わないのだ!」と吹聴し治安を乱し始めたのです。これを「造悪無碍」といいます。
親鸞の関東での教えに「悪人正機説」があったのは以前お話しした通りです。罪を犯さざるを得ない人間でも、阿弥陀仏によって与えられた念仏を称えれば救われる」という教えですね。
たしかに親鸞はその教えを説きはしましたが、好き勝手に悪いことをしてよいなどとは一言も言っていません。
しかしその心を理解しない弟子や信者たちがこうして暴れ始めたのです。
いかがでしょうか。皆さん、これ、既視感がありませんか?
そうです、まさに法然教団の弾圧前夜にそっくりなのです。あの時も法然の弟子や信者たちが暴走し、治安を乱してしまっていました。結果的にそれが法然教団への弾圧に繋がってしまったのはこれまで見てきた通りです。
それがまさにここ関東で繰り返されようとしていたのです。
こうした現状に、関東の高弟たちが危機意識を持ち、親鸞に続々と手紙を送って来るようになりました。親鸞はその手紙に丁寧に応え、多くの書簡を関東の弟子たちに送っています。
しかし、状況は一向に改善されず、関東の弟子たちではもはや収拾のつかないところまで混乱は進んでしまいます。「我こそは親鸞の弟子なり」と嘘をついて触れ回る者すら出てくる始末・・・。もはや統制は不可能。このままでは法然教団と同じことが起きてしまう・・・。
自分が行くべきなのか・・・いや、行ったところでこの老体で何ができよう・・・しかしなんとかせねば・・・。
悩む親鸞ですが、妙案が浮かびます。
それが長男の善鸞を親鸞の代理人として関東に送り込むというプランでした。
善鸞ならば教えもしっかり理解しているし、関東の混乱を収束させられるだろうと考えたのです。
こうして、親鸞の命を受けた善鸞は急ぎ関東へと向かいました。
関東は大変なことになっているだろうが、善鸞ならばやってくれるだろう。
こうしてほっと一息ついた親鸞でありましたが、これが地獄の始まりになるとは夢にも思っていなかったことでしょう・・・。
続く
この記事で特に参考にした書籍はこちら
平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
今井雅晴『親鸞聖人の一生』
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