MENU

バラナシ、早朝のガンジス川へ~まるで印象派絵画!船上から眺める日の出のガンジス

ガンジス川
目次

【インド・スリランカ仏跡紀行】(93)
バラナシ、早朝のガンジス川へ~まるで印象派絵画!船上から眺める日の出のガンジス

日の出前の早朝、私はガンジス川へと向かった。もちろんボートに乗って川の上から朝日を見るというのがその目的だ。バラナシに来てこれをしないのはありえないという王道中の王道である。

早朝と言っても日の出前なのでまだ真っ暗だ。ネオンの光が眩しい。

ガンジス川の近くまでやって来た。すでに大勢の人で賑わっていた。早朝とは思えないエネルギーがここにある。

いよいよバラナシのガンジス川へと下りていく。目の前の階段を下りればすぐそこがガート(沐浴場)だ。

おぉ、これが名高いインドのガンジスか。8月に見たハリドワールのガンジスとはやはり違う。ここはガンジスの中流域。その川幅は比べることもできない。対岸がはるか彼方のように見える。こちらの世界と日が昇る向こうの世界がまるで別世界のようだ。

ほんのりと空が明るくなってきた。そして沐浴する人々もやはり多い。日の出の朝にこのガンジスで沐浴することこそヒンドゥー教で最も重要な儀礼のひとつとなっている。

そしてこのガート沿いには無数のボートや船が係留されている。私もこれからそのひとつに乗ってガンジス川の船旅に出発である。

船から船へと歩いて係留先のボートへ向かっていく。

さて、ボートに乗船だ。私が乗ったのも写真正面にあるような小さめのボートだ。水面も近く川に浮かんでいる感じがダイレクトに伝わってくる。

さあ、出航だ。

ガンジス川上からガートを眺める。

ガート沿いにはインドらしい色鮮やかな建物があるかと思いきや、お城のような重厚な建物も現れるという、実にバラエティに富んだ風景であった。

いよいよ日の出だ。朝焼けのオレンジ色が強くなってきた。

続々と他のボートもやって来た。

ガートのかなり上流部分までやってきたので船着き場方面に引き返す。

そしてこのタイミングでガイドさんにガンジス川の水を採取してもらった。

こうしたプラスチックの容器はこの近くで山のように売られていて、インド人は皆この聖地の水を持って帰るのだそう。これはハリドワールでもそうであった。

せっかくなので今回私はバラナシの水を持ち帰ることにした。ただ、私自身はこのガンジスに指一本すら浸けるつもりはない。そんなリスクを負うことはできない。そこでガイドさんにお願いしたのである。

「何を軟弱な」と思われるかもしれないが私は8月のハリドワールで倒れた人間である。あのトラウマはそうそう抜けるものではない。私の旅はここで終わりではない。ここで倒れるわけにはいかないのである。(このトラウマについては「(8)ついにやって来たインドの洗礼。激しい嘔吐と下痢にダウン。旅はここまでか・・・」の記事参照)

そしてこのポリタンクに入ったガンジスの聖水は今も我が家にある。おそらく細菌やら何やらでとんでもない危険物質と化していることだろう。

いよいよ日の出である。しかし残念!この日は曇りであった。なんとかほんの少しだけ太陽を拝むことができたがこれが精いっぱいである。

それにしても、このガンジス川というのは不思議な存在である。

ガートが立ち並ぶ西岸とその対岸ではまるで世界が違う。本当に何もない。もちろん、今この写真に写っている砂の岸辺は雨季になると水没するので建物が建てられていないという事情もある。だが、それにしても寂しい風景だ。

そしてその何もない世界からオレンジ色の朝日が昇ってくるのである。朝日であるのに夕日のような何か切ない郷愁のような感情が湧いてくる。あの向こうに何か懐かしい世界が広がっているような、そんな気分になってしまうのだ。

この印象派の絵画のような世界に浸る体験はやはり唯一無二のものだろう。やはり世界中の旅人を惹きつけてきただけのものがやはりここにはあるのである。

マニカルニカー・ガートという火葬場の近くまでやって来た。火葬の煙が立っている。

ボートからもその火葬の火は見えた。

私はこの火葬場近くの船着き場でボートを降りた。普通の遊覧コースではここで降りることはないのだが、間近で火葬場を見たいという私の希望から特別にルートを変更してもらった。

この火葬場内での撮影は厳禁である。もし撮影しているのが見つかったらトラブルになるのは確実だ。なので私もここから先は撮影していない。

そして火葬風景を見た私はやはり感じてしまった。「人間としての当たり前」を・・・。

カトマンドゥ近郊の火葬場でも私はこうした火葬風景を間近で見ている。そしてその時とほぼ同じ感情をここバラナシで感じることとなった。

遺体が焼かれるというその厳粛な場面は私にとって衝撃的なものではない。むしろ、人間にとって「死とはこうも当たり前のように私達と共にある」ということを見せてくれるような気がするのである。何も驚くことはないのだ。そこにグロテスクさや恐怖もない。ただ淡々と火が燃え、人間が灰になるのである。まさに諸行無常の世界である。

火葬場の周辺は火葬に使う薪が山のように積まれていた。

バラナシ旧市街の街路を抜けて行く。ゴミやら牛の排泄物など、インドらしい雰囲気を感じる。

年季の入った建物が立ち並ぶ旧市街。インドに来る前はこのバラナシの悪名高い汚さに恐れおののいていたが、ハリドワールを経験した今、そこまでの驚きはない。むしろずいぶんきれいではないかとすら思ってしまう。ようやくインドに慣れてきたのだろうか。「もっと汚くても全然いいよ?」とすら思っている自分がいる。私の中のインド人が少しずつ育ってきているのかもしれない。

下の動画はこの日撮影したバラナシの映像だ。ぜひ参考にして頂ければ幸いである。

次の記事ではここバラナシの名物であるプージャの儀式についてお話ししていく。私はここでハリドワールのプージャとの違いを感じることになった。そして驚きの事実を知ることになる。

主な参考図書はこちら↓

古代インド (講談社学術文庫 1674)

古代インド (講談社学術文庫 1674)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
バラナシのプージャは古典的?ハリドワールのエンタメ性溢れるプージャとの違いに驚く この記事ではバラナシ名物のガンジスのプージャについてお話していきます。 2023年8月にガンジス川上流の聖地ハリドワールでその熱狂的なプージャを見た私でしたが、このバラナシでのプージャはある意味驚きの体験でありました。 インドはやはり面白い。想像の斜め上を行く展開を見せてくれます。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
サールナート博物館の至宝アショーカ獅子柱頭とインド仏像の最高傑作「初転法輪像」を堪能! サールナート博物館にはインドの至宝アショーカ獅子柱頭やサールナート仏の名で知られる初転法輪像が所蔵されています。 ここで出会った素晴らしい彫刻作品のショックは美術館を出て宿に帰ってからもずっと続き、この完璧な彫刻に私は心奪われたままでした。 そしてそんな私の身に謎の現象も起こることにもなりました。

【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

関連記事

あわせて読みたい
三島由紀夫はインドで何を見たのか。ガンジスの聖地バラナシで「生と死」「輪廻転生」を問う 三島由紀夫は1967年秋に15日をかけてインドを旅しています。 その中でもバラナシには特に強い印象を受けたようで本人も「ガートは非常に面白くて、二度も見に行きました」と述べるほどでした。 この記事ではそんな三島がバラナシについてどのような思いを持っていたのかを彼の作品などから考えていきます。
あわせて読みたい
ガンジス上流の聖地ハリドワールへ~ヒンドゥー教巡礼の聖地は想像以上にディープな世界だった デリー空港に到着した私はそこから北に向かい、ガンジス川上流のヒンドゥー教聖地ハリドワールを目指しました。ガンジスの聖地といえばヴァーラーナシーが有名ですが、実はそこだけが聖地なのではありません。むしろハリドワールの方がきれいで近年人気があるという話もあるほど…。しかし現実はそう甘くはなかったのでした。
あわせて読みたい
(13)モネの『印象・日の出』が好きでたまらない!マルモッタン・モネ美術館でその名画を堪能! モネの『印象・日の出』は本当に不思議な絵です。全体がぼんやりしているものの、それが心地よい。夕陽とその光の反射の描写はまさに天下一品だと思います。なぜか引き込まれる不思議な魅力がこの絵にはあります。これ以上はうまく言葉にできません。 私がパリで最も好きになった絵画は間違いなくこの作品です。
あわせて読みたい
ネパールのガンジス、パシュパティナート寺院の火葬場で死について考える ネパール最大のヒンドゥー教寺院であるパシュパティナート寺院。この寺院はガンジス川の支流バグマティ川に面していて、ここに火葬場が作られています。 ネパール人にとって、ここはインドのバラナシと同じような意味を持つ重要な聖地となっています。私もそのような火葬の現場を見てみたいと思いここを訪れることにしました。
あわせて読みたい
インドは旅人に「答え」ではなく「問い」を与える~インド・スリランカの旅は私に何をもたらしたのか いよいよ、100回を超える私の旅行記もこれにて終了です。 長かった・・・読むのも大変だったかもしれません。 ですが、私にとってこれは「やらねばならぬ大きな試練」でした。 「私にとって宗教とは何か。仏教とはなにか」10年以上にわたって研究し続けてきたこの課題の集大成がこのインド・スリランカの旅でありました。
ガンジス川

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次