⑺ビンビサーラ(頻婆娑羅)王との運命的な出会い!ブッダ出家後最初の目的地マガダ国の王舎城へ
【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑺
ビンビサーラ(頻婆娑羅)王との運命的な出会い!ブッダ出家後最初の目的地マガダ国の王舎城へ
前回の記事「⑹ブッダの出家はどのようにして行われたのか~馬丁チャンナと愛馬カンタカとの深夜の旅立ち」ではブッダの出家シーンをお話ししましたが、この記事ではいよいよブッダの修行時代の始まりについてお話ししていきます。
ブッダ、出家してマガダ国へと向かい修行生活開始
ブッダは29歳まで過ごしたカピラヴァストゥの生活を捨て修行生活に入ることになりました。彼が最初に向かったのはカピラヴァストゥの南東に位置するマガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)周辺の森でした。
この地図にありますように、道路が整備された現代においても430キロメートルの道のりです。ブッダが歩いた2500年前は道すらない場所も多かったことでしょう。さらに出家修行者ですので毎朝托鉢をして食べ物を得ていくことになります。仏伝では7日で王舎城に着いたとありますが、さすがに托鉢しながらはその日数では無理でしょう。ですがいずれにせよ、ブッダははるばるこの地へやって来たのでした。
なぜブッダがこの地を目指してはるばるやって来たのか、そこには理由があります。
それはマガダ国が当時インドにおいて最強国のひとつであり、経済も文化も最先端を行く国であったからです。その国の中心たる王舎城はまさに文化の中心であり、様々な思想家、宗教家が活躍する、ブッダにとっては願ってもない修行のメッカでした。ブッダはまずここで出家者としての基礎である瞑想を学ぶことにしたのでした。
王舎城周辺には5つの岩山があり、その一つがブッダの説法で有名な霊鷲山になります。この地域は修行者にとって生活しやすい理想的な環境でもありました。修行者の多くは朝に街や村に出て托鉢をし、食べ物を得ます。つまり山中深くに入りすぎるとこの托鉢が困難になってしまうのでそれは避けなければなりません。また、街や村に近いことで人々との交流も生まれ、自身の教えを広めるきっかけともなります。それならばそもそも最初から街中で修行したらよいではないかと思われるかもしれませんが、街の喧噪の中では瞑想修行に勤しむことは困難です。というわけで近すぎず遠すぎずの距離を選ぶのが当時の出家者の主流だったのでした。ブッダもそれに倣い、王舎城周辺の森に滞在したと言われています。
マガダ国の王ビンビサーラ(頻婆娑羅)とブッダ
マガダ国に着いて間もなく、ブッダはある運命的な出会いをすることになります。
その顛末をまた『ブッダチャリタ』に沿って見ていくことにしましょう。
この都は、山々に美しく飾られ、外敵から守られている。また、めでたいタポーターに支えられ、清められている。五つの山をしるしとするこの都に、王子は心静かに入って行った。最高神ブラフマンが天の内奥に入って行くように。
王子は不動の誓いを立てたシヴァのようであり、その重々しさと威厳、そして人を凌駕する輝きを見て、その時人々は大いに驚いた。
王子を見るや、こちらに向かって来る人は立ちどまり、同じ方向に行く人はついて行き、急いでいた人は歩をゆるめ、坐っていた人は立ち上がった。
ある人は両手を合わせて王子を拝み、ある人は歓迎の意をこめてお辞儀をし、さらにある人は愛情のこもった言葉で挨拶した。ただ一人として敬意を払わずに通りすがる者はいなかった。(中略)
その時、マガダ国の王シュレーニャ・ビンビサーラは、外宮の中から大群衆を見て、その理由を尋ねた。そこで、家来は答えた。
「『この人は将来最高の知識を獲得するか大地をすべて支配する王となるか、そのいずれかであろう』とシャーキャ族の王の息子について、バラモンたちはかつて予言しました。人々は今、托鉢僧になった王子を見つめているのです」
これを聞いた王は気になって、「王子がどこへ行くのか調べて、知らせてくれ」とその家来に言った。「かしこまりました」と家来は言って、王子のあとを追った。
講談社、梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』P110-111
冒頭に出てくるタポーターはこの近くに湧いている温泉のことです。王舎城には温泉精舎と呼ばれるインドで唯一の温泉があり、現在でも現地の人々が利用しています。
上の写真がその温泉精舎になります。現在はヒンドゥー教の聖地のようになっており、ここで温泉に浸かりながら沐浴し身を清める場となっています。私もここを訪れたのですが、中へ入って温泉があるエリアまで行ってぎょっとしました。階段を降りたその先に横7、8メートル、奥行き数メートルほどの浴槽があり、そこにぎゅうぎゅう詰めになって現地の方が温泉に浸かっていました。インドの沐浴は男性は下着以外は裸で沐浴しますが女性は服を着たまま行います。というわけで男女一緒にこの浴槽に浸かっていたのですが、上から見ただけでもそのお湯がかなり濃い灰色に濁っているのが見えました・・・。身体の弱い私はもちろん近づくこともなく退散です・・・。
私が訪れた日は満月の祝日で特別人が多かったみたいですが、今なおここは多くの人を惹きつける場所だそうです。ブッダもここで入浴したのではないかとも言われています。
話は逸れましたが上の『ブッダチャリタ』の中でヒンドゥー教(当時はバラモン教)の神であるブラフマンとシヴァがここに出てくることも注目です。よく「ブッダは神の存在を認めない無神論者だった」という説が語られたりもするのですが残念ながらそれは誤解です。ブッダは当時のインドの世界観を生きた人間です。一見無神論的な説法が語られることもないことはないのですが、残念ながら学術的にもこうした「ブッダ無神論者説」は否定されています。(※詳しくは「F・C・アーモンド『英国の仏教発見』~仏教学はイギリスの机上から生まれた!?大乗仏教批判の根はここから」や「新田智通「大乗の仏の淵源」~ブッダの神話化はなかった!?中村元の歴史的ブッダ観への批判とは。『シリーズ大乗仏教 第五巻 仏と浄土—大乗仏典Ⅱ』より」の記事をご参照ください)
ブッダはあくまで古代インドを生きたひとりの人間です。古代インドの文脈を無視して独自の生き方を編み出したわけではありません。ブッダもインド的な神々の世界観と共に生きていたことはここで改めて強調したいと思います。そしてその上でブッダは従来のインド的宗教観を打破する新しい世界観を悟ることになるのです。
さて、上のようにブッダはマガダ国に入っても圧倒的に目立つ存在でした。王族ならではのオーラだけでなく、すでにして精神的な雰囲気を醸し出すブッダ・・・やはり2500年に1人のカリスマは違います。
そして注意したいのが、ビンビサーラ王の部下がすでにブッダの素性を知っていたということです。当時のインド社会ではすでにかなり早い情報網を持っていたということでしょうか。たしかに、他国の王位継承者が出家修行者となったというのはかなりのビッグニュースです。国家運営において情報はまさに武器そのもの。マガダ国は当時のインド最強国です。他国にかなりの数のスパイも放っていたことでしょう。だからこそブッダの素性もすぐに知れたのではないでしょうか。このことは後に改めてお話ししますのでぜひ頭に置いていて下さい。
ブッダと会見するビンビサーラ王
こうしてビンビサーラの家来はブッダを尾行し、その居所を王に伝えます。いよいよ舞台は整いました。ビンビサーラ王は急ぎブッダのもとへ向かいます。この時、お付きの者も最小限にし、お忍びで向かったとされています。あくまで公式な会談ではなく、まずはあの異様な輝きを放つ修行者はいかほどの者かという王自らの興味からの行動だったのでしょう。
そして森の中で瞑想をするブッダの姿を見て、王はその姿に圧倒されることになります。
この男・・・本物だ・・・。この男は単に王位を捨てただけの男ではない。内にとてつもないものを秘めている。あのバラモンの予言通りの男だ。もし王位に就けば世界を統べる王となろう。・・・であるならば・・・。
ビンビサーラ王は修行者ブッダに敬意を示し、讃嘆の言葉を述べた後、ここである提案を持ち掛けます。
「私の国の強力な軍隊と軍象、財をあなたに与えよう。そして二人で全インドを支配しようではないか!」
これは実に注目すべき提案です。
ビンビサーラ王はシャカ族の王子たるブッダに軍事援助を持ちかけ、同盟を組もうではないかと提案したのです。これはインドの歴史を変えかねないとてつもない提案でした。
ただ、実はこれにはビンビサーラ王の側にも切実たる理由があったのです。
「⑵カピラヴァストゥでのブッダの青年期と四門出遊~ブッダはなぜ家を捨て出家したいと願ったのか」の記事でもお話ししましたように、ブッダの生国「シャカ族の国」は隣の大国コーサラ国と主従関係にありました。
当時においてはこのコーサラ国とマガダ国が二大強国として君臨しており一触即発の緊張状態にあったのです。
マガダ国にとってコーサラ国攻略は至上命題。その攻略の一つとしてシャカ族とコーサラ国の引き離しをビンビサーラ王は狙ったのでした。もしブッダがこの提案に乗ればマガダ国とシャカ族でコーサラ国を挟み撃ちにすることができます。そして王はブッダがそれを託すに足る優秀な人物であると一目見て見抜いたのでしょう。中途半端な人物であればこの提案を漏らすだけでも国際問題に発展します。ビンビサーラ王がお忍びで来たのはこうした狙いがあったからなのかもしれません。
しかしブッダはその提案を丁重に断ります。そして自らの出家への思いを王に語り、かえって王がブッダに心服することになりました。ビンビサーラ王も器の大きな人物でした。たとえ自分の思惑を断られても、相手の優れた精神を素直に受け取る人物でもあったのです。
こうしてすっかりブッダに心奪われたビンビサーラ王は「もしあなたが道を達成された時は、ぜひまたお会いしましょう。その時はぜひ私の国に再びおいで下さい」と約束し、別れることになります。
この出会いが後のブッダ教団にとって計り知れない恩恵になるのですが、それはまだ先のお話。ブッダはここから長き修行の道を歩み始めるのでした。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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